三角谷での日々は、穏やかそのものだった。
酒場のマスターとラジュはは、私たちの体調管理をし、身体に合った食事を提供してくれた。そして、あのギガンテスは黙って私たちと共に時を過ごした。
体力が徐々に回復していき、10日も経つと私たちの剣の稽古の時間が増えていった。
ある日のこと。
私たちは、ギガンテスの側で休息をとっていた。
「そろそろだ」
「?」
ギガンテスが空を見上げた。
「明日あたり、行くがいい」
「明日ぁ?」
ギガンテスの言葉に、弟はあくびまじりに応える。
「そうだ。明日、朝」
「朝ねえ」
弟は、ギガンテスに寄りかかり、知らんぷりしている。
そんな様子を、ギガンテスは咎めることもせず、青空を見上げたまま。
明日、朝。
ギガンテスは、弟に、サヴェッラへ行けと伝えたのだ。
弟もわかっているのだろう。
私の細かい処罰を聞いてくるのだ。ニノ新法王に。
ニノ……。
いや、個人的なことは考えまい。私が教会と関わりなくなるのだから、ニノとも何らつながりはない。
軽い処罰は、私のプライドを利用したものだろう。教会関係者を訪ねたしても、何の罪滅ぼしもしない私など、会う価値もないのだ。
罰が与えられれば、罪が許される時は訪れる。例えば、死罪を言い渡されれば、その瞬間、私は解放されるのだ。だが、罰は与えられない。許されないということなのだ。罪を一生背負い、生きなければならない。
自分で枷をはめて生きなければならないのだ。
その私を、弟が責任を持たねばならない。
結局、私は弟を解放してやれないのか…。
弟は、のんきな顔をして鼻歌を歌っている。
「ククール……」
「ん?」
「明日……」
「大丈夫だって! ちゃんと迎えに来てやるよ」
「そういうことではない。サヴェッラへ行ったら……」
「いいんだって! 上手く行くよ」
「おい!」
弟は、私の言葉を遮り、立ち上がった。
「なあ、三角谷に住むのも良くねえ?」
「何を言っている」
「逃げんなよ」
「逃げはしない。私を……」
「まだそんなこと言ってんのかよ?」
「まだ何も言っていない」
「わかってんだよ、あんたの言いたいことくらい。サヴェッラへ行ったら、兄は三角谷というところにいます。案内しますので捕らえて処刑してくださいとか言えってんだろ?」
「……」
「どこまでプライド高いんだか」
「このまま私と共にいれば、お前も生き地獄だろう」
「生き地獄か。オレと生きるのは、兄貴には生き地獄か」
「そうではないが……」
弟は、再び腰を下ろし、私をまっすぐ見つめる。
「あんたの能力は、なんかの形で発揮できるさ。まだまだ強いんだから……。南の大陸に砂漠の教会あるだろ? あの辺りに住むんだよ。で、ちょっと行ったところに竜骨の迷宮ってのがあるんだけど、あの中はかなり面白いんだが、魔物が強い。そこで護衛として観光客に同行するのさ。どう? 名案じゃねえ? 実はそのツアーについての話はもうできてる。いつからでも始められるぜ」
弟は嬉しそうに笑う。
お前は、こんなふうに笑うのか。だが……。
いや、今はよそう。
「……いい考えだな」
「だろ? だからさ、明日は兄貴は一人で不安かもしれないけど、すぐに帰って来るから、ギガンテスと一緒に待っててくれよ」
* * * * *
「ただいま!」
翌日、サヴェッラに出かけたククールが戻ってきたのは、昼少し前だった。
「早かったですね、ククールさん」
「ラジュちゃん、ただいまー」
ククールは、まっすぐバーへやってくる。
「兄貴いる……? ……何やってんの?」
弟は眉間に少ししわをよせた。
弟が訝るのはもっともだ。なぜなら私はカウンターの内側にいるからだ。
「……何って、酒を作っている」
私は、マスターからカクテルの作り方を習っていたのだ。
「オレに?」
「そういうわけではない」
ところが弟は、「ケチなこと言うなよ」と言いながら、できの悪いカクテルを飲み干した。
「かー! 美味いよ。マスターと同じ味だ」
「お前は味音痴か?」
「いえいえ、マルチェロさん、あなたは素晴らしいバーテンダーになれますよ」
「おう、なれるなれる! おかわり!」
「なぜお前が調子にのる?」
ククールは、ふっと目を伏せた。
「いやあ、兄貴にカクテル作ってもらえるなんて夢みたいだ。何杯でも飲むよ」
私の弟は、こんな表情をするのか。穏やかで、優しい。
大人になったということか。
「お前は……21歳になるのか」
「ああ。兄貴は29歳か。おっさんだな」
「黙れ……」
そんな他愛ない話で和む。マスターも静かに見守っている。
サヴェッラの沙汰は、どうであったのか。やはり死罪ということにでもなったのだろうか……。
カクテルのおかわりを飲み干しても、弟はなかなか話し出さない。
マスターもラジュも、そのことには触れない。
一体、どんな沙汰があったのか……。
「……あーあ、昼間の酒は効くぜ」
「…………」
「オレ、兄貴を愛してるよ」
「…………?」
「一緒にいてくれ」
「どういうことなんだ。説明しろ」
しびれを切らした私は弟に問うた。
「説明も何もないさ。イシュマウリの言った通りだったよ。マイエラの指揮権を剥奪、聖堂騎士団除名だ。そして、身柄の責任はオレ」
「それだけか?」
「それだけだ。どこでどう暮らそうが勝手だ。ただ、オレと離れて生活するなら、細かい制約があるけど。……一緒に暮らすだろ?」
甘えるように見上げてくる青い瞳。今さら反対する理由もない。
弟のいいようにしてやりたい。
「任せる……」
「ホント? なあ、小さい家でもいいか? 寒いところより暖かいほうがいいだろ? 砂漠のほうじゃあんまり美味いものはないけど、ベルガラックはそう遠くないし……てか、オレならルーラでどこへでも連れて行ってやれるし」
「ああ、お前にすべて任せる」
「兄貴……」
弟は酒のせいもあるのだろう、今後のことをあれやこれやとそれは楽しそうに話し続けた。
ククールがサヴェッラへ出向いてから5日が経っていた。私たちは三角谷を離れることに決めた。
ここの住民は皆、私が何をしたかを知っているにも関わらず、親切にしてくれた。感謝してもしきれない。
人とのかかわりなど、自分の利益になるもののみを求めてきた私にとって、これまでは安らぐものではなかった。
だが、この三角谷で過ごした十数日間、私は安らぎというやわらかな時間に包まれていた。
安らぎとは、安直で生ぬるい、自己を甘やかす何物でもない。私には必要のないもの。そうずっと思っていた。いや、今もそうだ。
だが、あの地の底にいて、身体が衰え、身の置き場のなかった私には必要なものだった。
安らぎなど、求めるものではない。安らぎは与えられるものなのだろう。
三角谷のギガンテスは、常に素っ気ないのだが、黙って寄りかからせてくれた。
ラジュも、何も詮索せずに体調管理をしてくれた。
酒場のマスターは、旧知の仲のように私に接してくれた。
不思議だった。私のいた世界では、マイエラのマルチェロ、野望叶えるために手段も選ばぬ冷血漢という目で見られ、多くの人間は、私の姿に眉をひそめ、または揉み手をしてすりよってきたのに。
ここは違った。野望潰えた私を、初心に戻してくれたのだ。何も考えず、真っ白な気持ちに。
私は自由を手に入れたのだろうか。
「ありがとな、ギガンテスもドラキーも」
「大変世話になった」
森の奥でギガンテスとドラキーに別れを告げる。
二人で並んで村の入り口に戻る。マスターとラジュ、村人たちとここで暮らす魔物たちも見送りに来ている。
「いつでもいらしてくださいね。ギガンテスも楽しみにしています」
「ラジュ殿、本当に世話になった。安らぐ日々を与えてくれたことに感謝します」
「ラジュちゃん、また来るよ。それまで元気でね」
私たちは、三角谷の皆に見送られ、砂漠へと移動した。
* * * * *
「ここは……?」
砂漠地方、砂漠の教会から森に入ったところに小さな家があった。
「お前が見つけたのか?」
「まあね」
小さいが、まだ新しい家だ。
「この辺りは砂漠の教会の……」
「大丈夫だよ。何も心配ない」
「しかし……」
ククールは鍵を開け、静かに扉を引いた。
この地域は間違いなく砂漠の教会の管理下にある。家は勝手に建ててよいわけではないのだ。オークニス以外は、王室または教会の領土だ。砂漠地域はサザンビーク領だが、管理は教会に委ねているはず。
だからといって、住民登録をしなければならないと言うでもなし。ククールが大丈夫と言うなら、大丈夫なのだろう。
家の窓を開ける。途端に、たまっていた埃が舞い上がる。よどんでいた空気が窓から出ていく。
不思議なものだ。見えなかった埃も空気も、動くことでその存在が気づかれる。
私も、この部屋の埃のように静かにしておれば追い出されることもないのだろうか。
私たちは黙々と掃除を続け、最後に厨房に火を入れた。
「湿気ていなかったんだな、この薪」
パチパチと燃え上がる薪を嬉しそうにククールが見つめている。
「兄貴の火が強いのかもな」
私に笑顔を向ける。
「湯を沸かすか……」
私はやかんを探し出し、湯を沸かすことにする。
「井戸は外なんだ。汲みに行こう」
大きな水瓶がいっぱいになるまで、何往復かしなければならなかったが、井戸水は水量が豊富でそれほどの時間はかからなかった。
「ちゃんとお風呂もあるんだよ。浴槽はないけど、お湯が沸かせる。ちょっと工事してさ、オレがシャワー作ったんだ」
風呂用の水も汲んでおく。こちらは井戸からも近く、家の中へ運び入れるより楽だった。
「お前はそんなこともできるのか」
「まあね。家の修繕もしたんだぜ。砂塵避けに壁を修復した。それから、床が冷たいから土間の上に保温性のある土を入れて……」
弟は、この家に快適に住めるように多くの工夫をしていたようだ。何をどんなふうに作り直したのか、一つずつ指をさしながら説明する。
そのたびに向けられる笑顔。ククールの優しさは、私にはまだ慣れない。あの笑顔を向けられる資格が、私にはない。
ククールに従わねばならないことはわかっている。私の身柄は彼預けなのだから。二人で暮らすことも、既に決めたことだ。
だが実際、どう生活する?
私には資産はない。ククールとて同じだろう。
竜骨の迷宮とやらのツアーガイドも、2人が食べて行くのに足りる収入があるのか。
湯が沸いてくる。煎れる茶もないというのに。
私はやかんをおろす。だが、そのあとにすることがない。
「お茶でもあればなあ」
ククールは屈託なくそう言って笑う。
まだ日は高い。今後の話でもすればよいのだろうが、私はやかんから立ち上る湯気を見つめることしかできなかった。
第4章終わりです。次章は少し前のお話になります。