蛍の明かりを宿す屠竜刀が死体を照らしていた。壁際に打ち捨てられ、胴体を上下に分断された死体は未だに辛うじて原型を保っていた。骸に群がる迷宮の小動物が光を避けおぞましい足音を立てて散っていく。
手に残る水掻きと、体表の鱗からして残骸は魚人だった。
魚人の死体を皮切りに、迷宮の一区画に踏み込むと生臭い風が顔に当たる。歩みを進めると臭いはさらに濃さを増し、混沌とした景色が目に沁みるようだった。
前を歩くリュオウ、後ろを歩くタオロー。真ん中を歩くジネブラ。三人に会話はない。臨戦態勢で会話が多いほうがどうかしているのだが、それ以外にも理由がある。
「エリダナの地下迷宮には始めてきたが、」
体内通信を介しての喋り出しに、自分でももうすこしマシな話題はなかったのかと、もうすでに後悔し始めていた。変わり映えしない迷宮の風景に緩みそうな気を隠すため、タオローは言葉を繋ぐ。体内通信でのやり取りを提案したのはジネブラだっ。曰く、即興のチームで連携を行うには都合がいいからとのことである。
それはともかく。
「天海の貧民区よりもひどい匂いだ」
「だろうな。都市の地下だ。嫌でも臭う」
「だろうなと。ふむ、いやエリダナの地下迷宮はいつもこんな様子なのか」
タオローの言うこんな様子、とは迷宮にすむ異貌のものをまとめてミキサーにかけたぶちまけたという意味だ。事実、肉色と血と糞の混ざった地下迷宮は巨大な生物の腸へ変貌を遂げていた。先ほど見た魚人のほかに、大きなもの、人間大のもの、鱗のあるもの。角をもつもの、破壊される前の姿がよく分からないもの、そういった迷宮の生物たちの残骸が通路を埋め尽くしている。
周囲を眺める内に誰ともなく脚を止め、三人はその場に立ち尽くしていた。
「たまらぬな、これは」
不意にリュオウが疲弊した声を零した。戦場慣れしたドラッケン族の剣士が参るほどの惨状は、迷宮でも珍しいということなのだろう。タオローの知る限りこの手の残酷な殺し方をするのは、知性のある生き物だけだ。
「少し、咒式を解除して休憩しよう」
「賛成」
他の返事を待たずに、ジネブラは咒式で生み出した鋼の長椅子の中央に腰を下ろした。
「時間は、この椅子が消えるまでで」
「貴様にしてはいい提案だ」
鋼の長椅子が左端のリュオウに抗議の悲鳴を上げた。
強靭な咒式士の肉体といえども、常に集中力を維持できるわけではない。こんな危険地帯のただ中にあっては、目に見えぬ消耗が体を毒すことになる。特に、追跡咒式を使い続けたリュオウの損耗は想像以上のものだろう。要はストレスの問題だ。犬並みの嗅覚で下水の臭いを三時間も嗅ぐのは拷問に等しい行為にすぎる。
過酷な仕事だからこそ休憩は大事だ。煙草を箱の尻から取り出し、リュオウはナイフの柄尻で火をつけた。咥えてから、誰かに説明するかのように、リュオウは嗅覚の初期化だと口にした。
「いきなりどうした?」
「言い訳だ。実家では妹がうるさくてな。癖になっていた。煙草は体に良くないからやめろと言われる。だが精神衛生にはたまらぬ代物だ」
「一つ貰えるか?」
「いいだろう」
リュオウの白く長い指が火のついた煙草を弾く。宙を回転する橙色の反対側をタオローが唇で捕獲する。
「ナイスキャッチ、」
ジネブラは眉一つ動かさぬ賛辞を告げ、
「じゃあ、私は自前ので。その煙草は珍しいものだけど不味いし」
「不味い方が止めやすい。心を落ち着けるために吸っているだけだ」
「~のためにって、それ依存症患者の典型ね」
短剣に宿る電熱でジネブラの煙草に火が灯る。
「で、先ほどの続きだが……糞塗れということか?いや、こんなことは始めてだ。私も半年ほど潜っていたがこんな惨状の経験はない。まるで先日の闘技場だ。単に戦闘の痕跡にしては死体の破壊が徹底し過ぎている。行為者は確固たる信念もってをやっているとしか思えない。いただろう、捕虜の首を斬り落とさなければ気が済まなかった豪傑だ」
「あー、ダラハイト系列の。あなたの家系じゃ普通なんでは。というか結論からいうと、分からない?」
ジネブラの問いにリュオウは紫煙を吐き出した。
「分からぬ。ジネブラの指摘する通りだ。不愉快ではあるが。それから、文化的な風習と個人の偏執を一緒くたにされるのは不愉快だ」
「それは大変申し訳なく、」
煙の向こうにジネブラが隠れる。鼻を鳴らし、とにかく、とリュオウは繋いだ。
「死体が滅茶苦茶だ。傷跡からして武器による傷ではあるまいし、となると大鬼に犬鬼、魚人三種が戦争をしたわけでもなさそうだ。彼らはただ一人に殺されたと考えられる。……さて、そんな場所で嗅覚拡張咒式を使っている私の内心を想像せよ」
リュオウの問いかけにタオローは空気を吸い込み、ジネブラは吐き出す。女の顔に楽し気に歪む。
「服に染みついた少年の体臭に救いを覚え、性的倒錯者になってしまいそうである」
「貴様はその腐った性癖と共に死ぬがよい」
顔を背けるリュオウに、満足げにジネブラは乾いた笑い声を上げた。タオローはこめかみを右手で揉み壁の染みを見つめた。
「そういえば、地下闘技場もこんな惨状だったんでしょ?」
「その通りだが、あれは化学珪成系咒式による仕業だった」
「いや、ジネブラは件の長命竜の仕業であることを指摘したいのでは?」
「かもしれぬ。微かだがヘヴォルムの咒力波長も感じられる。だが」
屠竜刀が指し示すのは首を千切られ、腰から引き千切られ、右胸を大きく抉られた大鬼の死体だった。
「ヘヴォルムは長命竜だ。長命竜というのは武術にもそれなりに長けている。死体に残る傷は見事なものだ。鉈でも振り回して断ち切ったような凄味がある。だが、ダメージ効率も悪い。急所の狙い方がなっていない。以上のことから、ドラッケン族の資料に残る竜の攻撃痕とは一致しない。一致するのはむしろ、闘技場、そして研究所だ」
「では、あなた達が見たという闘技場の殺戮は、長命竜によるものではないと?」
「情報が少なすぎて何とも言えぬ。が、ヘヴォルムが咒式で偽装した可能性は低くない。ただし、その場合は標的の殺害という目標が嘘になる。あるいは別の条件付けがあると考えられる」
意見を吐き出したドラッケン族は煙草を口に運び、深く吸って吐き出した。
「なるほど」
タオローも後悔の煙を吐く。あの場ですぐに珪成系咒式の発生時間と血液の酸化度合を比較すれば、見えてくるものもあっただろうに。
三人を再び沈黙が支配した。絡み合う紫煙のように状況は揺れていた。
長命竜による殺戮の偽装。これが何を意味するものなのか。
とりあえず、それは長命竜の立場に立って見ないと分からない。
まず竜が人を人の領域で殺すことを賢龍派(ヴァイゼン)と人類が結んだティエンルン条約は禁じている。白皮のヘヴォルムは黒龍派なのでティエンルン条約を守る意味はないが、人間の街で竜が暴れれば討伐されるのは必然だ。ましてそれが、人類の敵対勢力たる黒龍派であれば生きて帰れる道理はない。だが、白皮のヘヴォルムは未だにその正体を知られてはいない。だから彼自身が討伐される可能性は非常に低いのだ。
一方でヘヴォルムの目的は資料における実験体007号を殺すことである。仮に007号が殺人罪で逮捕されて死刑になったとしてもそれで目的は達成出来るのではないか。
リュオウの指摘の通り。目的と手段は微妙に乖離しているように思えた。ここに何か問題がある気がする。
あるいは、単に殺すことが目的ではない場合ーーーー。考えられるのは、ヘヴォルムが自らの手で殺すことに意味があるということだ。
「さて、話は終わりだ。敵だ。風上にいるな。こちらには気が付いていない」
体内通信で伝えられたそれは、表情が見えないにも関わらず容易にドラッケン族の貌を想像させた。闘争への喜悦だ。数は?と体内通信で問う。
「正確には分からぬ。が、数は多い」二十は超えている。臭いからして犬鬼だろう。
強敵相手にリスクは取りたくないというジネブラからの通信が横合いから入った。
「いや、不慣れな地理で回り道をすると余計に手間を食うことになる。試行錯誤をしている暇はない。突破する」
直前まで誰も鞘から魔杖剣を抜かない。抜刀して暗闇に刀身を晒せば、僅かな反射光から居場所を悟られることになると、三人とも心得ているからだった。
「ではジネブラが、まず貫通力の高い咒式で敵の戦列を崩せ。次いで私が斬り込む。タオローはどうだ?」
「敵には遠距離咒式の使い手もいるか?」
「いる。犬鬼は知能が高い。前衛後衛の戦術を使い分けるぞ。とくに毒ガスは厄介だ」
「なら、背後に回って咒式を紡ぐ輩を倒すとしよう」
「背後に回る?分かった。そのあとは撹乱に徹しろ。ジネブラは私のと共に正面から行くぞ」
「了解、と」
約一〇〇メルトル先でリュオウの手から放たれた封咒榴弾が閃光を放った。マグネシウムの還元反応が放つ白光の中に犬の頭を持つ人とも獣ともつかない生き物が群れいる。
還元反応の閃光を知覚眼鏡で遮断し、密集状況を確認。
化学鋼成
混乱する敵集団の中央をタングステンカーバイドの高速徹甲弾が直線で貫いた。主力戦車の主砲を止める肉などこの世に存在しない。タングステンカーバイド性の高速徹甲弾は射線上に立っていた三匹を引き裂きその破壊力を証明する。
突然の轟音と仲間の死がその一方で混乱の最中にあっても冷静に敵の方向を見据え、反撃の隙を伺うものもいる。総じて体格に優れ、群れの主戦力となるその数が約七匹。
その七匹の中、ジネブラに向けて疾走を開始する三匹に向けて仮想力場の方向を指示。リュオウの屠竜刀が放つ光と屍喰いの松明を頼りに、左の魔杖剣で咒力を変換。三重発動した鋼槍を射出する。
風が吼え猛った。
投網のように放たれた合計二十の鋼槍を避けるそぶりもみせず、最小の被弾で潜り抜けた犬鬼の精鋭は胴体を貫かれてなお反撃の疾走をやめなかった。最小限の防御で急所を守り、加速の勢いで行動の妨げになる鋼槍を貫通させるままにして、体内に残す愚を犯さない。
エリダナの異貌のものどもは耐久力と判断力が異常に過ぎる。
「追撃は任せろ」
犬鬼が疾風ならば、それは雷光と呼ぶに値する。
故に言葉は刃に遅れて到達した。振り抜かれる鋼の竜巻。上半身が弾きとばされ、対戦車砲並みの射撃に耐えた骨格が瞬時に死滅する。
血風をまとった戦士の眼は既に先を見据えていた。傾く重心を体勢の変化に使い、四足歩行の疾走姿勢から肩に担いだ屠竜刀に最突撃に備えて長大な柄が連結され、伸長される。ジネブラが戦場で幾度となく見たドラッケン族の屠竜刀、そこに盾があれば盾を割り、剣が防げば剣を裂く破壊の翼の、その真の姿の顕現だった。
「助かった。剣舞士の名は伊達じゃないわね」
「ここの屍喰いたちは無駄に耐久力が高いようだな。どの咒式を使うかは貴様次第だ」
それ以上の会話を捨て、戦士は疾走を開始した。キチン質の生体甲冑がリュオウの背を影のように追いすがり、二歩の内にドラッケン族を一回りも肥大させる。
「いざギダデラの闘争を始めよう。首狩りの刃を交わそう。貴様らの肩から上を虚無で飾ってやろう!」
白亜の生体甲冑をまとう戦士はすれ違いざまに犬鬼を輪切りに変え、瞬く間に突出した七匹を切り捨てて敵陣に到達した。長槍形態の屠竜刀が一閃され、防御の剣ごと両断。斬撃の威力は通常の優に二倍は下らない。今のリュオウならば、主力戦車の正面装甲でさえやすやすと叩き切ってのけるだろう。
リュオウの剣舞を目の端に捉えつつ、天井を先行するタオローは鳥ならぬ蝙蝠の視点から敵の戦力を把握していた。同時に爆裂咒式を使わないようジネブラに打電。
さて、敵の流れを観ると奇襲をかけられた犬鬼の目はとりあえずの脅威であるリュオウと、ジネブラに集中していることが分かる。敵に対して強力な攻撃手段を持った前衛と後衛はともに戦場で目立つ存在だ。
そしてこの両者が目立てば目立つほど、影たるタオローもまたその本領を発揮する。
足場を蹴る音も、調息の臭いもなく、はためく長套は一切の光を吸収する黒鴉の羽となって、タオローは地下迷宮を飛翔した。
超一流の暗殺者の隠密行動を、派手な前衛と後衛に気を取られた犬鬼が気が付くはずもない。天井を足場としたタオローは、宙転滑空の姿勢のまま十条の刺突を走らせる。闇に紛れて振るうのでなければ、超神速の刺突は残影が連なって一凪の斬撃に見えたであろう。
死角から降り注ぐ剣の雨は、密かに後方で咒式を紡ぐ五匹の脳幹を貫き即死させた。仲間の死に気が付いた犬鬼はいない。影に呑まれるように一人また一人と犬鬼の姿が消えていく。
リュオウが突撃して戦列を崩し、タオローは姿を消して背後から敵を討つ。ついでに体内通信で爆裂咒式を使うなと文句が入る。
いいだろう。
先ほどの失敗から化学鋼成系第一階位「矛槍射」ではなく、同系統同階位の「
「いい火力だ!」
最高にハイとなったリュオウの通信に頬を緩め、再度の射撃。リュオウの横合いから斬りかかろうとした二匹が胴体に風穴を空けて吹き飛んでいく。
ジネブラの選択した鉛茸矛槍射は閉所での制圧戦で使われる咒式だった。
生物に対する殺傷能力という観点から考えると先端を丸め擂鉢のように凹ませた鉛の槍は、弾頭の形状と硬度の差から鋼の槍に比べて貫通力は低下するが、着弾の衝撃で先端が潰れるため接触面積は増加する。つまり皮を裂き、肉で潰れ、骨格で砕けて飛散する鉛の先端は矛槍射のように貫通孔を空けるのではなく、運動エネルギーのほとんどを標的の体内で使い切り、命中箇所を破裂させる重傷を負わせる。胴体を貫かれてなお戦闘を続行するほど頑強な生物であっても、連続するの衝撃に内臓を掻きまわされれば、純粋な生理反応として苦悶の内に崩れ落ちる他ない。
また誤射防止の観点から考えると鋼の槍の場合は貫通して背後から斬り込んだタオローに命中する危険性があるが、相手の体内で潰れる鉛の穂先の場合はその可能性も低くなる。こんな近距離での戦闘だ。爆裂はもとより貫通も味方への誤射を避けねばならない。
屠竜刀が猛る。魔杖刀が舞う。灰色の槍が無数の肉食魚と化し、標的の肉体に無残な傷跡を残す。
ものの二分で三十匹の屍喰いが壊滅状態に陥っていた。ぶちまけられた血と肉の絨毯を尻目に、残された数匹はなお逃げるでもなく向かってくる。
袈裟懸けの巨刃と同時に、視界が暗転した。初めにヘヴォルムが感覚を共有していた六匹のうち、最後の一匹が死んだのだ。残るは五匹、だが5秒と持つまい。
壁一面に巨人と竜の戯画が彫り込まれた玄室の中央で、ヘヴォルムは東方でいうところの結跏趺坐を解いた。
剣士。暗殺者。それから錬金術師。
連携に不確かな点はあるものの、飛び抜けた個々の技量が補い合ってそれを弱点と感じさせない。数だけは多い人族の咒い師にしては稀な戦闘力には、同じようにただ数が多いだけの異貌のものどもでは相手にならないだろう。
あるいは彼らは、万全の状態で向かい合うならば長命竜たる自分の命をも脅かす存在かもしれない。
ただそれだけだ。彼らが自分と同じ程度に手強ければ、数をぶつけて消耗させてやればいい。所詮は人族の咒い師、咒弾が尽きれば恐るるにたりない。軍隊と違って弾種の統一もされていない彼らは、消耗戦に極端に弱いという性質がある。まして、急増の連携だ。戦闘回数が増えるほどにミスの確率も跳ね上がる。
白皮の竜は、紫色の瞳で邪悪にほくそ笑んだ。これから行う遊びが楽しくて仕方がないと心から笑っていた。たかだか
盤上の駒を弾く容易さで竜は次の一手を指す。いまだ盤面はチェルスであれば、中盤に差し掛かったあたりであり、ようやくヘヴォルムの最初の罠が功を奏したところである。
だが、敵の意外な善戦に興が乗った。彼自身が少し遊んでみるのもいいだろう。
いくら危機感を脳内で煽ってみても彼にしてみれば、これは遊戯の域を出ないものだ。長い長い寿命の中の一瞬の暇つぶしに過ぎない。
残るは一匹。少しは遊ぶことも必要だと思う。そうでなければ楽しくもなく、楽しくなければやる意味はない。