それから自己都合により更新速度が低下します。申し訳ない。
白い世界に黒い竜がいる。背を向けてこちらに背を向けて何かを貪るそれを竜と断定したのはあなたの直感だが間違っているとは思えなかった。
何をしているのだろう
そろり、そろりとあなたは足音を殺しその背中に近づく。竜はそれほど大きくない。今の貴方よりも大きいがそれでも十分人間と同じサイズだ。背中を曲げ四つ足をついたそれは、明らかに何かを食べている。ごつりごつり、ぴちゃぴちゃと子供の水遊びのような音がいつの間にあなたの耳に張り付いて離れない。心臓の鼓動がこれまでにないほど大きく聞こえる。
足を止め、あなたは竜の食べる物体をよく観察すると、竜は白い少年を食らっている。その顔もその体もあなたは見たことがあった。その白磁のような染み一つない肌も、未発達の薄い胸板も、美姫と見紛う顔立ちも、黒曜の腰まである長い髪もすべて、シャワー室の鏡で見たあなたそのものだった。
ぎい、と関節の軋る音を聞きながらあなたはごつりごつりという肉を食む音に合わせて、竜に一歩また一歩と近づいた。
あと五歩という距離で竜の首の動きが止んだ。何事かとあなたはさらに一歩、竜との間合いを詰める。腹の底が震えるが足がどうやら止まってくれそうにない。この恐ろしい生き物にあなたはさらに近づかなければならないのか。もう一歩、右足を前に置こうと持ち上げたその時、竜が鰐のようなトカゲのような長い首を返してあなたを見る。
後ろにひっくり返る程度で済んだのは行幸だ。本当ならばその場で失禁していてもおかしくなかったのだから。
口の端から血を流し少年の腸を零してにゅうと笑うその顔は、たしかに転生前のあなたと同じ顔をしていた。
正方形の天井というのが目を開けた時のはじめの光景だ。無機質な正確さで作られた正方形の天井は、そのまま部屋の設計にも適用されらしい。立方体の部屋の隅にはベッドが置かれ、それからガラクタとしか思えない品が山のように積まれている。地下特有の澱んだ、すえたような臭いのする薄暗い部屋であなたは目を覚ました。どうやら無事生き残れたようだ。安堵に表情を緩めるあなたの前になにかが現れる。
「ヒャヒャヒャ、目を覚ましおったか」
あなたの顔を覗き込むのはいかにもの胡散臭げな薄汚れた老人だった。風呂に入っていないのか、髭面にこびり付いた垢が汗と混じって奇妙な化粧のようになっている。背後で一つに束ねられた蓬髪は年相応の白色だ。黄色混じりの濁った眼はあらぬ方向を向いており、一般社会の人間でないことは明らかだった。
どれ、と伸びてきた手に怖気を覚え、あなたは反射的に跳躍して距離を取る。
「ほう、仰向けの体勢から五メルトルも飛ぶとは大した身体能力だ。それはその左手と、関係しておるのかの?」
言葉ほどに驚いた様子もなく老人は手にした刃物であなたの左腕を指し示す。
「え……、?」
あなたの左腕は逞しい。
まず十二歳程度の少年のそれでは有り得ない筋肉の束と化している。加えて肩口までを覆う金属質の黒い鱗はもはや人の肌ですらなく、五指の先端から伸びる爪は高級ナイフのように輝いていた。その腕で一搔きすれば、人間などひとたまりもなく破壊されてしまうだろう。
「さて、お主は何物かな?」
老人の問いにあなたは目を逸らす。
自分が何者か。それはあなたが訊きたいぐらいだ。
リンツホテルはエリダナでも最高級のホテルの一つだ。行き届いたサービスに最新の設備も評価が高いが、何よりも警備の堅さはエリウス群でも屈指である。そのためか暗殺を恐れる政府関係者によく使われるホテルとしても名高い。
そんなリンツホテルの最高階にある一室に部屋を借りて、ジネブラは広大な浴槽での湯浴みに浸っていた。心地よい水温に一週間の疲れが溶けていく。それだけに取引材料の消失は悔やんでも悔やみきれない。
ほう、と息を吐いてジネブラは目を閉じ浴槽に深く浸かる。
あれは死んだ。間違いなく死んだ。
そもそも地上70メートル……正確には水上かもしれないが、そんな高さの橋から真下の川に飛び込む人間がいるとは思わなかった。その高さは身体強化系の咒式を使っていても、なんらかの対抗措置をとらなければほぼ確実に死ぬ高さだ。
ジネブラはべつに、あの少年が己の不死身を頼りに飛んだことを驚いているわけではない。不死身の体があれば何でもできるなんてのは妄想で、肉体の痛みは簡単に精神を砕く。あとで治ると分かっていても戦闘中の負傷は恐ろしいものだ。
70メートルの高さから水面に落下する、それを想像するだけで、脳は肉体が砕ける苦痛を先取りして恐怖するだろう。けれどもその恐怖は危険回避のために、間違いなく人間の精神に必要な作用なのだ。
しかし少年は飛んだ。何の躊躇いなく70メートルの高さに身を躍らせたのだ。
だから、ジネブラにはそれが不思議だった。
記憶のないあの少年には、そもそも行動に苦痛だとか快楽を超える根拠などないはずなのだ。たとえば恋人のために戦う勇者がいる。王のために戦う騎士もいる。国のために戦う英雄もいる。家族、友人、飼い犬、趣味、酒……人が怯懦を克己する理由は幾つもあるだろう。
しかし少年にはそれらが有り得ない。最初から実験動物として扱われ、性欲処理の道具として犯される。それ以外の過去を持たない人間が如何なる理由であの恐怖を乗り越ええたというのか。
いや、とジネブラは首を振る。理由なら一つあるではないか。
復讐だ。あの日、研究所で生き残ったのは二人。ジネブラとあの少年だ。そして、あの施設で少年は目に付く施設の人間の全てを破壊した。そう、ジネブラを除くすべての人間を。ならば少年の復讐はまだ終わっていない。
ありえない話だが、もしあの落下から生き残っていたとしたら、ジネブラは自身を狙う恐るべき怪物を生み出したことになる。
四十度を超える浴槽でジネブラは寒気に肩を震わせた。
エリダナという街では変わった装いなど珍しくもない。人種の坩堝とも評される最果ての街は、諸地方の民族が結集し過ぎて混沌と化している。
そうはいっても、蜘蛛のごとき多脚の
一見して男の格好は攻性咒式士ととれるものだ。左手で無造作に持ち運ぶ魔杖刀は最大業物級魔杖刀〈文殊村正〉。羽織ったコートもそれなりに良質で各種耐性を備えている。央華系の彫りの浅い顔立ちは整っているがどこか達観したような目付きで、気難し気な表情と細かい皺もあいまって実年齢よりも五は老けて見えた。
……そのような男など、エリダナのどこにでもいる。見るに値しないとは言わないが、注意を引くほどの人物でもない。その男の存在に視線を奪われたものは、まず男の引き連れる
「ねーねー、あにさまー」
「なんだ」
と思いがけず優しい声であにさま、と呼ばれた男は応えた。
「ここがエリダナ?」
「そうだ」
「ここにあにさまの老朋友がいるの?」
再び「そうだ」と男が応える。無邪気な少女は男の妹だった。
央華自由経済区域「天海」。魔都と称されるかの都市を支配するとあるマフィア組織は半年前に壊滅した。滅ぼしたのがあにさまと呼ばれる男であるかは、内情を知る人間ならば微妙な顔をするだろう。外部の人間にしては同じことだ。なんにせよ、天海にいられなくなった男は旧友の縁をたよりに惑星の反対側までやってきたのだった。
「あにさま、大丈夫?」
「ああ、問題ないよ。ルイリー」
「えへへ、よかったぁ」
無邪気の微笑む少女を男は守る義務がある。半年前に討ち果たした兄弟子は憎むべき敵と成り果てていたが、それでもかつて結んだ心の繋がりは無視できるものではない。なにより、己の鈍感さのせいで愛すべき妹が人形もどきに身を墜としたことに、責任を感じないわけにはいかなかった。
この街で妹を幸せにする。それだけが男の望みだ。
差し当たって男は東方系互助組織である蘭宗会を目指していた。蘭宗会への取り次ぎはたいして難しくない。道行く東方系の顔立ちの人間に訊ねてみればいい。あなたが東方系の顔立ちをしていれば、同系人種のよしみで教えて貰えるだろう。
さて老朋友、ホアン・マオリエは元気にしているだろうか。瞼の裏にに赤毛を三つ編みにした猛々しい表情のホアンが浮かび上がる。
虎爪拳士と名を上げて、さては奴め髭でも生やしているかもしれない。想像したあと、あまりの似合わなさに男は苦笑し首を振って、脳裏に貼りついた髭面の親友を追い払う。
「あにさまどうしたの?」
一人笑う男に妹は不審な目を向けるが、何でもないよと男は返した。途端に
「お前は知らないかもしれないがホアンという男と拳を練磨してね」
幾ら口下手な自分でも、蘭宗会へ付くまでには話し終わるだろう。だからまあ、思い出話でもしながら悪くない。なにより妹が喜ぶならば。
いやー、兄思いの可愛い妹だなー(棒)。以前書いたSSの設定を捨てるには惜しいので拾っていこうという感じですはい。
クロス先は「鬼哭街」というエロゲです。小説版出ています。「鈍感兄さまと五人の妹」そんな感じの作品です(ステマ。