年の瀬が迫っていることもあり、少々いろいろな準備があるとは言っても、それは、普段であれば何事もないただの休日の一日にすぎないはずだった。
だが、昨日の晩、ユウヤはファリアとリナの二人に、とても重大な話があると言われて、休日だと言うのに普段より早く起きて朝食を済まし、ソファーに座ってその時が来るのを待っていた。
「レミアさん達がいらっしゃることになっておりますので、詳細はそれからお話させて下さい」
何事か尋ねても、ファリア達はそう答えるだけだ。
二人の様子から、ただ事ではないことだけは察することができた。しかし、何の話があるのかまるで見当がつかない。
最近は仕事も順調だし、家庭もそれなりに円満に行っている気がする。それなのに、レミア区長まで来て話をするとは何事なのだろう?
妻たちの様子から察するに、けっしていい話ではないのだろう。
「どうしたんだろう? もしかして、僕に嫌気がさしたとか? そして別れを切り出すために、レミア区長に仲立ちを……」
そんなことはないと信じたいが、ユウヤの考えうる最悪の結末はそれだ。
「でも、二人共、そんな様子はまるでなかったし、昨日の夜も、夫婦の営みだって……」
懸命に不安な気持ちを振り払うが、そんな気持ちが渦巻くのを止められない。
「いらっしゃったようです。私が出ますので、ユウヤ様はリナとお待ち下さい」
玄関のドアをノックする音に、ユウヤは立ち上がって迎えようとしたのだが、ファリアに止められる。
「ユウヤさん。すみません。もう少しだけ待って下さい。きちんとお話しますので」
憂い顔のリナが、立ち上がったユウヤの胸に抱きついてきた。
「うん。待つよ。でも、その、二人共、僕のことが嫌になったとかではないよね?」
思わず堪えきれずに漏らしてしまったユウヤの言葉に、リナは驚き、首を横に振る。
「そんなことは、絶対にありません! 私もファリアさんも、ユウヤさんを心から愛しています。だから、だからこそ……」
涙をこぼすリナに、ユウヤは「ごめん。きちんと話してくれるまで待つよ」と答えて、リナの頭を優しく撫でる。
別れ話でないことに、ユウヤは少しだけ安堵する。そして、最悪の事態でないのであれば、どのような事柄であろうと真摯に対応しようと頭を切り替える。
「おはよう、ユウヤ殿。すまないな。こんな朝早くから」
「おはようございます。レミアさん」
居間に入ってきたレミアの姿を見て、ユウヤは挨拶を返す。彼女の様子は普段とまるで変わらない様に思える。これから、深刻な話をするようには思えない。それに……。
「その、おはよう、ユウヤさん」
「ああ。おはよう、コリィ」
挨拶を返したものの、ユウヤはコリィがここにいることを怪訝に思う。いよいよ、これから何が起こるのかがわからなくなってしまった。
「リナ。椅子を」
「はい。すぐに」
呆然とするユウヤを置いて、ファリア達はテーブルの椅子二脚をてきぱきと運んできて、ソファーの前の小さなテーブルを囲み、ユウヤのソファーの左右に配置する。
「レミアさん、コリィ。二人共お座り下さい。ユウヤ様もどうか……」
「あっ、うん」
ユウヤと向かい合う二人がけのソファーに、レミアとコリィが並んで座る。それを確認し、彼も一人で二人がけのソファーに腰を下ろした。
いつもなら、彼の隣にはファリアかリナが座るのだが、ユウヤを挟むような配置でこそあるが、彼女たちは先に運んできた椅子に座る。
「さて、ユウヤ殿。突然私達が押しかけてきて、驚いていると思う。それに、今日、何をするのかも聞いていないだろう。このことについては、全て私の指示だ。すまなかった」
「あっ、その、はい……」
なんと応えればいいのか分からずに、ユウヤは曖昧な返事をすることしかできない。
「ファリア。あの本を」
「はい。こちらです」
指示を受けたファリアが、一冊の本をテーブルに静かに置く。
この世界でも珍しい紙縒りで止められたその本は、手作りのようだ。表紙は真っ白で何も書かれていない。
「この本は、リナが『お役目』という名目で、ユウヤ殿の家を訪れることとなった際に、先輩のシスターから渡された本なのだ。もっとも、その内容は子供向けの性教育の本だったそうだ。つい何日か前まではね」
どうやら、これから話す事柄は、この本に書かれた内容なのだろうと、ユウヤは当たりをつける。だが、未だに話の輪郭さえ分からない。
「すみません、全然話が見えてこないです。それに、『何日か前までは』という言葉の意味が分かりません。まるで、この数日で、本位書かれている内容が変化したように聞こえるのですが?」
「そうだ。ユウヤ殿の言うとおり、普通は本に書かれている内容が変わることなどありえない。だが、それでも変化したとすると、どのような要因が考えられるかな? ちなみに、この本の綴は一度も解かれていない。そして、これは<神殿>からの関係者から渡された本だ。そのことを念頭に置いてくれ」
レミアの表情は真剣だった。そこから、けっして自分をからかっているわけでないことは分かる。だから、ユウヤは彼女の話に付き合うことを決めた。
「紐を解いていないのであれば、普通の方法で書き換えるのは無理だ。白いインクで塗りつぶして、その上に書いても目立ってしまうし。普通の方法では内容を変えることはできない」
そこまで心のうちで考えたユウヤは、<神殿>という言葉を思い出す。
「その、あんまりな答えですけれど、魔法を使ったとしか僕には考えられません」
少しの間考えたが、他にいい考えが浮かばずに、ユウヤは一番安直な答えを口にする。
魔法という力は一般的には知られていない能力だが、ファリアとリナと交流があるレミアとコリィは、彼女たちが魔法を使えることを知っている。だから、ユウヤもそう答えた。
「そうだな。私も同意見だ。この本に魔法をかけておいて、ある時期になると内容が書き換わるようにしていたと考えるのが妥当だと思う」
レミアはユウヤの答えに賛同してくれた。だが、話はこれでは終わらない。
「では、ユウヤ殿。それでは、魔法をわざわざかけて切り替わるようにしていた理由は、なんだと思うかな?」
ユウヤは思考し、自分の考えを口にする。
「最初から伝えるわけにはいかず、その時期に伝えなければいけない重要な事柄を伝えるためですかね?」
「ふむ。そうだな。さらに付け加えると、数日前にリナがこの本の異変に気づいた理由は、本が突然光を放ったからだそうだ。この本に魔法を込めたものは、どうしてもリナ達に、変更した内容を読んでほしかったようだ。
そして、ここまで大掛かりなことをしてまで伝える内容は、需要な事柄だと私は考える。ユウヤ殿はどうかな?」
レミアの問いかけに、ユウヤは頷く。
「はい。僕も同意見です。フォルシアという神様を信奉する神殿の方たちが、その信徒だけが使える力を、悪戯などに使うとは思えません」
ユウヤの答えに、レミアは満足げに微笑みを返してくる。
「さて、随分と回りくどい問答に付き合わせてしまったが、話をまとめると、実に単純な内容だ。『この本に現在書かれている内容は、信憑性が極めて高い』ということだよ」
レミアはそこまで言うと、
「以上の事柄を踏まえた上で、この本を読んでみてくれないか」
件の本を手にし、ユウヤにそれを手渡してきた。
「はい。それでは、少し失礼します」
促されるままに、ユウヤは真っ白な本を開く。そして目を走らせて内容を読んでいたのだが、読み進めるうちに、次第にユウヤの顔が険しくなってくる。
「なんなのでしょうか、これは? こんなの、悪質な冗談としか思えませんよ」
ユウヤは助けを求めるように、本から顔を上げてレミア達を見る。だが、誰もこれが手の混んだ冗談だと言ってくれない。
「ユウヤ殿。すぐに受け入れられる事柄ではないのは重々承知の上だ。だが、はっきり言うぞ。その本に書かれていることは事実だ。虚言と断ずるには、あまりにも現状と合致することが多すぎる」
取り乱すユウヤを、レミアは落ち着いた声で諭してくる。
「そんな……。こんな、こんな荒唐無稽な『警告』が、事実だと信じているんですか? この内容のとおりの事態が起きると、本気で……」
狼狽し続けるユウヤとは対照に、レミアは眉一つ動かさずに「そのとおりだ」と返してくる。そして、はっきりと言い放つ。
「これから、殺し合いが始まるのだ」
レミアの言葉に、ユウヤの心が悲鳴を上げる。
「その殺し合いに参加する資格がない者は、何の抵抗手段も取ることができず、生殺与奪の権利を他人に渡す事になってしまう。
ユウヤ殿が自身と家族を守ろうと思うのであれば、まず参加資格を手に入れなければいけない。その上で、対策を講じる必要があるのだ」
レミアの言葉が信じられない。あまりにも現実味がなさすぎる。
ようやく、ようやく幸せな生活を送ることができるようになったのに。
後はシノさんが帰ってきてくれれば、もうこれ以上何もいらないと思えるほど幸せだったのだ。今日の朝までは。なのに、それが音を立てて壊れて行こうとしている。
ユウヤはもう一度、本に目をやる。
だが、その内容は変わらない。
ただ、冷酷な事実が、そこには書かれているだけなのだ。