分かりやすいものを掴もうとして人は偽物を掴まされる。幾度説明を受けても、作者には理解することは叶わなかった。
エリダナ地下街の天井にはイルミネーションが輝いている。黄金龍ガ・フーイと怨帝ゾアイデス・スの伝説的な戦いを描いたいる。幻想的な青の光が地下街という特殊な空間をより一層奇妙な場所に仕上げていた。
「なあ……」
何を思ったのか首を傾げつつヒルヅは軒先の果物屋を指差す。
「なあ自分腹減っとらんか?」
「いや、今は、まあ減っているけど……」
あなたとて知性が皆無なわけでもない。知り合ったばかりの他人に奢らせるなど、ちょっと遠慮したいところだ。
「何か食べ物でも?」
「せやね、まあ情報量としてリンゴ一袋を所望するわ」
買いますか?所持金一万イエン。一袋二千イエン。少しだけ迷ったが、ヒルヅを味方に出来るなら安いものだ。
「いやあ、美味いなぁ。あんたも食べーや」
喜色満面でりんごを齧るヒルヅの楽天的な横顔にあなたはふと疑問を覚えた。ひょっとしてこの人さんは単なる賭け好きの一般人で、今夜の食い物に困っていたところを世間知らずそうなガキがいたのでカモにしてやろうという手合いではないのか?ヒルヅの手からリンゴを受け取ってあなたも口に運ぶ。一口目の渋みに顔をしかめたがこの瑞々しさは悪くない。
「そこにようやく思い至るとはずいぶん鈍いなぁ、自分」
「こ、心を読むな」
指先についた果汁をぺろりと舐め、き、き、き、とヒルヅはあなたの必死な形相を笑った。からかわれているのか本気なのか今一測りかねているあなたを余所に、種も芯も気にせずにガリガリとヒルヅは噛み砕いていく。
「今の遣り取りでも逃げないとか本気で大丈夫か自分?」
「いや、逃げようにも逃走先を把握している相手にそれは無意味だし」
「分からんで、逃げなきゃ今よりもっと最悪になることもあるわ。行く当てがなくとも旅に出る覚悟は必要やね」
「はあ、なるほど」
「んで、まあうちの方から話すことはあれよ。なんで異貌のものどもが咒式を使えるかって話やね」
せやせや、それを聞きたかったんやとあなたはようやくヒルヅの言葉を歓迎した。
「答えは簡単。彼らは咒力を使えるからなんやで」
「は?」
「まあ付いてきいや」
あなたの言葉をはぐらかしてふらふらと先導するヒルヅは次に古着の再利用店に入っていく。あなたも続くが、なにやらきな臭くなってきた。だいたい古着の店と咒式原理に一体どんな考えがあるというのだ。
「まずは、服装の変更やな。その顔立ちで男と知られているならそれを逆に利用すればええ」
「なにを言って……?」
「ほい、これな」
怪しげなゴスロリスカートを押し付けられ困惑するあなたを余所にどーれにしようかな、とヒルヅは手当たり次第に古着を漁り続ける。どうやら彼女はあなたにこれを着せるつもりらしい。あなたは変態に縁がある。あるいはこの世界は犬も歩けば変態にぶつかる狂気の世界なのだろうか。いや一概にヒルヅを変態扱いするのも失礼だ。彼女もあなたが囚われていた実験組織の実験体だとしたら逃亡生活を続けていたと考えるべきだろう。敵の目を欺くとはつまり変態行為をおいてほかに有り得ない。想定の外を行くような思考が出来なければ、敵の狙いを外すことは出来ないのだ。
つまりあなたがふわっふわのゴスロリミニスカ服を着て、首にチョーカーを巻いたり髪の毛をツインテールに纏めたり、ニーソックスを履いて女性ものの下着を着けるのも追手の目を欺くための必然的な偽装と言える。
言えるはずなのだが、心が痛むのはどうしてだろうか?
「設定はこうや。あんたは引き籠りのコミュニケーション障害で極度に無口。黒ロリ服とジト目を見れば見るやつが勝ってに勘違いしてくれるやろ。体形は年齢とやっぱり不健康そうな感じで何とか通せるはず。露出が多いと勝手に向こうも勘違いしてくれるやろうしな」
「マジで言ってんの?それとリンゴを買う金もないってのは?」
「ちゃうわ。正確には、この服を用意するからリンゴを買う金もない、やね」
「な、なるほどー!!」
まあ、いい。こと今回の場合は命の危機だ。抜き差しならない状況で姿格好に構ってなどいられないのも確かだとあなたはリンゴの芯を噛み砕いた。
「それで異貌のものがなぜ咒式を使えるかっていうとやね……、」
そうだ、ヒルヅの異常な雰囲気に呑まれていたが、本来はそのことを訊きに来たのだ。
「才能やねん」
「なんだそりゃ。リンゴ代返せ」
あなたが投げ返したリンゴをヒルヅは口で受け止めはにゃほりゃひれなる奇怪な言語を喋るが、できれば地球の言語でお願いしたいものだ。
「とりあえず咒式原理からやね。一応聞いておくに越したことはないとおもうで」
ヒルヅに対するあなたの信用度は限りなくゼロに近づいているが、それでも頼れる人間が彼女しかいないのが辛いところである。
「おう、そうだな」「この世界を構成する最小単位である粒子は粒と波、両方の性質を持つ。つまり、にも女にも見える美少年や」「ええ……、ああ、まあ」
唐突な美少年の登場にあなたの信用度はゼロを超えて氷点下だ。続く単語の羅列はもはや脳が受け付けているかどうかも怪しい。
「この美少年が女装をすると女の子に見える。服装を変えれば男の子やな。粒子の振る舞いってのはつまりそういうことなんやけどまあ男の娘なんだけど」「仮に一時的に意味が分かったと仮定して、勧めることにする」「しかし男であるか女であるかは確定された状態で現れる、なぜならちんちんを露出しているからや」「はあ、それってただの変態では?」「黙らっしゃい!通常可愛さは一定の値を超えることはないが、この可愛さを服装や化粧などでちんちんの存在を揺らがせることで男の娘は女の子になるというわけ」「いや、それは……女装少年、男の娘、TS、女装子、メスショタTSふたなり。つまりホモだろ?ちんちんついてるし」「なんだぁ……テメぇ。ちんちん付いていても周りは女として扱うからちんちんは消えるんやで。これが咒式原理なんやで」「分かったような分からんような」
「まあ、この世界には熱量保存則を破る方法があり、それを使える生き物がおるっちゅうことやねせや。難しく考えんでいい。原理的な部分ってあんまり使う分には関係ないし。それよりも物質の性質を理解したり目に見える物理現象を解説できるほうが重要、これがポイントね。そもそも咒力ってなんやねん。肝心なとこが超パワーやんけ。プランク定数の変動値がデカけりゃ咒力が高いんか?」
勝手に頭を抱えて煩悶するヒルヅを正気に戻したい。手頃なものはないかと道端に落ちているハリセンで引っ叩く。なぜこんなものが異世界に落ちているのか知らないが、異世界にも大阪はあるのだろう。
とにかく、
「まあ異貌のもの達にとって咒式というのは手足を振るえば起きてしまう現象みたいなものなわけや。うちは魔杖剣の宝珠が代理演算している量子の揺らぎが見えるし多分異貌のもの共も見えるだろうし、特に竜の目ん玉なんか高精度の観測機器やろうね。つまり始めっから見えている世界が違うん。分かる?うちらの見えてるもんに理屈付けをして、見えん人にも扱えるようにしたのが咒式や。あんたもそのうち見えるようになる。あるいはもう既に見たかもしれん」
「いやそんないい加減なことでいいのか?」
「ええんやで。鼻くそほじって使おうが、鮮血滴る生首並べて魔法陣書いて使おうが、科学的な説明と理論に基づいて使おうが、風が吹けば風車は回るねん」
まあ最初は魔杖剣から始めたほうが楽でええなとだけヒルヅは言う。なんやかんやのうちにちょうど地下街を一周したのか、止まった場所は最初のあなたが襲われた路地裏だった。
「ここで今日はお別れやね。最後になんかある?」
「ない……、いやある。あんたの目的は?それを聞いていない。常識的に考えてこんな親切がタダなわけがないだろうに」
「うちの目的は、ベギンレイムの尻尾完全壊滅や。そのために力を持った仲間がいる。あんたは施設の出身でベギンレイムの尻尾を恨んでいるやろ?それだけで信用できる」
「完全壊滅?施設はまだあるのか?」
「そう、まだ奴らは潜んでいる。だからこそ滅ぼさなければいかんのや。第二第三のうちらを生み出させんようにな」
むう、とあなたは唸り声をあげた。こんな変態世界に転生した我が身の明日を嘆いていたが、自分と同じ目に合っている者達がいることは全く念頭になかった。
「ま、まずは力を付けることや。明日は、そうやな。鳩麦亭で十二時に会おか」
「分かった。明日から訓練開始だな」
「そゆこと」
あなたは馬鹿みたいに手を振って、ヒルヅの姿が見えなくなるまで追い続ける。気分がこんなに高揚したのは、転生する前の世界も含めて何年ぶりだろう?
そういえば、この格好でアストラシモの住処まで帰らねばならないのだろうか?
「ああこの子なら見たことがある。アストアラシモの手伝いさね、アストラシモってのは魔杖剣修理やってる男だけどねぇ。居場所を誰も知らないんだよ。おっとこの情報の代金は忘れんでくれよ」
業突くを隠しもしない路面商の面相に嫌悪を覚えつつもタオローは一万イエンを振り込んだ。
「へへ旦那。ありがとやんした。ところで最近は旦那みたいのがやたら現れますけど、何かあったんで?」
「ほお、多いのか?」
「へえ、ここ三日くらいですけど旦那も含めて五人ほどが、同じようなことを尋ねて来やがったもんで。それはそれは……」
「ではもし次に同じことを尋ねるやつがいたら、俺が来たということは伏せておいてくれ」
「は、ははあ。追加の代金は……」
「店主、業突くも過ぎれば身を亡ぼすぞ」
タオローの底知れぬ殺気と極低温の声色にひ、と悲鳴を上げ店主が後ろに転がる。
それにしても状況は芳しくない。複数の証言から分かるのは他の組織の追跡者も動き出しているということだ。早急にアストラシモとやらを探し出して、少年を確保すしなければならない。
「ルイリーどうだ?」
「反応がないわ。監視カメラを幾つか仕掛けたけどどれにも映ってないよアニサマ」
「そうか、」
「どうするの?」
「……少し考える」
あの昼間に合った女は信用できない点が多い。タオローだけでなくほかの咒式士にも情報を売り捌いているはずだ。となるとタオロー自身が闇雲に動くだけではなく、むしろ怪しい相手の動きを見ることもまた肝要だ。映像を見てそれらしい人物に目星をつける。
「ルイリー、あの二人の動きも監視カメラで追えるか?」
「任せてアニサマ!」
こちらが持つ情報に不足があるのならば、別の情報を持つかもしれない相手を泳がせ漁夫の利を得る。すると幾つか怪しい動きをする者たちが見えてくる。その人物それぞれに監視の目をつけるようルイリーに指示してタオローは背後の気配に目を向けた。
気配の主は四人一組の低階位の咒式士達だった。
「なんだ?お前たちと話すことは何もない」
「へへへ、あんた人を探してるんだって?俺たちにも手伝わせろよ」
モヒカンの男は抜身の魔杖剣を向けながらタオローに声をかける。
聞き込みをしているタオローから力づくで目的を聞き出し、タオローよりも先に目標を達成する。彼らの目論見としてはそんなところだろうか。なんにせよタオローがルイリーに監視を指示した者たちではないことは確かだ。
「止めておけ。あたら命を無駄にすることはあるまい」
一瞥してタオローは彼らの戦力を看破し撤退を勧告する。装備に立ち姿、隊列の組み方、一流のそれには見えなかった。タオローとしても無駄な殺しで目立つのは避けたいところだ。
「へ、話せねえんなら魔杖刀を奪って金にでも換えるまでよ。そこの擬人もいい値段が付きそうだしな。やれ!奴を殺せ!」
後衛のモヒカンツエベルン人が叫び咒式を紡ぐ。にべもない反応だが、大方予想は付いていた。振り向きざまに抜刀。目のいい前衛のランドック人が、その抜刀に顔を青くして無意識のうちに後退したが、その意味を彼の仲間は理解できないだろう。後衛の男が紡ぐ爆裂咒式は確かに狭い路地では有効だ。もう一人の機剣士が補助に発生の早い
「もう一度だけ警告する。止めておけ。妹への侮辱は一度だけなら見逃そう」
それでも負ける要素がないのは、敵が既にタオローの間合いの中だからだ。
「死ねぇ!」
大声に合わせて爆裂咒式が放たれんとする。果たしてその声は戦局を有利に運ぶのか疑問だが、つまりその程度の手合いという事だった。
「し、」の息が漏れる瞬間にタオローは地を蹴った。
攻撃をしようとする心の起こりに反応し、かつて軽功と呼ばれた体術でタオローは壁を疾駆する。魔杖刀が紡ぐ横凪の弦月に、牽制の咒式を放とうとした後衛の首が視線で追うことも出来ず「ねぇ……」漏らしてと落ちる。瞬間移動にも等しいタオローの出現に驚愕し目を見開く敵を眺め、タオローは静かに嘆息した。
意を消すどころか制御もままならないようでは、到底、戴天流の敵ではない。宙に描く八の字の軌跡に、遅れて反応した前衛二人の首が飛び、連携の中心に割り込まれて投槍咒式の発動もままならず判断の遅れた背後の後衛一人は内勁を込めた剣指に巨厥を突かれ崩れ落ちる。
「や、やられた。いや……あれ」
戦車砲並みの拳で戦う咒式士の格闘戦にあって、皮も破れぬ優し気な一撫でを受けた相手は、まんまと背を向けたタオローにこれ幸いとばかりに必殺の咒式を叩きこまんと咒力を練った。迂闊である。命の遣り取りをした相手がただ一人だけは見逃すという妄想に、なぜ憑りつかれたのか。
それが運の尽きだった。もっとも男の死期が二秒ほど早まっただけではあるが。
「あびゃっ!?」
突きこまれた巨厥から男自身の咒力を餌に咒式が進行、全身の神経が断裂した後衛の男は七穴噴血して死亡した。
「数法系第三階位、
咒式士の呪力を喰い、体内に打ち込んだ疑似神経生物が成立するはずのない強大な咒式を強制発動させ、咒式士自身が意図しない咒力暴走を起こさせ死に至らしめる。
咒式理論の判明により内家の技はより理論的に説明可能になり、さらなる飛躍を遂げた。しかしその深度に比例して修行者の規模が増えたかと言えばさにあらん。精妙難解を極める内家の技よりも、シンプルで汎用性の高い外家に人は集中した。
武術というもの起源を戦場に求めるならば、外家を選んだ彼らの選択は正しい。指一本で人を絶息させる技が積層甲冑を身につけた攻性咒式士に通じるだろうか?顔面の一点を突き悶死させるよりも、顔面ごと拳で砕いてしまうほうが手っ取り早いのは明白だ。鍛え抜かれた筋骨はいついかなる戦場にあっても安定した戦闘能力を約束する。
一方で戦闘に勝つための理論があり、その理論を体現するために鍛錬するという考え方がある。しかし、理論に導かれた術技は必ずしも安定した戦闘力を約束しない。
けれども互いに命を奪う攻撃力を有する者同士が戦ったのならば、戦局を有利に運ぶのは後者だろう。前者はまず、後者の術を破らなければならないのだから。
タオローは別にどちらが強いとは思わない。ともに更なる強さを求める道がこれまで両立してきたのは、そのどちらもが正しいからだ。
素っ気なく断ずれば、強いものが強いだけである。
「なるほど、そこらの暗殺者とは一味違うらしい。これは我が花嫁に送る首に相応しい相手だ」
「先ほどから見ていたな?何者だ?」
ビルの陰から音もなく現れた男にタオローは魔杖刀の切先を向ける。一度も肌に陽を浴びたことがないのではないかと疑いたくなるほど白い肌に、通った鼻筋、気高く秀麗な顔立ちのこの男に言い寄られて首を横に振る女はそうはいないはずだ。むしろ女の方から男に近づきたいと思うだろう。
「我が名はリュオウ・メルギスカ・ヤーシュ・ギダレラ。稀なる獲物に剣と月の祝福を」
「戴天流剣士現宗家、コン・タオローだ」
相手の堂々たる名乗りにタオローも名乗り返す。先ほどの下卑た輩とは違い、目の前の男には信念がある。決闘者の類と見える。凶手として闇に生きたタオローだが、正面から堂々と戦う彼らの思考が好ましかった。むしろタオローは同族の凶手をこそ嫌っていた。所詮、下卑た仕事だというのに闇討ちを誇る莫迦が多すぎるのだ。自らが卑しい戦い方をしていることを自覚しない者には最低限の誇りもない。
「帰郷直前の下らぬ仕事かと思ったが、思わぬ上物だ」
胸のすくような心底の笑みを浮かべ、中段に構えられた巨剣が切先でタオローを捉えた。
男の手にある巨大な刃はその形状からして独特だ。歪んだ平行四辺形の刃は片刃でいわゆる刀に属し、刃を構成するガナサイト重咒合金は金剛石をも凌駕するヌープ硬度と強度を誇る。単分子結晶で構成され、極限の鋭利さを秘めた刀身はそれ一つで通常の魔杖剣の規格を超す1000ミリメルトル超の長さと厚みを持つが、続く柄は2000ミリメルトルとさらに長い。人間一人を解体するには過剰に過ぎる巨大さは、ドラッケン族が竜や異貌のものと呼ばれる人外と相対してきた歴史に由来する。この屠竜刀と呼ばれるドラッケン族の得物は、咒式士の生命線である魔杖剣の中でも一つの分野を獲得しているのだ。
「その得物……、」
「左様、屠竜刀だ。貴殿の骸を今宵の鞘としよう」
いやなるほど、とタオローは相手の返答に得心した。あれが噂に聞く戦闘民族ドラッケン族と屠竜刀で間違いない。厄介な相手に出会う不運に苦笑いしながらタオローも彼我の間合いを探る。戦い無数にありと言えども異邦の剣士と刃を合わせるときの緊張感は別格だ。同人種、同国の相手ならばまだ手の内を予測できる部分もあるが、国が違えば戦闘法もまるで違う。まして竜を屠ることに特化した剣術など特異に過ぎて、タオローにも予測は難しい。
ゆるりとタオローは無形に構え、ドラッケン族との間合いを詰めた。軽功の極みに達した歩法は、重さを感じ差ぜず、軸に一切のブレを持たず、完成された芸術のようだった。
対するリュオウも中段に構えた剣を引き、こちらの隙を伺いながら半円を描いて間合いを詰める。空気を破断させながら裂帛の突きが繰り出された。意の起こりを捉え、遅れて到達する屠竜刀の先制をタオロの刀が螺旋を描いて受ける。
「ぐ、」
尋常ならざる重さの突きに受けたタオローの体が回転し、吹き飛ばされた。想定外の踏み込みの速さに化勁のタイミングが遅れたのだ。意の感知をもってしても後れを取る、信じられないほどの外功の差だった。咒式補強したタオローと比べても筋力差は優に五倍はあるだろう。
まともに受けては折られると判断して自ら飛んで威力を殺したか。
反応速度も技術も上々だ。自分の初撃で死なない貴重な相手と再確認し、ドラッケン族の血がリュホウの顔に戦鬼の笑みを取らせる。闘いこそが人生、良き闘争こそが誉れ。そう教えられて育ってきたというのに世の中はあまりにも退屈だ。血が逆流するような戦闘など十に一つあるかどうか。
ならばこそ、リュオウにとって強敵こそ得難い友だった。
アスファルトの弾性限界寸前まで踏み込み加速。空中にあるタオローに彗星となっってリュオウは間合いを詰める。
「しィ!」
着地するタオローにリュオウの追撃が到達する。先ほどの突きが全力の十の力とすれば続く突きは五の力だが、その代わりに途切れることなく獲物狙う猟犬の刃である。地下街の闇に放射される鈍銀の五月雨は、まさしく絶命必至の流星群と化してタオローを襲った。
内息を整え、内勁を通し、心意を捉える。
一見五月雨のように見える突きの連射と言えども同時には存在しえない以上、一つ一つを別個のもの。まして意に遅れて放たれる刃を、近距離からの機銃掃射さえ打ち弾くタオローの刃圏が漏らすことはありえない。
タオローの振るう倭刀の切先に
違和感を感じたのは最初の一太刀からで、それが確信に変わったのは打ち合いが七合を重ねた頃だ。
己の足が確かに敵に向けて前進しているという自覚はある。自覚はあるが一向に距離が縮まる気配がないのだ。リュオウの放つ一撃はその全てが竜の鱗を断ち、咒式強化の施された積層甲冑を両断して余りある。対して相手は返しの太刀を放つならばともかく、ただひたすらに受け耐え凌ぐのみ。そのような手合いは、一合を耐えても二合は堪えられず、三合目には受けの太刀が放てず腸をぶちまけさせるだけの重さがリュオウの打ち込みにはある。
だというのに重厚な刃の連打を受けて、吹き付ける木の葉を散らす巌のようにタオローは全くの不動であった。
下段構えからの下雷。竜の鱗をも切断する一閃円弧がタオローの構える細い鋼の刀身に触れ刃筋の狂わせ逸れていく。刀身を翻しての浮雲に身をかわしたタオローの長套が波頭となって翻る。
敵の心中に発した僅かな迷いを見逃すタオローではなかった。先ほどの山のような守勢から一転、返しの刃を逸らすと同時に間合いを詰める。
すなわち長大な屠竜刀の弱点。いかに咒式で筋力を強化しようと長大な得物は標的に到達させるまでに時間がかかる。拍子の間が長いと言い換えてもいい。対してタオローの魔杖刀は短い。拍子の間が短いと言える。リュホウがが一拍を打つ間にタオローは二拍を打つ。その合わぬ一拍子が生死の境だ。
早くもなく遅くもない。遅速の妙を持ってタオローが屠竜刀の間合いを踏み越える。受け流した魔杖刀が袈裟の軌跡でリュオウの肩口を狙い、咄嗟に防御に抜かれたチタン合金の短剣を切断して肉を裂く。
彼我の間合いがさらに詰まる。
一合を交え、間合いは剣の境を超えて既に格闘の距離に入りつつある。袈裟斬りの慣性を活かして転身したタオローのコートが広がり、津波となってリュオウの視界を覆う。コートの目くらましに隠した急所狙いの一撃と、まずそう読むのが常道だ。敵の膂力とこちらの膂力の差は歴然。ならば格闘に持ち込めば、いや……、
「くおおおおおおおお!!!!」
転身の意味に気が付いたリュオウの、慣性を無視した強引な回避行動。ここで一撃を回避しなければ、逆転は二度と望めない。不吉を告げる直感に従う主の無茶ぶりに、リュオウの全身が悲鳴を上げてこたえた。
紙一重で間に合う。のけぞってかわしたリュオウの胸板が横一文字に切断され、連動する死角からの回し蹴りで折れた肋骨を内臓に蹴り込まれ、苦鳴を上げてリュオウは後退した。追撃はない。タオローはあくまでこちらの様子を伺う風だ。慎重な性格なのだろう。
危ないところだった。
軽くはない傷だが安いものだとリュオウは背後の壁に残る真一文字の傷跡を視界の隅で捉え、息を吐く。格闘戦ならば勝機があるとみて、あと一歩深く踏み込んでいればリュオウは背中まで完全に切断されていた。
一息をおいてひたり、とタオローの長套の裾からリュオウの血が零れる。
「その長套までもが、貴様の武器なのか」
「その通りだ。よく練った気を通せば、紙や布でも肉を切り裂き骨を断つ」
危険に過ぎる異邦の剣技にリュオウは屠竜刀の引き金を引き、生体甲冑を生成。全身の各所をキチン質の装甲が覆い強化筋肉がドラッケン族の戦士を一回り大きく見せる。
尤も、この装甲が異邦の剣士の魔杖刀にどれほど効果を発揮するかは甚だ疑問だ。先ほどの一撃、「氣」なるものを通したコートの裾さえリュオウの強化筋肉を切断し、範囲上あったコンクリートの壁に真一文字の傷を残す威力。
もしも、異邦の剣士が切断を目的として作られたた魔杖刀に本気で「氣」を通したならば、主力戦車の正面装甲ですら薄紙を裂くように両断するだろう。
「いや見事見事。わが種族の敵対人種と東方の人族。力弱きものの工夫といえどもこうして見物してみると中々に興味深い」
唐突に純粋な興味と称賛の声が割り込む。といっても喜ぶ気にはなれない。男の声には自らより明らかに劣る者の努力を称える風が込められていたからだ。心得のない者なら心停止しかねない闘気の間に、春風を楽しむがごとく白髪黒衣の男が立ち止まる。
真性のきちがいか、それとも一時の酔狂か。確かめる手段はない。
そうこう迷っているうちに、ああ、と紫煙くゆらせて呆気に取られる二人の顔を男は交互に眺め、
「どうしたのだね?続けないのかね?いや、これは失礼。私が間にいては始められぬか」
はははは、と愉快そうに声を立てて嘲る。
男の言は半分正しく、そして半分間違っている。リュオウもタオローも単に困惑して動けないのだ。促しても戦いを再開しない様子に、白髪の男は退屈げに紫煙で輪を作り漂わせたあと隠蔽を解除する。
「汝らはつまんな。それに少しだけ厄介そうだ」
ミシリ、と音を立てて足元の石畳が歪み、男から放たれる熱波が気流を搔き乱す。極大の殺気と咒力放射が放たれ、男を中心に半径二十メルトル以内の猫や乞食が七穴噴血して死亡した。
「我が名は白皮のヘヴォルム。黒竜派の使徒である。賢龍派の策謀を挫くためにこの街にやってきた」
タオローもリュオウも動けない。先ほどの困惑とは違いあまりにも強大な敵に選択肢を塞がれてなにも出来ないのだ。石像と化した二人に淡々とヘヴォルムは続ける。
「あれは人と龍を繋ぐ可能性のあるものだ。強大なる我らが人と協調することなどあり得ぬ」
(アニサマ!今行く!)(待て!迂闊に動くな!ホアンに調査結果を送れ!)(分かった!終わったらすぐ行くから!)
ヘヴォルムは咒力放射からして強大な竜だ。竜族は年を経るごとに知力や咒力、体長が増大する。見分け方として一番簡単な汎ドラッケン式竜測定法によれば竜は百年で体長二十メルトルに達し、そこから百年ごとに一メルトルずつ成長していく。目の前の竜は人の形を取っていることから最低でも400歳以上の高位竜である可能性が高い。
そしてあえてタオローとリュオウが戦っている場所に現れたのは一石二鳥を狙うためだろう。となると三者の目的は一つしかない。
「混ぜ子に関して知ることを喋り給え。殺すのはそのあとだ」
「知らぬな」「同じくだ」
目で合図を取ったリュオウとタオローが同時に疾走を開始する。
もっと読みやすい文章を心掛けたいなぁ