「ようこそ、月の世界へ……」
あたしとエイトは、トロデーン城の図書室から月の世界へやって来た。この世界の住人であるイシュマウリさんは、例の竪琴を胸に、静かにたたずんでいた。
「こんばんは、イシュマウリさん」
エイトはにこにこと挨拶をしている。
「ねえ、エイト? こんな所へ来ちゃって、時間は大丈夫なの? あの兵士さん、すぐに図書室に来るわよ。あたしたちがいなくなってたらおかしくない?」
そうよ。なんだか勢いで来ちゃったけれど、エイトはともかく、あたしの行動は絶対に監視されている。エイトと一緒に短時間でも姿がなくなっていたら怪しまれる。てゆーか、どうしてここへ?
「大丈夫。ここは月の世界。時間の経過はないんだ。立証済みだから安心して。そして、図書室のあの影のことは誰も知らない。僕がつくったんだ」
「そうだったの……。ねえ、エイト! あの……」
時間の心配がないのね。それなら安心だわ。ああ、何から聞いていいかわからない!
「順を追って話すよ。ごめんね、何も伝えられなくて。きゅうくつだったでしょ」
「きゅうくつだなんて。エイトこそ……」
エイトはすうっと息をついて、座った。
月の世界……イシュマウリさんのおうちは水色でキラキラしていて、すこし冷たい感じがする。あたしはエイトのすぐ近くに座った。
?
エイトがあたしの手を握る。
「ゼシカ……」
「エイト?」
エイトは一瞬あたしを見て、そしてぎゅっと目を閉じる。
あたしは空いている方の手をエイトの手に乗せた。
「エイト……泣いているの?」
「……」
エイトはミーティア姫さまに結婚を申し込んだ。サザンビーク王室の血を引くエイト。これで古き約束が果たされる。これでエイトの言う、「全てうまく行く」ことになったの?
ククールにマルチェロを探させて、見つけて。でもマルチェロは今、トロデーンに投獄されている。もうすぐククールの居場所もわかって、トロデーンに来ることになるだろう。ククールは、マルチェロの投獄を知っているの? マルチェロが捕まった時、一緒にいたの?
マルチェロの罪は、どうなるの?
エイトはしばらく黙っていた。あたしはエイトが何を考えているのかわからない。ククールの気持ちも。あなたたちは一番一緒にいたい人と離れて、別の人のために生きるの?
「恩赦を……」
「え?」
「恩赦を願い出るつもりなんだ」
恩赦。罪を償っている人を特別に赦すこと。結婚とか、戴冠とか、そういうときに。
「あの人が投獄されているって本当なのね?」
エイトは黙ってうなずいた。
「ここではマルチェロさんの名前を出しても大丈夫。僕たちの世界とは隔絶されているから」
「そう。エイト、あなた……恩赦のために結婚を? マルチェロって、どういうことで投獄されているの? それより、捕まったのは竜神族の里なの? トロデ王さまはいつ竜神族の里のことを知ったの? ククールは一緒だったの?」
あたしは我慢できなくなって、次々に質問してしまった。
「……ククールがマルチェロさんを見つけたら、きっと竜神族の里に行くだろうって思った。だから、トーポ……グルーノおじいさんにお願いしておいたんだ。もちろん、竜神王にも。竜神族の里は、暗黒神も女神も関係ないから、僕の願いを聞いてくれて。……それで、様子を見に何度か行ってたんだよ。もちろん、一人でね。でも、僕の行動もチェックされてたから、王にばれちゃって。マルチェロさんのことでククールと連絡を取り合ってると思われてたみたい」
「ククールは……」
エイトは、黙って首を横に振った。
「みんなで竜神族の里に行ったあと、ククール一人でマルチェロさんを探し、隠すように言ったんだ。僕と会ってたりしたら、マルチェロさんの身が危なくなる」
「そうだったのね」
だからククールとの連絡はヤンガスがするようにしてたのね。ゲルダさんのところにヤンガスもあたしもいれば、監視の目は集中する。サヴェッラやお城の軍隊は、ククールだけを探せばよかった。ただ、ククールは移動呪文が使えるから、その所在を把握するのは難しかったでしょうね。
「マルチェロ、どうなるのかしら。暗黒神は滅んだし、ゴルドに落ちた人もみんな助かってるし」
「……暗黒神一連の事件で生き残ってるのはマルチェロさんだけだ。それに、あの人は前法皇様の殺害に関与している」
「……」
エイトは深いため息をつく。
「サヴェッラへ連れて行かれるの?」
「いや、今の所、それはない」
今の所……。
「マルチェロには会ったの?」
「うん。地下牢に収監されている。どこか、悟ったような雰囲気があってね。ゴルドで対峙したときとは別人だったよ。話してみると、やっぱりきちんとした人だった。礼儀正しくて、思慮深くて」
そうなのね。あたしはいまだに高慢ちきでイヤミな男という印象が抜けないけれど。話してみれば違うのかしら。
「恩赦になりそうなの?」
「わからない。その前に、サザンビークに行って、クラビウス王に会ってこないと」
「あたしたちも行くのね?」
「王がそう言ってたよね。多分、この前の大臣の事件とか、チャゴス王子の王の儀式では貸しを作ってるからね。良いカードを使わない手はないよ」
エイトがサザンビークの血を引いていれば、「古き約束」は果たせる。
「サザンビークは了承するのかしら」
「どうだろうね。もともと、『古き約束』のための結婚だから。一人しかいないトロデーン王家の姫を無理に出すことはないから。その事情はサザンビークだってわかってるよ」
そうね。お互い一人っ子だもの。クラビウス王だって、チャゴスを婿に出せって言われたら嫌よね。
「チャゴス王子との結婚がなくなって、僕との結婚が決まれば、恩赦の話ができる。王族の結婚にはサヴェッラの承認が必要なんだ。サヴェッラの承認をもらう前に、恩赦の対象者にしてもらいたいんだ。そうしないと、きっと、身柄がサヴェッラに移される。そうなったら、あの人は一生煉獄島か処刑だよ」
「そんな……」
「確かに、法皇様暗殺の罪は重い。でも、それは暗黒神の杖のせいだ。マルチェロさんがどう言っても……僕はあの人を助けたいんだ」
「……エイト」
それは、みんなククールのためなのね。
あなたが一番大切に思っている人のためなのね。
「……僕、ひどい人間だ。姫や王に嘘をついて」
「エイト……」
「でも、こうしなければ、ククールが……」
エイトは立ち上がった。
「……トロデーンには感謝してるんだよ、僕は。僕を拾って育ててくれて。兵士にさせてくれて。それで、サザンビークの血をひいてるってわかっても、王は『今さらお前をサザンビークに返すわけにはいかん。ここにいろ』って言ったんだ。もちろん、トロデーンで軍の機密に触れている僕がサザンビーク城に入るわけにはいかないけど、そういうことじゃなくて、僕を大切に思ってくれて、そう言ったんだ」
エイトはトロデーンに恩がある。エイトがどういう育ちをしてきたか、あたしは知らない。でも、親を亡くして、一人っきりで放り出された自分をずっと育ててくれたトロデーンは、エイトにとっては実家のようなもの。姫さまだってエイトが大好きなんですもの。古き約束なんてなくたって、姫さまはエイトと結婚したいでしょうね。
「恩赦の話が出たら、ゼシカも協力してくれる?」
「協力?」
あたしなんかが? あたしに発言権があるの?
「暗黒神の杖の呪いについてマルチェロさんのために語ることができるのは、ゼシカ、君だけなんだ」
「そ、そうか。王さまや姫さまも呪われてた時のあたしの様子は知ってるし、あとはサヴェッラに言えばいいのね?」
「うん。お願いします」
エイトは深々と頭を下げる。
「ちょっ、いやだわ、エイト。頭上げてよ」
「……でももし、ゼシカがマルチェロさんを許せない、っていうなら……別の方法を考えるよ」
「ええっ? 何言ってるのよ、あたしは別にマルチェロが……まあ、あんまり好きじゃないけど……。煉獄島に入れられたときはアタマきたわ。いえ、それよりマイエラ修道院で牢に入れられた時の方がアタマきたわね。あの時のこと、ちょっとでも悪いと思ってるのならいいわ」
エイトは、ああ、それなら大丈夫、と言って、久しぶりに笑顔を見せた。
「牢に行ったとき、『いろいろすまなかった』って言ってたよ。何もなければあの人は穏やかで優しい人なんだと思う。頭がいいから、悪い人も集まってきて、それに対応してばかりいたからああも研ぎ澄まされた人になっちゃったんだと思う」
「そ、そうなの?」
「ククールもああだしね」
「そうね。似た者きょうだいよね。素直じゃないし」
あたしたちは少し笑った。
これから起きることは、魔物との戦いじゃない。いろんな思惑を持った、生身の人間との交渉。がむしゃらに戦いのレベル上げればよかった暗黒神戦よりもずっと厄介なのかもしれないわ。
「話すときはこのイシュマウリさんのおうちでね。そうだ、ゼシカにこれを渡しておくよ」
エイトはそう言って、ポケットからなにやら取り出す。
木の棒?
「これ何?」
「はしっこの部分引っ張ってみて」
あたしは言われた通り、棒切れのはしを引っ張る。
「これ!」
「僕が作ったんだよ」
広げると、それは手のひらサイズの窓枠になった。
「ゼシカのいるゲストルームから、ここへ来られる。僕も図書館から行かれるから、時間合わせてここへ来よう。……気づいてると思うけど、ゼシカのゲストルームの話は、王に筒抜けだよ。だから、僕が君の部屋へ行っても、あたりさわりのないことだけ喋ってね」
「わかったわ」
筒抜けか。まあ、予想はしていたけれど。
「……ククールの居場所、エイトは知ってるの?」
「いや、わからない。それは本当だ。竜神族の里で会えるかと思ってるんだけど、なかなか僕も抜けられなくて」
「ここ、イシュマウリさんのおうちに来てもらうことはできないの?」
「それを考えてるんだけどね。なかなか……。ねえ、イシュマウリさん、ククールってここへ来ますか?」
エイトが声をかけると、イシュマウリさんが音もなくこちらへやって来た。
「……そのことについて、答えるべきではない、と月が教えている……」
「……」
「……」
相変わらず意味不明だわ。この人。
「ヤンガスは?」
「ヤンは来ないよ。ほら、ヤンてお化け的なもの、苦手でしょ? まあ、ヤンとは合う機会が多いし、ヤンにはまた別のところで動いてもらうから、心配しないで」
さすがエイト。舎弟の使い方を心得てるわ。
「実は、あるものを発明したんだ」
「あるもの?」
「うん。溶ける紙」
「溶ける紙? そんなのその辺に売ってるじゃない。子供だって持ってるわ」
「え? そうなの?」
水に溶ける性質の紙を利用した子供のおもちゃとして広く普及している。
「そうよ。ポルクやマルクだって、いっつも暗号だとか言って書いて溶かして遊んでるわ。そんな紙使わなくたって燃やせばいいじゃないって、燃やしてやって泣かせたことあるけど」
「ゼシカ……」
「ああでも、特殊なインクも必要なのよね、それ」
「じゃあ、ぼくの発明品の方が優秀だよ。どんな紙でもどんなインクでもいいんだ」
「へえ! どうして?」
「魔法をね。……物質と物質の統合性を持たせたり、反応を特別なものにするような魔法の練習をしてるんだ」
「……???」
エイトは、その魔法について熱く語った。でも、あたしにはさっぱり。
「エイトって勉強家なのね」
「そう? ありがと。……僕もいつまでも剣振ってるだけじゃダメなんだと思ってね」
「……コホン」
えっ?
イシュマウリさんがエイトの頭に手を置く。
「……人と竜神の子よ、物事の真理というものは一つとして定まらない。見方により、変化し、作用し、常にその形をかえるもの。美しい音楽もまた、状況によって悲しくも激しくもなる……」
……はい?
エイトは頭に手を置かれたまま、苦笑いしている。
ああ、そうか、イシュマウリさんに習ってるのね、その不思議な魔法。
「師匠がいいからってことね」
「うん、まあ、そうかな」
あたしたちは、元の世界に戻ることに。
明日から忙しくなるのね。
イシュマウリは不思議な力を持っている人なので、いろいろ便利な人として登場します。次もトロデーンでのお話です。