エイトが私の牢へ最後に訪れてから、数日が経っていた。
食事係りが再び城の兵士に変わったため、何の情報も得られなくなった。
また絶食でもすればよいのだろうが、食事の監視が厳しいのでそれもできない。
早く弟に討たれるか、サヴェッラの沙汰を受けたいと思う気持ちとは裏腹に、身体はみるみる健康になっていった。
力がつけば、身体を鍛えたくなる。剣などは取り上げられているため、仕方がないので拳法の型をさらい、封じられている魔術の発動を行った。魔術の鍛練はよかった。なぜなら、どんなに激しい術を唱えても、結界の力が相殺するため、なんの影響も出ない。有り余ったエネルギーを発散するのにこれほど適した場所は今までなかった。以前より、魔力も増しているようだ。他にすることがないので、集中して鍛えられる。
1日のほとんどを鍛練に費やす。あとは疲れて眠るだけだ。目を閉じれば、懐かしいマイエラの中庭が見える。団長室から見下ろし、ククールを叱っているのだ。長い銀髪。異端児の象徴とも言える赤い騎士服。生意気でいい加減な言動。しかし、一旦剣を振るえば、舞うように華麗な剣さばきを披露する。そしてマイエラ一の弓の名手であり、桁違いの回復魔力を持つ。打算的な言動が多いわりに、仕事はきちんとこなし、身を削ってでも仲間を助けてきた。常に私の近くに居たがり、わざと叱られているとしか思えない言動を繰り返した。
弟よ、私はなにも「しでかす」つもりはない。だから、私のことで苦しむのは終わりにしろ。捨ててくれ。
「……サヴェッラへ移送が決まりましたわ」
「!」
ある……おそらく深夜のことだ。姫君は、音もなく私の牢へやって来た。
「……そうでございますか」
誰か人の気配は感じていた。しかし、姫君とは思わなかった。刺客よりも厄介な相手。
私は暗闇で居ずまいを正す。
「こんな夜更けに、わざわざお越しくださり、お伝えいただくとは。緊急でございますな。今からサヴェッラへ参ればよろしいのですか」
「口数が多いですわね。動揺でもしたのですか」
姫君は冷たい口調で言い放った。
「さて、そうかもしれませんな」
私は気づかれぬように、細く息を吐いた。
コツリと小さな足音がして、姫君のドレスの裾が牢の前に現れる。私は、姫君の言葉をじっと待つしかなかった。
決定した沙汰について、私がとやかく言う権利もない。
強い沈黙は、姫君の持っているランプのぼんやりしたあかりさえ黙らせるようだ。明るくて暗い。まさにミーティア姫そのものではないか。
「……お気づきになっていないと思いますから教えてさしあげますが、わたくし、あなたとエイトの話を知っていますの」
「何ですと?」
突然告げられたことに、私は驚いた。エイトとの会話は、結界内結界で守られているはずではなかったか。
「結界内結界は魔力から遮断されると知っていますね」
「そう聞いております」
姫君はくつくつと笑った。
「……牢へ来れば、あなたがたの会話は筒抜けです」
「おいでになっておられたのか?」
「ええ。でも、わたくしだけですわ。わたくしだけ」
「?」
「あなたがたの会話は結界内結界で守られてます。たとえお父さまがすぐそばにいても、結界内結界に入らなければ何もわかりません」
「では姫君は特別と申されるのか?」
そうだ。以前に訪れた時も、苦しそうな様子はなかった。だが、この歪みに耐えられるほどの魔力を持つ者は、結界内結界の中で行われていることはわからないはずでは。なぜだ。
「……ええ。強力な魔力を封じる結界は、魔力を持つ者にとって歪みを生じさせます。魔力が弱ければ弱いほど、その歪みは大きくなり、気分が悪くなるのです。お父様やエイト、そしてあなたも、結界の歪みを超える魔力の持ち主ですものね。この牢にいても気分が悪くなると言うことはないのでしょう。では、魔力をまったく持たない場合はどうなるか、考えたことはありますか?」
「……」
それは。
魔力を持たない者には、魔力を封じるための結界になんの影響も受けないと言うことか。
王家の姫君は魔術など習得する意味などない。このような重罪人を入れておく牢の警備には、万が一のため、少しでも魔法の能力があるものを当てているのだろう。まさか、魔力のない者のことなど、魔力のある者は考えない。
「エイトとあなたの会話は、さほど重要なものはありませんでしたわね。あなたに手紙をつけていたこと、そのくらいのことは予想していましたけれど、それもたいした内容ではなかったようでしたし。……サヴェッラへの移送は、教会からの強い意向ですわ。世論がわたくしたちの婚礼を待ち望んでいるのに、たった一人の囚人のために遅れているのはよいことではないと。そういうことですから、トロデーンもそのことを承諾いたしましたの。……あなたがククールさんに討たれる可能性がなくなったのがいささか残念ですが。サヴェッラ移送の日にちは内密になっています。エイトでも知らないことですわ。エイトがサヴェッラがどうとか言っていましたが、まさか移送時に逃げ出せるとでも思っているのかしら?」
姫君は私の前に姿を現し、若い娘がよくそうするように、可笑しそうに笑う。
「あなたの恩赦をエイトがどれほどお父さまやわたくしに懇願したか、あなたはお分かり?」
「……」
「わからないでしょうね。あなたは守るべき国も民もない。愛する者もいない。あなたが求めてきた物は、権力です。あなたほどの武勇、智力があれば、法皇にもなり得ましたのに。暗黒神などに関わるから、このようなことになるのですわ」
「……」
「善であれ悪であれ、神の前では、あなたとて無力だったということです」
「……」
「わたくしは、エイトを王配とするために婿として迎えます。これだけは譲れませんわ」
「……姫君、エイト殿との婚姻は、全世界が祝っていることと聞き及んでおりますが……」
姫君は、一体何を言いたいのだろうか。
「何もご存知ないのですね」
「姫君もエイト殿も、同じようにおっしゃる」
「エイト……。エイトはトロデーンの英雄ですわ」
「喜ばしいことではありませんか。エイト殿も姫君との結婚を待ち望んでおられよう」
姫君は、私の言葉を聞き、嘲るように笑った。
「そうですか! あなたがそう思っているとは! おほほ……。そうですか。何と面白いこと……」
「?」
姫君がこんなに面白がる理由がわからない。
「大丈夫ですわね……。あなたはサヴェッラへ行き、エイトはトロデーンの王室に入る。あなたは恩赦の対象にはなりません」
「……」
「エイトを苦しめた、あの煉獄島で余生をお過ごしなさい。力ある者、力に溺れ、力の前に屈服するのです」
「……」
姫君の小さな靴音は、いつまでも私の耳の奥で鳴り続けた。
そして私は、人の気配のなくなった地下牢でまんじりともしないまま、長い時を過ごした。
数日後。
「移送だ」
「……」
見たことのない兵士がやって来た。鍵を開け、牢に入ってくる。
もう一人、兵士が私に剣を向けながら入ってくる。
鍵を開けた男は、私に目隠しと猿轡をし、手を後ろで縛った。その後乱暴に立たされ、腰に縄を巻かれ、牢を出された。両脇にぴったりと二人付き、背中には剣の気配。確認できる兵士は3人だが、離れた所にも数名いるのだろう。そして、牢を出た所にも。屋外へ出たら、キメラの翼か、移動呪文の使える者が私ごとサヴェッラへ瞬間移動させるのだろう。
牢はひんやりと冷たい。私を監視する者たちは魔力が十分でないのだろう、牢の結界の歪みに耐えながら歩いている気配が感じられる。エイトはいない。ヤンガスという勇者も来ていないようだ。
入牢の時よりも長く感じる通路。また別の出入り口でもあるのだろうか。サヴェッラへ移送すると言いながら、建物を出た瞬間に殺されるのかもしれない。そのための場所へ向かっているのかもしれない……。そこにはククールが待っているのだろうか。それとも……。
狭い通路。三人で並んで歩くのはきつい。多少前後しながら進む。
──ゴリッ
「おっ……?」
「わっ……」
「おいっ!」
私は何かを踏み、よろけた拍子に後ろの兵士が私の衣の裾を踏んだ。
両脇の兵士が咄嗟に私を支えるが、床に落ちていた何かが、爆発したようだ。ボン、と低い音がする。
「なんだ、これはっ!」
「煙が出ているぞ!」
後ろの兵士はゲホゲホと苦しそうだ。爆風を直接吸い込んだのだろう。やがて私の両脇の兵士もせき込み始める。私は猿轡のおかげで助かっているが、鼻から煙を吸い込んで少し苦しい。
「おい、どうした!」
少し離れた所から声がかかる。われらの行先で待っている兵士か。数人の足音が近づいてくる。
「わっ!」
「なんだこれは!」
コツンコツンと、何か丸くて固い物でも転がってくる音がする。それはいくつもいくつもこちらに転がってくる。
「おい、踏むなよ、あやかし玉かもしれん!」
あやかし玉。子供の玩具だ。脆い木製の玉の中に臭いの素が入っていて、踏むと入れ物が割れて中の臭いが煙とともに出てくる。玩具なので、中には不快な臭いを放つものがある。いや、そのほとんどが不快な臭いだ。
「誰だ、こんな悪戯を……うわっつ!」
大きな音がして、閃光に包まれる。誰かがあやかし玉を踏んだのだ。だがあやかし玉にしては音が大きい。それに、こんな閃光は出ない。
「うわっ! 目がっ! 見えん!」
兵士たちは混乱する。目隠しをされている私でもかなりの眩しさを感じたのだから、彼らには強烈だったろう。
「おい、踏むな!」
「わかっている! だが、あっ!」
大量に転がされてきたあやかし玉は、目がくらんだ兵士たちが次々に踏み、無論、目隠しをされている私もいくつか踏み、牢の中は破裂音と閃光でいっぱいになった。
行く手からドカドカと多くの足音が聞こえてくる。目がくらんでいる兵士のかわりに私を連行しようとしているのだろう。狭い通路で身動きできず、もの凄い煙と強烈な臭いの中で、私は何もできずじっとその場に立っていた。
するとザクザクッと、近くで音がした。腰の縄が切られたのだ。目隠しをされたまま、誰かに腕を引っ張られ、逆方向へと連れて行かれる。その人の走るのに合わせ、私も走り出す。
「囚人が逃げた! 逃げたぞ!」
兵士が大きな声を上げた。だが再びあやかし玉の破裂音が響き渡り、閃光が発生する。
ゴリゴリと頭上で音。何かが私たちの近くに落ちてくる。建物が壊れているのか。石のぶつかり合うような音が続く。
「よし!」
私の手を取る誰かがそう言った直後、私の身体は浮き上がった。
どうにか脱獄できました。第三章終わりです。第四章に続きます。