それから咒式のルビ振りをどうするか考え中。
現在あなたの手元には二冊の本がある
「ドラッケン式軍隊格闘術のすべて」。「これ一冊で実践!必殺攻性咒式」。
前者は軍隊脱走者の放出品で、後者はこの世界で高校入学可能な程度の知識があれば、読み終わるころには化学鋼成系「矛槍射」と化学練成系「練成」が使えるようになるという指南書だった。
しかしである。
後者の咒式理論は未だ理解できず、前者の格闘術の訓練には相手が不足している。こんなことでは三日後の戦闘に到底間に合うはずがない。
「くっそ、騙されたんじゃねえかこれは……」
知識と技能の習得を餌に体のいい使い走りにされた可能性がある。苛立ちを募らせながらあなたは街に出た。老人……後にアストラシモと名前を知ったが、とにかく彼は自身の仕事の傍らにあなたの質問に答えるだけだ。格闘の訓練も考えたが身体能力が違い過ぎて訓練ににならない。幾ら強い人間でも羆と素手で戦っては到底勝ち目がないのと同じだ。あなたなら小指一本で彼を殺してしまえるのだ。
いや、それ以前の問題があなたにはあった。気が付いたの三日前。街に出たその矢先の出来事だった。人込みを通り抜けようと近づいたとたんに、あなたの体は震えだしたのだ。始めは疑っていたものの時間がたつにつれ、その疑いは諦めに変わっていく。半径一メートル以内に人間が存在するとあなたの体はあなたの意思に反して震えだし、指先から力が抜けていく。こんな様で戦闘をしようなどお笑い種だ。
けれども、そんな弱みを誰に話せるというのだ。この弱肉強食退廃的世紀末世界の地下街で。
あなたは修理された魔杖剣二十本の入った箱を背負い、人影に注意しながら路地を歩く。アストラシモの仕事は迷宮で力尽きた攻性咒式士の魔杖剣を修理し闇市に流すことである。あなたの仕事は魔杖剣を取引先の店主に渡し、売り上げと回収された魔杖剣を引き取ってくることだ。
時に代金をちょろまかそうとする人間と武力交渉をするはめになるが、自動販売機の一つでも持ち上げれば円滑に話は進んだ。あなたの強がりはせいぜい一分持てばいい方だが、たんに自動販売機を持ち上げる怪力だけで十分脅威とみなされるようだ。つくづく社会の最低取引単位は暴力なのだと思い知るあなたである。
「この拉麺おいしーね、アニサマ」
疑人に味覚機能をつける意味があるのかと常々疑問に思っているタオローだが、ルイリーが喜ぶならそれはいいものだと単純に肯定しよう。
「ああ、央華とは違った発展を遂げたのだろう。独自の趣がある」
央華におけるほとんどの拉麺と違い麺にコシがある。スープは本国式の鶏ガラではなく、豚骨をベースにした濁った白色のものでこってりとしている。コシがある麺といえば外家拳の本拠地少林寺のある爛州ではこのような面が好まれていた記憶がある。
そういえば義兄弟だったジャン・ジャボウの得意技に六本のアームを操り、五人前の麺を伸ばすなんてのがあったはずだ。聞くところによればジャンはその調理法の会得と同時に少林拳の基礎を会得したらしい。そんな馬鹿なと普通ならば一笑に伏すところだが、伝統芸能の世界というのは生活に密着した意味の分からない修行法が多いものである。
美味を前にして邪気のない妹の顔に、自然と頬を緩めつつタオローはあたりを眺める。暖かな春風が、緑の葉をたなびかせ、花々の花弁を揺らす。
世間での曜日は休日だ。オラリエル大河のほとりには出店が多い。いつかこんな河のほとりを何も考えずにルイリーと歩いてみたいものだ。
と、雑多な一般人の足音に紛れ込む不自然に静かな足音でタオローは緊張を取り戻す。
「待たせたね」
「あんたが情報提供者か」
待ち合わせの拉麺屋の屋台に現れたのは女だった。魔杖剣を全身に巻き付けるように装備している。その数は十二本程度だろうか。
(ルイリーあの剣は?)(アニサマ、あれ全部量産品だよ)
タオローの問いに、体内通信で解析を終えたルイリーが即座に応える。魔杖剣を一本や二本ではなく十二本というのは珍しい。普通の咒式士ならまずありえない装備の量だった。魔杖剣を十二本も持ち歩けば戦闘行動の妨げなるからだ。それならば予備咒弾や弾倉、低位咒式を封じ込めた封咒榴弾持ち歩く方が遥かにタクティカルアドバンテージを得られるというものだ。
そういうわけで咒式士は普通一本か二本の魔杖剣持ち歩くものである。また名のある咒式士であれば名剣業物の類を所持しているものだが、どうやらこの女にはどちらも当て嵌まらないようだ。
そんな常識外れの相手だからこそ、タオローの警戒心は逆に高まった。とはいえ、別に戦いに来たわけではないのだ。
「単刀直入にいこう。ヴィネルから用件は聞いているはずだ」
百万イエンと引き換えに少年の情報を話す。ヴィネルを介して結ばれた契約はそのような物であった。タオロノーの言を受けて女は印の付けられたエリダナの地図とメモを屋台の机に置く。件の少年と思しき人物を蘭宗会の情報解析部門が捉えたのが二日前のことだ。担当者は地下街の監視カメラに、見慣れない人物が頻繁に映っていることで気が付いたという。
「護送中にオラリエル大橋から大河に落ちて逃げたわ。それが三日前」
ここに来る途中で見物したが、オラリエル大橋はタオローの目測でも高さ七十メルトルを超える橋だったと記憶にある。正確には七十六.三二五六メルトルか。咒式強化を施した咒式士でもためらう高さだ。だとすれば、その高さを年端も行かない少年が飛ぶ理由はなんだ?
「その少年の、生い立ちや性格は分かるか?」
「詳しくは分からない。どこかの実験施設の生まれで、希少な体質だということは聞いてるわね。体質については?」
「魔杖剣なしで咒式を使える体質だとは聞いている」
ただ、いまのところはまだ少年で特筆すべき能力などは持ち合わせていないはずだ。そんなタオローの情報を鼻で笑って女は告げる。
「それだけじゃないわ。あの子を閉じ込めていた実験施設はあの子によって壊滅させられた。中には十階梯からなる咒式士の集団もいたけど、抵抗虚しく皆殺しにされたわ」
「どういうことだ?」
「そこそこ手強いという事よ」
「そうか。咒式の系統や戦闘傾向は?」
問題はそこである。どういう手段でを用いて殺したのか。戦闘能力を有すると知った時点でタオローの関心はその一点に集約される。女もタオローの意図を察したのだろう。二人とも攻性咒式士だ。敵が強いの弱いの主観的感想などどうでもよい。どういう能力にその強さがさ支えられているのか。関心はそれだけだ。
「襲撃された施設職員の写真を見る限りでは、肉体強化か肉体変化系統の咒式を使う前衛系の戦い方。咒式使用後は十三階梯の剛拳士程度の身体能力は持っているんじゃなかしら。この傷跡は刀剣や爆裂によるものではないでしょう。それに、咒力だけなら長命竜に匹敵するかもしれない」
ゆっくりとした口調で説明しながら、女が封筒から無残に破壊された人体の写真をタオローに示す。なるほど、この傷口は刀剣によるものではないだろう。爆発や雷撃による高温の痕跡も見受けられないのが女の推測を裏付ける。
「ふぅむ……、こいつは」
タオローの知る限り、近い例で思い当たるのがホアン・マオリエの攻撃痕だが、熟達の拳士のそれにしては攻撃部位が散らばり過ぎていた。通常、これほどの破壊力を持つ攻性咒式士であれば同時に人体への造詣も深い。自然、急所への数発で止めを刺す手練れを見せるはずである。しかし手渡された写真を観ると、人虎や人狼といった異貌のものが滅茶苦茶に暴れまわった、そう考えた方が妥当性が高いように思える破壊ぶりだ。
「しかし長命竜級……だと、」
タオローからするとそちらの方がよほど気がかりだった。
ただ力の強いだけの獣は警戒の対象だが、長命竜級の咒力となると少し勝手が変わってくる。というかむしろ、単純に直線で暴力を振るう輩などタオローにとってはいいカモだ。内臓を取り出して野菜、香辛料、スープを詰め、丸焼きにして、皮と肉を薄く伸ばした餅に載せ……、いやそうではなく。
凶手としての経験からすると、分かりやすい破壊力よりも、正体不明の短剣程度の攻撃が脅威となる例は多々ある。仮に少年が前衛よりの近接戦闘者であればいなすのは容易いが、予測不能の咒式戦を行われると手加減が難しい。
「慌てないで。彼はまだ咒力を扱う技術も、身体能力を生かす体術もまだ持っていない。私に護送を依頼した捕獲屋はそう告げたわ」
続く女の言葉にタオローは胸を撫でおろした。それならば危険度はずっと下がるだろう。とはいえ、一撃でも貰うのは危険なのは間違いない。できれば穏便に交渉して蘭宗会に入会してもらいたいものだ。
丁度、ルイリーがスープの全てを飲み終えたところで会話が途切れた。ここらが潮時だろうとタオローは女を見る。女もタオロ―の視線に頷いた。情報の収集が終われば長居は無用だ。他の組織に襲われる前に、さっさと少年を確保してしまいたい。女としても情報提供が知れる前に、街から姿を消したいのが心情だろう。
「百万イエンだ。持っていけ」
机の上を滑らせた札束を女は、タオローの予想に反し押し返した。
「ああ、ちょっと待って。私も取引したくてね」
「なんだと?」
女の言にタオローの片眉が僅かに跳ね上がる。
「いやいや、なんてことはないわ。人探しに腕利きの攻性咒式士を一人雇わないか、ということ。報酬次第で大抵のことはこなせるわよ」
尋ねるまでもないが、尋ねるのが礼儀なのかもしれない。
「腕利きとはどの程度だ?」
「自慢じゃないけど十一階梯……」「雇わん」
最初から決めていた通りに、にべもなくタオローは女の申し出を断った。蘭宗会内部の依頼に、素性も知れぬ女を引き込むなど危険にすぎる。ただの無能ならばまだいいが、腕利きなのが困るのだ。半端に腕が立ち、人身売買に手を出すような倫理観の欠如した人間は平気で複数の組織と取引する。こちらの情報を横流しされて裏をかかれたらたまったものではなかった。危険人物ならばホアンに事情を聴いておかねばならない。十二本もの魔杖剣を装備した咒式士などそうはいないのだから、必要な情報は貰えるはずだ。
エリウス群エリダナ市。ツェベルン龍皇国とラぺトス七都市同盟の国境を分かつオラリエル大河。そののほとりに発展したこの街の地下には、底の知れない迷宮が存在する。魑魅魍魎が跋扈するこの迷宮はかつてエノルムなる巨人族によって作られたとされ、奥底に眠る財宝を求めるものの数も少なくない。一説には九十九階からさきは異世界に通じていると言われるがことの真相を確かめた者はいなかった。そんな地下迷宮だが四階までは人の手によって征服され、地下三階までは刺激を求める観光局向けの名所になっている。
だがエリダナ地下の路地裏は、地上に比べてなお暗い。そんな場所を通るあなたは心細さを感じないでもなかったが、しかし隠れ家に通じる道はここしかないのだ。そんな風に自分を納得させ、通い続けて四日が経過しようとしていた。
だから襲撃者があなたを襲うとすれば、そこは絶好の場所だったのだろう。
予兆としては風にはためく衣類の僅かな風切り音。気付いた時にはもう手遅れだ。
逆さ蜘蛛のように落下した襲撃者は両足であなたの首を捕食、東方でいう胡坐に似た体勢で締め落としにかかる。
それが違和感の始まりだ。
「眠れ」
そう告げる声はくぐもっていて男のものとも女のものとも判断できないが……、
眠れ。その言葉で、あなたは急速に違和感を自覚した。締め落としにかかる足を、咄嗟に差し込んだ両腕で推し止めるも徐々に襲撃者の脚力があなたの両腕を押し込んでくる。腕と足の力の差もあるが、それ以前に体が震えだして力が抜けていくのが分かる。
くそ、どうすればいい。
ドラッケン式軍隊格闘術の教本によれば締め技というのは相手を殺す場合には案外使われないものだ。殺すだけなら首の骨を折ったほうがは早い。ならばこの襲撃者の目的は?
いや、違う。問答(これ)は戦士の思考ではない。戦士のやることは……、ドラッケン族の格言その一、「眼前の竜を放置し、他の竜を見てはならない」だ。
あなたの目の前には二つの道がある。一つは震えに任せて抵抗を諦め、締め落とされる道。もう一つはいかなる手段を用いてでも抗って肉体を傷つけてでも意思を徹す道。
これは既に選んだ道だ。あなたはロドスを飛んだ。墜落の苦痛を恐れてなお、自由と可能性に全てを賭けた。ならば今回もそうしない理由がどこにある?
ぶつん、とあなたの中で音を立てて何かが切れる。瞬間脳裏に飛び込んできたのは、黒く、巨大な、断崖のごとき竜の姿。殺意が純化したような黒曜の鱗を持つ絶対強者の姿だ。
それはあなたのなりたい、あなたの姿だ。
その強大さに心を重ねることで、黒竜の強さを宿せる、そんな気がする。
「がああああああっ!!」
肺に残された息を吐き、心の底から殺意をぶちまける。路地裏に轟く自身の咆哮とともに、あなたは一つの確信に到達した。
この震えは戦っている限り、姿を見せないのだと。
異様に柔軟な背骨を撓らせ、あなたは頭上にまとわりつく襲撃者を手近な街灯に叩きつける。
遠心力も手伝って襲撃者の頭部は瞬間的に時速百キロメルトルを超えて加速。速度を衝撃力に換算すれば全身の骨がくまなく骨折するに違いない。
電柱の角に頭をぶつけて死ね。
躊躇いなど一片も持たぬ殺気交じりの一撃は、しかし確たる手応えを知らず、たたらを踏むあなたは不可思議に宙を仰ぐ。
両足の筋肉に渾身の力を入れた締め技の体勢から、この叩きつけを脱することは不可能である。
しかし、骨が砕ける感触はなく、両腕を締めあげていた力は残滓すら残さず消え失せた。
では、その不可能がなぜ起きたのか。
あなたの疑問はすぐに氷解することとなる。
現実は単純にして明快。
不可能の極を超え、襲撃者は飛翔していた。
重力に反する体術で宙を舞う襲撃者の、赤い光を宿す双眸とあなたの視線が、殺気が、克ち合う。
スーツに黒服面で性別は不詳。街灯に叩きつけられることを察した襲撃者は、異様な反応速度と身の軽さで締め技を解除し宙に逃れたのだ。
間髪入れない空中踵落としを身をひねって回避。その先に着地した襲撃者の左後ろ回し蹴りが放たれる。矢のような一撃は、防御行動が追い付かないあなたの鳩尾を深く抉った。馬に蹴飛ばされればこうなるに違いない。あなたは胃液を吐きながら木の葉のように吹き飛ばされ、壁にぶつかって落下する。
横隔膜が縮んで呼吸が出来ないのが辛い。単なる肉体の反応には再生能力など関係ないのだ。
だがそれがどうした。ここで立たなければまた震えが襲ってくる。
上等だ。
吐き捨てる血に怯懦を乗せ、闘志だけを体に残した。今の数合で敵の狙いは理解した。生かしたままあなたを捕獲することだ。武器を使わず素手なのも、締め技を使ったのもそういう事だ。ひょっとして件の裏組織の追跡者なのかもしれない。内臓の再生を咒弾なしで可能とするあなたは臓器ブローカーにとって都合のいい金蔓なのだ。
つまりは殺される心配がないということ。賭け試合の予行演習にはもってこいの相手と、あなたは逃げずに迎撃の構えをとった。
ここから相手の隙を探るような観察眼が育っていればと思う。もちろん、初心者のあなたにはそんなもの分からない。
だから、瞬発力に物を言わせてあなたは敵の間合いに飛び込んだ。牽制もなにもないただ真っすぐな右の直突き、意図は単純、駆け引きで不利ならば速く真っすぐなセオリーを無視した奇襲攻撃で相手の顔面を殴るのみである。
「!?」
素人丸出しの動きにかえって困惑したのだろう。けれども、そのままもらってくれるほど甘い相手でもなかった。
右拳が衝撃波を残して空を切る。右に逃げた襲撃者の覆面をかすめ、背後の壁の一点だけが拳大の傷跡を晒す。
間髪入れずに襲撃者の右掌底が奔った。相手の技が尽きたところを打つ。確か、格闘教本によれば後の先の技だ、とあなたは脳を揺さぶられながら理解する。強くなりたい。くすぶり続けた欲望の充足にあなたは凶悪な笑みを浮かべた。
今思いついたが、この襲撃者は教本の演習にはもってこいだ。大丈夫、痛みには慣れている。
そもそも素人が一週間で強くなるなんて生半可な練習では無理だと思う。だからこそ、自分よりも強い相手こそ好ましい。幾度打たれても倒れることを許されない不死身体質と拷問まがい実験施設での生活は、幸か不幸か「痛みとともに格上の技を神経に刷り込む」なんて学習法とシナジーがあった。
見よう見まねの後ろ回し蹴り。亜音速の一閃を跳んで躱し、蹴り足に降り立った襲撃者は意趣返しの横蹴りであなたの顔面を蹴り飛ばす。首を逸らして衝撃を滑らせたおかげであなたの首から先は何とか無事だ。
揺れる視界に舞い散る鼻血。強い。途方もなく強い。身体能力はあなたが上だが、格闘技術と経験値が段違いだ。
故にあなたが即死するのは難しい、最高の練習相手だった。
蹴り足を掴もうと腕を振るが、襲撃者は既に影も形もない。ならば、とあなたが奔らせた思考のその先に、いる。上と見せかけて下、片腕一本で体を回転させる舞踏のような足払いを後方転回で躱しさらに繋げて間合いを開ける―――いや、後方転回から着地と同時に陸上競技の走行姿勢、狙うは相手の喉元、足場にしたアスファルトの地面を爆散させるほどの瞬発力に物を言わせた閃光の左貫手―――、
「わー、ちょっちょっちょ、たんまたんま!」
渾身の左貫手を繰りだそうとしたあなたを襲撃者が間抜けな言葉で制止にかかるが、動きを止めたあなたもまた間抜けだ。この隙に裏をかかれて殺されていてもおかしくないのだ。
「やるやん。自分、ベギンレイム出身者やろ?うちは味方や!」
「はぁ?」
である。普段は心の中に留めておくはずの声が思わず口から漏れる。はぁ?にはこの場合二つの意味があり、とりあえずなぜあなたがベギンレイムの尻尾なる秘密組織から逃げ出してきた人間であることを襲撃者は知っているのかというのが一つ。もう一つは、敵対する気がないのに何で襲ったの?ということだ。
「あー、信じておらんな?今うちの美顔見せてやるから、ちょっと待っててや」
そういってやにわに顔を隠す覆面を取ろうとして、苦戦を始める。手を右に動かせば二回巻き、左に振れば三回結ぶ。わざとかと思うほど絶望的なまでに不器用だ。溜息をついてあなたは襲撃者の覆面を掴み左右の手で引き裂いた。
覆面の下から現れたのは猿の美女だ。いや厳密には猿に近い、だろう。あくまで人間であることは分かるが肌の色や、毛の生え方が空似だとか感性の違いではすまされないほど猿を想起させるだけである。猿に近い顔は人間の感覚では美人ではないと仰る方もおられるかもしれないが、しかしその顔は確かに美しかったし、何より顔を形作る表情筋が、顔の主の楽観主義的な性格を包み隠さず表していた。
「おーきに!うちはヒルヅ!ペネロテ四姉妹の長女なんやけど、背中から斬りつけられ崖から落とされてしまったんねん」
「いや、ペネテロだかハバネロだか知らないしどうでもいい。聞きたいのはその顔だ。その顔はまるで」
猿である。猿に近い人である。でも女の人にそんなことを言わない程度の常識はあなたにもあった。
「そ、あんたの左手と同じみたいやろ?不思議やねえ。まるで似たような実験を受けたみたいやね」
むう、とあなたは押し黙って相手の次の言葉を待った。こめかみを人差し指で掻きながらヒルヅは、何かを探るように目を虚空に泳がせる。
「なあ、なんで異貌のものどもが咒式を使えるか不思議に思ったことはあらへんか?まあたしかに大方は低位咒式や。せやけどね。なんで科学知識もなんもない奴らが、超科学の産物である咒式を使えんねん」
ちょっと歩こうか。
路地裏に背を向けた歩き出したヒルヅは、振り返ってあなたを誘う。あなたはヒルヅの背中を追うか一瞬迷い、人混みの中に飛び込んでいった。
Q:つまりこれだけの期間を設けたのに作者はまだ咒式理論が理解できていないのかね?
A:光量子仮説まで進んだから(震え声)
結論、作者は⑨