閉ざされた場所で
どれだけの時間が経っているのか。
私は生きているのだろうか。
死んでいるのなら、どれほど楽だろうか。
ゴルドで勇者に負けた。死をもって救いを求めた。
だが、女神は私をお救いにはならなかった。
それはそうだろう。
私は女神を殺そうとしたのだ。
なのに結局、無意識のうちに女神の慈悲を求めた。
幼い頃より、救いは祈りの中にしかなかった。
世の無常をどれほど憂いたことか。
女神に祈り、オディロ院長に祈り。
だが、祈りは通じない。私の祈りもまた、愚かな一人の人間の無常だったのであろう。
歳を重ね、世を知って、自分の力で世の中の歪みを直すしかないと思った。
勤勉な者が幸せになれる世を、つくりたかったのだ。
ただ、それだけだ。
ただ、それだけだったのに、どこかで狂ってしまった。今となっては、その転換期を思い出して後悔しても無意味だ。
私は、一生償いながら生きなければならない。
死を選ぶことは、いつか叶うのだろうか。
私はゴルドの底でオディロ院長のお導きにより、女神の命を受けた。勇者が暗黒の神を倒す手助けをしたのだ。
それが全て終わったとき、私は再びゴルドの穴に呼び戻された。
女神は私に再び使命を与えた。
ゴルドの底に落ちた者たちを助けたければ、海に向かって洞門を掘れと。
私は与えられた小さなノミで一心不乱に掘った。
疲れなど感じる暇すらなかった。ひたすらノミをふるった。何日かかったか、何ヵ月かかったか。
私は、今までに犯した数々の罪の意識にさいなまれ、オディロ院長に懺悔を述べながら、掘った。苦しくて、まったく掘ることができない時もあった。そんな時は、生前のオディロ院長の言葉を探し、心の中で繰り返した。
女神に許されずとも、世の誰に許されずともよい。ただ、オディロ院長にだけは許されたい。あのかたに許されなければ、死ぬことすらできない。永遠に掘り続けたいとさえ思った。
苦しい思いが私を襲い、吐き気とめまい、激しい動悸で意識が遠のく。しかし、それでも私の右腕は止まることはない。堀るのをやめれば、このゴルドは文字通り崩落し、海の底に沈むだろう、そのような予感が私に休むことを許さない。
誰の言葉も聞こえず、誰の姿も見えなかった。
岩を削る音だけが、私とともにあった。どれほど声を上げて懺悔をしても、息の音もしないのだ。手を止めれば、無音。私はそれが恐ろしくてならなかった。
しかし、やがてそれも意識することがなくなった。
女神のこと、世界のこと、オディロ院長のこと、勇者のこと全てが私の意識から徐々に離れいき、ただ手に触れる砕けた小さな岩のかけらがいとおしく、ゴルドに落ちた者たちの道をしっかり固めてくれるようにと祈る日々に変わった。
すると、すり減ったノミは手に温かくなじみ、掘り進める固い岩にどんどんヒビをつくっていく。思いをこめて優しくノミを振るえば、岩たちは塊を自ら壊すようにいとも簡単に崩れていった。そして崩れた岩は私の後ろで道を作る。
私の心はどんどん軽くなった。私の生きてきた歴史も、関わってきた大勢の人のことも、いや、私自身も存在していない。私の魂が岩を掘っていた。
潮の香りが強くなっていき、青い光がうっすらと射し込む。
背後から人々の声が聞こえてきた。
希望の声だ。
何を言っているかわからない。
だが、希望に満ちた明るい声だった。
もう少し……もう少し……もう少し。
ノミを振るう手が速くなる。
早く、皆をここから……欲望の渦巻いた混沌の底から、明るい世界へ出してやらなくては……。
私にできる、ただ一つのこと……。
人々に自由な世界にいてもらうこと。
自らの道を行くがいい。
迷い、誤り、悲しみ、苦しみ、生きてゆくのだ。
そういう思いにたどりついたとき、ゴルドは海につながった。
潮風が強く、奥まで吹き込んだ。
「波の音とは、かくも安らぎを与えたもう……」
私は、膝をつき、海を眺めた。
足元の貝がらを、海に返してやる。
波にさらわれる流木に、自らの思いを乗せる。
この流木が、どこまでも流され、いずれ沈み、たとえ粉々に砕けても、この海とともにあることを願うのなら、喜んで海に抱かれよう。
一歩を踏み出そうとした。
『……みじめに生きろ……』
救いの思いは、やはりかき消される。海の藻屑となることも許されぬのか。
生きろ──
私は、生き恥、と言ったかもしれない。
恥に思うということは、自らに生きる意志があったからだ。
まだ、野心を捨てていなかったからだ。
私は海に向かって座り、目を閉じた。
今は、死を願うことは許されない。
いや、生も死も選べない。
それでも、いつかこんな私に救いの手を差しのべる者があれば、その温かな手をとろう。
その者が迷えるとき、悲しむとき、救いを求めるならば、私が救いとなろう。
血も肉も与えよう。
知恵も力も与えよう。
* * * * *
「誰だ……」
手を取る者あり。
目、いと開かず。
暗き中、手を固く握りし者、大声にて泣く……。
「……」
「お前は……」
その者、赤き衣をまといて、泣きにけり。
ただただ、泣きにけり。
兄マルチェロが見つかりました。「オーブと罪びとの旅」の最終話、ゴルドの底から海に向かって道をつくったのと同じ設定です。次はククールとの二人行動が始まります。