サザンビークに婚礼をお断りに行く日がいよいよ明日に迫った。
あたしは姫さまとその準備をし、今日は早めに休むことに。
トントン──
「はい、どうぞ」
誰かしら。
「ごめんね、僕だよ」
「エイト?」
もしかして、イシュマウリさんのところに行けるかしら?
「お城の見回りしてて見つけたんだけど、ゼシカの物だなと思って持ってきたんだ。 明日でいいかなとも思ったんだけど、明日はほら、忙しいから」
やだ、あたしったら落し物?
エイトは部屋に入って来ない。ああ、そうか。ゲストルームだし、いちおう、あたしもお年頃の女の子だし。
あたしはドアを開ける。ちょっと、また他の兵士が一緒じゃないの。ああ、トイレ探しのときのあの人か。エイトの監視係なのかしら。
「……これ」
エイトは小さな瓶を寄越す。
「ほら、あのトイレに落ちてたんだよ。ゼシカのムチのオイルでしょ?」
「えっ? あ、ああ、そうね、やだ、そんなところで落としたのね。お城にいるとムチなんて使わないから、手入れもしてなくて……」
これは本当。いつもあたしが使ってるムチ用のオイル。でも落としたはずはない。だって、持ってきてないもの。エイト、同じの用意していたわね。ふたを開けると、思った通り、ちょっと使ってある。手がこんでるわ。
「じゃ、おやすみなさい。明日はよろしくね」
エイトはそう言って扉を閉める。一緒にいる兵士もあたしたちの会話をきっちり聞いていた感じ。
……ったく、なにがおやすみなさいよ。
エイトが寄越したビンの底には、小さい紙が貼ってある。
あたしはバッグに瓶をしまいながら、紙を広げる。
──すぐ行ってね!
これって!
あたしは、紙をポケットにしまい、エイトの工作した窓枠を広げた。月明かりを受け、窓枠の影は元気に伸びて行く。あたしは扉を開いた。
* * * * *
「……ようこそ、月の世界へ」
「こんばんは、イシュマウリさん」
イシュマウリさんは澄まして竪琴を弾いている。
「よっ! ハニー、久しぶり!」
ハニーって!
イシュマウリさんの後ろから人が。
「バカバカバカ! どこにいたのよ! マルチェロが大変なのよ? トロデーンに捕まって、それで、明日サザンビークに!」
ああ、あたしったら、何言ってるのかしら!
「おいおい、落ち着いてくれよ、オレは大丈夫だ。……元気そうだな、ゼシカ」
「元気そうだな、じゃないわよ!」
なんだかよくわからないけれど、涙が出る。
「ククールのバカ!」
なんで、ククールのバカって言っちゃうんだろう。
「あのね、エイトが……」
そう、エイトが。
「ごめんな、ゼシカ。いつも心配させて」
……ククールのバカ!
「溶ける紙、持ってるか? ここで溶かそうぜ。面白いんだぜ?」
ククールはニコニコして自分の持っていた紙を見せる。そして細く水が噴出しているところに紙を置く。紙は水の上でピラピラとおどり、だんだん小さくなって消えた。
「人の子よ、私の家に来るのは良いが、美しいこの景色を乱すのは……」
「いいじゃんいいじゃん、ケチだなあ。ほら、ゼシカも持ってるだろ? エイトの溶ける紙。あいつ、トゲトゲに届けさせるもんだから、ヤツの手汗で半分溶けてやがって……」
ヤンガスの悪口を言いながら、あたしが持っていた溶ける紙を、同じように噴水の上で踊らせるククール。その横顔は青白い光を受けて悲しく微笑んでいる。
「ククール、どこから来たの?」
「オレはドニだ。宿屋の二階。酒場と宿屋を行ったり来たりしてたんだが、どうやらオレ捜索隊のヤツらとは気が合わないみたいでな、ぜんぜん遭遇しなかったんだ。で、やっとこさトゲトゲがやって来て、今さっきここへ来たってわけだ」
「ヤンガスは来ないのよね?」
「ああ、あいつはお化けが苦手だからな」
やだ、ククールったら、イシュマウリさんをお化けだなんて。
「お待たせ!」
エイトが来た。
「よう、リーダー。久しぶりだな」
「うん。ククール、大丈夫? 今、いつ?」
は?
ああ、ここって時が止まってるんだっけ。
「オレは、戻ったら、ええと、お前らの戻る日の昼だな」
「そっか。僕とゼシカは同じくらいかな。ゼシカはさっき僕が部屋を訪ねた直後でしょ?」
「ええ、そうよ。エイトは違うの?」
「あの後、あの兵士と城の上の階を見回りしたから、深夜かな」
そういうことになるのね。
「ちょっと難しいよな。今、一緒にいるのに戻ると別なんてさ」
「そうだね。だから、ヤンは絶対呼べないよ。みんな一緒ならまだしも、イシュマウリさんな上に、時間までねじれてるんだもん」
あはは。そうね、ヤンガスってそういうの弱そう。
ポロローンと竪琴が響く。イシュマウリさんが近くにやって来た。
「……簡単に言うものではない。この月の世界への扉は、一度に一つしか開かない。それを特別に今回は3つ用意した。次からは必ず一緒に来るか、別々に来るように……」
「わかりました」
エイトが肩をすくめる。
一度に一つずつじゃなきゃ、混乱しちゃうわよね。月の世界も大変ね。
「……それで、うん、何から話したら……とりあえず、座ろうか」
あたしとククールは並んで座る。エイトはククールからちょっと離れて。
「オレならいいぜ。兄貴のことから教えてくれ」
「うん……」
エイトは、牢に入れられているマルチェロの様子を話した。
「……じゃあ、ちゃんと生きてはいるってことなんだな」
「もちろんだよ。悟ったような穏やかな表情をしてる」
「あいつ……何の罪で入ってるのかわかるか?」
「法皇様暗殺」
エイトは短く、でもはっきりと答えた。
ククールは、ふうっと息をつく。
「世論は……暗黒神の復活について言ってるけど、あいつの本当の罪はそっちなんだろうな、やっぱり」
「暗黒神については、話が大きすぎるからね。暗黒神はマルチェロさんの身体を使って復活を宣言した。だから一般の人はマルチェロさんが操られていたって言ってる。……マルチェロさん本人は、操られていたこととはいえ、自分に責任がある、って言ってるけど」
エイトったら、そんな話までしているのね。マルチェロの牢を訪ねて……。
「まあ、兄貴を竜神の里に置いてから、……いろいろあったけど、マジで、世論は操られた兄貴の超人的な行動を面白がってるくらいでさ。それよりも、あの暗黒神を倒したオレたち勇者のほうが有名だぜ。……あんま兄貴のこと言うヤツいないんだよ。ただ……」
明るく話していたククールだったけど、急に口を閉ざした。
世論がマルチェロのことをそんなに悪く言ってないのはあたしも知ってる。あんなの、一人の人間ができることじゃない。だって、『神』だもの。賢者のことは伝説になってるけど、大昔からあるゴルドの女神像の下に封じられていた暗黒魔城をマルチェロひとりがどうこうできたものじゃない。ただ、あの杖を持ってたってことだけ。法皇様の暗殺について、知る人は少ない。噂では、マルチェロがあの杖で……って。
「ねえ、杖のせいにできないかしら」
あたしは言った。
でも二人とも黙っている。
水の音と竪琴の音が、ひんやりした空間に流れる。
「……何のために、マルチェロを捕らえたのか」
少し離れた所で、イシュマウリさんが独り言のようにつぶやいた。
「サヴェッラも、身柄を欲しがってる」
エイトが早口でそう言った。
「……も?」
あたしは、わけがわからなくてエイトの顔を見る。
ククールは腕をしっかり組んだまま下を向いてしまって。
「……三国の王も、サヴェッラも、もうその先のことを見ている。暗黒神のことは、彼らにとっては終わったこと。そして、前法皇のことも」
イシュマウリさんはゆっくりとそう言った。
「終わったことって……どういうこと?」
あたしにはさっぱりわからない。
「……ゼシカ」
「エイト?」
エイトが深く息をついてあたしを見る。その黒い瞳は悲しそうで。
「……懸賞金がさ、出てたんだよ」
「懸賞金?」
「うん。公にはしてなかったけど、三国とサヴェッラでマルチェロさんを見つけたものには懸賞金を出そうって。金額と、負担者をどうするかでちょっともめててね。きちんと決まる前にトロデーンが見つけたから、実現はしなかったんだ」
「三国とサヴェッラが? どうして?」
懸賞金だなんて。ゴルドの一件以来、マルチェロは何もしていないじゃない。
「政治利用だよ」
ククールが答える。
「サヴェッラが身柄を欲しがるのは、前法皇暗殺のためだろうけど、一番は、現法皇であるニノの保身だ。あいつは兄貴と一緒になって権力を振りかざしていろいろやってたんだよ。兄貴がどっかの王室の相談役なんかになられたら、ニノの身が危ない。ニノはあんまり評判よくないからな。法皇の権力で、王室に無理難題吹っかけてくる可能性はある。王室は、そんなことは避けたいから、兄貴の身柄を確保して、身柄をやるかわりに、なんらかの便宜を求めることになるだろう。そうなったら、サヴェッラは多額のゴールドと何かの利権を王室に渡すことになる」
ククールはちょっと間をおいて続ける。
「……どっちみちサヴェッラ行きは確実だけど、サヴェッラが先に見つければ、兄貴の口封じをするだけで済む。それで、特にトロデーンに杖の責任をとらせる。まあ、これは、オレたちが暗黒神をやっつけたから大した問題にはならないが。ただ、オレはマルチェロの弟だ。サヴェッラは、トロデーンに強く出る。暗黒神をよみがえらせた兄と、その暗黒神を倒した弟……」
意味が分からない。マルチェロの罪は法皇様暗殺なのに、トロデーンに対して暗黒神の話を持ち出すのは変よ。暗黒神を倒したことで、杖のことはチャラになるって、今ククールが言ったじゃない。
「どういうこと? 暗黒神の騒ぎはヤラセじゃないか、とか?」
「そうじゃないんだよ、ゼシカ」
「エイト……」
「人の子よ……」
あたしの問いに、イシュマウリさんが答える。
「……勇者と犯罪者。これがきょうだいである、ということに問題がある……いや、問題にすることができる。……トロデーンは、どうしても先にマルチェロを見つけたかった。もし、トロデーン以外が先に見つければ、勇者の格が下がる。勇者の中に、犯罪者の弟がいるのだから」
「そんな……。格なんて、生きていくのに関係ないじゃない」
あたしは立ち上がった。
だっておかしいじゃない。マルチェロはマルチェロで、ククールはククールじゃないの。それに、マルチェロはあれっきりなにもしていない。
「……格が必要なところがあるだろ?」
「ククール。そんなの関係ないわ。あたしたち、そんなの必要? 格のために戦ったの? 違うわよ。兄さんの……いえ、簡単にいえば、悪い暗黒神を倒したかった、それだけじゃない!」
「そうだよ。ゼシカの言う通りなんだ。僕もそう思うんだ。本当に」
ククールもエイトも笑顔を向ける。
でも、何? どうしてこんなに悲しそうなの?
次はサザンビークへ行きます。