「……連れてきたぜ!」
私を山小屋から連れ出した村の男は、しょうこう熱にかかった子どもを助けるため、山小屋に置き去りにされていた猿ぐつわを噛まされたククールらしき男を連れてきた。
「ふが……、あぎ、ぐぎい?」
相変わらず何を言っているのかわからない。
「剣客はどうしていたんだ?」
剣の男がこの男をおとなしく解放するとは思えなかった。
「ああ、あいつの留守を見計らって連れ出した。あんたがいなくなったもんだから、猿ぐつわの兄ちゃん、ひでえ目に会わされてたみたいだぜ」
剣の男、さぞ怒っているとは思っていたが。猿ぐつわの男は災難だったな。
私は、さっそく猿ぐつわの男に問う。
「しょうこう熱は知っているか?」
「……」
「うなずいてるぜ」
「……どう治療する?」
猿ぐつわの男が紙に書く。読むのはこの家の男。
「えー、しょうこう熱は、菌によるもの。菌を散らす術と回復魔術を同時にかける。しかし、内臓に合併症が起きていたら、この限りではない……だとよ」
完璧だ。
「よし。そいつに任せれば大丈夫だ」
「……まだ書いてるぜ。……剣の男はトロデーンに追われているようだが城はマルチェロの行方はまだ掴めていない。サヴェッラの懸賞金が廃止された……廃止だと?」
「なぜだ? あ、いや、今は治療が先だ。早く行ってくれ」
「わかった。おい、行くぞ」
男は、猿ぐつわの男を連れて行った。あの術は、言葉を唱えずにかける治癒呪文。両手さえ自由ならば口がきけなくてもかまわない。
……間違いない。猿ぐつわの男はククールだ。しょうこう熱の治療法……あれはマイエラに伝わる治療法。一字一句違わぬとは……。
やはり、私をトロデーンから連れ出したのはククール。
また、弟に命を繋がれた。
私は、一人残されたこの家でじっとククールのことを考えた。ククールは、私をトロデーンから出した後、あの山小屋にいられるよう準備していた。わたしがトロデーンに捕らえられている間に準備したのだろう。ミーティア姫がククールの行方が分からなくなったと言っていたことがあったが。脱獄までの数日、あの山小屋で隠れ住んでいたのだろうか。
突然、縛られた腕が痛む。
私とククールの猿ぐつわになっているオレンジの布。外せない布。その布が今、じわじわと熱を伝える。ククールが術をかけている様子がわかる。布から伝わるのだ。
私はその熱を心地よいと感じながら、目を閉じた。
……?
風か?
辺りの空気の流れが変わる。
誰か入ってきた。村の男とククールが帰ってきたのだろう。
治療は無事に終わったのだろうか。
私のいる部屋の扉が乱暴に開く。
「んぐっ……」
ククールらしき男だ。
「治療は終わったのか?」
返事はない。男は私のすぐ近くにやって来て、いきなり私を立たせた。息が上がっている。走って戻ってきたのか。
「どうしたというのだ?」
「い……う」
男は、私が繋がれている縄を切り、外へ連れ出す。
「ククールか? あの男はどうした、一緒ではないのか?」
「いえあ……うばば……!」
なんだと? なんと言っている?
「いえあ……の……とぅ、ば、あ」
「つ、ばさ……キメラのつばさか?」
「うぅ。……ゃやう」
「早くと言ったんだな。つばさは私の襟の間にある」
ククールらしき男は私の襟元に手を入れ、つばさを見つけ出す。
「どこへ行けばいい? 竜神族の里は駄目だろう……」
「ん……がくあに!」
「三角谷か、よし、3で投げろ! 1、2、」
つばさが放り投げられたのに合わせ、三角谷と唱えた。
* * * * *
三角谷は、前に訪れたときと同じように、穏やかに私たちを迎えてくれた。
草むらに隠れる。ククールらしき男が周辺の様子を見に行ったようだ。ほどなくして戻ってくる。その後ろからザクザクと大きな音も近づいてきた。男は私を立たせ、その音のほうに進む。
いつかのギガンテスだろうか。私たちが竜神族の里へいくチャンスを作ってくれた、心優しい一つ目の巨人。
「いい時間だ……夕方ってね」
そう言ったのはいつもギガンテスと一緒にいる陽気なドラキーだ。羽ばたきが聞こえる。
「ここは安全だよ。最近は、たまにしか人は来ない。今も、誰もいないよ」
風に揺れる木の葉の音、夜行性の魔物が飛び回る音……美しく、静かな三角谷。目が見えずとも、肌に触れる風がその透明な美しさを伝える。
「ラジュが来る。月あかりの下から……」
ギガンテスが低く呟く。
私たちは、平和な世界で、ただ黙って風に耳を傾けた。
少しすると、誰かの気配。
「……ご無事で……」
女の声がする。
「ニンフのラジュ殿ですか?」
「はい。あなたがマルチェロですね」
「そうです」
ラジュは私たちのすぐ近くに座ったようだ。
「この男は、ククールなのですか?」
私の問いにラジュは答えを急がない。
「……いい夜です。あなたがたが来るのを用意したような夜です。……あなたがたの試練なのでしょうか。あなたがたの枷となっているものは」
私たちの枷。
オレンジの布か。
「ご自分たちで確かめるしかないでしょうね。あなたは口がきけ、彼は目が見える」
あるいはラジュが外してくれるのではないかと少しの希望があったのだが。ラジュにはこの布が試練であると知っている。やはり我々二人で確かめるしかないのだな。
「ここにいれば安全、とは言えませんが、このギガンテスと一緒にいれば三角谷に誰かが来ても、まずは大丈夫でしょう……」
そう言うと、ラジュはこの場から去って行ったようだ。
ギガンテスは何も言わない。おしゃべりなドラキーは辺りを飛んでいるのだろうか、羽ばたきが絶え間なく聞こえる。虫の音、風の音に再び耳を傾けてみる。
トロデーンの牢を脱獄後、思いがけず監禁される羽目になったが、私を捕らえた者たちはサヴェッラへ連れて行くことはなかった。最初の剣の男は、懸賞金目当てで慎重にチャンスをうかがっていた。次の村人は私を利用しようと剣の男のところから連れ出した。どこにでも私利私欲のためにしか動かないものはいるのだな。もしかすると、それが世の常なのかもしれぬ。私のいた法曹界のみが特殊なのではない。人の生活する場においては、平和や正義などというものは建前の骨頂であるのだろう。身分の上下を嫌った私でも、知識や権力の上下はあるべきものとして認識しているのかもしれない。
……いや、そんなことも、自分の身の危うさが薄れたからこそ、さも当たり前のように考えただけである。今、私がやるべきことは、世の中がどうとかいうことではない。この、ククールらしき男を解放してやることだ。
「おい、眠ったのか?」
私たちはギガンテスと隣り合って横になっていた。
「……」
返事はない。
「お前は、ククールなのか?」
「寝ちゃってるよ。疲れた顔してる。……怪我もしてる」
ドラキーも近くにいるのか。ククールらしき男の様子を伝えてくれる。
怪我をしているのか。どれくらいの怪我なのか診てやりたいが、様子が分かったところで治療もできない。
「……」
「?」
この男はククールなのかと問おうとして、やめた。ドラキーもギガンテスも、教えてはくれないのだろうから。
「今日はいい夜か?」
その代わり、私がそう尋ねると、今度はギガンテスが返事をする。
「……いい夜だ。星回りがとてもいい。しばらくここにいればよい。この者の怪我は、ここにいれば治る」
「そうか」
不思議なものだ。このギガンテスにそう言われると、なぜか心配しなくていいと感じる。なんの根拠もないのに。
* * * * *
「ラジュ殿、『しばらく』とおっしゃった」
「ええ」
ある日のことだ。
なんとなく胸騒ぎがするものだから、食事を届けてくれたラジュに思い切って尋ねてみる。
ニンフのラジュは、私たちに干渉することはなく、ギガンテスを通じて情報を伝えてくれていた。
「……その『しばらく』が終わりを告げようとしているのではなかろうか」
「そのように感じますか?」
ラジュはどう答えるだろうか。当然のことだが、様子はわからない。私の胸騒ぎも、感覚のみで、やはり根拠はない。
ただ、ざわつくのだ。
見えないというのは、五感以外の感覚を特に敏感にするものかもしれない。
「ラジュ、いい時間かもしれない。俺もそう感じる」
「オイラも!」
……いい時間。
ギガンテスもラジュもおしゃべりではない。だが、彼らのこの口癖のような「いい時間」も、いろいろな意味を表すのだ。今回は、「三角谷を離れる潮時だ」という意味に聞こえて仕方がない。
「そろそろ誰か来るよね、ラジュ?」
「そのようです。あなた方の世界に戻るべきですね」
どこへ行けというのか。サヴェッラか、トロデーンか。
「控えめに生活していればすぐにはどうということはないでしょう。ただ、あなたがたを縛っているものを外さなければ」
オレンジの布は、私の目と腕とククールの口の自由を奪っている。
「外せないのだ。誰にも」
無理に外そうとすると、外そうとした者にかなりのダメージを与える。一体誰がこんな術をかけたのか。
「ため息ばかりだね」
「そうだな」
ドラキーにからかわれ、久しぶりに笑みがこぼれた。
ギガンテスの方に向いてみる。青くひんやりした感覚。
「さあ、行け!」
「お急ぎください。さあ」
ギガンテスとラジュは、私たちを促す。
ククールがキメラのつばさを手にする。
どこへ……。
「いち、にい、さん!」
ドラキーの掛け声に合わせ、キメラのつばさが投げられる。
私には、思いつく場所がなかった……。
二人で逃げることができました。いちいち三角谷に行ってすみません。たぶんまた来ます。そういえば昔のドラクエにバシルーラってありましたね。ちょっと思い出しました。次は二人でルーラした先でのお話です。