「何をするんです!」
突然、外が騒がしい。
「エイト! ダメじゃ。間に合わん!」
「逃がして! お願い!」
グルーノ爺とエイトの声だ。
「観念せい! どこじゃ! マルチェロよ!」
トロデ王か。
「王さま、王さま、見逃してください。ずっとこの里に住まわせてあげてください!」
「放せ、エイト!」
声の感じから、二人が揉めていることがわかる。
ククールは来ていないのだろうか。
ざわざわと人の喧騒が増えてきて、エイトやグルーノ爺、トロデ王の声がかきけされる。
喧騒が近づいてくる。
ここにいては、皆の迷惑になろう。
私は、グルーノ爺の家を出た。
広場は人であふれかえっている。
「私をお探しか。トロデ王」
人波が割れ、王の衣装に身を包んだ小柄なトロデ王の姿が現れた。
「……マルチェロさん……」
声を発したのはエイト。
エイトは主君の足元でひれ伏していた。
「エイト殿、私ごときのために土下座することなどない。私はここにいる。さあ、どこへなりと連れて行くがよい」
「マルチェロさん……」
エイトは、青ざめ、震えながら、私の名を何度も口にした。
「よい覚悟じゃ。ともに来るがよい」
トロデ王はそう言い、兵士に合図をする。
竜神の里で一ヶ月過ごした私は、トロデーンの牢に入れられた。
* * * * *
暗く、冷たい牢。修道院地下を思い出す。
よくククールを仕置きしたものだ。
「マルチェロさん……すみません……」
エイトか。
「本当に……すみません……」
エイトは、食事を運んできたのだ。
湯気がたっている。
「囚人に温かい食事とは、待遇がよいのだな」
「マルチェロよ。久方ぶりじゃ。こうするより他にないのじゃ」
「……これはこれは。王みずから囚人に会いにお出ましとは……」
「教会のほうが良かったか?」
「さて。わかりませんな」
「まあよい。しばらくおとなしくしておれ。エイト、行くぞ」
食事は三度三度、温かいものが運ばれた。
牢から出ることは許されなかったが、エイトがちょくちょく顔を出した。
「すみません……本当に……僕がもっと気をつけていれば……」
「なに、気にすることはない。……きみとはゆっくり話してみたかった。だが、こんなところにしょっちゅう来ていては、立場的に困るのではないか?」
「いえ……」
「?」
エイトの話によると、この牢は国家レベルの罪人を入れておく牢であり、王が許可した者しか、囚人に接することはできないそうだ。
「やはり重罪なのだな」
「……」
「きみに聞いても仕方がないのかもしれないが、私はサヴェッラへ送られるのかね?」
「今のところ、その予定はないです」
今のところ、か。
サヴェッラは果たしてどう動くか。
いや、それとも……。
私は毎夜、今日一日、自分が女神の教えに忠実であったことを、報告した。そして、誰かの幸福のために身を置くことを誓った。
冷たい地下牢は、私に懺悔を求めた。
懺悔したくも、オディロ院長は墓の下。ともに悩みたくとも、弟は風のように所在ない。
それでも、私は懺悔するよりほかにないのだ。
日の光の差さない地下牢。
朝なのか夜なのか。食事の時間がきたことはわかるが、それが一体、いつの食事なのか、だんだんわからなくなってきた。
考えることが少なくなってきた。時間の感覚がないせいか。常に眠くて仕方がないのだ。食事に眠り薬でも入っているのかと思うほどだ。
「朝食です……」
控え目な声がかけられた。
エイトだ。
「朝か」
「ええ。朝です。10日経ちました」
10日……。
もう10日か、まだ10日か。
エイトは、私が食事を終えるまで、黙って待っている。
なぜこの青年は、こんなにも私に関わってくるのだろうか。
「婚礼は終わったのか?」
「……なぜそのことを……」
「グルーノ爺から聞いた」
「……そうですか」
エイトは無言で食事の皿を片付ける。
王配となった割には、威厳も責任感も見えない。まさかミーティア姫はサザンビークに嫁いだのか。いや、それはない……。
「姫君はきみを愛していないのか?」
「そう思いますか?」
意外な答えだ。
「何も……ご存知……ない」
「何?」
「……いえ。また来ます」
去り際に見せた表情は、憂いを含んでいた。
気のせいか。
ゴルドで対峙した時、彼の瞳は黒く輝き、全身に力がみなぎっていた。
羨ましいとさえ思った、あのまっすぐな瞳。私はあの瞳に、力強い生命の輝きを見た気がしたのに。
今のあの暗さは何だ。
1日に一度は顔を出していたエイトが来なくなった。
「エイト殿は何をされているのですかな?」
最近食事を運んでくる兵士に尋ねてみた。
「……兵士長は、自分の仕事をしている。彼に何か用か?」
「いや」
この人物はエイトより格上なのだろう。王家の人間となっただろうエイトでも、兵士長という階級は、上層部とは言えない。しかし、もしエイトが王配になっていないのだとしたら。
「トロデーンの美貌の姫君の花嫁姿は、たいそう美しかろうな」
「お前には関係のないことだ」
「それはそうですな。トロデーン王室が……」
「関係ないと言ったはずだ。貴様、自分のおかれた立場がわからないと見える」
兵士はぴしゃりと言い放つ。
「……ほう。それはそれは、是非お聞きしたいものですな。我が立場と言うものを」
「ふん。囚人が。地獄へ落ちるがいい」
兵士はそう吐き捨て、乱暴に食事の皿を下げた。
囚人か。
そうだ。
私は囚人なのだ。
忘れていたわけではない。だが、温かい食事や、エイトとのおしゃべりで、自分の立場を勘違いしたのは事実。
本来ならば、今の兵士のように口をきくのも汚らわしいという態度をとるのが普通だろう。
囚人。人として世の習いに背いた者のことだ。私は地の底にあることを、改めて思い知らされた。
だが同時に、囚人と言われたとき、憤りや絶望ではなく、ククールの顔が浮かんだ。ゴルドの洞門を掘っても救いはなかったはずなのに、あの男の顔がはっきりと見えるとは。
あの男風に言えば、ヤキが回ったというところだろうか。
「何が可笑しい?」
覚えのある声に顔を上げてみれば、そこにはトロデ王の姿があった。
「トロデ王……」
小柄なトロデ王であるが、威厳をまとった姿は他を圧倒し、その強い存在感に自然とこちらの身が引き締まる。
エイトを従え、ゆっくりと鉄の格子の前に近寄る。
「沙汰が決まったのですかな?」
「さて……」
トロデ王は、エイトに下がるようにという仕草を見せた。彼の静かな足音が聞こえなくなるまでの間、地下牢の空気がピリピリと張りつめていく。
「沙汰、とおぬしは言うが、自分ではどう思っているのじゃ」
「さあ。私は王になれなかった愚人でございます。王の下す沙汰というものがどんなもの……」
「何を言う」
トロデ王は私の言葉をぴしゃりと遮り、口のはしを上げた。
「死にたいか?」
「女神の思し召しとあらば」
「女神とな!」
トロデ王は、ははははは! と笑った。
「かたはら痛いわ、マルチェロよ。おぬしの口からかような言葉が出るとは。公衆の面前で王はおろか法皇までをも愚弄し、ついには女神に杖を向けた。暗黒神を呼び起こしたのはおぬしじゃ」
そうだ。私は杖に宿る暗黒神のことを知っていた。正気を失っていたとはいえ、杖を女神像に投げつけたのは私。あの場にいた大勢が見ている。
言い逃れはできない。
本意ではなかった、操られていた、という言い訳はできぬ。
杖を持ったまま、普段通りに過ごしていたのだから。
「死罪になされよ」
「わしにはおぬしを裁く権利も義務もない」
トロデ王は、最後にそう言うと去って行った。
竜神族の里で考えていたことを思い出す。
私は、ククールに殺されなければならない。
血迷った兄を、勇者であり、僧侶であるククールが成敗するのだ。
大がかりな捜索が行われていたにも関わらず、教会も王室も、ククールが私を探すのを予測していたのだ。
そしてククールは私を見つけ、竜神族の里に隠した。
だが、トロデ王に見つかってしまった。
竜神族の里は、勇者しか来ることができない隔絶された場所。
しかし、家臣であるエイトを通じて居場所は知られた。
仕方がないことだ。この世界中どこにいたとしても、ククールといる限り、私の所在は突き止められる。
ククールより先に誰かに見つかっていたら、私はトロデーンではない場所に連れていかれたであろう。また、私であることを知らぬ者ならば、惨めに殺されていたかもしれない。
いや、私はククールによって命を長らえているのだ。ククールが私を探し当てることは運命だった。
もしも別の誰かが、などということはあり得ないし、たとえその可能性を模索したとしても、今この状況で考えてみたところで意味はない。
だとすれば、トロデーン以外で捕らわれることはなかったのだ。
……再会してからの弟は、いつも悲しげな目で私を見ていた。
言葉も少なく、修道院時代の、やんちゃな面影は見られなかった。大人になったかというとそうでもなく、夜は泣いてばかりだった。
弟は、私がトロデーンにいることを知っているのだろうか。
私が捕らわれたことは、世界に知らされているのだろうか。
悪名高き、法皇になりそこねたいやしい男だと。
弟は、何を思い、今どこにいるのだろうか。
確実なことは、トロデーンは今も弟を探しているということだ。
あの赤い男は、目立つからな。ひょっとして既に……。
私がククールの手で殺されることを最も望んでいるのは、トロデーン。
もしもククールが教会にすがったらどうなろうか。仲間の勇者ではなく、サヴェッラに。行方不明の兄を探していると。この手で成敗したいと。さすれば、トロデーンは私をククールに差し出し……。
いくら考えても意味のないことなのに、私はわずかばかりでも自分が助かる道を模索している。
今さっき死罪を口にしたばかりであるのに。
あさましいことだ。
夜明けの空気だろうか、ほんのわずかな隙間から入ってくる。脱獄できぬよう、牢は外壁に接していないはず。それでもどこからか、時を告げる空気を運んでくるのだ。することがないため、そんな感覚ばかりが研ぎ澄まされる。
夜明けはさぞ、清々しく、明るいであろう。
太陽は温かく、風は穏やかであろう。
そんな心地よい風景の中にある自分を想像することくらい許されよう。
私はつかの間、青い朝の光の中にいる自分を想像した。
外に出たい。
処刑の場は屋外であってほしい。いや、空が見えさえすればいい。
太陽は私に光を与えてくれるだろうか。風は穏やかに吹きかけてくれるだろうか。または夜かもしれない。月の光をあびることもいい。雨が降るのもいい。──人の力ではない、自然の力の中にいたい。
弟は、どんな目をして私を見るだろうか。
思い出す弟の顔は、いつも涙をたたえ、暗く沈んでいた。処刑の時も、あんな顔をするのだろうか。
弟は、私を伐つことができるのだろうか。
青い朝もやの中で私は一葉の葉となって風に浮いていた。風に揺られながら、危ういままで考えていた。
……エイトは、私の味方なのだろうか。
トロデーンに投獄されてしまいました。次も牢屋でのお話です。