不規則で小刻みな振動を左頬と左肩に感じ、あなたは目を覚ました。あなたが横向き体を丸めてに寝転がっているのは、個人的な習慣でそのような睡眠姿勢をとったわけではなく、両手両足が囚人用の拘束服で動かせないからだった。発動機の駆動音で鼓膜を揺さぶられ、今いる場所が車の中か何かであるということに気付く。
「やっほー、目が覚めた?」
あなたの頭上から不愉快な女の声が振ってくる。戦闘の専門家であり、少年の肛門をファックして喜ぶ変態だ。必死に後ずさろうとするあなたに女は不愉快そうに顔を歪める。
「おう、007号ちゃん。そんなに怖がることもないのに」
「異常性欲の人間が迫ってきて、しかもその対象にされているのに恐怖しない人間はいないと思う」
バックミラー越しに視線と猫撫で声をあなたは即答で声を切って捨て、さらに奥へと芋虫のように体を這わせた。運転中の女が荷台にいるあなたに手が出せないことは明白だったが、女の声そのものが恐怖の対象として深層心理に植え付けられてしまったらしい。
「いやまあ、確かにわたしが悪かったかもしれないわ。拷問まがいの実験の後に、何時間も犯したのは謝罪する。でも仕方なかったの、上層部があなたの心が圧し折れて廃人にならないように可愛がってやれって」
女の言い分にほんの一瞬だけあなたは納得しかけたが、鮮明に甦る記憶の中での女は、どこからどう見てもあなたを犯すことを楽しんでいた。
「いやいやどう考えても嘘だろ」
「当たり前でしょ?まさか信じかけたの?」
二の句の告げようがなくなり、あなたは口をつぐむ。左右の窓はスモークガラスのようで、薄暗い風景の中を岩肌とたまにサボテンのような植物が流れていく。拘束を解こうと腕に力をいれるも、一向にあなたの体は変化せず剛力が発揮されることもなかった。拘束服に悪戦苦闘するあなたを見る女の表情はどこか満足気だ。
「予想通り、咒式は使えなさそうね」
「ジュシキ……?」
ジュシキ、聞き覚えのある言葉だ。
「奇跡、魔法、
サングラスの奥で怪訝そうに女の青色の目が光る。疑われてもあなたは本当に知らないのだ。知らないものは知らない、いや。あなたの脳裏に映像がフラッシュバックしジュシキが咒式に変換される。なるほど、女の言葉と降って湧いた記憶で一応あなたなりに推測は立てられた。ようするに、竜に変身したり、雷を放ったり、鋼の槍を打ち出したり、爆発で相手を吹き飛ばしたりする碌でもない技術の総称のことを、「咒式」とこの世界で呼ぶのだろう。
「あー惜しい。まああなたが見た最初の咒式がそんなものばかりだから勘違いするのかもしれないけれど、咒式は破壊の技術だけってわけじゃないわ。工業、医療、金融、ありとあらゆる方面でこの咒式の力は振るわれている。世界人口の半分以上が関わっていると言ってもいいわ」
「そんな素晴らしい技術を人殺しに使うあんたが碌でもない人間という事だけは分かる。あんたは軍人や警官、ってわけでもなさそうだし」
あなたの物言いに、何が可笑しいのか、その通りと唇を歪めた。
「そうね、正義の味方ってわけじゃない。かといって悪役というには自由過ぎる」
「嘘つけ、絶対悪人だぞ。嫌がる少年を性的虐待するなんて届け出ればすぐに逮捕されるぞ」
「問題はそこよ」
びし、と鏡越しに女があなたに人差し指を突きつけた。
「あなたが眠りこけている一週間で人身売買組織にあなたを売ろうとしたんだけどね、」
人身売買組織という言葉の非日常性にあなたの思考が一瞬停止するが、想像の範囲としては十分あり得るのが恐ろしい。
「ところが奴らが安く買い叩こうとしたから、しかたなく武力交渉をすることになった。分かる?」
「分からない」
あなたの心情など気にもせずに女は続けた。これまでの経験から、転生先の人間達はもれなく良心回路が欠けていると断言できる。もっともあなたとて本当に分からないわけではない。ただ理解を拒否したいだけである。
「あなたを売ろうとしたけれども人身売買組織が安く買い叩こうとしたから武力交渉をすることになった、復唱して」
私を売ろうとしたけれども人身売買組織が安く買い叩こうとしたから武力交渉をすることになった、とあなたは要求に従って復唱した。
OK、と女は左手で握りこぶしを作りの親指を上に突き出す。サムズアップの意味は次元を隔てて通じるのだろうか。現実逃避しても出てくる結論は残酷だ。女が非合法組織に仕掛けたのは、武力交渉なんて四文字にまとめられるほど綺麗な出来事ではないだろう。まず間違いなく二~三人は殺している。だから、つまり導き出される結論、それは。
「それってつまり……?」
「つまり私たちは非合法組織に追われている。あなたが警察に駆け込んで、まあ証拠がないから起訴できないだろうけど私が拘束されたする。非合法組織は、厄介な用心棒がいなくなったあなたをこれ幸いとばかりにを回収するでしょうね」
一瞬視界が暗転し、あなたはバンの荷台に頭を打ち付けた。まるで将棋で言うところの王手飛車取りだ。
「まとめましょう。取引を止めた非人道組織に私達は追われている。私はあなたを高く売りたいから、新しい買い手の非合法組織を探している。あなたは用心棒として私を頼るしかないから、警察には訴えられない」
「はい」
「あなたはどっちにしろ同じかもしれないけれど、でも高値を付ける組織のほうが大事に扱ってくれると思うわよ。まあ、製品の売り出し内容はある程度の残酷行為をしても壊れません、だけれども」
「宣伝が明らかに人権意識皆無なのはどうかと思う」
「買い手になるのは多分トロールとか
「もういい。聞きたくない」
「内臓を取り出して売買する組織なんかからしたら、金の卵を産む鶏でしょうね。咒弾の消費もないし」
「いや聞きたくないって!」
悲鳴を上げるあなたにあらそう、と女は肩をすくめて見せる。前者はともかく後者に関しては、既にあなたの品質は一級品だと保証されている。内臓まで引く手あまたな人材など世界広しといえどもそうはいないだろう。虎は死んで皮を残すが、生きたまま内臓を取られるあなたは悪徳領主に年貢を取られる百姓か。
「まあ、エリダナに着けば買い手は幾らでもいるでしょう。それから私はジネブラよ」
唐突なそれが女の名乗りだと分かるのにあなたは数秒を要した。とにかく、ようやくあなたは女の名前を知ったのだった。あなたの名前も決めなくちゃねと、一瞥もせずにジネブラは言った。
風景が流れ、荒涼とした岩石砂漠の上に灰色のアスファルトの覆いが増えていく。時折見える案内標識には距離を示す数字とエリウス群の文字が見える。
あなたはこの先に待ち受ける受難について少し考えるのを止め、長い髪を身体と床に挟んで強く引っ張らないように気をつけながら、バンの荷台に仰向けに寝転がった。エンジンで加熱された床が背中を、後頭部を温める。
太陽は頭上にあるのか、バンの窓からはその姿が見えない。仰向けになったあなたはバンの天井に貼られた世界地図に気が付く。ウコウト大陸、ツェベルン龍皇国、神聖イージェス教国、ラぺトデス七都市同盟、パッハルバ大光国、日凪、央華……。あなたの元居た世界よりも国名が少ない気がする。国名の暗記は容易だろう。
「ん?あれ?」
一通りの国名を眺めて満足したあなたは、ふと違和感を覚えもう一度地図を観察する。少ししてあなたは違和感の正体を理解した。この世界の大陸には不自然な形の湾が多すぎるのだ。鋭利な刃物で抉り取ったかのように、湾のいくつかは不完全な円形をしている。その形は自然現象とするには、あまりにもあなたの常識からかけ離れていた。
核兵器を使ったとしても、あそこまで地形が激変させることができるかは果たして疑問だ。おそらく咒式とやらの力だろうがだとしたら……、
車が停止した慣性力であなたは前方に転がり、座席に体をぶつけようやく止まる。頭を上げて周囲を伺えば、隣に貨物車両の巨大な付属車が見える。壁面に犬の顔が塗装された、バンの二回りも巨大なそれはまさに運搬可能な倉庫といったいでたちだ。そのほかにも幾つか車が止まっており、トイレや休憩所のような場所も見える。どうやらパーキングエリアのよう場所らしい。昼時だというのに行き交う人影は意外なほど少ないが、長期休暇の最中でもなければパーキングエリアに止まる車の数などたかが知れているのだろう。
「一旦休憩、」
そう言ってドアを開けて入ってきたジネブラはあなたの拘束服に手を伸ばす。香水の匂いだろうか、僅かに甘い匂いが鼻をついた。
「まさかこんな人通りの多いところで……」
とあなたは戦慄する。普通なら笑い話で済むのだが、ジネブラという変態性癖の持ち主ならやりかねないのが恐ろしい。
「違う違う。流石にこんなところで手を出すつもりはない」
あなたの言い分にジネブラは憤慨して見せるが、少しは過去の行状を省みて欲しいものである。今だってそうだ。尻を撫でながら片手で拘束具を外していく必要がないのは明白であった。そんなあなたのつっこみもジネブラはどこ吹く風だ。
「役得、役得」
駄々洩れの独り言に反省の要素はなし。脳内あなた裁判所では満場一致で死刑。憮然としたあなたに幾つかのコインが渡された。それから雑に畳まれたタオルと新品の服。
「これはどうしろと?」
「私は隣のトレーラーに用があるから、その間に体を洗って来いということ。なんか臭いし」
臭い、という衝撃的な言葉にあなたは打ちのめされた。キモい顔と告白を断られたこともあるし、もっと滑舌よく喋れとからかわれ何も言えずに逃げた記憶もあるが、臭いと言われたことはない。
「一応忠告しておくけど、体内に発信機があるから逃げようとしても無駄だからね?」
逃走は諦めろと言う事だ。頼れる人間もいないあなたにはそもそも無茶な話だが。
007号と勝手に名付けた少年の背中を見送り、ジネブラはようやく一息ついた。腕時計を確認すると長針は零を示している。地面に降りたのは五時間ぶりか。いくら四十八時間の戦闘訓練を耐え抜いたことのあるジネブラと言えども、子守をしながら二日二晩非合法組織の追手から逃れるのは疲労の蓄積度合が違う。それでも追手はまず振り切れただろう。道を大きく迂回したせいでエリダナへの到着は予定よりも半日ほど遅れていた。
「エリダナに入ったら高級ホテルで寝まくる」
そのためにまず目の前のことを一つ一つこなしていこう。さあ、まずは隣のトレーラーだ。
「お待たせ、ケレブ」
「ああ、毎度どうもジネブラの姉さん」
運転席から飛行帽を被った犬が、顔を出す。犬が車を運転できるわけがない。ジネブラに挨拶を返したの犬の頭に二足歩行する体をもつモルード人だった。
「それじゃあ、どうぞ」
モルード人がトレーラーの扉を開ける。これがあれば十分にエリダナまで持つだろう。満足したのかジネブラはケレブと呼ばれたモルード人に鞄を渡す。ケレブも中のものを見て納得したのか、あとは好きにしろと言わんばかりに、トラックの後輪のそばに屈みこんで煙草をふかし始めた。