あ、戦闘シーンは一旦終わりです。悲しい。
ヘヴォルムは竜である。地上の覇者、異貌のものの王まどと称される彼は生まれついての君主でありながら、しかし、竜としては不出来であった。
生まれおちた時から彼の体には一切の鱗が存在せず、その体表は薄く、血管まで透けて見える白い皮膚に覆われていた。
そのあとは大して難しい経緯ではない。
咒式をもってしても治療できない「無鱗症」は彼の体だけではなく精神までも侵食し、しだいに性格を歪めていった。栄えある竜族としては不完全、さりとて彼の強大な力と自負は、ごく稀に交流を求める他の種族を出来損ないへの憐れみと断じ、その一切を拒んだ。
白皮の竜。出来損ない。半端もの。誰が初めにその言葉を彼に投げかけたかは今となっては思い出せない。ただ、ヘヴォルムはふとした拍子に意識の片隅から浮上するその忌まわしい言葉に、身をよじり、歯嚙みし、生まれてくるべきではなかったと後悔するのだった。
だからこそ、彼の瞳に映るそれは許せるものではないのだ。
安ホテルの一室で絡み合う影があった。
女と男だ。女は擬人で男は人間だった。餓狼のように二人は舌を絡み合わせ、上下の口で互いの体温を繋ぎ合っていた。
二人とも東方系の顔立ちをしている。
背後から責められるたびに女は喜悦の声を上げていた。ただの擬人では有り得ない声だ。一流の歌手だけが聴かせうる感情の揺れが籠っている。男が前後するたびに、女は悲しいような嬉しいような、そのどちらとも違う表情を可憐な顔に表した。擬人愛好趣味に狂った人間ならば、人の情を醸すその擬人をどんな手段をもってしても手に入れようと思うだろう。
男は一見して痩躯だが、よく見れば全身の筋肉が割れ、発条のように鍛えられている。背後から女を責め立てるたびにピクピクと小魚の群れのように細やかな筋肉達が連動した。
「実の妹のはずだが、正気か?」
「問題ない。近親相姦が禁忌とされる最大の理由は近交弱勢だ。家と血筋を重んずる央華の伝統もこれに即している。だが今のルイリーは血の繋がった妹ではないだろう?」
「タオロー、それは道を外れている」
琴の音が緩やかに流れていく。給仕が客の到来を告げる。厨房で料理長が出す南方訛の指示は、何を言っているのか聞き取れやしない。
「道か。道とはなんだホアン?」
返ってきた答えは何より雄弁で不可解だった。
かつてのタオローはたしかに妹を愛していたが、その愛は妹に向けられる以上のものではなかった。なにより、タオローの妹はその兄弟子と婚約していたはずではないか。
「お前は……」
乾いた舌が貼りついて動こうとしない。ホアンには分からない。だが親友にまとわりつく陰りは、魔都にて隆盛を誇った青幋の崩壊と無縁ではあるまい。
「お前は、俺の知るコン・タオローではないようだ」
何もかも昔とは変わってしまった。兄弟子を敬い、妹を愛していたかつての親友はもう何処にもいなかった。
「かもしれない。だが変わらないものはない」
もはや何も言うまいとホアンは通信越しに堅く目を閉ざした。
何度目かの咆哮。
ようやく手足があなたの意思に従い始めた頃にはもう、逃げ遅れた観客は一人の例外もなく挽肉に変わっていた。
あなたはあなた自身が理解不能出来ない。身に降りかかる火の粉を払うと言うならば分かる。食うために人を殺すのも共感は出来ないが理解可能だ。だが、あなたを竜へと変えた無形の意思は、獲物の悲鳴と苦痛をこそ楽しんでいるように見えた。
自身の内に潜む意思と力こそ恐ろしい。まるで偏頭痛だ。遠隔制御の爆弾を抱え込んで人混みを歩いているようだ。
手と足と内臓が乱舞する光景などあなたの望んだものではない。研究施設での殺戮は確かにあなたの意思だった。だが、闘技場でのこれは違う。
「おぞましいな。人にも成れず竜にも成れず。半端であるが故に、そのどちらもの境界を危うくする。おぞましい血。おぞましい一族、そして愚かな賢竜派だ」
無人の客席に凍てついた声が抉る。低く、古いラジオのようにざらついた男の声は、顔を向けた先、三段上の客席からあなたを見下ろしていた。。
血みどろの椅子を踏みつけ、どこか異質な人物は分子すらも停止する視線をあなたに向けている。あなたはその人物にどこか懐かしい気配を覚たけれども、しかし、間違っても旧知の仲などと思えないのは男の放つ人間離れした圧力のせいだ。
「我は黒竜派、白皮のヘヴォルム。人と竜の境を乱す混ぜものを消しに来た」
それこそ今さらだった。先ほどから言葉よりもなお明確な殺意がヘヴォルムの目的を露にしている。あなたへと向けられた右手、そこに収束する咒力が男の目的を物語っていた。
「五十年ぶりの誓約の義務か。まあ、死ぬがよい」
気楽な宣言とは裏腹に、一切の隙を見せない態度はヘヴォルムがあなたを確実に屠るつもりと考えて相違ない。
確信と同時に、額を打つ気配に咄嗟に右へ跳んだ。遅れて、あなたがいた空間を結晶の歯列が噛み切る。
この世界の挨拶は死ね死ね殺す以外にないのだろうか。
直線での移動は容易に捉えられると断じたあなたは、角度を浅く変えて跳び続ける。水平に稲妻の軌跡を高速移動するあなたの後ろに、結晶の柱が幾つも突き上がり巻き込んだ死体の血を浴びて赤く染まっていく。
逃げ切れそうなら逃げに徹するべきという理屈抜きの確信。あのヘヴォルムなる男、間違いなく牛頭鬼や馬頭鬼を超える敵だ。突貫すれば確実に死ぬ。内へ不信と外への恐怖がないまぜのまま、あなたは観客席の傾斜を駆け上る。
「一丁前に動くじゃあないか」
不意打ちに心臓が悲鳴を上げる。初動の差は絶対だと思い込んでいた。幾ら忌まわしい力でも、変化したあなたの速力に追いつけるものなどいないと確信したからこその逃走だった。
背筋を這う汗に振り向くとそこにはヘヴォルムの顔。伸びる手が肩を掴み、進行方向に回り込んだ続く拳が防御反応を超えてあなたの顔面を捉え、撃ち抜く。
視界が何度も入れ替わり衝撃とともに停止する。三半規管は回転の余波を残しているせいか地面の場所が定まらない。
立ち上がろうとするあなたに再び打ち下ろされる拳。今度はあなたの目にも写る。肘で迎え撃ち反撃の起点作りを狙うも、圧倒的な質量差に屈した筋肉が千切れ、肩甲骨がミチミチと悲鳴を上げて外れ、右腕が背後で音を立てる。
だからどうした、眼前の竜を捨ておいて他の竜を見るわけにはいかない。
沸騰する血液は痛みを弾き飛ばし、ドーパミンとアドレナリンの混合液は限界を超えてあなたの心臓を打擲し、吐血交じりの雷声と瞬息の前進に伴う運動量を右足の踏み込みが打ち上げ、左貫手を砲弾に換えて射出する。もはや音速などとうに超えている。閃光としか見えない反撃の一手は、稀代の名刀に等しい鋭さで敵を貫くだろう。
鈍い音を聞いた。
脳が光景を受け付けない。体が竦んで動かない。本当に自分は人間を相手にしているのだろうか。
超反応であなたの左手首を握りしめたヘヴォルムは、不快気に鼻を鳴らしあなたの手首を葦のごとく引き千切る。ダメ押しの蹴球のような大振りな蹴りは、骨格に万遍なく罅を入れをあなたを水平に弾き飛ばした。。
風景がコマ落としに流れていく、今ならそのうち一つを掴んで引き留めることさえできそうだ。逆転する天地。客席の階段が逆さに流れて噴き上がる。
このままではあなたは死ぬ。死神の指が背筋を撫でる。結局のところあなたは少々不死身なだけの人間だ。殺され続ければいずれ死ぬ。それはあの女との戦いで実証済みである。ヘヴォルムの脅威はあの女と同等かそれ以上だ。
あなたに取りうる選択肢は二つ。援軍の到着はアテがないので除外した。
選択その一、逃走。敵の攻撃は連続的でありを速力互角のため無理だ。
選択その二、戦闘続行。敵は力も知恵もあなたを上回る存在だ。勝てる理由が見当たらない。
選択は戦闘。勝てる理由が見当たらなかろうが、背を向けて次に主導権を握られたら反撃に転じる光景が浮かばない。
空中に玉粒の汗を確認しながらヘヴォルムの位置を見る。敵はまだ動いていない。どころかこちらを見てもいない。侮られていると馬鹿でも分る。
視界に弾ける原子に電子核、もう一つ飛んでさらに微細な力の断片の一つをあなたは選択する。無意識の領域より汲み上げられた膨大な咒力のほとんどを散乱しながらも、あなたは重力質量系〈
闘技場を三角に切り裂き肉薄、顔もむけないヘヴォルムの周囲を即座に防御の水晶柱が囲んでいく。目測で十数メルトルはあるだろう厚みに拳が竦む。ダメだ、この拳では足りない。
何が?と問う声。
決まっている。重さと速度だ。
そのためには?
拳を振りぬく瞬間に重力咒式を解除し、腕自体を巨大化する。
もう一工夫欲しいな。
背中に慣性力を制御する羽を付け打撃の足場とする。
悪くない。体内に籠る熱を空気噴射で排出しさらに接撃持続時間をを伸ばしてみよう。
ごう、と風が哭く。音速をはるかに超えた打撃は個々の独立性を失い、一連なりの獰猛な唸り声へと変化する。
秒間六〇発の雷咆に闘技場を圧する水晶柱の防御が、微塵と化した。結晶片の雨粒に目を細め、背後に熱波を最大噴射した六一発目。竜の拳がヘヴォルムを捉え押し込む。
確かな手応えはすぐに疑問へと変わった。当てることは当てられたが、しかし骨に返ってくるのは、人力で巨木を押すがごとき手応えと、
夕陽、巨剣の持ち主との戦闘風景。吼える竜、竜、竜。原子核が統制され、電子が分離し、重力子が束ねられる。巨体の構成とは……、鋼色の竜の単結晶の鱗、紅玉と青玉と翠玉の鱗を持つ竜…………。うたた寝の幻を思わせる連続画像、なんだこれは。
水晶の豪雨の向こうには人の腕で竜の拳を止めるヘヴォルムの憤怒の形相―――には僅かな恐れ?。
本体の質量差によってあなたの腕が押し返され、ヘヴォルムの五指が冗談のようにあなたの腕を貫通し、白皮の手が竜の巨腕を切り裂きながら肩に向けて逆流する。
あかん死ぬ。
ヒルヅの口調が移ったか。フラッシュバックするのは一日前の最後の組み手。あれから幾度となく思い出し対策を立てた戦闘の一光景。
空いた左足で腹を蹴って―――、
そんな言葉で命令されたわけではない。あなたは幾度もこんな光景をイメージしていたのだ。
左足で顎を蹴って手刀の範囲から逃れ、左手一本で後方転回を繰り返し離脱―――
―――出来なかった。背後に生えた水晶柱に行動を邪魔され、統制を離れた物理力があなたを地面に叩きつけた。
視界にヘヴォルムの姿が揺れた。先ほどまであなたを突き動かしていた活力は急速に消え失せ、変わって泥のような倦怠感が全身を蝕む。
ここが終着点なのだろうか。反撃のチャンスはもうないのだろうか。
否。ドラッケン族の教本に従うならばヘヴォルムが近づくまでの数秒に全身を脱力させ僅かでも回復を促し機会を探るべきだ。死ぬならばせめて、死んだことも気が付かない熱狂のうちに果てたい。寝台に括りつけられて解剖の時を待つような死に方は残酷だ。
「真打登場ってな。いやー遅れてごめんやで」
どこか間延びした明るい声で、どうあがいても血みどろの闘技場には似合わないし、戦闘の最中に発せられるものでもない。
「何者だ?」
珍妙な乱入者にヘヴォルムでさえ、やや困惑気味に問い返す。
「相棒や!」
頭痛が痛い即答。
手には一冊の本を携え、背後には全身の毛が青い三眼の大猿を引き連れて、魔杖剣と防刃服で完全武装したヒルヅがそこにいた。
本物の馬鹿だと思った。
さっさと逃げろとなけなしの気力で絞り出したあなたの声をヒルヅは無視し、ヘヴォルムと対峙する。だがヒルヅが来たところでどうにもなるものか。ヘヴォルムの戦闘能力は人間の域を超越している。彼女がいくら戦闘巧者で対人戦闘においてあなたを凌駕する戦闘力を発揮しようと、この男には通じるはずがない。
ヘヴォルムと一人で戦うのは、大河の奔流を板キレで止めようと試みるに等しい愚行だろう。津波のような咒式の連打は小細工を許さずにヒルヅを呑んで命を奪うと見て相違ない。だから……、
水晶の柱の下で足掻くあなたなど一顧だにせず。ヘヴォルムが行く。踏み込んだ後にようやくその姿を確認できる高速を超えた神速の移動。
対して本を構たえヒルヅは微動だにせず、ただ一か所だけを動かした。
「
その魔法の言葉にどれほどの威力が秘められたいたのかは想像することもできない。それで全て終わりだった。ヘヴォルムが崩れ落ち、床に蜘蛛の巣上の亀裂を入れた。
「逃げるで」
ヒルヅがまだ辛うじて形を保っていたシャツの襟首を掴みあなたを持ち上げる。ずぶ濡れの猫のようなみじめな気分だ。
「殺さないのか?」
いま、ヘヴォルムは築地、いや豊洲のマグロだ。ここでなら止めを刺すこともできそうなものだが。
「うちらの攻撃力じゃぁ無理やね。欲出さんと今のうちに逃げるに限るわ」
ヒルヅがそう判断したならば、頷くしかない。なにせ今のあなたは見た目の年齢通りに無力なのだから。
アニメの話をすると、動くねーちんが見れてよかった。けどアニメとしてのクオリティはんこ。悲しい。