というのもギギナは生体甲冑を展開するための合金を体内に埋め込んでいるからだ。従って合金の埋め込まれた場所は露出していなければならない。また行為の生体系咒式の使い手であるギギナは負傷を恐れる必要がないのだ。
やったぜ、
「ホアン様の友人のコン・タオロー様ですね。少々お時間を頂きますがよろしいですか?」
「ああ、構わないよ」
内装の華やかさに見合わない旅装丸出しのタオローに、はじめ給仕は胡散臭いものを見る目を見せたがすぐに引っ込めて、優雅な一礼を見せ足音もなくタオローの席から離れていく。
カチャカチャと食器同士が触れ合う音。高級店特有の控え目な談笑。
蘭宗会本部ビルの一階は、東方料理専門のレストランだ。エリダナに辿りついた東方人種の数だけ料理があり、その異国の味は好奇心旺盛なエリダナの人々にすぐに受け入れられた。ここはそんな東方料理を出す店の中でも最高級に属する部類だろう。味も一級品のはずだ。そのことは店内にいる攻性咒式士の数からも察せられる。
攻性咒式士、それも腕利きともなれば、その多くは高給取りだ。また攻性咒式士は食事も仕事と言われるほどに大量に食べるため舌も肥えている。さらに恒常咒式によって一般人よりも感覚が鋭敏な彼らが、一々不味いものを選ぶことはない。最後に彼らは明日をも知れぬ命、三大欲求には忠実である。金を持ち、大量に食べ、味覚が鋭敏で、三大欲求に忠実な彼らの通う店が、不味い飯を出すわけがないのは道理だろう。
しかし、とタオローは店内を見回す。日凪と央華が一緒くたに混ぜられた店内は、西方大陸人のガイドブックに見られるようなありさまとでもいえばいいのだろうか。元現地人からすると違和感で頭が痛くなる。
「皺が増えたなタオロー。苦労性は相変わらずか?」
懐かしい人影に、声。以前よりも幾分か重厚さを増したかもしれないが間違えようがない。ホアン・マオリエだ。拳士特有の分厚い肉体に覇気のある赤い眉。ともすれば文士のような印象を与えるタオローとは真逆の、虎が人の形をとった生粋の武人の風格がある。
「そちらこそ、額が後退して貫禄が増したようだな。」
「ぬかせ、元から下がりようのないお前には言われたくないね。で、そちらの疑人は?」
持って生まれた表情ともいうべき好戦的な笑みを浮かべ、ホアンはタオローの対面に腰を下ろす。同時に茶がグラスに注がれた。タオローの鋭敏な嗅覚が匂いを捉える。甘く爽やかな、祖国を出て久しい茶の香りだ。タオローの好きな春摘みの
「妹だ。色々あってな」
ぶ、とホアンはタオローの返答に茶を危うく吹き出しかけた。あのかくれ妹愛を拗らせたような男が、こんな八本足の疑人を妹などと称するとは思っていなかった。
「妹だと!?劉のやつに嫁いだはずだが、……まさかお前に義妹趣味があったのか?」
目を白黒させて驚くホアンに心外だとタオローもかぶりを振る。
「いや、そういう意味ではない。左道鉗子・
「
忌々し気にホアンが吐き捨てるがそれも当然だった。禁忌とされる魂魄転写咒式の第一人者は、その危険性故に学会を追われ疑人産業の裏街道に潜んでいたはずだ。
「奴の最高傑作がこれさ。奴と、俺を裏切った五人の義兄弟が妹の意識を電子化して宝珠五つに五分割した。それを再統合したのがこの子だ」
タオローの声には静かな憤りがあった。
「それで、それが
「そうだ。兄弟子である劉をも切り捨てたがどうにもならず、俺たちは新しい場所で暮らすことにした」
「なるほど、それで俺を頼ってきたってことか。一先ず、よくぞここまで来たと言わせてもらおう」
「ありがとう、本当にそれしか言葉がない」
得心いったのかホアン・マオリエが深く頷いて見せた。けれども。その眉にはわずかに逡巡を色がある。一先ずとホアンは前に置いた。さすがにいきなり押し掛けて面倒を見てくれ、というのは厚かましすぎたかもしれないとタオローも眉を困らせる。
「なるほどね、あんたほどの凶手が仲間に入るってなら大歓迎だ。鬼斬りキクチと俺に続いて三枚目の札が蘭宗会に出来ることになる。ただし、あんたを知らない他の奴らはどう思うか分からない、そうだろ?」
ホアンの言い分に最もだとタオローは頷く。タオローの内家剣士としての実力、そして何より凶手(暗殺者)としての実力を知らぬ輩からすれば、タオローの参入はホアン・マオリエの友人というだけで組織の中枢に食い込んだように思うだろう。
「どうすればいい?」
「試験を受けて貰う。人探しだ」
そう言って、ホアンは給仕から一枚の写真を受け取り、それを差し出した。監視カメラの映像から抜き出したのか画質は荒いが、それでも目鼻立ちに目を惹く少年が写っている。
「我々は現在ある少年を追っている。見ての通り黒髪の中性的な美少年だ。マフィアの取引から逃れてエリダナに入ったという情報がヴィネルから来ている。ああ、ヴィネルってのは腕の立つ情報屋だ。網羅蟲毒並みだな。紹介するから登録しておくといい」
網羅蟲毒という響きにタオローは眉をひそめた。天海でも名の通ったハッカーを出すあたり、実力は確かかもしれないが、同様に用心すべき相手という事でもある。
「すまんな」
「あと、お前の妹だが余りにも目立ちすぎる。八本足だと特にな。ロングスカートでも履かせて隠した方がいい」
「……ああ、そうしよう」
これまでは旅路ゆえに気を遣うこともできなかったが、妹のルイリーは花も恥じらう乙女である。八本足の不細工な異形を好奇の目に晒すのはさぞかし辛かったはずだ。そういうところだぞ、と死んだはずの兄弟子がその鬼も泣き出す眼でタオローをあざ笑い、脳裏から掻き消えた。
「それで本題だが、この少年を保護して欲しい。この顔立ちは東方系だろう。我々が助けたとしても何ら不自然なところはない。情報によればこの子は、希少な体質だという」
「希少な?とはどういうことだ?何に使うつもりだ?」
「何にも使わん。希少というのは魔杖剣なしで咒式を使える体質のことさ。どちらに転んでも腐らせるには惜しい才能だ」
「やはり、使うつもりなのだろう?」
ホアンの示しうる道に、どこまでも少年の意思は存在しえないだろうことは明白だった。
「では、どうしろというのだ?ほっとけば碌な目に合わずに野垂れ死にだ。蘭宗会に入ればその才能でまだマシな人生を歩めるだろう」
ホアンの理屈は正しい。保護者のいない児童など社会の食い物にされるだけだ。それにホアン自身も孤児から武才で成り上がったところがある。過去の自分と同様の境遇の少年を悪いようにはしないだろう。
ふと、タオローは友人の虎のような目から視線を外し、店内を見回した。昼時を少し過ぎたころだろうか。客層も客足も上々といったところだろう。
「店は繁盛しているようだな」
「ああ、我らが身を守るには武力を増やすよりも、むしろ色々な立場の人間に関わってもらった方がいいと考えたのさ。一般の咒式士も多くいるこのビルを襲撃したらそれこそ警察も黙っちゃいない」
それじゃあ、頼むと鍛え上げられた後ろ姿を見せてホアン・マオリエは奥に消えていった。
自分が何者か。あなたにはそんなことは分からない。ならば俺が測ってやろうと、奇特なことを出会ったばかりの老人が言い出した。なんでも彼は咒式査問官という職に就いていたという。咒式というのは要するに魔法のようなもので、その魔法技術がこの世界を支配している。というのが彼の言だ。そして咒式の力は個人に一国と相対することも可能なほどの力を与えるとも。……なんとも危険な世界だった。
それはともかく、彼は何があっても手出ししない。それが地下迷宮での審査とやら提案をした老人の、唯一信頼できる発言だった。
あなたの右拳が
背後から飛び掛かってくるもう一匹を音で確認。上から振り下ろされる棍棒を鱗に覆われた左腕で止めると同時に、左脚の横蹴りを打ち込む。背骨が発泡スチロールみたいに折れる感触。馬鹿馬鹿しいほどの瞬発力に打ち出された蹴りで、一撃で犬鬼の上半身と下半身が真っ二つに分かれて吹き飛ばされる。
これは思いのほか楽勝なのでは?と油断したあなたの背中を異様な殺気が打った。
慌てて飛びのくあなたの肌を皮一枚隔てて、巨大な棍棒が通過する。大型動物の骨を加工したと思しきそれは半秒前にあなたのいたはずの空気を引き裂き、大地に蜘蛛の巣上の亀裂を生んでいた。
地を穿つ棍棒のもう一端を握るのは片目を失った巨人だ。額には二本の角が生え、垢じみた褐色の肌をしている。着ているものは局部を覆うぼろ布ぐらいだ。
「これは!?」
「
老人の返答と同時に棍棒が加速、横凪の一撃を転がって前に躱したあなたの目の前に丸太のごとき足が迫る。蹴りだと察知した時にはもう遅い。肥大した足が足があなたを蹴り飛ばす。大きければ重く、加速にかかる時間も増えトップスピードに到達するまで遅い、そう思っていた時期があなたにもあった。しかし今回で考えを改めなければならない。
衝撃で視界が二転三転する。着地までの瞬間が映画のフィルムの一コマずつのようにゆっくりと見える。後方宙返りで着地したあなたを追撃しようと一歩踏み出した大鬼が崩れ落ちた。蹴りを受けると同時にあなたは左手の爪で足の腱を切断したのだ。
弱点が下がり動きが止まった好機にあなたの闘争本能が発火する。奥歯を噛み締め二歩でトップスピードまで加速、跳躍、下がった首を掴んで顔面に膝を叩きこむ。大鬼の頭蓋骨が陥没、耳から脳を吹いて即死。あなたは自分の体の性能に驚いていた。今ならライオンと取っ組み合いをしても締め殺し、熊の心臓を素手で抜きとることも出来るだろう。
「格闘技術はクソで経験も知識も皆無だが、肉体の性能は十二階梯に匹敵するな。特に瞬発力と、慣性力を繋げる感覚が素晴らしい。攻性咒式士なら十階梯ってところか」
「何の話だ?」
「お前の掛け値だわな。エリダナ地下迷宮街の裏闘技場で金を稼いでもらおうと思ってな」
そう告げて、いやらしく老人が笑った。
闘技場という名称にいいイメージはない。まして裏が付くとなればなおさらだ。不満をあらわにして睨むあなたの視線を老人は真っ向から受け止めた。
「なあに、その強さがあれば簡単な仕事だ。攻性咒式士よりもよほどいいかしれない。敵は異貌のもの、時々人で事前に対戦相手は知らされない」
簡単な仕事、また怪しい単語が老人の口から飛び出してきた。簡単な仕事などないとあなたは思っている。冬期休暇恒例の年賀状仕分けのアルバイトでさえ大変だったのだ。
「そんなに簡単なら……、あんたがやってみたらどうだ?」
「わしは
不意に、男はあなたから目を逸らした。
「壊された?」
「もういいだろう、その話は。やるのかやらないのかどっちだ?やらないならここから出て行って貰おうか」
あなたの追及に背を向けて老人が机の上に残した作業に戻る。けれどもあなたはそんな態度にやはり強い反発を覚えた。だいたい人をダシにして金を稼ごうという魂胆が気に入らない。たしかにあなたはこの世界について、三歳児と同等の知見しかないかもしれないが、少し揺さぶってみる価値はある。
「あんたを殺して居着くって手もあるんだぜ?」
あなた史上、最高にかっこいいと自己評価する脅し文句に、老人は新興宗教に騙された信者の妄言を聞いたとばかりに溜息をつく。
「わしを殺したら爆裂咒式が作動して半径五十メートルが吹き飛ぶ手筈だ。嘘だと思うなら試してみるか?」
「あ、あんたを半死半生にして放り出すって手もある」
「爆裂は任意だ」
「くそ、とにかくいざとなったらあんたを殺す覚悟があるという事だけは憶えておけ。それで条件がある」
典型的な負け犬の遠吠えだと自覚しているが、あなたにもそれなりの手段はあるという事だけは理解して欲しい。老人もそれは了承したようで首を縦に振ってから大義そうに額の皺を搔き、
「言ってみろ」
すんなりとあなたに考えを述べるよう促した。
即答できるはずもない。なにせあなたは特に深い考えなどなしに喋ったのだから。しばしの沈黙のあと、あなたは重々しく口を開いた。
「俺に咒式を教えること。俺にこの世界の基本的な教養を教えること。最後に俺に許可なく指一本触れないことだ。最後は特にな」
とりあえず最低限の条件はこれだ。あなたが今以上に強くなれば、さらなる条件を出せるだろう。
「まあいいだろう、儲けの分け前は六と四でいいか?」
「いいだろう。授業料込みで六があんただ」
「少しは弁えているようだな。だがそういう事ならわしが七だ。これは譲らん」
老人の条件にあなたは渋々了承する。不平等な条件だが仕方がない。
うすうす感ずいてはいたが、この世界は力の世界だ。
強ければ生き、弱ければ死ぬ。力があればこの世界を出ることが出来る。老人にしたって知識と経験というある種の力があるおかげで、この地下迷宮を生き延びている。
「……なんだ、元居た世界となんら変わることはないではないか」
あなたの口から零れた言葉は、しかし転生前であれば有り得なかっただろう。投げたのだ賽の出目をなかったことにすることはできない。過去は変えられず、よく分からねえ世界のよく分からない未来が待っている。
だから、俺にもっと力を。
願い、決意を込めて、あなたは密かに拳を握りしめた。