「ふっ、ふふふっ。ルーア。こんなことをして許されると思っているの?」
口ではそう言いながらも、ハルカの口元は緩んでいる。
「あらあら。私達はきちんとした歓待の夕食を作りましたよ。それに、皆さん、とても喜んでくれていましたし」
そう。ルーア達調理担当は全力で料理を作った。その料理は一切手を抜くことなく、できる限りの最高の料理を出した。
食事を召し上がるカティア司教様も目を丸くしていたので、うちの神殿の面目も立ったはずだ。
ルピア様が心から嬉しそうに微笑んでいたのが忘れられない。
「ですが、あまり余計な予算をかけるわけにはいきませんので、私たちは、昼食と夕食の残りで済ませようと思っただけです。
料理のお手伝いを申し出てくれた皆様には申し訳ありませんが、私たちと同じまかないで許してください」
人目を避けるために、全ての後片付けを済ませてから、ルーアは料理を手伝ってくれた仲間とリスレ神殿のハルカ達を連れて、この第二厨房にやって来た。
「ええ、そうね。分かったわ。仕方ないわよね。私たちは残り物を頂くことにしましょう」
ハルカはそう言いながら、適温に達した油の中に、コロッケを投入していく。
「カレーも随分残ってしまったので、これも温めなおさないと。でも、本当に偶然なのですが、間違いなく揚げ物とカレーは合うような気がするのです」
「そうね。間違いなく合うと思うわ」
二人で惚けて言葉を交わしていたルーアとハルカは、やがて二人そろって声をあげて笑う。
「食べ比べをしたから、カティア様もルピア司教様も食べられない、二つの料理の合作を私たちだけが食べられるなんて」
「何を言っているの。これこそ調理をする人の特権でしょう、ハルカ」
ルーアは素の口調で言い、微笑む。
「そうね」
ハルカもそういって再び微笑み、
「みんな、今日は食べるわよ」
そう声をかけると、両神殿のシスター達から歓声が起こる。
そして、調理が終わると、本日最高の料理が皆の前に並べられた。
「ねぇ、ルーア。この料理の名前は『コロッケカレー』でいいかしらね」
「いいと思うわ。でも、名前よりも先に、まずは食べましょう。みんな待ちきれないみたいだから」
「ええ、そうね」
ルーアとハルカ達は食事前の祈りを捧げ、随分と遅い、けれど最高の夕食を口にした。
「うううっ、美味しい。このコロッケのサクサク感と味がたまらないわ! それがカレーと一緒になると、もう……」
「このカレーという料理の美味しいことと言ったら。ライスがいくらでも食べられそうです。それにコロッケが加わるなんて。ああっ、フォルシア様。ありがとうございます!」
皆の喜ぶ声を聞きながら、ルーアもコロッケカレーを口に運ぶ。
少し置いたカレーの旨味と、コロッケの旨味が最高に合う。特にこの衣が素晴らしい。
「ふっ、ふふふっ。美味しい。美味しいわ。苦労したけれど、みんなに喜んでもらえて、こんなにおいしいものが食べられる。やっぱり料理って最高だわ」
ハルカの言葉に頷き、ルーアは食べながら彼女と情報交換をする。
人の目のある所では決してしてはならないことだが、一晩しか時間がないのだ。しっかりと彼女と話をしておきたい。
「なるほどね。やっぱりパン粉が違うのね」
「ええ。日持ちはしないけれど、水分が多いパン粉を使っているのよ。なんでも、『生パン粉』と呼ばれるものらしいわ」
ハルカは惜しみもなくコロッケとカキフライのレシピと美味しさの秘密を話してくれる。
「なるほどね。確かにこれはおいそれと出せる料理ではないわね。多いとは思っていたけれど、ここまで大量のスパイスが使われているなんて」
「ええ。でも、そちらでも、収穫祭の時には少し予算が多くとれるんじゃないかしら? 基礎ベースのレシピを書いて渡すのと、サンプルも付けるから、今回はそれで作ってみるのはどうかしら?」
お返しとばかりに、ルーアはカレーライスのレシピをハルカに伝える。
「そうねぇ。私達だけが食べてしまっては、他の皆に申し訳ないし、ちょっと上と交渉してみるわ。それと、ありがたく、レシピとサンプルは頂いていくわね」
ルーアとハルカは、まるで長年の友人であるかのように和気あいあいと話しをする。それがたまらなく楽しかった。
「わかったわ。明日の出立前に部屋に行くから、こっそり持っていって。それと、貴方の作ったコロッケを食べて思いついたんだけれど……」
ここで、ルーアは昼に思いついたレシピをハルカに提案してみた。すると、ハルカの目が輝いた。
「そうね、確かに普通の七面鳥料理は、みんなも飽きているでしょうし」
「でしょう。だから、このコロッケカレーの要領で……」
「なるほどね。でも、どうせなら……」
絶品の料理を楽しみながらも、ルーアとハルカは夜遅くまで皆で料理談義を続けるのであった。
余談だが、料理談義の最中、時折、この地では珍しい軽い地震が何度か起こったのだが、その原因に心当たりがあるルーアは、ただただ苦笑していた。
「まぁ、いくらルピア様のお力でも、カティア司教様の魔法は、おいそれと突破できないでしょうから、大怪我にはならないでしょう。うん。私なんかが心配するのもおこがましいですし」
ただ、僅かにだが、
『その、ネジが何本も抜けているような頭を、欠片も残さずに消し飛ばしてやるわ!』
そんな幽霊さんによく似た声が聞こえた気がしたが、他の皆は気づいていなさそうだったので、ルーアは何も聞こえなかったことにした。
◇
『いいわね、リナ。料理が最高に美味しく仕上がる瞬間というのは、本当に一瞬しかないの。そのタイミングは早すぎても遅すぎても逃してしまう。しっかりとその刹那を見極めるのよ』
何度も何度も、先輩であるハルカから言われ続けた言葉を思い出し、リナは自身が最高だと思うタイミングで、揚げ物を油から取り出す。
「できました。これが、今の私にできる最高の揚げ物です」
食べやすい大きさにカットした断面も、この上ない仕上がりであることにリナは安堵する。これならば、ファリアさんの作った料理に合わせることができる。そして、きっと皆に喜んでもらえるはずだ。
「残りも、この調子で完成させます」
リナは心の内で気合を入れて、熱い油の前で料理を続けるのだった。
「うわぁ、これは凄いね」
ユウヤは今日の夕食を前にして、感嘆の声を漏らす。だが、彼はそれ以上の言葉は口にせずに、ただ隣のシノの言葉を待つ。
今日のこの夕餉の主役は、彼女だからだ。
「ほんまに、えらい美味しそうやな。せやけど、うちなんかのために、何もこないに気張らへんでもよかったんよ」
ユウヤの隣の席に座るシノが、少し頬を赤らめて、困った顔をする。
今日の彼女は完全にお客様扱いなので、いささか面映いのだろう。
「そういう訳には行きません。これから長い旅に出る家族の、無事の帰還を願ってのものなのですから」
「はい。ファリアさんの言うとおりです。それに、いつも頼りにさせて頂いているのですから、たまにはお返しをさせてください」
リナとファリアの言葉に、「ほんま、おおきに」とシノは笑顔を返す。
「あの露天商の皆さんのことや、今回の旅の準備で大忙しだったのは皆知っています。出立の前の晩くらいは、ゆっくりして下さい」
更に続くユウヤの労いの言葉に、シノは笑みを強める。
すべての料理がテーブルに並び、ファリア達が食事前の祈りを終えると、いよいよ今日のために作られた料理を皆で食べることとなる。
「今日は特別な料理ですので、少しだけ説明をさせて下さい。リナ、お願いします」
「はい。この料理は、ユウヤさんに教えていただいた料理を再現したものです。皆さんにも大好評なファリアさんのカレーに、私が鳥肉で作った『カツレツ』という料理を合わせた料理で、カツカレーと呼ばれているそうです。
『カツ』という響きが、『勝利する』ということと同じ響きであることから、とても縁起のいい料理と言われています」
リナはそこまで言うと、ユウヤに目で合図を送ってくる。
ユウヤは心得たとばかりにスプーンを動かし、一口とも呼べないくらい僅かな量をとって口に運ぶ。
「うん。すごく美味しい。ほら、シノさんも食べましょう」
そう言いながらも、ユウヤはスプーンを手にしたまま、それ以上食べようとはしない。
僅かに食べたのも、シノがそうしないと決して食べようとはしないからに過ぎないのだ。
「もう、ユウヤはんまで、そないな期待を込めた目をせんといて下さい。……分かりました。頂きます」
シノは小さく息をつき、観念して苦笑交じりにスプーンをカツカレーに伸ばす。そして、一口大にカットされたカツとカレールーとライスをそこに乗せて、上品に口に運ぶ。
丁寧に咀嚼をするシノは、すでにその段階で笑顔を浮かべていた。
「これはまぁ、えらい贅沢な味やな。せやけど、ほんまに幸せな味や。ありがとうな、ファリア、リナ。こないなえらい料理を食べさせてもろうたら、ほんまにどんなことがあろうと勝って行ける気がするわ」
いつもは穏やかに微笑むだけのシノだが、この時の笑顔を珍しく満面の笑顔だった。
「うん、シノさんの言うとおりだ。すごく美味しいよ」
更にそう続いたユウヤの笑顔に、ファリアとリナも嬉しそうに頬を紅潮させて微笑む。
「ほら、二人も温かいうちに食べよう」
ユウヤの言葉に、リナ達は笑顔で頷く。
「ふふっ。なるほど。鳥肉でチーズを包んでカツレツを作っているのですね。あっさりとした鳥肉にチーズが素晴らしく合いますね、リナ」
「ありがとうございます、ファリアさん」
ファリアからの賛辞を聞き、リナは嬉しそうに笑顔を浮かべるが、彼女自身はまだスプーンに手を伸ばさない。
「リナ? どうしたの?」
心配して、ユウヤはリナにそう声をかける。
「ユウヤさん。シノさん。ファリアさん。本当にありがとうございました。私のわがままにお付き合いしてくださって。おかげさまで、ハルカさんも窮地を脱することができました」
リナの言葉に、ユウヤは苦笑する。
「リナ。感謝するのは、シノさんとファリアの二人にだけでいいよ。僕は何もしていないから」
自分の拙い説明を聞き、それを元に試行錯誤をして、『カキフライ』と『コロッケ』のレシピを完成させたのは、リナ達三人だ。
「そんな事はありません! ユウヤさんがあの二つの料理を教えて下さったおかげです」
「ははっ、ありがとう。でもね、僕はあの料理を食べたことがあって、作り方をたまたま少し知っていただけなんだよ」
ユウヤはそう言って、再び苦笑いする。
「この美味しいカツカレーは、僕の住んでいた国で、昔の料理人さんが考えてくれたものなんだ。そして、それを今回再現してくれたのは、他ならない君たちと、君の大切な先輩であるハルカさんとファリアの親友のルーアさんだよ。
称賛を受けるべきなのは、そんな頑張ったみんなだよ」
ユウヤはそう言って頬を掻き、言葉を続けた。
「明日から旅に出るシノさんへ、素晴らしい手向けの料理を作ってくれて、ありがとう。僕は、こうしてそのご相伴に預かって、こんな素晴らしい料理を食べられて幸せだよ。それで十分なんだ」
たまたま知っていた事柄を、さも自分の手柄のように振る舞うのは、それを苦労して作り上げた先人に対する礼を失した行為だとユウヤは思う。
「ユウヤはん……」
「ユウヤ様……」
ユウヤのその言葉に、リナ達妻一同は、満面の笑みをユウヤに返してきた。
「ふふっ。ユウヤさん、素敵です」
さらにリナは、ユウヤと向かい合った席に座っていたことを利用し、席を立ち上がって、ユウヤの頬に軽くキスをして来る。そして、彼女は自分の席にすぐに座り直す。
「りっ、リナ。ずる……いっ、いえ、はしたないですよ!」
既にカレーを口にしてしまったファリアは、キスをすることを憚り、リナを注意する。だが、ひどく残念そうな顔を隠せていない。
「あらあら。ファリア。そないに露骨に残念そうな顔をするもんやない。食事が終わってから、皆でぎょうさんユウヤはんに可愛がってもろおたらええやないの」
シノの言葉に、ファリアとリナは怪訝な顔をする。
「シノ。旅の前です。今晩は貴女が一人で、じっくりと……」
「そないに寂しいこと言わへんでほしいわ。今晩は、しっかり家族の結びつきを確かめたいと思おとったんよ。それとも、うちの夜伽と比較されるのが嫌なんか?
せやったら、すみまへん。せやけど、ほんなら、うちがいない間はユウヤはんは毎晩満足できへんいうことやな。ああ、悪い虫が付かんか、心配やわ」
冗談めいた口調で、シノはファリアを挑発する。
あの結婚初夜以降、シノとファリアの二人を同時に相手したことがないことに、今更ながらユウヤは気がつく。
いや、だが、問題はそこではない。
「ふっ、ふふっ。言ってくれますね、シノ。私やリナの技が貴女に劣っているとでも? いいでしょう。その挑発に乗ってあげます」
その行為に、ファリアは当然文句を言うが、その目は笑っている。本気で怒ってはいない。明らかにこの状況を楽しんでいる。
「そんなら、まずはしっかり栄養をつけなあきまへんな」
「ええ、そうですね」
シノとファリアは笑みを浮かべて、食事を再開する。
だが、ユウヤは一人、冷や汗を流し始めていた。
「あっ、あの、リナ。さすがに、三人を相手は……」
ユウヤはリナを味方につけようと画策したが、リナは恥ずかしそうに顔を俯けながら、
「その、ユウヤさん。昨日はたくさん牡蠣を召し上がりましたよね? 牡蠣は、男の人を元気にさせるとハルカさんから聞きましたので、その、今晩は、よろしくお願いします」
そんな事を言ってくる。
「……うん。僕もしっかり食べよう」
観念したユウヤは、健啖な妻たちに負けないように、絶品のカツカレーを口に運ぶ。
今晩のことを考えると少しだけ不安だが、これも幸せなことなのだと自分に言い聞かせながら。
「やっぱり美味しいな」
ユウヤはそう言って、幸せの味を噛み締めていた。
◇
時間こそ少し遅れてしまったが、偶然にも、ユウヤがこの日同じメニューが、収穫祭の夜に、リスレとヴェリスの両神殿で、提供されることとなった。
絶品のカレーライスに、七面鳥の肉でチーズを挟んだカツレツが乗った、魅惑の料理が。
その料理は、皆を心から満足させる素晴らしい料理だった。
だが、ユウヤや彼の妻たちが、ルーアにそれを直接教えたわけではない。
懸命にルーアが考えに考え、ハルカの意見も取り入れて、昇華させた一品だった。
そう、そしてそれは、ルーアが一番笑顔を見たいと思った人物も例外ではなかった。
「なるほど。これは素晴らしいですね」
ルーアは食堂の皆の相手を任せて、一人、自信作の七面鳥カツカレーを持って、その人の仕事部屋を訪れた。
そして、温かいうちに口に運んでもらったのだが、その人――ナタリア司祭は、そう言って微笑んでくれた。普段のどこか機械的で無愛想な顔しか知らない者がその笑みを見たら、さぞ驚くだろうとルーアは思う。
「先にお話しましたとおり、掛かりすぎてしまったコストは、来月で調整しますので……」
「ええ。頼みましたよ」
ナタリア司祭はそう言うと、またいつもの無表情に戻ってしまう。
それをもったいないと、いつもルーアは思うのだが、組織を運営している以上、この人のような締めるところを締める人物の存在は、欠くことができないものだと理解している。
「この料理を食べた、皆の笑顔が目に浮かびます。ですが……」
「はい。決して私は、自分の調理技術に傲りはしません。常に真摯に食材と向き合い、ただただ食べてくれる人の笑顔を思い、不安も抱きながら、それを自身の成長の糧にします」
ルーアの言葉に、ナタリア司祭は「そうです」と言って微笑む。
「先生の教えは、片時も忘れたことはありません」
「ふふっ。先生とは、また懐かしい呼称ですね」
ナタリア司祭の言葉に、ルーアも笑みを浮かべ、「失礼します」と一礼して退室する。
先生は多忙な方なのだ。食事の時ぐらいは、ゆっくり穏やかな気持ちで食事を楽しんで欲しいというルーアの配慮だった。
「良かったわ。先生に喜んでもらえて」
今回一番の難題だった、先生に喜んでもらうという目標を成し遂げることができたことに安堵しながら、厨房に向かって足を進めていた。
勉強も魔法も、ルーアはあまり得手ではない。だが、この料理というものに出会えたおかげで、今の自分があると思っている。
「今回の一件で、また新しい友人も何人もできたわけだし」
ハルカを始め、リスレ神殿の調理担当のシスターたちともすっかり打ち解けることができた。
「それに、ファリアと対等の友人でいられるのも、料理があってこそ。本当に、ナタリア様には感謝しかないわ」
ルーアは、幼かった自分に、最初に料理のイロハと精神を教えてくれた、恩師に深く感謝をする。
今回のこの七面鳥カツカレーも、多忙な先生にも喜んでもらいたいという気持ちが根幹にあったおかげで完成に至ったのだから。
「さてさて。明日の朝食は、どんな工夫をしようかしらね」
ルーアは笑顔を浮かべて、厨房に戻る足を気持ち早く進める。
自分の料理を食べて、笑顔になる皆の幸せな顔を思い浮かべると、じっとしてはいられなかった。