いつものように第二厨房で料理の研究を続けているルーアの元に、毎度のことながら姿の全く見えない幽霊さんがやって来た。
だが、今日の幽霊さんは酷く不機嫌だ。
「ねぇ、ありえないと思わない? 収穫祭も間近なこの時期にやって来るなんて!」
憤懣遣る方無いといった様子の幽霊さん。
しかし、お怒りは至極ごもっともだとルーアも思う。
青天の霹靂というしかない。二週間後、しかも冬の準備のためにただでさえ忙しいこの時期に、リスレ神殿のカティア司教様が急遽この神殿にご来訪されることとなったのだ。
この緊急事態に、ルーアはルピア司教様から直々に歓迎の料理を作るように命じられた。それ自体は大変名誉なことで、彼女も嬉しく思うのだが、その歓迎のメニューが指定され、それがカレーライスということが問題なのだ。
「ああっ、もう。腹が立つたらありはしない!」
延々続く愚痴を背中に受けながら、ルーアは今晩の試作品を作っていく。
「幽霊さんがお怒りなのはよく分かりますが、私もルピア様に、とびっきり美味しいカレーを作るように言われて困っているんですから、この料理が出来上がるまで、おとなしく待っていてくださいね」
ルーアは子供に言い聞かせるように言い、鍋の中身を静かに混ぜる。
「むぅ。まぁ、仕方ないか。ルーア。あの司教様も色々大変だから、力になってあげないとだめよ」
「ええ、はい。ルピア様は私達の崇敬の存在ですから」
「うむ、よろしい」
ルーアは幽霊さんの言葉に苦笑するしかない。
だが、仕方がない。この厨房では、あくまでも何代も前になくなった先輩シスターの幽霊と後輩という設定なのだから。
「う~ん、美味しいことは美味しいんだけれど……」
小皿に鍋の中身を少し移して味見したルーアは、そう言って顔をしかめた。
「ねぇ、大丈夫なの? あの女を、ぎゃふんと言わせるようなカレーじゃないとだめよ?」
幽霊さんの言葉に、ルーアはくるっと身体を回転させて、幽霊さんがいるであろう方向を向く。
「幽霊さん。先に言っておきますが、私が作るのは、食べた人が笑顔になるカレーです。自慢のための料理を作るつもりは有りません」
『料理は人を幸せにするもの』というのがルーアの信念である。だから、料理で相手を驚かせる事をすることはあっても、それはよりいっそう料理で喜んでもらうためのスパイスの一つに過ぎないと思っている。それが目的になっては本末転倒というものだ。
「ううっ、分かっているわよ」
「まぁ、今回の裏の事情を知ってしまったので、幽霊さんの気持ちも分からないではないですけれど」
ルーアはそう言ってまた苦笑し、作業に戻る。
実は、今回カティア司教様が急遽この神殿にやってこられるのは、偏にカレーライスなる未知なる料理を味わいたいという理由だけらしいのだ。
ルピア司教様とカティア司教様は、頻繁に魔法で意見交換をしているらしいのだが、その中で内容が食べ物の話題になった。そして、それがいつの間にか各々の神殿の料理自慢になり、舌戦が繰り広げられることとなったというのだ。
そして、ルピア様が、
『カレーの美味しさも知らないくせに、偉そうなことを言うんじゃないわよ!』
と言ってしまったらしい。
『そこまで言うなら、その料理を食べさせてもらおうじゃない。それに、うちにだって貴女が食べたことのない料理があるんですからね! せっかくです。どちらが美味しいか食べ比べしてみましょう。すぐに行くから待っていなさい!』
カティア司教様も頭に血が昇ってしまったらしくそう言い返してきて、それから、「この忙しい時期に来るな!」「絶対に行く!」の応酬になったのらしい。
ルピア様は一歩も引かなかったらしいのだが、カティア司教様も引かずに、公文書で訪問する旨を伝えてきたというのが、この一大事件の真実らしい。
「ですが、それはそれとして、ルピア様とカティア様には、もう少しお立場を考えて頂きたいと思ってしまいます。いえ、幽霊さんにこんな事を言っても仕方がないのですが」
「……カティアのバカは知らないけれど、あんたの所の司教様は反省しているから。その辺は大目に見てあげなさいよ」
「それはもちろんですよ。ですからこうして、一生懸命カレーを試作しているんじゃあないですか」
ルーアは味の微調整をして、「うん、ひとまずはこれで完成とするしかないわね」と独りごちり、皿にライスを盛る。
「おまたせしました、幽霊さん。本日のカレーライスの試作品その一です」
白いライスの上にとろみのかかったカレーソースを掛け、ルーアはテーブルにそれを配膳する。
「その一って、今回は二種類もあるの?」
「ええ。ですから、量は少なめです。すみませんが、二種類を食べ比べて下さい。では、まずはこの皿からお願いします」
「ふ~ん。食べ比べか。面白そうね。まぁ、とりあえず食べてみるわね」
幽霊さんは食事前の祈りを済ませると、最初のカレーを食べ始める。
「うん、美味しい! これは鶏肉のカレーなのね。あっさりとしているけれど、しっかりと旨味も出ていて良いじゃないの!」
「幽霊さんの口にあったようで何よりです」
カレーライスが順調に皿から消えていくことに安堵し、ルーアは黙って幽霊さんが食べ終わるのを待つ。もうすっかり慣れたが、ひとりでにスプーンが宙を舞う様子はやはり奇妙だと思いながら。
「これは良いわね。個人的には豚肉のカレーよりも好きだわ」
綺麗に完食した幽霊さんが、嬉しそうな声色でそう応える。
「ええ。私も鶏肉のカレーは、豚肉のカレーに負けない美味しさだと思います」
ルーアはそう同意すると、今度は別の皿にライスを盛り付け、先程とは違う鍋のカレーをそれに掛けて、幽霊さんのテーブルに配膳した。
「次はこちらのカレーを食べてみて下さい」
「あらっ、随分小盛りね? まぁ、いいわ。食べてみるわね」
幽霊さんはそう言ってスプーンでそのカレーを一口口に運ぶ。
「ふむ。これも鳥の肉……ああ、七面鳥ね。その、すごくあっさりしているわね」
幽霊さんは先ほどとは異なり、言葉少なにカレーを食べ終える。
「う~ん、このカレーは少し物足りないわね。正直、最初のカレーのほうが美味しいと思う。あっさりしすぎているというか、旨味が少ない気がするわ」
「はい。私も全く同じ感想です。これでも色々工夫はしてみたのですが、どうしても普通の鶏の肉と比べると、物足りないんですよね」
ルーアはそう言って嘆息する。
「でも、これは完全に素材の問題じゃないの? わざわざ七面鳥の肉を使おうとしなければいいだけじゃない」
なんでそんなことで悩むのよ? と言わんばかりの幽霊さんの言葉に、ルーアは困り顔をする。
「いえ、どうにか七面鳥の肉を使って、美味しいカレーも作らないと行けないんです。これは別件ですが、もう時間がないので同時進行していかないと間に合わないので」
「別件? なんだか知らないけれど、とりあえずは歓迎の料理に集中しなさいよ。今回の件で時間が足りないんだったら、特別に普段の修行の時間を作業の時間に当ててもいいように配慮しておくから」
幽霊さんはそう言ってくれたが、ルーアは首を横に振る。
「私だけがそんな特別扱いを受けるわけには行きません。それに、そんな事をしたら、恐ろしいことが起こりますよ」
「んっ? 恐ろしいことって何よ?」
大げさなことを言うわね、と幽霊さんは呑気に尋ねてくる。
「うちの神殿内の治安が悪化します。そして、最悪、暴動に発展するかもしれません」
「……はっ?」
幽霊さんのスプーンが、カレー皿の上に落ちた。
「何よそれ! そんな事起こるわけがないじゃない!」
「ええ。私もそう思いたいのですが、起こる可能性が否定できないんですよ」
ルーアはそう言って顔を俯ける。
「なっ、なんでそんなことになるのよ!」
幽霊さんの問に、ルーアは黙って幽霊さんの皿の上のカレーライスを指差した。
「このカレーがどうしたのよ?」
「初めてこの料理を夕食に出したあの日以降、私は一度もカレーライスを出していません。コストが掛かりすぎるからとナタリア司祭様に止められたのが理由です。カレーはスパイスをふんだんに使いますので……」
ルーアはこれまでの事情を口にし、話を続ける。
「ですが、このカレーの味は、もう神殿中のシスター達を虜にしてしまっていたのです。そのため、私は毎日のように、またカレーライスが食べたいと催促を受けています。ですが、作れないのです。ただただ我慢してもらうしかないのです」
「なっ、なによ。たかがカレーが食べられないくらいで……」
幽霊さんのその言葉に、ルーアは黙って収納棚の前に行き、分厚い紙の束を取り出したかと思うと、それを幽霊さんのいるであろうテーブルの前に置いた。
「私は料理に対するアンケートを月に一度だけ、皆から取っているのですが、この内容の九割以上が、カレーライスをもう一度食べたいというものでした」
「えっ? えっ? 本当に、九割以上も……」
シスターたちの生の声を具現化した紙の束がひとりでにパラパラとめくられる。幽霊さんが確認しているためだ。
「皆が心待ちにしているカレーライス。それが今回、リスレ神殿のカティア司教様がご来訪される際に出される。けれど、私はあえて試作品の作成は第一厨房では行っていません」
「なっ、それって……」
驚きの声を上げる幽霊さんに、ルーアは頷く。
「はい。トラブルを避けるためです。間違いなく私の作った四、五人分の試作カレーの味見をしたいという人間が現れます。ですが、当然量が限られているので、そこで最初の諍いが起こります。そして、食べられなかった人たちは不満を募らせます。きっと、それは更なる争いの火種となるでしょうね」
ルーアは深く嘆息する。
「でっ、でも、うちの神殿のシスター達は、常日頃から清貧の教えを守り、修行に励んでいるのよ。流石にそんなひどい状態には流石にならないじゃあないかしら?」
幽霊さんの言葉に、ルーアは頭を右手で押さえて、もう一度息を吐く。
「……幽霊さん。このカレー粉を以前は厨房で保管していました。ですが、誰かが勝手に持ち出した形跡あったので、今はナタリア司祭様に頼んで、毎日貯蔵庫の金庫にしまって貰っていると言ったら、現状を分かってもらえますか?」
単純に教える機会がなかったので、カレーの作り方を知っているのは、ルーア一人しかいない。けれど、未遂に終わったが、そんな状態でもカレー粉を盗み出して自作してでも作って食べようとした人間がいたという事実を、ルーアは幽霊さんに告げる。
「えっ? えっ? いやっ、笑えないわよ、そんな冗談は」
「私も、これが冗談だったら良かったのにと思いますよ。若い欲望って恐ろしいですね。あははっ……」
自分もまだ十八年しか生きていない事を棚に上げる現実逃避気味な乾いた笑いに、幽霊さんは絶句する。
「それでも、そんな事をするのはごく少数の人間だけだったと思います。今までは皆が我慢しているのだからという理由がありましたから。
ですが、今回のカティア司教様のご来訪で、私が試作品を作る以上、私と他の誰かがカレーを口にしていることが明らかになってしまったので、ますます事態はややこしくなりそうなんですよね」
「ねっ、ねぇ。まさかこの第二厨房まで、追っかけてきている人間がいるとか言わないわよね?」
幽霊さんの酷く狼狽した声に、
「もしも誰か一人でも追っかけてきたら、二度とカレーは作らないと言っておいたので、今のところは大丈夫だと思いますよ。現状、この料理の美味しい作り方を知っているのは私だけですから。ですが、唯一カレーを口にしている私に対する非難も、日に日に増している気がします」
ルーアはそう答え、自分の分としてライスを別の皿に盛り始める。
「ううっ、ルーア。私にももう少し頂戴。食べなくちゃあ、やってられないわ」
差し出された皿を受け取り、幽霊さんを少しでも癒すべく、好評だった鶏肉の方のカレーでおかわりを用意するルーア。
再び自分の分の用意をし、ルーアも席につく。
二人は無言でカレーを食べていたが、やがて幽霊さんが口を開いた。
「あれっ? でも、ルーア。今までの話だと、どうして七面鳥でカレーを作らなければいけないのかわからないんだけど?」
幽霊さんの当然の疑問に、ルーアは頷き説明する。
「流石にこのままではまずいと思いまして、私はナタリア司祭に状況を説明して、直談判しました。例年、収穫祭の日には、年に一度の贅沢として普段よりも質の高い献立メニューにしているので、どうかその日にカレーを作らせてほしいと。そしてなんとか許可を得る事はできました」
そこまで聞いた幽霊さんは「なんだ、良かったじゃない」と安堵の言葉を漏らす。
「収穫祭の日にカレーが出る。それで皆の不満も解消されて、万事めでたしじゃない」
「ですが、まだ問題が残っているんですよ」
カレーを食べるのを再開した幽霊さんに、ルーアは頭を振るい、言葉を続ける。
「ここで、『七面鳥』の問題が出てくるんです」
「どういうことよ?」
ルーアは再び順序立てて説明していく。
「収穫祭の時期には、毎年七面鳥の料理を出していますよね。あれって、近くの村の畜産農家さん達のご厚意で、格安でうちの神殿に販売して頂いているからなんです。畜産農家も出荷する鳥の残りを処分できますし、うちも食費が抑えられるという大変素晴らしいものなのです」
「うん。いいことじゃないの」
「ですが、今年は七面鳥の肉があまり売れなかったようで、うちの神殿に例年より多い量を買い取ってほしいと相談を持ちかけられてしまったんですよ」
そこまで言うと、幽霊さんはルーアが言わんとしていることを理解してくれた。
「すると、その普段以上の七面鳥の肉をどうにか消費しないといけないわけね」
「はい。先程、カレーを出すことをナタリア司祭様が許可してくれたといいましたが、その七面鳥肉を使用するようにとの条件をつけられてしまっているのです」
「……ちょっと待って。今、頭の中を整理するから」
幽霊さんはそう言って、残っていたカレーを食べ終える。そして、僅かな沈黙の後に声を上げた。
「まず、うちの神殿のシスター達は、カレーを食べたくて仕方がないわけね。だから、あんたはナタリアに頼んで、収穫祭の日にカレーを出してもいいという許可を取り付けた」
幽霊さんの言葉に、ルーアは「はい」と頷く。
「ただ、今年は七面鳥を大量購入しなければいけなくなったから、そのカレーに七面鳥の肉を使いなさいと条件つけられた。だから、あんたは試作品として七面鳥肉のカレーを作ったわけね。でも、その味に問題があるわけね」
「決して美味しくないわけではないのですが、待ちに待ち続けた待望のカレーライスの味が、前回食べたものより物足りないものだった場合、皆の不満は無くならないでしょう。
まぁ、それでも食べられないよりはずっといいと思ってはくれると思うのですが」
ルーアはそう答えたが、ここで幽霊さんの声が低く剣呑なものに変わっていく。
「なるほど。ここでカティアがうちの神殿にカレーを食べにやって来るという事態がネックになってくるのね」
幽霊さんはルーアの言わんとしていることを完全に理解してくれたようだ。
「はい。ルピア司教様からの命じられたのは、とびきり美味しいカレーです。残念ですが、この七面鳥カレーでは、ご期待に添えるとは思えません」
カティア司教様は、食べ比べをしようと提案している。それならば自分たちの神殿の面目を賭けた料理には、やはり自身が作ることができる最高のカレーを出すべきだとルーアは思う。
「なるほど。今の所、七面鳥肉を使ってしまうと、あんた自身が満足できるカレーではないわけね。ただ、そこで別の肉を使用したカレーを出したら、間違いなくその事柄は皆の知るところになると」
「人の口に戸は立てられませんので……」
申し訳無さそうにルーアは顔を俯ける。
「そして、そこでとびきり美味しいカレーが出された事を知った皆は、当然それが収穫祭の日に出てくると期待するわけね。でも、実際に出てくるのは、期待とは違った、七面鳥肉のカレー。食べてみるとそれなりに美味しいけれど、どうしてカティア司教に出したカレーと違うんだって言われ、あんたに対する皆の信用が下がると」
「いえ、私の信用は二の次でいいのですが、皆に期待をするだけさせておいて、肩透かしを食らわせることになってしまうのが申し訳ないのです。何とか美味しくなるようにと私も工夫したいのですが、そうするとカティア様達にお出しするカレーが疎かになってしまいます」
あちらを立てればこちらが立たない。八方塞がりの状況だ。
それでも、何とかルーアは両方に喜んでもらえるカレーを作ろうと努力している。しかしこのままでは、どちらも上手く行かない可能性が高い。
不意に、ダン! とテーブルを叩く音がルーアの耳に入ってきた。
「まったく、あのバカのせいで、うちは踏んだり蹴ったりじゃない!」
幽霊さんはしばらく怒りが収まらない様子だったが、「あっ、そうだ。いいこと思いついたわ」と言って、不気味な笑い声を上げ始める。
「幽霊さん、なにかろくでもないこと考えていませんか?」
心配するルーアに、幽霊さんは弾むような声で、
「ちょっとこれからリスレ神殿に行って、カティアの馬鹿を闇討ちしてくるわね。突然の怪我で来られなくなってしまうのは仕方ないものね。うん、仕方ない、仕方ない」
そんなとんでもないことを言い出す。
「だぁっ、何考えているんですか、幽霊さん! 大問題になりますよ!」
暴挙に出ようとする幽霊さんを宥めながらも、いったいどうしたものかとルーアは頭を悩ませ続けるのだった。