※この作品はR-18です。

転生先がベギンレイムだった   作:木刀超好き

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人に非ず、竜に非ず、

 楽しい夢を見ている。

 実験の後はたまに差し出される本や、音楽、記憶素子に焼き刻られた映像作品を見て過ごすことが多い。体が動かないからそれくらいしか行動できないのだ。キリエロ、アッティンボル、エイネバー、ジャーズフ……。強く賢い攻性咒式士達の事務所の一員として笑い、戦い、悲しむ。秘められた咒力を見出され、ついには栄誉ある彼らの一員となって最後には勝つ。

 ……もちろんこれは嘘だ。毎日がどんなに苦しくとも英雄はあなたの人生を改善しにはこなかった。あるいはこのようにも考えられる。世界とは実は今自分が捕らえられているような牢獄であり、あなたとは別の誰かがあなたが小説や音楽を与えられるように、白紙とペンを、楽器を与えられて作品を作っているのではないか。

 そうだ、きっとそうに違いない。彼らとて心の中では英雄を求めているのである。英雄が不在であるが故に。

 そうでなければ、ここまで心弾む作品たちを作り出せるはずがないのだ。

 次に目が覚めるときは来なければいいのにと、あなたは目を閉じる。 

 

 低音の合成音に心臓が破裂しそうなほど脈打ちあなたは起床する、代り映えのしない朝。実際のところは朝かどうかなど全く不明だが、目が覚める時刻なのでとりあえず朝とあなたは定義していた。

 残念なことに目が覚めてしまった。

 そうなると次に起こることは簡単だ。まず、ドアが開く。そして爽やかな笑顔を浮かべた男が右手を軽く上げる。

 やあ。おはよう。気分はどうだい、と街角で交わされても違和感のない挨拶が電子音よりも何倍も強くあなたの心臓をうならせた。この男のせいで未だに笑顔というものが信じられない、それはともかく。

 いやなことを思い出している。

 あなたが一ヵ月前にぶち殺したはずの心理学者はにこやかな笑顔であなたに近づき、今日の気分を訊きはじめる。

 答える義務などありはしない。男があなたの部屋に踏み込んだ瞬間、顔面に右拳を突きこむ。今のあなたには人体など水に濡らした障子紙も同然だ。当然の帰結としてろくすっぽ反応も出来ないまま心理学者の頭部は爆散し、退屈な殺戮の始まりを告げる祝砲となるはずだった。

 うわ、とか間抜けな声を上げて鼻を潰された男は上半身をのけ反らせた。未だに無事なとこの頭部に、驚きよりも先にもう一度拳を固めて殴ろうとした。

「下がって、」 

 男と体を入れ替えたあの女の後ろ突き蹴りが、あなたの動きを止めていた。

「このガキ、まだ活きがいいようね」  

 うずくまるあなたの脳を混乱が支配する。竜の鱗が皮膚を覆い最早、長命竜とも殴り合える身体能力からすれば、如何にジネブラ強しと言えど、単なる格闘戦であれば敵ではない。

 想定が外れ、混乱の眼差し向けるあなたの視界上部に靴裏が広がった。あなたはおめき声と共に顔面を地面に打ち付ける破目になっ。何をされたのか、混乱する脳味噌がゆっくりと視界から遠ざかる革靴の踵で頭部を踏みつけられたのだと理解が及んだ。

 事態を理解したが故に混乱に拍車がかかる。こんな馬鹿なことはないあっていいはずがない。音速で格闘可能なあなたの頭部を抵抗も許さずに踏みつけるなど、絶対に不可能だ。

「妄想のし過ぎで壊れちゃったんじゃないのこの子? ほら実験室に移動するときもなにもない空間に向かって頷いたり、話しかけたりしていたでしょう」

「……そういえば、時折記憶が飛んでいるよう観察結果があったような。解離性同一症だろうね」

 心理学者の解説に素っ気なく、そうと返事をして女は再び少年を蹴る。今度は顎だ。顎関節が外れたに違いない。あれは痛い。

 少年は呟き続けていた。口の中が裂け、血泡を漏らしながら何事かを壁に向け発してた。少年の奇行も心理学者にはよくある話でしかなかったし、見慣れた光景だった。

「彼は、あまりにも辛すぎる記憶を表層的な人格が忘れたり、他人の振る舞いであるかのように捉えることで心が壊れることを防いでいるんだろう」

「なるほどねー。」

 ふたたび雑な相槌を打って、攻性咒式士の女がズボンを下ろし始める。流石に気まずいのかこちらにちらりと左目を向け、

「躾よ。トラウマが足りなかったみたい。あなたも手伝いなさいな」

 視界の片隅で男が首を振って拒否を示した。たしかに馬鹿馬鹿しい行為には違いなかった。止めずに見物を続ける心理学者を、いつのまにか背後に立っていた別の攻性咒式士が押し退けてズボンを下ろし始める。

 嫌な夢を見ている。もうずっと嫌な夢を見ている。

 むろん、現実に英雄はいない。もちろん、救済の手は有限だ。救えない人間が出ることは、それは仕方のないことなのだ。

 どこから入り込んだのか一匹の蠅がやかましく室内を行ったり来たりしていた。羽音にいら立ちを憶えたあなたは死ね死ねと呟きながら一晩中、蠅を凝視し続けていた。

 

 嫌な夢を見ていた。久しく忘れていた感情を思い出すには丁度いいくらいだ。

 

「う……ぁ……」 

 鼓膜を揺さぶる干からびた振動が、自らの喉から出たと認識するのに数秒程かかる。普段通りに声が出なかったのはヘヴォルムが右手であなたの首筋を掴み吊り上げていたからだろう。港に揚げられるマグロになった気分だ。四肢は引き千切られて水晶で再生を封じられ、ヘヴォルムの右手から伸びた長剣があなたの心臓から流出した血に刃を黒く染め上げていた。変色具合からして結構な時間が過ぎていたのかもしれない。

「惑わしの剣光は効いただろう」

「それにしても与えられた力を振り回して、竜にでもなったつもりか。身の程を弁えろ」

 ちゃんちゃら可笑しい。そんなこと誰もがやっていることではないか。ならばその竜の怪力はなんだ。膨大な咒力はなんだ。その全てを貴様は自分の力で得たというのか。たかだか親が竜であったというだけではないか。

 背中がやけに寒い。額のあたりに意識が引き寄せられて、とびだそうとする言葉に目が回りそうだ。言えば確実に殺される。しかし言わなくても殺されるのだから、後悔は無意味だ。っていうかこういう後ろ向きのな感情で戦っても勝てないとドラッケン族の格闘指南書にあったので強い言葉を使って前向きになろう。

「ははははははははははっ!!」 

 突如として爆発した嘲笑に、あなたに向けられていたヘヴォルムの表情が怒りを露わにした。     

「はは……。その大層な腕力も咒力も遺伝子由来の癖に。不遇を自分より弱い生き物に向けて猛ることしか出来なかった半端者が」

 ここで一呼吸おく。元来温和な性質のあなたにとって強い態度は横隔膜を著しく緊張させる。一秒も忘れずに続けていた四拍呼吸で横隔膜の位置を下げて。

「その首引き千切って側溝に蹴り転がしてやる!!」

 もちろんあなたは本気だった。嫌な夢を見たおかげでコンディションは最高だ。憎悪に支配された四肢はそれこそ、鼓動が止まるまで徹底的な破壊を嗜好するだろう。それはそれとして、現状では側溝に蹴り転がされるのはどう考えたってあなたの頭に違いない。自分で口にして笑えてくるが、同じ状況で敵が強がったらあなたとて失笑するしかない戯言だ。

 事実、あなたの宣言をヘヴォルムは鼻で笑った。ふん、という音が聖堂の闇を揺らした。

「半端者か。だが、それを決めるのは貴様ではない。他の竜共でもない。私は私の誓約を果たす。それだけのことだ」

 竜の顔が一瞬で悪鬼の形相に変わる。息がつまるほどの殺気の波濤にあなたは目だけは逸らすまいとヘヴォルムを正面から睨み返した。どうにかしてこいつを殺す。恐れなどとうに置き去りに、渦雲のような怒りだけが額に集中している。

「弱者は常に貪られる。私は私の食事の対象などに感情移入するほど愚かではない。私は竜に返る。悲しみに暮れる彷徨の年月はこれで終わりだ」

 首筋を掴むヘヴォルムの五指に力が籠る。感情の波形には一切のブレがなく竜は淡々と殺害を実行するだろう。

 あなたからすればこの竜は羨ましい奴だ。生まれ落ちて英雄となるための素地があり、魂を燃やし尽くすに値すると肯定できているのだ。それに比べて自らはどうだろうか? たかだか人生に退屈した程度の理由で世を捨てただけのつまらない輩ではないか。なんでこの竜の供物になることに不満があるのか。

 竜は視線は、打ち鍛えられ、幾星霜をも超えた名剣のようにあなたの脳を痺れさせる。 

 こいつには勝てないと思った。この白い炎を結晶にしたような鬼気に勝る熱量など、初めからあなたの中には存在していなかったのだ。途中で拾った幼女とて方便に過ぎず、ヒルヅを害された怒りも、自らへの命を奪いかねない敵意も、この竜の意地には到底通じるものではない。

 氷柱のような、あるいは解剖用のメスのような冷気があなたの首を締めあげる。

 さきほどあなたはヘヴォルムを半端者と、罵った。だがそれを言うならば自らこそが半端者だった。

 ヘヴォルムは本物であろうと歩み続けその道を終えようとしている。故に彼は鱗の有無など関係なく、その気高さだけですでに本物の竜だ。

 

 ではベギンレイムの尻尾の……あの実験を肯定するのか? 

 あの組織とヘヴォルムの行為のどこに違いがあるというのだ。

 

 ゴリゴリと耳障りな音がした。気が付けば黒い鱗の竜があなたを頭部から食いちぎり、咀嚼している最中だった。黒い竜の牙に散々砕かれた頭部は黒い竜そのものになって、頭部のない少年のような青年のような死体を眺めていた。 

「肯定する」 

 内なる黒竜の言葉は受け入れがたかった。でもこれは真実なんだなと理屈ではなく、本能で理解した。同時に自分が心の底で何を欲していたか理解してしまう。あなたは、彼らが羨ましかったのだ。他人を踏みつけてでも叶えたい欲望の質量を内在するという事実が、羨ましくて、どうしてもそれが欲しいと真実心の底で乾いていた。

 

 結局のところ人殺しこそが、この世の正義なのだ。共感性などその時々で使い分けられる。他者の痛みが分かろうが目的のためなら無視できる。そんな人殺しが法の世界において正義になりたくば、最強になる他ない。

 その為の力を受け入れた。

 今ある自己など、偶然だ。水で満杯のコップに一滴の墨汁を垂らせばまるで別のなにかに変り果てる。あなたがあなたであることを捨て、求めたものは人ではなく、そう××××を殺せるならば俺は。

 あなたは。

 暗闇に風が捲き、木々が枝を撓らせ、焚火の火が狂おしいほどに猛り躍った。それは滝のように降り、墨汁のように深くあなたの本質を染め上げる。

 

 莫大な演算力によって展開された干渉結界が、再生を封じる四肢の水晶を量子に返す。干渉結界同士が二人の間で相克し合い聖堂の闇に青い火花を散らした。

 量子の火花に照らされた四肢。白い肌に包まれたあなたの手足は再生を終え、常人の千倍の密度に置換された肉体を黒く、金属の輝きを帯びた鱗が覆う。今や四肢ニ十指に生える爪は異様な硬度と質量を帯びてあなたの意思を体現していた。

 

 殺せ。殺せ。生きろ。私は竜の末裔だ。血族の加護がある限り敗北する日は訪れない。

 

 竜の手に力が籠るのを感じた。咒式の根源である脳を破壊しようと、頭頂目がけて遡る刀身を十の指が鷲掴む。手に力を籠めると空間が拉げるような音をたて、十の爪に凌辱されたヘヴォルムの剣は破断の断末魔と共に分解された。

 正真正銘、驚愕の表情を見せるヘヴォルムの、その右腕にあなたの左手の指が食い込んでいた。

 竜の顔が混乱と恥辱と、単純な苦痛に混乱する。有り得ないと、思考を、筋骨を強張らせる。間髪入れずに右腕に絡みつくあなたの左脚に、ヘヴォルムは腕拉ぎ十字固めを予想した。

 三度、空気が爆ぜた。一度目は右の蹴りだった。意表をついて胸板に突き刺さった蹴りの衝撃は長命竜の防御を突き破り、衝撃でヘヴォルムの動作を強制的に停止させた。続く左脚の蹴りは、水平にヘヴォルムの顔面を踏み抜いてその脳を揺さぶり、一瞬だけ思考を停止させる。

 全ての行動選択権を完全に失った白竜に、三度目の蹴りは右側面から襲い掛かった。空中で支えを失くしたあなたは地に着いた手を新たな支点に、コンパスのように体を回転させる。しなやかな右脚は、伸ばした右腕の影からヘヴォルムの右顎を撃ち抜いた。

 三度目の一切の防御行動の外から繰り出された超打撃。直撃部分は肉が抉れ、白い骨が露出する。

 膝をつくヘヴォルムの奥襟を右手で掴み、ビルにも等しいを質量を持ち上げる。 

 いまやヘヴォルムの体は重くも、軽くもない。感覚的には人の体と同じ程度だ。質量操作など用いずとも単純に体術で投げられる。

 空いた左手がヘヴォルムの右手を掴む。

 投げる。

 ヘヴォルムの反撃の左鉤突きが脇腹に突き刺さる。肋骨を貫き肝臓を抉る、それ一つで雌雄を決してもおかしくない打撃を受けながらも、あなた左手は一瞬早くヴォルムの肉を抉りその下に潜む尺骨をを掴みとっていた。 

 一連の攻防にあなたは笑う。痒い、と。

 ヘヴォルムの打撃は普段の半分の威力も出ていない。当たり前だ。左の鎖骨を押さえられた状態では状態で出す左手の打撃技など、手打ちだろう。 

「受けてみろ」

 払い腰。人型の竜巻に巻き込まれ、ヘヴォルムの視界は上下左右の区別を失う。

 轟音というのも馬鹿馬鹿しくなるくらいの大音声が地中を貫通した。時速百キロ近い速度で叩きつけられたヘヴォルムが、深刻なダメージを聖堂の床に刻み跳ね上がる。僅かな時の停滞の後に、二匹の竜の運動量を受け止めきれなかった床が崩壊を始める。いや違うとあなたは足裏の感触から察した。ヘヴォルムは咒式によって咄嗟に床を液状に換え、投げの威力を殺したのだ。とはいえ竜の質量に咒式で液化した床が耐えられるはずもない。その役割を失い破れ目から溢れだした深い闇の匂いが二匹を惹き混んだ。

 穴の底はどれほどの虚無か知れない。

 

 

 古い闇に二人の剣士が戦い生き残った一人が穴の底へと消える。

 カツン、カツン、と聖堂に戦闘用ブーツ特有の、鉄板が地面を打つ小さな音が響いた。

 

 

 耳元で風が叫び続ける。はためく髪が顔に掛かる。先ほどまで手中にあったヘヴォルムの感触が、いつの間にかするりとどこかに消えていた。

 耳元で風が叫び続ける。上空にあいた光の環が、ヘヴォルムを投げた際に出来た穴だと、ようやく認識が追い付く。

 耳元で風が叫び続ける。周囲を落下する礫辺を足場に跳躍、本能的な恐怖から伸ばした手が何かに引っ掛かり、突き立てた五指の爪が重力に抗議の火花を散らす。二秒の間に柱に刻まれた爪痕は、15メルトル。そこからさらに上下に目を向ける。

 聖堂の下は意外なほどの空間が広がっていた。竜の目を持つあなたなら分かる。そこは直径があなたの伸長の二倍ほどもある石柱の大森林だった。

 

 それはいい。落下死しなかったのは幸運だ。地下空間の存在理由もいつか考えれば済むことだ。そんなことよりもヘヴォルムはどこだ。

 刹那、直感よりも早く突風があなたの全身を圧迫する。その力強さを受け止めてから、ようやく前脚だったのだと気付く。叩き落された巨樹の如き足に、衝撃に砕けた片膝が地面に触れる寸前で停止していた。悲鳴を上げる全身を即座に組成式が展開され、押し込まれる縦の力と超再生で復元された全身の筋力が拮抗、跳ね上げる。

 

 思いもよらない剛力に体勢を崩す長命竜。船底のような腹の下にあなたは踏み込んでいた。

 出し惜しみはなしだ。前身の慣性力が踏み込んだ左足に一点集中、石の床が破片の悲鳴を上げる。左脚から打ち上げられた力は骨格に沿って螺旋を描き、背中を通って突き出した右掌へと集束される。

 名前などない。単なる掌底打ちだ。それですら規格外の威力に長命竜の腹が同心円状に波打つ。

 剣のような竜の歯牙から呼気が零れ落ちた。降りかかる喀血は夕立のように温かく、春の風のように生温い。5メルトル上空では苦悶に歪む竜の白貌。強敵の明らかな負傷を示す表情は勝利の確信を得るには十分すぎる。何より嬉しかったのだ。あなたの攻撃は、ヒルヅと磨いたドラッケン流格闘術は無駄ではない。

 闘技場の時とはちがうのだという圧倒的な自信が、あなたの貌を形作った。

 今まで浮かべたことのない、人喰い虎のような笑みだった。

 打ち込んだ右手で肋骨を掴んで竜を引き寄せ、左の回し蹴り。強烈な打撃の反作用が足裏を導管に放散、足下の床が蜘蛛の巣のようにひび割れた。

 竜の絶叫は甲高い。研究所の職員の気持ちがよく分かるというものだ。

 何の抵抗もなくあなたの左回し蹴りは竜の腹部を抉り取り、苦悶の声と共に突き出された竜の前脚に引きはがされる。振り払われた先、十メルトルの距離を置いてようやく敵の全容が視界に映った。

 鱗のない異形の白竜。あるいはそれは、深海にすむ生物の異界めいた、不吉な美しさを地下空間の闇に咲かせていた。

「汝は何者だ。人ではない。だが、竜でもない」 

 白竜の口の端から、血と疑問が零れ落ちる。真っ向から打ち下ろされる声は僅かに震えながらもその威厳を失うことはない。 

「俺は契約だ。名前は「そうか。では、――――――死ね!!」

 問答さえも不意打ちに用いよう。砲弾の加速で間合いを詰めるあなたに、真っ向から水晶の破城槌が打ち出される。考えることは同じらしい。

 直径は傍らに林立する石柱と大差ない。いったいどれほどの大きさの門を打ち砕くつもりなのか。断熱圧縮で熱せられた先端を、干渉結界と剛力を全開にして受ける。瞬時にあなたの体が突き放され、両足で二十メルトルの轍を刻んで停止。二秒の駆け引きの内にヘヴォルムの姿が手のひらほどの大きさに遠ざかっていく。

 近接攻撃しか攻撃手段がない以上、距離を離されたら戦闘にならない。確実な事実から有無を言わさず間合いを詰めることを選ぶ。

 同時にヘヴォルムもまた、同程度の結論に至ることは必然だろう。では、あなたがヘヴォルムなら自らを傷つける可能性を持つ肉体能力の持ち主に格闘戦を挑むだろうか? 

 答えは否。

 重力咒式で瞬間移動じみた加速を見せるあなたの眼前に無数の光が瞬く。

 生身で受けるの危険だという瞬時の判断で重力系咒式を停止。加速慣性を殺さぬように連続跳躍。咒式干渉結界を三倍の厚みにして体の正面で展開。

 僅か半々秒後に燐光が豪雨となって干渉結界の上で弾け、至近弾で抉れた地面からは山火事のような土煙が上がった。背後でバラバラに砕け散った石柱が轟音とともに崩れ落ちた。あまりの音の大きさは滝壺にいるようだった。

 ともかく、受けて分かったことがある。攻撃の正体は単なる水晶の槍だ。しかし速度と質量が尋常ではない。おまけに高速移動するあなたを平然と捉える超精度の照準と、術者本人はこちらの攻撃が届かない距離を保ち続けているという最悪だ。この戦闘は戦略爆撃機を竹槍で落とすに等しい愚行である。

 重力咒式で再加速。水晶槍の攻撃威力に干渉結界の常時展開は諦める。重力咒式と併用できる程度の干渉結界で防御可能な威力ではない。ならば、着弾の瞬間に合わせて重力咒式と干渉結界を切り替えることで速度を落とさずに、石柱を蹴って距離を詰めていくだけだ。地下空間は広大かもしれないが必ず限りがある。ヴォルムに追いつける瞬間は絶対に来る。本当に来るだろうか、という疑問が一瞬あなたの脳裏を過ったがそれよりも気合が勝った。

 

 それはぶっ殺すという気合いだ。土壇場では気合いがすべてだ。気合いだけでは何も解決できないが、気合がなければそもそもなにも起こせない。 

 

 相手は自分と同じ竜である。人型のをしていてもその本質はなんら変わることはない。瞬時にそう判断したからこそ、ヘヴォルムは格闘戦を避け、地下の夜空を飛翔しているのだ。

 同族との格闘戦となっても負けるはずがないが、それでもなお同等の膂力の持ち主と接近戦を演じるほど彼は愚かではなかった。

 超高速の水晶の槍を雨あられと放つ。触れるだけで対象を圧殺する水晶華の元となる雪を、予測軌道上に降らせる。速度差のある攻撃に対応したなら、破城槌を放ち確実に防御させて足を止めさせる。

 ヘヴォルムは侮らない。どれほど忌み嫌い憎もうとも、彼は竜の血族の特異性を理解しているからだ。今回の標的の危険度は過去最大級だった。至近距離での戦闘能力はヘヴォルムの命にも届き得る。

 だからこそ今となっては絶対に距離を詰めさず、徹底的に間合いを空け、遠距離攻撃を相手が疲弊して動かなくなるまで打ち続ける。

 加えてあと少しすれば剣光に魅せられた人族が、この地下空間に突入してくるだろう。そうなれば二対一だ。どの展開に転ぼうともこちらの絶対優位はゆるがない。 

 

 ヘヴォルムが逃げ、あなたが追う。街一つ収まる広大な石柱群を舞台にした追走劇に、とうとう地下空間の終わりが現れる。異民族を拒む山脈のように巨大な外周を竜とあなたが旋回する。

 向かって左に並ぶ三本の石柱をすり抜けるのはヘヴォルムの巨躯では不可能だ。上に逃げれば運動量が減りあなたに背を向けたまま近接戦闘に移行することになる。下に進路を変えても引き起こしが間に合う速度ではない。

 外周と石柱の僅かな隙間に目がけてヘヴォルムが体を傾け侵入を開始する。外周のアールを白墨の尾を引く流星となってヘヴォルムは見事に旋回していく。

 

 誘っている。外側に僅かに孕んだ白竜のライン。

 

 そう分かっても飛び込むほかに道はない。速力を落とさぬ最適ラインで白竜の軌跡の内側へ。その刹那、高速移動しているはずの竜が、空中で固定されたように動きを止めた。

 あと十数メルトル。

 最適ラインにおかれた水晶の破城槌を蹴り落とす。撃ち抜かれた石柱の崩落を背後に置き去りに、前へ。

 

 あと、一呼吸で手が届く。

  

 いまの一合で射撃戦の間合いは抜けた。ヘヴォルムへの到達にコンマ一秒も必要はない。

 黒い逆雷と化し突進するあなたに、ヘヴォルムの長大な尾が振られた。有り得ざる急制動だった。あなたを見る竜の瞳は燃えていた。翼は捻じれ、次の瞬間にも長命竜は命も危うい墜落を開始することだろう。しかし、その覚悟の成果は、大きい。

 音速で振るわれる尾を足場のない空中での回避するのは不可能だ。両腕を交差して身を守るあなたは津波に飛ばされる小舟も同然だった。彗星のように叩き落とされ二つの柱を貫いて、起き上がる。細胞の一粒一粒が燃え上がり、ヘヴォルムに向けて雄叫びを上げる。

 これが闘志(めんつゆげんえき)か。 

 石柱二本を圧し折りながら飛ばされたあなたは、再び頭上に気配を感じ両腕を伸ばした。前脚による踏みつけ攻撃。今度は受け止められる。加速したヘヴォルムの質量に全身の筋力が屈することなく拮抗する。だがそれは、ヘヴォルムとて同様だった。最初の一合のように体勢が崩されることもない。

 直感が警鐘を打ち鳴らしていた。

 この攻撃だけは……何が何でも回避すべきだったのだ。一度防がれた攻撃を長命竜がただ繰り返すなどあり得ないことなのだから。

 

 警鐘の原因はヘヴォルムの前脚に生じた放物面型の水晶だった。

 化学珪成系第五階位珪振鑢削喰唱(ラ・ウーム)。圧電効果によって超振動するチタン酸ジルコン酸鉛などの圧電素子は超音波と高周波を発生させる。放物面の焦点に導かれたエネルギーが炭化珪素を振動させ、対象を削り取る。

 膨大な咒力量を燃料に使う第五階位の掘削咒式をは主力戦車でさえ5秒で削り滓へと換えただろう。

 だから、やはりこいつは危険だとヘヴォルムは足下の手応えを剛力で押し込んだ。

 干渉結界――――――。間に合わなかったあなたの手首から先が瞬時に血霧へと変わる。

「おおおおおぉぉぉ!!」

 激痛に噴出する無意識の咆哮が脳内物質を分泌。ぎりぎりで途絶えそうな意識を取り戻し、上を向く。干渉結界が上下の圧力に抗議の火花を上げ続けていた。ヘヴォルムの咒式効果を減殺し右腕と背中で上からの圧力を支える。

 左腕の再生まで1秒弱。再生と同時に拳打で水晶を破壊して接近戦に持ち込む。絶叫を上げ一秒耐えて振りかぶった左腕が、あなたの意思に反して止まった。絶叫は内から零れる血の色に変わっていた。

 手品の種は明かしてしまえば単純だ。ヘヴォルムの咒式によって発生した超音波は液体中に気泡を発生させ人体の内壁を激しく損傷させる。そもそも防御行動自体が危険だったのだ。

 加えて肉体の損傷がここまで露わになるということは、あなたの咒力そのものが枯渇して始めているということでもある。

 最早、戦の帰趨は決した。さらに前脚を押し込むヘヴォルムの身体は勝利の光景を想像したのか僅かに震えていた。 

 

 いいだろう。油断していろ。ここから鮮やかな魔術を見せてやる。

 その目をくりぬいてやる。

 その喉を抉りとってやる。

 腸を尻から引き抜いてやる。

 だから、もっと! 

 

 

 願いで星は動かない。祈りで小麦は実らない。呪いで嵐は起こらない。奇跡が起こるのを見たことがない。祈りとは無縁に、ただ起こるのを。私は奇跡が起こるのを見たい。

 

 容赦なく上から下へと向かう圧力に、ぷつぷつと体の中で筋肉が弾け、血管が裂けていく。不利になった体勢からではヘヴォルムの剛力を支えきれるわけもなく、片膝をついて抗するあなたは死までの幾ばくかの時を干渉結界の防御力だけで稼ぐだけだ。

 

 奇跡が起こるのを見たい。

 

 奇跡が起こるのを見たい。

 

 奇跡が起こるのを見たい。

 

 だから一秒は耐えられる。二秒も耐えられる。三秒四秒だってなんてことない。世界の終わりまでこの拮抗を続けることが出来る。

 永遠を耐えたような気がした。水晶に掘削されて両腕の肘から先が消えていた。ならば足で支える。両足が一秒に一センチメルトル削れていく。もはや痛みを通り越して振動だけが脳に受容されている。痛みがないのは魂が燃えているからだ。勝利の確率が一〇万分の一であっても生存の道を探り続けるには十分にすぎる。

「ええい、諦めて死ねい!」

 ヘヴォルムの苛立ちが心地よかった。あなたは泣き出しそうな竜の顔に微笑みを返した。ようやくだ。ようやく死ねる。魂が燃えたまま生の充実感を永遠にすることが出来る。その時はそんなことを考えていた。

 

 奇跡など望まない。私には奇跡など不要なのだ。どんな場所で死のうとも冷たい薪のまま朽ちるよりも、炎を発して死ねたなら、人生はそれで十分すぎる。死ね。ここで死ね。 

 

 奇跡が起きるのは陳腐だ。けれども現実は意外と陳腐で、そしてこの奇跡は巨大な刃の形をしていた。

 




あと一話か二話。こんなことを前にも言った気がする
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