殺し過ぎた。少し呼吸が乱れている。だが、頭は濃縮したコーヒーを飲んだみたいにスッキリしているし、以前は手強いと感じた大鬼でさえ今のあなたならダース単位で叩き潰せた。
吸う吸う吸う、吐く吐く吐く。
吸う吸う吸う、吐く吐く吐く。
しゅうしゅう、と歯の隙間から漏れ出る蒸気はしかし人間のものとは思えない。
吐くタイミングと吸うタイミングに合わせてあなたの足が音を殺して静かに動く。
どこまで行っても同じ風景が続いている。壁にこびりついた苔の僅かな光と足元に不規則に置かれた水溜まりに、水滴が跳ねてあなたの心臓を脅かす。足を踏み出すたびに首筋の毛が逆立つような音を立てて、何か得体のしれない這いずるもの、飛ぶもの、四足のものがあなたの体を包み込むように避けていく。転生前なら一歩だって前に進む気にはならなかっただろう。転生後だって一人ならばあの大きな水溜まりに留まってヘヴォルムを迎え撃ったに違いない。けれども今背中にある小さな命の重さがあなたの足を前へと進ませる。否応なしに、という状況だが存外これが嫌でもない。僅かな地形の傾きから一歩ずつ、地上へとあなたは向かっていた。
そういうわけで、少しだけヘヴォルムのことを脳の外に追いやっていたあなたは、やはり肝心なことを忘れていたようだ。
「おい、今どこにいるん?」
ヒルズの声が聞こえた。幻聴ではまさかないろう。けれども読心能力を避けて一体どうやって?よしんば超能力じみた読心能力を防いだとしても、あなたの五感は今現在恐ろしく鋭敏である。なんなら音の反響から、建物の構造を読み取ることだって可能だろう。
「誰だ?」
だから、やはりこういう場合はまず敵の罠だとあなたは考える。声を出して、帰ってくる音の反射で周囲の様子を探り、敵の投射攻撃に対する面積を減らすために避けるために四足獣のように低く構えを取る。とにかく心を乱したらそれで終わりだ。心が乱れ、呼吸が乱れれば戦場で生き残ることは難しい。乱れた息をドラッケン族流の四拍呼吸に戻し、再び音と臭いで周囲に感覚を伸ばす。それでも人間大の反応はない。
「だから、うちや。ヒルズさんや」
聞こえてくるそっくりな声に若干呆れの色が見える。敵も中々に演技派だ。
「いや、だーかーらー。変装ついでに通信機能を付けたピアスを右耳に付けといただけやで。極端な肉体変化に巻き込まれて使えなくなっている可能性もあったがどうやら無事みたいやな」
「……ほんと?」
「……ほんまやで」
耳を探る音が通信機越しの聞こえたのか微かな笑い声が、あった。長く変化した耳にシンプルな十字架を模したイヤリングが付いている。これは恥ずかしい。
「あった」
「な?あったやろ?」
「うん。それで……」
会話の滞空時間が続く。誰かが白い球をキャッチして投げ返さないといけない。
「ああ、その」
なんだ?なんて言えばいいんだ。女の人と話すのは難しいとあなたは思う。まず何が好きか分からない。うんこうんこちんちんおっぱいで話が通じる人種ではないのだ。とりあえず全人類から愛されいてるであろう哺乳類。四足歩行の生命体、通称「猫」の話題から始めるのが穏当な返球だろうと推測、口を開く。
「猫は人の気持ちが分かるって話を信じているか?」
やはり馬鹿馬鹿しい。数秒の困惑の後に、何や藪から棒にという囁きが聞こえた。それから少しだけ棘が付いた速球があなたの耳を叩く。
「まず、逃げたわけを説明せいや。話はそれからや」
それは本当に同意する。自分がヒルズだったらあの場面で逃げ出す理由が思いつかないからだ。
「そうだな。そう、なんというか、こういう話をすると奇妙だと思われるかもしれない、……だからまず猫の話をさせてくれないか?」
「なんか関係あるんか?」
「ある」
と断言しないと話が進まない気がする。はぁという通信機越しのため息がつらい。
「猫ってのは不思議な生き物だよな。……これは本で読んだんだけど、あるボックルクラブの道具部屋に野良猫が迷い込むようになったんだ。白と黒の毛皮の奴で、顔の半分が白でもう半分が黒だ」
「ほーん、で名前とかつけたん?」
「そうだな、陰陽図に似ていたからレイムとか候補にあがったんだけど、まあ最終的にはセイメイって名前になったんだ。なんでも……ヒナギでは高名な咒式士の名前だそうだ」
「で、?」
「そのセイメイが賢いやつでね。普段はこちらに寄り付きもしないくせに、缶詰とかを持ってきた日には開封よりも早くこっちに駆け寄ってくるんだ。それで、飯を食べた日だけは練習中に失くしてしまったボールを三個だけ探しだして持ってきてくれる」
「はあ?それは猫じゃなくて犬とちゃうんか?」
「俺もそう思う。けどセイメイは猫だった。犬みたいな猫だった。セイメイは犬みたいな猫だけど、俺は人間みたいななにかだ」
「なにかって竜か?じゃあ、うちは猿みたいな人間やなぁ」
「そうかもしれない。違うかも……、猫ってのはとにかく人間の心が読めるってことは納得してもらえたと思う。納得してもらえなくても、とりあえず読めるものだと理解して欲しい」
明らかな無言。言葉を思いつかないのではなくかける言葉が幾つもあるが、赤子に何を聞かせても無駄だと知っているからなにも語らない拒絶の沈黙がイヤリングを通して分る。だが続けなければならない。
「猫ってのは人間の心が読める。じゃあなんだ、竜ってのは人間の心が読めるのか?つまり、今の俺は人だか猫だか竜だか分からない状態なんだ」
なるほどと小さく、強いヒルヅの声が三回続いた。
「それはうちには分からんなぁ。そもそも本当のことかも分からんし」
「嘘みたいだろ?でもほんとなんだ。対象もなにも選べないし、テレビの電源を切るみたいにオフにすることも出来ない」
なるほど、四度とヒルズが頷く。なるほどだって?やはりなにも解決しない。喉から出たがってる猛りを深呼吸して回転弾倉に再装填、引き金を引きっぱなしにして撃鉄を左手の腹で起こす。
「で、今はうちの心は読めるんか?」
ん?だとかあれ?だとか想像しうる限りの間抜けな音をあなたの喉が鳴らした。そういえば通話の最中にヒルズの心は読めなかった。
「ほんなら、一応有効範囲があるということは分かった」
「そうか。確かに遠距離から通信で会話する分には問題ないのか」
「まあ、範囲がどの程度のものかは分からんけど、そいでこれからどうする。合流地点は?」
ヒルヅの口にした言葉は何処か予想通りであり、あなたが目を背けていた事でもあった。一応、もう一度訪ねる。聞き間違えだったら、お互いに面倒だろう
「合流?」
「まあ、確かに暫く地上に出るのは避けた方がええな。人の心を操るとまでは行かなくても読むことさえ禁忌の力や。けどまあ幾つか対策はある」
「いやいや待て待て。心を読まれることが怖くないのか?」
「怖い。だけどあんたは必要や。ベギンレイム根絶のための戦力としてな」
「根絶か。修行中も聞いたけど、そこまで恐るべき組織なのか?背後に国が関わっているわけでもあるまいに」
「国は分からん。けど企業は明らかに関わっている。多国籍企業やな。企業は強いで。何せ武力が買える時代や。そんなん金が多い方が強いに決まっとる」
「そんな組織を相手に戦うってのか?」
「戦う。そして滅ぼす。奴らが存在したことを歴史上から抹消して見せる」
「なんで?理由は!?」
ヒルヅの決意が分からない。あなたにあるのは精々ジネブラをぶっ殺す程度の意思でしかない。それすらも今となっては危ういものだ。
「敵討ちや。あんたはそのためのピースの一欠片ってとこやな。うちは長命竜級の武力、それが欲しいんや。なんとしても。それに……就職先も必要かと思うてる」
就職先、頭蓋骨の中で火花が散った。高校生をやっていた頃に聞いたときはどこか他人のような響きだったが今ならすんなりと受け入れられそうだ。地上に出るなら金を稼がなければ生きていけない。
「そうだな。合流地点は、詳しい名前とかはよく分からないけれども最初に逃げ込んだ空間がいいと思う。魚人がたくさんいて、天井に逆螺旋の石塔が掘らている広場だ」
言って、こんな雑な説明で分るかと自分で思う。だがあの場所しかあなたは目立つ場所を知らない。とはいえど、入り組んだ地下迷宮の通路でお互いの位置を探り合うよりもマシだろうとの考えである。どうでもいいがこの耳飾り型通信機にはGPSとかそれに類する機能ははついていないのだろうか。
「ほーん。ま、だいたい分かったわ。魚人団に占拠されて討伐依頼の出ていた場所やな。ほな、」
ぶ、と音を立てて通話は切れた。分かったらしい。分かったならそれでいい。虚ろな目のままあなたは正面の闇に踵を返した
……そういえば、自分はまた肝心なことを伝え忘れていた。背中に背負った四肢のない幼女、これこそがまず第一に解決すべき問題だというのに。
あるいは彼女の事情。
兄様、にいさま兄さま。一体どこにおられるのですか兄様。一向に姿が見えません。お仕事が忙しいのは分かります。でも、またあの桃園で琴の音を訊いてくださいな。私が弾き、兄様が舞う。それが二人の幸せではありませんか。一体、今どこにいるのでしょうか。ルイリーは今、兄様を想って新しい曲の練習に取り掛かっています。
ああ、早くお会いしたい。
あと6話くらいで多分終わります。やる気があったら吸血鬼の地下帝国に流れ着いたルート及び二部とかも書きます。フューチャーウォーカーをもっと早く読みたかった。