「ここは……」
三角谷を離れてやって来た場所は、湿気と埃が充満している空間だった。
「暑いぞ」
ムシムシと熱気が感じられる。
「どこへ来たのだ……」
移動呪文の時に行き先を唱えなければ、どこへも行けないはず。私は何も言えなかった。ククールらしき男は言葉を発せられないはず。不思議なこともあるものだ。サヴェッラでもなく、トロデーンでもない場所。いや、もしかしたらサヴェッラかゴルドの底かも知れない。
考えた所で仕方がない。目が見えないのだから。私は手であたりを探った。
地面は土のようだ。こんな湿気の多い中なのに、固く乾いている。地面から手を離し、立ち上がって少し上を探る。
「壁か」
土の固まったような、石のような壁。井戸か。水の枯れた井戸……井戸ならば地上に通じているはず。大声でも出して助けを求めるか、壁を叩いて外に知らせるか……。
それより、一緒に飛んだククールらしき男はどうしたのだろう。
「ククール、いないのか?」
声をかける。だが、返事はない。ククールらしき男はいないのか。どこか別の所へ飛ばされてしまったのか。
やれやれ、振り出しに戻ったような気がする。ゴルドの底からククールに助け出され……。
!!!
不意に肩を掴まれる。
「んあぎ……がいがごうう?」
ククールか?
男は私を壁に押し付ける。
「何を言っている? 大丈夫かと聞いたのなら、私は大丈夫だ」
話の通じないのがもどかしい。
「ここに見覚えはあるか? そうなら私の肩に手を置け。ないのなら二度叩け」
「……」
肩を二度叩かれる。
なぜ、行き先をサヴェッラと言えなかったのだろうか。
まだ生に未練があるのか。
ククールらしき男は、私をその場に座らせ、周囲を見て回っているようだ。トントンと壁を叩いたり、何か投げたりしている。だがしばらくすると、戻ってきて私の隣に座りこんだ。
「蒸し暑いな」
「……」
肩を二度叩かれる。
私はマイエラ修道院の抜け道を思い出していた。地下牢の拷問具の一つはフェイクで、外部に出られるようになっている。エイトたち一行が逃げた通路だ。あの時、彼らを逃がしたのはククール。あのあとドルマゲスに院長様が殺されることになってしまった。私とエイトたちの出会いは、ドルマゲスを通じてだった。ドルマゲスの話を彼らからよく聞いておけば、あんなことにはならなかったのではなかろうか。
いや、今さら……。後悔する事ばかり。だが、あのころの自分を否定することはできない。やるべきことが多くあり、目指す騎士団の形があったのだから。そして、修道院の外に出てしまったのだから。
この井戸の底では、今が朝なのか夜なのか全くわからない。動き回ってもすぐに行き止まり。それに時おり間欠泉のように熱い蒸気が噴き出る。見えない私は不便を感ずるより他ない。
「あ……」
「ククールか、どうした?」
暑かったり寒かったり、気温が全く読めない。
「んん……っ!」
……うわごとか。
私をかくまってマイエラにいたときと同じだ。今と同じように隣り合って眠り、互いの体温を感じている。
生きている。
ただそれだけだった。
閉ざされた空間で、どのくらいの時が経っただろうか。目の見えない私と、口のきけないククールでは、食料の調達もできず、次第に体力を失っていった。ククールなどはまったく食事もしていない。本人の持っている自然治癒の魔力だけで保っているのだろう。あとは眠ることで生命は維持できるが、私よりも確実に弱っているはずだ。
移動手段であるキメラの翼はもう残っていない。
「水は……」
もう立ち上がることもできなかった。湿気はあるが、喉を潤す水はない。間欠泉の蒸気も、あっという間に空気中に消え、集めることはできない。
「あぎ……めん」
「なんだ、謝っているのか?」
肩を二度叩き、身体をすりつけてくる。その様子はまるで犬が甘えているかのようだ。
「……何も謝ることはない」
せめて目が見えれば。
この男には、ククールかどうか問うた。彼はそうだ答えた。
あの山小屋で監禁された時から予想していたことだが、あの時は、彼の身の安全のために認めてしまってはいけないような気がしていた。それに私の中に、わずかだがククールではないのではという気持ちもあった。しょうこう熱の治癒呪文ができ、三角谷への移動を指示し、こうして身を寄せ合えば伝わってくるぬくもりはまぎれもなく弟であるのに。その姿は見えない。もし、猿ぐつわが外れ言葉を発しても、自らの目で確かめるまでは信じられないのではないだろうか。
思っていることを話したい。だが、本当にククールなのか。
時々、意識が遠くなる。脱水症状だろう。まっすぐ死に向かっている。
ククールは、どこからか水を運んでくる。布がやっと湿る程度の量で、私の口を潤してくれる。
「手が自由なのだろう? 私を置いてゆけ。エイトに会い、その猿ぐつわを外してもらうがよい。彼ならば、お前を助けることができるだろう」
私は何度もそう言った。だが、ククールは嫌がって私から離れようとしない。
意識のなくなる時間が長くなってきた。ククールも水を取りに行かないで私の隣で横たわった。
このまま二人でオディロ院長様のところへ行くのか。
それも悪くない。
勝手に死ぬな、とククールは言い、ゴルドで私を助けた。
エイトもそうだった。死なせないと言った。だが、ククールと死ぬのであれば、もういいだろう。
許してくれ。
私は、薄れゆく意識の中で、さまざまなことを思い出していた。ドニでの生活、ククールの誕生、マイエラでの日々。法皇への道、暗黒神との出会い。
伝えなければならない、弟に。ククールがいなかったならば、今までの私はいないのだ。あらゆる決断の場面に、弟はいたのだ。
ククールは、私を抱くようにして壁に寄りかかっていた。
「聞いてくれ……お前がククールだとして、私は話そう。もし、ククールでないなら、そして、生き延びることができるなら、彼に……弟に伝えてもらえればありがたい……」
さらさらとした髪が私の頬を撫でる。
「……ゴルドが陥ちたあと、私はククールに助けられた。その後一人になった私は、今この場所のような砂地の場所で死にかけていたが、またククールに助けられた。今度は一緒にドニへ行った。それから場所を変えたりしてククールは私を必死にかくまうが、トロデーン軍に見つかってしまった。トロデーン牢に入れられ、サヴェッラ移送となった。だが、移送の日に脱獄。おそらく、ククールが脱獄させた。そのままお前とこうして一緒にいる」
ククールは私を抱きしめたまま静かにうなずく。
「……トロデーンに見つかるまでの間……ドニにいた時だ、ククールも私も、ろくに話をしなかった。私自身、どうしていいのかわからなかったのだ。ただ、弟は泣き、苦しみを抱えているように見えた。私は、それをわかってやらなかった。
自分が死ぬことばかり考えていた。
教会と、トロデーンや勇者らが私との関わりのせいで問題が起きぬようにするには、どう始末をつければよいかと。……弟が、私を討つのが最善だった。エイトがトロデーン王室に入り、弟が私を討てば勇者たちも安泰となる。弟はもともとマイエラの聖堂騎士団員。教会のほうもそれならば納得する。
……だが、弟は私を救ったのだ。なぜだ……。私にはそんな価値はない。もう、私のことで悩んで欲しくない。弟には、日の当たる場所で自由に生きて欲しいのだ。
私がこの世からいなくなれば、心残りはなくなるはずだ。弟は、皆から愛され、幸せになるはずだった。私に関わったせいで、暗い道も選ばねばならなくなった。
私は早く死にたかった。……トロデーンの牢では、毎日そうだった。だが、エイトがそれを許さなかった。そして脱獄だ。お前と一緒に。私はお前をどうしてやることもできない。
ここでこうしているうちに、お前も弱ってしまったな。エイトのところへ行く力もないのだろう。……今となっては、お前と共に死ぬのもよいのかもしれない。お前は、いつも自由に見えたが、実際そうではなかったのだな。私に振り回され、常に何かを探していた。違う世界に行けたと思っても、私のことでまた……」
ククールが笑ったようだった。
私も笑みがこぼれただろう。
ククールは、猿ぐつわのままで私に口付けた。私たちは頬を合わせた。
「……お前と死ぬのはいい。だが、ここではなく、オディロ院長様の墓前で死にたいものだ。私を許してくれるのは、あの方だけだろう」
ククールは泣いているようだった。オレンジの布も涙で濡れたのだろう、術のかかっている私の手枷の布も濡れてくる。
そのとき唐突に、あまりにも単純すぎることが頭のなかに巡った。
「最後に、私の手に、お前の猿ぐつわを触れさせてはくれないか?」
「ん……がっ? がかっが……」
このオレンジの布を外そうとすると、全身が痺れに襲われる。
もし、布に同じ術がかかっているのなら、布が触れあえば、外れるかもしれない。……そのことは痺れを感じたときにすぐに思いついたことだった。だが、あまりに単純すぎた。そして万が一、布が触れるせいで、何らかの魔術が発動し、痺れでは済まされない事態が起こらぬとも限らない。
この男はククールに間違いない。もし違っていても、運命を共にと思っているならば試したい。
「……何があっても、私は後悔しない。その結果燃え尽きても、凍りついても、塵と消えようとも。お前にもその覚悟があるなら、私にお前の猿ぐつわを外させてくれ。嫌なら、今この場から立ち去ってくれ。……もし外れたら、私をマイエラに連れて行ってくれ……」
ククールは、何度か肩を叩いてから、私の手元に顔を寄せた。
このまま二人は仲良くなれるといいのですが。次もまだ井戸の底にいます。井戸好きですみません。砂漠地方にある井戸を想定してください。