弟の移動呪文でやって来た世界は、宙に浮かんでいるような岩山の世界だった。弟は分厚い門に手を掛ける。
「ここはどこだ」
「ネズミのふるさとさ」
弟は、目の前の村に入っていく。
「ククール! 待っておったぞ」
「じいさん……」
「エイトから聞いておる。任せるがよい。お前さんは早く」
「分かった……じゃあ、必ず迎えに来るから、じっとしていろよ」
弟は、私に何の説明もなく、再び移動呪文を唱え、どこかへ行ってしまった。
「……客人、わしはグルーノ。話せば長いが……孫のエイトと供に旅をしていた。お前さんのことは知っておる。……名乗るでないぞ」
「訳がわからぬ。グルーノ殿、長くてよいから説明してはいただけないか?」
グルーノ爺は、私を彼の家に連れて行った。
* * * * *
ここ、竜神族の里で数日を過ごす間、いろいろなことがわかってきた。
まず、グルーノ爺の話で、あの赤いバンダナの少年、エイトの生い立ちがわかった。
人間と竜神族の間に生まれたというエイト。人間界に追放され、トロデーンに拾われた。数稀な運命に生まれついた彼だったが、まっすぐに育ち、暗黒神の杖が盗まれた後のあの混乱した世界を救った。文字通り正義のために命がけで戦ったのだ。そして今、サザンビークの王子という立場を隠したまま、トロデーンの兵士として生きている。彼自身、出生について知ることになったのは最近のことであるという。
今現在の世界情勢もわかった。
勇者によって暗黒神が倒れてから、トロデーン城にかけられていた呪いがとけ、トロデーンは国の復興に力を注いでいること。
ゴルドに落ちた者たちは、洞窟から全員が救出されたこと。
ゴルドの大穴は、女神像や神殿を作らず、あのままの姿で信仰の場となったこと。
新法皇はニノが着任したこと。
古き約束通り、トロデーン王室とサザンビーク王室の婚礼が行われること。
私が、前法皇の死、暗黒神復活について何か知っているとされ、世界中で捜索が行われていること。教会も、王室も……。
ククールがあちこちで人の目を気にしていたのはこのためだ。世界中が私を探している。ドニに身を落ち着ける前もわかっていたことだ。だが、グルーノ爺の話から、ただの手配犯ではない、もっと大がかりな探索がなされていることがわかった。
グルーノ爺は、この竜神族の里は隔絶されていて、おいそれと人が来ることはない、安心して暮らすがよいと言い、いろいろと世話をしてくれた。
「何もしないのは申し訳ないのだが」
「うむ……じゃが、外敵もおらんし、農作業なども里の連中で足りておるし……。しばらくこの爺の話し相手にでもなってもうらおうか。里の中では自由に振る舞ってくれて構わない。お前さんは本当は悪いことが好きな人間ではないはずじゃ。散歩にでも出て皆と話してみるのもよいじゃろう。ただし、人間を好まない者もおる。このグルーノの客人ということは話しておるが……。そのへんは気をつけて話すがよかろう」
私はグルーノ爺の言葉に甘え、何もしない日々をこの竜神族の里で過ごすことになった。誰も私を詮索しない、誰も私に剣を向けない、誰も私に書類を持ってこない、誰も……。
ある晩、酒を付き合えと言われ、グルーノ爺とチーズ料理を囲んで酒を酌み交わしていた。
グルーノ爺はこの竜神族の里の長老会議のメンバーである。組織でいえば幹部クラスの役職だ。その長老会議で議題に上がったことなど、いろいろ教えてくれるのだが、伝説の竜神王については、私にとって興味深いものであった。竜神王の伝説は古くからあったが、本当に存在し、また、ククールたち勇者一行が竜の試練というものに打ち勝ったなど、驚くべき話である。
グルーノ爺によれば、この竜神族は、彼らを守っているはずの竜神王のせいで、最近滅びかかっていたという。それを助けたのがククールたち勇者一行だそうだ。竜神族は竜と人間と二つの姿をとることができるが、竜神王は人間の姿を封じようと行った儀式に失敗し、その身を保つために竜神族の者たちのエネルギーを奪っていたというのだ。
「不思議なこともあるのですね」
「なんのなんの、わしらにしてみれば、お前さんたち人間の方が不思議じゃ。我らにとって竜神王様はお前さんたちのいう女神に近いものなのじゃろうが、竜神王様は実際におる。そして我らのために生きてくださっている。種族を守るために。……だから、見たこともない女神に忠誠を誓うお前さんたち人間の方が不思議じゃよ。特に僧侶のかたがたには。存在が抽象的で、解釈もそれぞれじゃろ? 一方から見たらねじまがっているということも、他方はまっとうだと……まあ、わしはよくわからないが、エイトとともに暮らしていて、そのように思った。特に、暗黒神の呪いのせいで旅に出るようになってからは特に……。いや、全てをはっきりとは覚えておらん。出来事は良く覚えておらんのじゃ。ネズミに化けておったからの。ネズミは脳ミソが小さいからの、わはは!」
グルーノ爺は酒好きなのだろう、よく飲み、上機嫌でよくしゃべった。
「……下界の動向はわからぬのですか?」
「何より、結婚式が済まんことにはのう……」
結婚式。サザンビークとトロデーンに伝わる古き約束が、ついに果たされようとしている。トロデーンのミーティア姫とサザンビークのチャゴス王子の婚礼だ。
「わしらは、下界と行き来できるが、エイトに止められておる。ここへ来られるのは、エイト、ククール、ゼシカ、ヤンガスの4人だけじゃ。エイトはトロデ王と姫君を連れて来なかった。お前さんのことを、予想しておったのじゃろう」
エイトが。
弟たちのことなど、考えたことはなかった。
私とは違う世界の者たちだ。
しかし、エイトは私のことを……。
それは、犯罪者の弟と旅をしていたことが、彼の保身を危ういものとするからだろうか。
いや、彼はそういう男ではないだろう。それに、その必要などない。ククールと彼の関係は、教会と王室。過去の話としていれば、何ら問題はないはずだ。ククールとの関係を断ち切ればよいのだから。
それでも私を隠したのは、仲間であるククールとの結びつきを大切にしたためだろう。
いくらこの私でも、ククールにとっては血を分けたきょうだい。ククールが私を切り捨てない限り、ククールと仲間であることを両手を上げて宣伝するわけにもいかぬのだろう。だが、ククールは私を探し、隠した。
それにしても、教会はともかく、なぜ王室までが私を探しているのか。
トロデーンは杖を封印していた。杖を盗んだのはドルマゲス。奴と私とは無関係だが、奴からゼシカ、レオパルドへ、そして私へ渡り、私が暗黒神を復活させてしまった。
しかしそれだけなら、サヴェッラにまかせればよかろう。トロデーンはまず自国の復旧作業が急がれるはず。また、サザンビークやアスカンタも軍を出しているというのも気になる。三国、ともに協力しあっているようにも見えるのだ。
トロデーンとサザンビークは、昔から敵対しながらも、姻戚関係が多い。ミーティア姫とチャゴス王子との婚礼も間もなくなら、こんなに大がかりに私を探す暇はないはずだ。
アスカンタが私を探すのはもっとわからない。マイエラはアスカンタの管轄であるが、力関係から言えば、マイエラの方が強いくらいだ。私を捕獲したとて、マイエラを脅す以外に何らメリットはない。……いや、もう私は脅しのコマにすらならん。もとより、マイエラを脅したとて、意味のないことだ。ドニごと利権を買うくらいしか、まともな理由は見当たらない。そうだとしても、アスカンタは厄介ごとが増えるだけだ。利権をサザンビークに転売するか。いや、それもない。サザンビークにはそんな財力はないし、やはり、意味はない。
なぜだ。なぜ、私を探す……。
私のこのもやもやとした疑問とは裏腹に、竜神族の里での生活は安寧なものであった。
グルーノ爺の他には、私を知らない。散歩に出ても、あれやこれや詮索する者はおらず、実に穏やかな日々を過ごすことかできた。
それゆえ、隔絶された場所から様々な憶測だけにとらわれている自分が歯がゆい。
いくら考えても、王室が私を探している理由がわからなかった。
懸賞金でも出ているのだろうか。しかしそれならば、王室よりも一般人のほうが躍起になるはずだろう。短い滞在であったが、ドニでは、一般人はおろか、たとえ盗人でも落ちている1ゴールドすら拾おうとしなかった。警備が厳戒すぎる。
サヴェッラが何かしようとしているのか。
私は、自ら出頭したほうがよいのではないか。
竜神の里で10日が経つ頃には、私は自分がどうすればよいかをククールのために考えていた。
世のためでなく、虫けらのように蔑み、遠ざけていたあの弟のために。
とりあえず竜神族の里に腰を落ち着けたマルチェロです。次も竜神族の里での話です。