うっすらとした白熱電球の明かりに漂う埃が、ドアの開閉で流れ込む空気に搔き乱される。壁を埋め尽くすように並べられた各種刀身、強化ガラスの棚に飾られた弾倉が新たな所有者を求めて光る。
自分を使えと、戦道具達の切なる訴えの豪雨を咒式士用の長套を羽織った男が音もなく進んでいく。
エリダナで攻性咒式士向けの道具屋というとロルカ屋が有名だが、それ以外にも秘密裏に非合法な咒式具を扱っている店は多い。
タオローが訪れたのはそんな咒式具店の一つだった。目的は咒弾の補充と、それから愛刀の改造だ。タオローの剣技は長命竜であるヘヴォルムに対して相性が合悪い。それを補うための改造である。
この店の特徴は組み立てにある。既存の製品を分解し、必要な部品を選んで好みの魔杖剣に仕上げるには相応の専門知識がいる。地上ではロルカ屋が有名だが、地下においてはこのヴァシュテト商会を頼るのも悪くないだろうとのホアンの言であった。
遡ること三時間前、夜も遅い時間帯に駆け込めたの蘭宗会の伝手のお陰だ。
「タオロー様。調整、終わりました」
予め指定されていた時間に訪れたタオローに、老紳士風の店主が恭しく頭を下げ、両手に抱えた魔杖刀を差す。
最大業物級魔杖刀〈文殊村正〉。刃長二尺三寸二分七厘 、反り四分四厘。焼刃の箱乱れが白熱電球に怪しく照る。文殊村正の鍔はルイリーの魂魄を封じ込めた五行式連環宝珠のそれへと姿を変えていた。
「いかがでしょうか?重量は変わりましたが手持ちのバランスに変化はないように仕上げました」
老店主の言葉は単に事実を表していた。換装前と換装後の重心には百分の一ミリの誤差もない。長旅で傷んだ柄糸も取り替えられ、刀身に塗布された上質の鉱物油が香る。卓上計測危惧が叩きだす咒式の発動速度も整備前とは雲泥の差だ。いや、以前同じように改造した時よりもさらに早くなっている。単なる部品の組み立て方一つとっても素人とプロではこうまで差が出るものなのか。
「問題ない。いや、この短時間で素晴らしい仕上がりだ」
ありがとうございます。と店主が頭を下げ、こちらこそとタオロも返す。顔を上げた店主はそれにしてもと目で文殊村正を指し、濃い口髭を動かした。
「いやはや大したものですね、その連環宝珠の製作者は。宝珠の演算力によって刀身の咒力変換効率が三〇%も上昇しています。並の積層甲冑ならば紙同然でしょう。それにその刀身……、」
「ああ、この刀身は珍しい形式だから難しかっただろう。それでもここまで違和感なく仕上げて貰えるとはな」
本当にありがたい。たとえ人の、意ならぬ心が何処にあろうとも、タオローの手にした剣だけは最後まで裏切らない。
亡霊の戯言など知ったことではない。
それが、信じた肉親にさえ裏切られたタオローが、魔都で唯一得た真理だった。
エリダナ地下街は夜であっても、快適な気温を保っている。地上では太陽の有無で気温が変化するため昼と夜の寒暖差が激しいが、地下は水脈のおかげでその年の平均気温を保つことになる。また風がないので熱が奪われないのも大きいだろう。
ただし、湿度が高いのがたまに瑕だ。地下街の闇は粘りつくような重さを備えている。
夜の公園にリュオウは孤影を落としていた。足元もおぼつかない粘液質な暗闇の中、竜をも屠る巨剣が、遠く街の光りを反射し、流麗な銀閃を重ねる。
縦横無尽に乱舞するそれは銀の爆風だった。リュオウの長身を起爆点として、半径一〇メルトル以内を瞬きの間に蹂躙する巨大な破壊動作―――――。タオローと剣を交えた時のように屠竜刀の間合いと速度に任せた実戦本位の攻撃ではなく、豪快かつ精密なドラッケン流の剣術形だ。
そこには悪意も善意も、まして殺意などという不純物は存在しない。あるのは透徹した月光の剣気。祈りの所作にも似た剣禅一如。一切の雑味を捨てた先にある身体動作の極致である。
どうやら自分は人間の限界到達点を見ているらしい。
軽い感嘆を憶えながら、ベンチに腰掛けたジネブラはリュオウの間合いを検分していた。後衛にとって前衛の間合いを把握することは共同作戦の生命線だ。前衛が単体に対して絶大な攻撃力を誇るのに対して、広範囲への攻撃に優れる後衛は、ともすれば、自身の攻撃に味方を巻き込みかねない。敵を討つどころか味方に誤射するようなな後衛は味方殺しの汚名を同業者から貰うことになる
瀧落、流雲、山陰、月影、氷転、風車、竜一肢、下雷、浮舟、颪……。地下公園の揺らめく光芒の中に立たずむ男は、すでに無心の境地にある。竜の脚を、剣を構えた剣士を、関節技を仕掛ける格闘士を、男の手にした地上の弦月が縦横無尽に切り裂いていく。
その連結は一度として同じものがなく、それでいて寸分の狂いもなく同一の軌跡で繰り出されてる個々の技は、発剣の開始から終わりまで一切の力の澱みを持たない。瞬間的に音速を超える100キロ近くの重量を、一メルトル圏内で自在に旋転させる剣術を、これを絶技と呼ばずして何を絶技と呼ぶのか。
「待たせたな」
見惚れてはいたが油断したつもりはない。
音もなく、匂いもなく、気が付けば右手に旅行鞄を下げたタオローはジネブラの傍らにいた。確か別行動に移る前に、準備と言っていた。鎧の類を身につけたようには見えないが、よく観察すると左手に下げた魔杖刀の鍔が変化している事が分かる。舐めすぎでは、という懸念が一瞬脳裏を過ったが、それこそ余計なお世話というものだ。彼は彼でプロとして十分な準備を終えたのだ。一方ジネブラも一部の装甲を簡略化した積層甲冑を身につけ、本格的な戦闘態勢を終えている。
それにしても、いつの間に?などと問うまい。この男もまた咒式剣士だが、リュオウとはまるで趣が違う。戦争よりも市街地の暗闇を渡り歩いてきた種類の人間だ。
「で、同じ剣士の目からみた感想は?」
ジネブラの問いにタオローは即答した。
「リュオウはドラッケン流剣術の達人だ。対竜、対異貌のもの相手の戦闘ならば俺は彼の足元にも及ばん。強靭な肉体に、頑強な装甲、圧倒的な重さと速度に精緻さを兼ね備えた剣士と正面から剣技比べはしたくないな」
「なんか平凡ね。もっと弱点とか勝ち目の話をするかと思ってた」
ジネブラは挑発とも取れる問いにもタオローは動じない。
「剣士としてこれといった弱点が見当たらないのだからしかたあるまい。リュオウは前衛としては全てが高水準にまとまった地上最高峰の戦士の一人だ」
応える声にも一切の揺らぎが見られなかった。タオローの応答は至上の剣舞を前に平素と同様に淡々としている。剣士であれば何らかの感情の動きも見て取れるはずと思ったが、案外そういうわけでもないらしい。人間というのは難しいものだとジネブラは思う。
この男はリュオウとは違い戦闘に誇りなど抱かない性質だ。ある種、問題解決の手段として戦闘行為を捉えていると見るべきか。磨き抜いた剣の技に誇りがないといえば嘘になるが、争うことそのものには何の価値も見出していないのだ。
同じ剣士でもこうも違うものなのか。
やはり人間というのは難しい、そして面白い。
ざん、とジネブラの思考を地に突き立つ屠竜刀が遮った。
「準備は終わったようだな。タオロー」
全身を汗で光らせたリュオウが肌を上気させ、二人の方を見る。武神の彫像そのものの立ち姿は、先の見通せない苦境には頼もしい。
「ああ。十全だ。そちらはどうだ?ジネブラよ、リュオウは識別法を覚えたか?」
「なんとか。と言ったところね。最悪一発までなら誤射で済むでしょう」
「なるほど、私の刃に巻き込まれても一発までならなうっかりですむと」
うすうす感づいてはいたがリュオウとジネブラはあまり相性が良くない。必然的に自分が仲裁役の憂き目を演ずる破目になる。そうあの青幋と義兄弟が十全であった時のように。
太陽を直視したかのようにタオローは目を細めた。
「まあまあ、そこらでいいだろう。まずはこの服に付着した臭いから追跡をしていこう」
タオローが右手の旅行鞄から取り出したのは、一般的には痛さ全開の装飾過多なワンピースである。
「な、なんだこれは」
「どうしろって言うの?」
二人の反応は予想するところであった。タオローとて捜査の兄弟子が暗殺対象の手がかりにこんなものを差し出して来たら同じ困惑を示すだろう。だが、怯むわけにいかない。タオローも複雑な心境を表情筋で表現し、慎重に言葉を選ぶ。
「この記録映像を見て欲しい。これだ、この少女だ。俺が今手にしているのはこの少女が来ていた着ていた服だ。闘技場の選手控室から手に入れた」
「捕獲対象は男だったはずでは?」
「変装のためでしょう。顔立ち次第では化粧と仕草でで性別もごまかせる。リュオウももう少し筋肉がなければ似合いそうではあるわね……」
「ぬかせ。だが変装のためとはいえ、そこまでやるとはな。他にはないのか?」
「ない。だからこの服に付着した臭いを追うのが今のところ一番確実だ。下着もある。こちらもなぜか女性用だったが」
三人の間に痛いほどの沈黙。
「つまり生体強化系で臭いを追跡して欲しいわけだが、その、なんだ。リュオウが躊躇うのも分かる」
「別の方法はないのか?」
ない、と再び言い切るタオローの顔には諦めの笑みがあり、目が濁っていくリュオウの形を半月の笑みを浮かべたジネブラが叩いた。
「そして、絶対にやってもらわなければ困る」
武神の顔に特大の絶望が浮かんだ。
殴る、
突く、
投げる、
蹴る、
きいきいと頭蓋の中を小さな爪がかき回す。
熱を帯び気化した体は、何処までも軽く、伸びやかに。拡張された脳機能は背後で動く蠅の羽ばたきするら数えることが可能なほどに。
闘技場での戦闘を経てさらに強化されたのか、単なる四肢の生み出す運動は破壊力この上なく、あなたの周りに屍の山を築き上げる。
魚の腸の臭い漂うここは、地下迷宮の深淵水院。螺旋に掘られた天井と、山と積まれたガラクタの頂上。逃げずに向かってきた最後の一匹の頭蓋を貝殻の王冠ごと握り砕き、あなたは火照った息を水面に落とした。
ようやく静寂が訪れた。実に二十四時間ぶりの安息に体を緩め、肩の鱗に付いた腸を払う。僅かな篝火の明かりが水面に映すあなたの姿は、人とも竜とも言い難い。かつては左手のみに留まっていた黒鱗の侵食が首から下の殆んどを覆い、黒い髪は長く伸び、髪に隠れた額から僅かに黄色が混じった角が尖った顔を覗かせている。
せめてもの救いは骨格が人のそれであるという点か。だが、尻の上あたりから生える身長と等しい長さの尾はどうあがいても隠せるものではない。
石造りの玉座に背を預ける。何処からか流れ着いたガラクタの山に積もる死体たちは、魚人と呼ばれる外なる神を崇める異貌のものの一集団だった。
この戦闘は不幸な偶然である。とはいえ、彼らの生息域に土足で踏み込んだのはあなたであり、人ならざる言葉と敵意に脅威を覚え、安易に交戦に入ってしまったのも、殺しを行うにはつまらない理由であると言えた。
むろん、彼らとて知性をもつ生命体だ。殺戮に抵抗を感じないと言えば嘘だが、しかし人を殺すよりも二足歩行する魚を殺す方が、―――そのように考えられる相手を殺す方が気が楽なのは本当だ。
気が楽、と殺しに対する自らの感想を振り返る。いよいよ思考の程度が下がってきていると認識せざるを得ない。
一線は闘技場での無差別殺戮だ。あなたの意思を外れていた出来事であっても、人間のあまりの脆弱さ悟ったのはあの時なのだと思う。あの弱肉強食を体現した殺戮こそが、命を軽んずる要因だ。
法により純粋暴力の弱肉強食が否定された社会に属しているならば、仮に殺意をいだいたところで相手を実際に殺すところまではいかない。たとえそれが人でなくても、まず人型の何かを殺害しようという気分になる方がおかしい。もともとの倫理観からして本来もっと忌避感を憶えていいはずなのだ。そのような気ままな殺人を許容してしまえば秩序が崩壊するため、法を以てこれは禁じられ、あなたはその契約に無意識に同意し従っていたのだから。
だが、ここ数週間であなたの人間性も限界を迎え始めたと見える。
しかし人の命を軽んじてしまえば、あなたはあの研究員達と何ら変わることがない存在に堕することになる。
それだけは、なんとしても嫌だった。
けれども、あまりに殺し過ぎた。ここからどこに戻ればいいのか皆目見当もつかない。
とにかく目を閉じて全身の筋肉を緩める。先ほどまでの運動で火照った体には、石造りの玉座はひどく冷える。
……少し気分を切り替えて前向きなことを考えてみるのがいいだろう。
まず他人の思考が流れ込んでこないのがよい。人が碌に寄り付かない地下迷宮の特性であり、今のあなたにはありがたい。
とりあえず、一応のところ脳を騒がす他人の感情やら思考やらは片が付いた。となると目下の問題はあの謎の男だ。白皮のヘヴォルムなどと奇妙な名を名乗っていたが、しかし戦闘能力は段違いの化物である。そんな超越的な存在があなたを狙っている。ともに社会の枠を外れてしまった化物同士の戦いだ。警察や軍隊による保護はありえない。あとは単に強いものが勝ち、弱いものが食われるだけのことだろう。そして問題はヘヴォルムがあなたよりも強いということにある。
ヘヴォルムと比較するために、目を閉じてあなたは牛頭と馬頭の姿を思い浮かべる。
比べるのも馬鹿馬鹿しい。二者の暴力には格差があった。
それでも何か突破口となる工夫があるはずだ。人間は身体能力においては弱者だが、道具の力でそれを何倍にも増幅する。
道具、そういえば牛頭の持つ斧。あれは鋼の刃すら跳ね返すあなたの鱗を突破してきた。
武器というの重要だ。
じっさい牛頭との戦闘でも武器があればあの斧を防御し、一息に懐へ飛び込むこともできていた。そうして個別に撃破できていたならばあの二人は敵ではない。あなた自身も手傷を負うかもしれないが、しかし稼いだ0.1秒の時間で確実に仕留めてのけるだけの速度差がある。彼らの厄介な点はあの連携と、それからあなた自身が正面から戦闘を展開できない点にこそあったのだ。
同時に、あの牛頭が使うような斧があれば、ヘヴォルムの防御を破り致命傷を与えられたかもしれない。
そうとも。今逃げているが必ず反撃して見せる。わざわざあなたを追って現れたヘヴォルムの戦闘能力を鑑みれば、あなたが辿ってきた逃走経路程度を追跡できない道理がない。
だから、戦いは必然、そして必勝でなければならない。だから、そのためには武器が必要だ。ヘヴォルムの体を貫ける強靭な武器が。
「……、」
このガラクタの山にもなにかそれに類するものがあればよいのだが、なければ魚人手製の武器を使うしかないだろう。とはいえ、貝殻や動物の骨を素材としたそれらでは、とても今のあなたの怪力に耐えうるとは思えない。
狙いは金属製で、造りが簡素であり出来れば前衛が使うような魔杖剣が必要である。アストラシモのところで過ごした一週間弱の記憶によれば、あなたに適した武器はガナサイト重咒合金という強度と重量に優れた素材のものだ。
しばしの間とはいえ、あなたは追われていることを忘れてガラクタの山を漁ることにした。
ゴミ、ゴミ、ゴミ。ゴミクズの三連星。採取できる限界まで足掻いても、ガナサイト重咒合金はおろか人間の使う普通の魔杖剣も見当たらない。
結局、手に入れた武器はあなたが先ほどくさした魚人の武器ばかりであった。残念ながら、現実には都合のいいパワーアップアイテムなど存在しないようだ。
いやいや、おかしい。
それなりに頭がいい魚人のことだ。いくら何でも咒式士の死骸から集めた魔杖剣程度は残されているはずである。あの糞じじいと同程度のことはしているはずだが、
「いや、あれだ。あれか。個人識別装置か」
あなたが最初に頼った人物が魔杖剣を集めて転売する人間だったから、あなたにも僅かな知識はある。
極端な例を上げるならば咒式を使えない頑丈な魔杖剣と、咒式の使えるヒノキの棒だ。
あなたでも後者を選ぶ。だって後者は鉄砲でしょう?日本刀とショットガンのどちらかを選んでで戦うよう要求されたときに、わざわざ日本刀を選ぶ馬鹿はいない。
魔杖剣の個人識別システムを突破できない魚人にとって、人間の魔杖剣など大きな包丁と変わりないのだ。でかい包丁など使いにくいだけの代物で、なおさら集める価値はない。
だがそれとは別に、そもそも咒式発動の補助機能はまったく必要としないあなたにとって、頑丈な金属製の武器を持てないのは大きな不利となる。
まあ、ないのであれば仕方がない。
仕方がないから、魚人の死体から集めた武器を並べることにした。斧が三つ、鎚が五つ、短剣が十五に、長剣が八つ、槍が十一本。
数だけは十分だが、持つだけでそれほど有用ではないと分かる。とにかく軽すぎるのだ。
生粋の現代っ子だったあなたには武器を扱った経験はない。しかし長いものに威力をもとめるのならば相応の重さが必要なことは、打棒を振っていれば分かることである。いくらメジャーリーガーでもプラスチックの子供用打棒でホームランを打つことはできない。
同様に、魚人手製の武器は、今のあなたにとって幼児向けのプラスチックの打棒に等しい。
試しに貝殻の戦鎚を振りかぶり、石の玉座を叩く。
二度目の落胆があなたを襲った。
重量が足りないせいで狙いがぶれ、打撃の衝撃に耐えられなかった鎚は玉座の背もたれを砕きながらも、握った柄の部分だけ残し五つに砕け散る。
軽すぎて、脆すぎる。悲しいくらいに貧弱な武器だ。
しかし、ないものは仕方ない。この先でよいものが拾えるとも限らない。ならば壊れても替えの利くだけの数が揃っているこの部屋で奴を迎え撃つのも一つの手といえる。少なくとも、あなたの鉤爪に刃先の引っ掛かる刀剣類に遠心力を載せれば、あなたの体術よりはまだマシな程度にヘヴォルムを負傷されることが出来ると思う。
それにしても虚しい。
施設での悲しみも苦しみ決意も、……激情は遠い記憶となって薄れていく。今は無意味に人を殺してしまった苦しさで胸が破裂しそうだ。
さりとて自ら幕を閉じる度胸などない。いいや、こんなものは下らない感傷だ。思考や言葉など戦場に立てば消えてなくなる。
決意も真意も覚悟も、すべては実践を通してしかその程度を理解することはできない。ならばこの感傷も実戦という天秤に載せるほかないのだ。
闘争に次ぐ闘争、あなたの世界に残されたのはそれだけだ。
「それだけなのだ」
それだけなのだ。とあなたは激情のままに水面を叩いた。闘争に次ぐ闘争。弱ければ死に強ければ生きる。全ての虚飾を剥ぎ取った真理に到達したはずなのに、なぜ!
「断末魔はこんなにもやかましいのだ……?」
なぜ、魚人達の悲鳴は胸の穴から覗く黒い、どろりとした得体のしれない代物をここまで脆弱にさせるのだろう。
一体なぜ。
この、先ほどからの声を無視できないのだ。
「この……、」
声のする方に。頑なに無視を決め込んでいたガラクタの山の一か所に向かう。
鉄の首輪で老に繋がれ、両手両足を切断、舌も引き抜かれ……およそ、人間の尊厳を奪われた幼女でさえ弱肉強食の必然ゆえに助ける必要などないと、割り切れないこの胸の狂乱はなんだ。
幼女を捉える檻を引き千切る。
自分の問題はとりあえず後回しだ。幸い自分には人の心が読み取れる。その能力を使えば孤児院なり病院なりを探すのは難しいことではないだろう。
みりみり、と奥歯の底が音を立てる。