『戦闘期間』と呼ばれるものに入って、三ヶ月以上の月日が流れた。
ユウヤはその間、体捌きの練習と魔法のコントロールに精を出していた。
はじめは戸惑いの連続だったが、ファリアが丁寧に教えてくれるので、ユウヤは武術的な動きだけでなく、魔法と呼ばれる不思議な力も物にしていた。
けれど、まだまだ動きも魔法もファリアには敵わない。
そして今日もユウヤは、ファリアを相手に自宅の近くで修業を続ける。
ファリアはユウヤに攻撃を出来ないので、彼女は手に水性の赤いインクを付着させて組手をして、彼女の手が触れないように逃げるという訓練をしているのだが、インクが渇ききるまでの時間さえ、ユウヤはファリアから逃げおおせたことがない。
結果として、露出している喉や手足にはいたるところがインクまみれになっている有様だ。衣類にはまったくインクがついていないから、それほどまでにファリアにはまだまだ余裕があるということだろう。
「ユウヤ様。体術はこの辺りにしましょう」
「うっ、うん。ありがとうございました」
ファリアの提案に従い、ユウヤは彼女に頭を下げてお礼を言う。体力はまだまだ大丈夫なのだが、これ以上やると心の方がへこんでしまいそうだ。
「いいえ。お粗末さまでした」
ファリアは優雅に会釈をし、魔法で水を空中に作り出すと、それを使って自らの手を清める。
「はい、ユウヤさん。ファリア姉も、どうぞ」
「ありがとう」
「感謝します、コリィ」
今までユウヤとファリアの組手を見ていたコリィが、二人にタオルを手渡してくれた。
「ふぅ。今回も真っ赤だな」
ユウヤは地面に腰を下ろし、まず顔の汗を拭い、それからファリアの真似をして空中に水の玉を作り、それでタオルを湿らせてから、手足を拭く。
「ですが、三ヶ月前とは別人のようになっていますよ」
ファリアは、自分の手を清めたタオルを裏返しにして水につけて絞ると、ユウヤの隣に跪き、彼の首のインクを拭っていく。
「う~ん。そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、正直実感がないなぁ。みんなの力が僕に宿っているんだから、どう考えてもファリアよりも僕の方が素早いはずなのに……」
特に俊足のコリィの力があるのに、ユウヤはファリアを振りほどけない。その事が正直悔しい。
「ユウヤさんの動きは正直すぎるんだよ。ファリア姉に良いように誘導されて逃げ場が無くなってしまっているから、もう少し動きに緩急を付けたほうが良いと思うよ」
「緩急か……。う~ん、本当に武術でも習っておけばよかったなぁ」
そんな後悔をしても詮無きことだが、ユウヤはため息をつく。
「ですが、ユウヤ様。ユウヤ様にはやはり魔法で攻撃するスタイルの方が向いています。なまじ武術の知識があると、不用意に近寄ろうとしてしまう傾向が出ることもありますので、経験がないことを悪く捉える必要はありません」
「うん。そうだね。でも、正直、悔しい気持ちも……」
せめてファリアを本気にさせるほどの動きができるようにならねば特訓の意味がない。
もう雪解けが始まっている。
春になればシノさんを探す旅が始まるのだ。それまでには、なんとしてもこの差を埋めなければ。
「もう、ユウヤさん。そんなに悔しがらなくてもいいじゃあない。ベッドの上では、ファリア姉を泣かせっぱなしなんだからさ」
コリィのその言葉に、ユウヤは顔を真っ赤にする。それは、首を拭いてくれていたファリアも同じだ。
「いや、その……」
「コリィ! 何を言うのですか、貴女は!」
ファリアに怒られても、コリィはニヤニヤ笑ったままだ。
「あっ、ユウヤさん。ファリア姉ったら、この間街に行った時に、裏通りで新しい……」
「やっ、止めなさい! それはあまりにも恥ずかしいので、止めて……。いえ、それよりも、どうしてその事を知っているのですか、貴女は!」
ファリアはタオルを手にしたまま立ち上がり、コリィを睨む。
「ええっ~。街で有名らしいよ。顔は違うけれど、毎回同じ香水をつけた女の人が、いかがわしいグッズを……」
「だから、止めなさい! あっ、違うんです、ユウヤ様。私は、その、ただ……」
ファリアは慌ててユウヤに弁明しようとするが、上手い言い訳が出てこずに、あたふたと両手を振るだけだ。
「うっ、うん。街の住人が変わっても、買い物は普通にできるし、銀行も使えるのはいいことだよね。それに、いくら夫婦でもプライベートの買い物にまで口は出さないから安心して」
ユウヤは精一杯のフォローをしたつもりだったが、ファリアは顔を真っ赤にしてユウヤに土下座をする。
「すっ、すみません。その、ですが、決しておかしなものを買って自分を慰めているような不埒なことはしていません。ただ、その……」
「ああ、皮製の拘束着を買っていったんだってさ。その同じ香水の女の人。本当にファリア姉ってば、マゾだよねぇ~」
コリィがファリアの横に移動し、訊いてもいないのにユウヤにファリアの買い物内容を説明する。
「……コリィ……」
土下座していたファリアから、危険なほど低い声が聞こえた。
「えっ、ちょっと待って、ファリア姉。いっ、いやだなぁ。軽いお茶目だよ。可愛い妹分の……。いや、本気になっちゃあ駄目だよ、ねぇ……」
「言い残すことはそれだけですか?」
ファリアは立ち上がり、コリィに笑顔を向ける。
その迫力に、ついユウヤまで後ずさりをしてしまう。
「いっ、いやぁぁぁぁっ! 助けてぇぇぇっ!」
「逃しませんよ、コリィ!」
全速力で逃げるコリィをファリアが追いかける。
それだけなら唯のじゃれ合いなのだが、ファリアは攻撃魔法まで使い始めたので、ユウヤはどうしたものかと対処に困る。
「……ちょっ、危なっ! マジでシャレにならないって、ファリア姉!」
「だっ、黙りなさい! よくもユウヤ様にバラしましたね!」
ファリアは<飛行>の魔法まで使ってコリィを追いかけ回す。
「ああっ、なるほど。ああやって逃げれば良いのか。……って、感心している場合じゃあないな」
ユウヤは慌てて二人の仲裁に入るべく、覚えたての<飛行>の魔法を使ってファリアを追いかける。
「待ちなさい、コリィ!」
「嫌だよ! 待ったら蜂の巣にされるじゃんか!」
二人の妻のやり取りを聞き、ユウヤは空中を飛びながら嘆息する。
これは今日の晩はしっかりとファリアにフォローを入れておかないといけないだろう。
ということは、やはり先程の話に出てきた拘束着というものをファリアに着させて……。
ユウヤは、これは贅沢な悩みなんだと自分に言い聞かせ、ファリアを捕まえるべく速度を速めるのだった。