カリスの街も年の暮れということで、みんな新年の準備に追われている。
だが、コリィはそれどころではなかった。
「はいはい、ちょっとごめんね!」
凄まじい速度でありながらも、見事に人や障害物の間を縫って走るコリィ。大荷物を入れたリュックを背にしても、彼女の快速は微塵も減衰しない。
コリィはひたすら仕事に精を出していた。
この時期は贈り物やらが増えるので大忙しなのだ。
もっとも、今年に限っては、コリィは頑張りすぎるくらいに頑張っている。上司や仲間たちに、少しは休めと言われるくらいに。
だが、彼女は笑顔でそれを断る。
「走っていたいんだ。もう少し」
コリィはそう言って仕事に邁進する。
走っている間は、仕事に打ち込んでいる間は、余計なことを考えずにすむから。
どうせ家でじっとしていても、悲しくて、寂しくて、辛い気持ちになってしまう。そして、走り出してしまう。それなら、仕事をしていた方が有意義だ。
「……ああっ、終わってしまった」
最後の配達物を笑顔で届け終わったコリィは、配達先の女性が玄関のドアを閉めるなり、がっくりと肩を落とした。
仕方がない。体力に余裕があっても、一日の就業時間は決まっている。自分に割り当てられる荷物の数にも限度がある。それらが終われば、家に帰るしかない。
自分以外は誰もいない、あの部屋に戻らなければならないのだ。
「まぁ、まだ会社に戻っての報告があるよね。そして、それが終わったら、またレアさんのところに行こう! うん。それがいい!」
パンパンと顔を叩いて憂鬱な気持ちを胸の底に沈める。
そして、コリィは微笑む。皆に心配をかける訳にはいかないのだから。
だが、毎回、何度も何度も胸の底に沈めてきた思いは、積み重なって溢れ出ようとしている事を、コリィは自覚していた。
「ただいま帰りました!」
元気よくコリィは、会社の皆に帰社したことを告げる。
だが、生憎と会社にいたのは上司のミゼリアだけだった。
「やれやれ、またお前が一番早く帰ってきたな。配達件数は一番多いのに」
ミゼリアはそう言って苦笑したが、コリィは笑顔のままで今日の仕事の後処理作業に取り掛かる。
「よし。相変わらずいい仕事だ。少し早いが、今日はもう上がっていいぞ。お前のことをずっと待っているお客様もいるからな」
「……えっ? お客様ですか?」
最後の報告も終えたコリィは、ミゼリアの突然の言葉に首をかしげる。
「ああ。向かいの喫茶店で、もう一時間近くお待ちだ。早く行ってこい。お疲れ様」
「はい! お疲れさまでした!」
コリィは元気な声でそう応えて、馴染みの喫茶店に向かう。
まぁ、近くにあるから見慣れているというだけで、あまりこの店を利用することはないのだが。
別に雰囲気も悪いわけではなく、提供される飲み物や食事も悪くない。ただ、あまりにも近すぎて、店に入る気にならないのだ。
「いらっしゃいませ」
何ヶ月ぶりか分からないほど久しぶりに、その店を訪れたコリィは、歓迎の言葉を受けつつも、キョロキョロと目を動かして、自分を待っていたお客様を探す。
几帳面なミゼリアが、その名前を口にしなかったことから、すぐに分かる相手だということだとコリィは思っていた。
そして、その予想は的中する。
だが、平日の夕方に、彼女がこんな所にいるのは不思議だった。
「コリィさん……」
そうコリィに話しかけてきたのは、赤髪のおとなしそうな少女。
コリィの友人のリナだった。
◇
コリィはリナの後を追って歩く。
いつもならば横に並んで歩くのだが、今のリナは近寄りがたい雰囲気で、コリィは彼女に言われるまま後を付いていく。
無言で歩くコリィとリナ。
道順が、街外れのコリィ達の住む家の方向なので、家に案内されると思っていたのだが、リナは街を少し離れたところで立ち止まった。
「……すみません。ここで止まって下さい」
「うん」
振り返りもせずに言うリナの言葉に、コリィは言われるままに足を止める。
リナは少しの間立ち尽くしていたが、踵を返して振り返ったかと思うと、そのまま自身の白いローブが汚れることも厭わずに、地面に座り込んでコリィに頭を下げた。
「リナ。何をして……」
「お願いがあります! 非常に図々しくて、身勝手なお願いが……」
リナの思いもしなかった行動にコリィは戸惑ったが、リナは顔を伏せたまま黙り込んだ。
コリィが許可するまで、いつまでもこうしているつもりなことが想像できるほど、リナの声には固い決意のようなものが感じられる。
リナに対して、コリィが思うところがまったくないと言えば嘘になるが、少なくとも仲のいい友人として付き合ってきたつもりだ。それなのに、彼女がここまでのことをするのだ。ただ事ではない。
「……うん。分かった。話して。ちゃんと聞くから」
コリィがそう口にしても、リナは決して顔を上げず、そのままの体勢で話し始める。
「ユウヤさんに危険が迫っています。命に関わる危機が。そして、それを回避するにはコリィさんの力が必要なんです」
あまりにも突飛で現実感のない言葉に、コリィは理解が追いつかない。
「ちょっ、ちょっと待って、リナ。そんな事をいきなり言われても訳が分からないよ。それに、とりあえず、その格好は止めてよ。私相手にそんな事をする必要なんてないじゃあないの」
コリィはそう言ってリナの肩を優しく掴んで起こそうとするが、リナは躰を横に振るい、それを拒否する。コリィは、こんな態度を大人しい彼女がするとは思わなかった。
「リナ……」
「私は、これから最低なことを口にします。ですから、いくら叩いて下さっても、蹴って下さっても結構です。まだユウヤさんは帰ってきませんので、他の人がこの道を通る事はありませんから、邪魔は入りません」
リナの声は震えている。でも、涙声ではない。懸命に泣くのを堪えているようだ。
コリィには、リナが言わんとしていることが微塵も分からない。だから、彼女はただ黙ってリナの言葉を待つしかなかった。
だが、コリィは心の何処かでまだ楽観視していた。きっと、リナが思いつめているだけで、そう困難な話ではないのだろうと。
ましてや、自分が怒ってリナに手をあげるなんてことは絶対にないと……。
しかし、コリィのそんな淡い期待は裏切られる。
『コリィさん。どうか、ユウヤさんと結婚して下さい』
その言葉を聞いた。
そして、少し時間を掛けて理解した。
次の瞬間、コリィは自分の身体が震えだしたことに気づく。
それは、もちろん肌寒い気温に対する防御行動ではない。ましてや、感動などでは決してない。
「……でよ……」
それは、最初は僅かな炎だった。
けれど、それが口火となり、今まで懸命に胸の底に押し込んでいた気持ちに引火して燃え上がる。
「ふざけたこと言わないでよ! あたしはずっとユウヤさんのことが好きだったのに……」
体の震えとともに、黒い感情がとめどなく溢れてくる。
でも、もう止められない。
「……シノさんなら、まだ我慢できた。堪えることができた。でも、でも、あんたとファリアさんは、ろくにユウヤさんのことを知りもしないのに……あたしを差し置いてユウヤさんのお嫁さんになった!」
醜くておぞましい感情が溢れ出てくるが、もうそんな事は知ったことではない。
コリィは怒りのままに、震える右手でリナの真っ赤な髪を乱暴に掴んで、無理やり顔を上げさせる。
「それなのに、それなのに、今更、今更! あたしに結婚してくれってなによ! あたしは懸命にユウヤさんの事を諦めようと努力していたのに!」
何も知らないくせに。
あたしがどんな気持ちで、これまでの毎日を過ごしてきたかも知らないくせに。
こんな、こんな事をあたしに言うなんて!
「ですが、それでも、私達にはコリィさんの力が必要なんです! いくら憎まれても、恨まれても構いません! コリィさんの気持ちを踏みにじってでも、私達はユウヤさんを守りたいんです! それが、どれほど心無いことだとしても!」
リナは涙を瞳いっぱいに溜めながらも、コリィに負けまいと睨み返してくる。
それが、その普段のリナでは考えられない行動が、怒りに燃えるコリィの心を少しだけ落ち着かせた。
「……リナ。貴女……」
恐怖に体を震わせながらも、懸命に目をそらさないリナ。
彼女は自分などよりずっと頭が良く、他人の心を理解しようとする心根の優しい性格。だからこそ、こんな話をすれば、あたしが激怒することは分かっていた。
それなのに、わざわざこんな事を言わざるを得なかったということは……。
「本当に非常事態なのね。さっき話していたように、ユウヤさんの命が危ないというのね?」
コリィは、自身の怒りが急速に冷めていくのを感じていた。
ユウヤに命の危機が迫っている。それは、決して聞き流せる事態ではない。知らなければいけない。リナが何を知っているのかを。
「ごめん。乱暴をして……」
コリィはリナの髪から手を離して謝罪する。だが、リナは何も言わずに再び頭を下げる。
「うん。分かった。ユウヤさんのためになら、あたしはどんなことでもするよ。だから、詳しいことを話して」
コリィは優しくリナの頭を撫でる。
「コリィさん……」
「でも、一つだけ条件があるわ」
「条件、ですか? はい。私にできることでしたらどんなことでも」
未だにひれ伏したまま、そう答えるリナ。
「そう。いいの? 辛いよ?」
「はい。構いません」
迷いなく答えるリナに、コリィは苦笑する。
「それなら、夕食に付き合って。前にも貴女と一緒に行った喫茶店に行きましょう。そこで詳しい話を聞くから」
「えっ?」
驚いて、恐る恐る顔を上げたリナに、コリィは微笑む。
「ユウヤさんとの楽しい食事を一回休みにさせてしまうんだから、十分辛い罪でしょう。それで、あたしの貴女に対する恨み言も全部忘れる。どう? 悪い話ではないでしょう?」
「でっ、ですが、それではあまりにもコリィさんが……」
「ああ、大丈夫。貴女のために無理をしているつもりはまったくないから」
コリィはそう言って頬を掻く。
「さっきので分かってしまったんだ。あたし、やっぱりユウヤさんのことを諦められない。今も変わらずに大好きなんだって。
だから、どんな可能性でもユウヤさんのお嫁さんになれるのなら、あたしはそうなりたいって思ってしまっただけ。だから、気にしないで」
「コリィさん……。ごめんなさい。ごめんなさい……」
泣きじゃくるリナを優しく抱き起こし、コリィはにっこり微笑んだ。
そして、コリィはリナからすべてを聞いた。
それは信じられないこの世界の真実だった。
けれど、コリィはそれを受け入れることにした。
それは別にリナのためでも、ユウヤのためでもなかった。
ただただ自分自身の欲求を満たすために。
最低だとコリィは思う。
しかし、それでも、コリィはユウヤが欲しかった。
諦めきれなかったのだ。