「ただいま。あれ?」
「……………」
「兄貴?」
「……………」
「兄貴、ただいまー。寝ちゃってんの?」
ククールだ。
「さ、ごめんね、今日は遅くなっちゃった。一緒にお風呂に入ろうね」
やって来て枷をはずす。
歯がある。手足もだ。頭髪も。
なんなのだ、また夢か?
いや、今が夢か?
「今日はさ、客に食事誘われちゃって、断るのに時間かかっちゃった」
「……そうか」
「なにそのうすーい反応。『ならば行けばよい』とか言わないの?」
「……いや」
「ねー、疲れちゃったから、今日も洗ってね」
長い腕を首に撒きつけてきて、甘えてそう言う。
絡まった銀髪を丁寧にとかしながら洗ってやる。
「ねー、どうしたの?」
「……疲れただろう。早く休め」
「わかってるよ。今日は奮発して兄貴の好きなぶどう酒買ってきたよ」
「お前が飲みたいのだろう?」
「まあね」
普段通り、シャワーを済ませ、食卓に着く。
ククールは終始機嫌よく、「旨い旨い」と言って料理に手を伸ばした。
「さ、寝よう」
「ずいぶん早いな」
食事のあと、いくらもたたないうちに、就寝を希望するなど珍しいことだった。
「何だよ、兄貴が早く休めっつったんじゃん」
「いやに素直なのだな」
「オレはいつだって生まれたての赤ん坊のように素直さ」
「わがままなだけだろう」
「もう……兄貴ったら意地悪なんだから。さ、可愛がってあげるよ」
「寝るんじゃなかったのか」
「やだな、兄貴。『寝る』っ言っても、オトナの意味だよー。さあ、早く早く!」
「就寝ではないのか」
「そっ。ベッドイン。メイクラブ。エッチなコトするってことだよ!」
「……」
寝台に入る。
ついさっきまでの甘えた口調とは裏腹に、行為は激しいものだった。こちらも身体に力を入れていないと、寝台から落とされてしまいそうだった。
「あっ……あっ……!」
ククールは二度続けて達し、ぐったりと私の上で身体を休める。
「おい、どけ。お前の精液で寝具が濡れる」
「えー。あっさりしてんの! もうちょっとこう……なんつーか、余韻に浸るとかないの?」
「ない。さあ、身体を洗うぞ」
私は、素早く寝台を降りると、水屋へ向かった。
「どうしちゃったのさ、兄貴。なんか変だよ」
「変?」
水屋へ向かう私を追いかけてくるククールに「変」と言われ、私は焦った。やはり、トルソーにされる記憶が、私に少しの恐怖をいだかせている。
「なんかあった?」
「ない」
変化を気づかれないように表情を隠す。
水屋に入り、もう一度身体を清める。
「ねえ、ホントに何にもなかったの?」
「ない」
あれは夢だ。だから、何もない。
「……誰か、来たの?」
「来ない」
「そう。なら良かった。…オレの兄貴……! でも、やっぱり変だよ。何かあったんだろ? 正直に言えよ!」
「……………」
今、「オレの兄貴」と言われ、肩に手を置かれた瞬間、身体がびくりと反応してしまった。
鮮やかによみがえる、トルソーの記憶。突然歯が浮いたような感覚を覚え、思わず口を押さえた。
そんな私の変化を、敏感な弟が察知しないわけはなく、がっちりと身体を捕まれ、寝台へ連れ戻された。
「なあ、もう一辺言うよ。何があったの?」
「……………」
私が何も言わないので、ククールも口を閉ざす。
今日は風もなく、わずかにフクロウのほうほうという声だけが森のほうから聞こえている。
森には魔物も住んでいるだろう。だが、この家の周囲には、結界をはっているので、襲ってくることはない。
多少不自由なものの、安全な家の中にいて今まで考えつかなかった。
もし、手足がなく、放置されたら。そこへ魔物がやって来たら。
「兄貴?」
「……………」
ククールは頬に優しく手を置く。
「怖いの? こっち見て………そんで、言ってよ」
ククールのサファイアの瞳は、慈悲深く微笑む。
これが、本当のククールか。それとも………。
「ね………」
「夢を見た」
「怖い夢?」
「そうだ。だが、今が夢の中かも知れない。私が夢と思っているのが現実で」
ククールは、「どんな夢か」とは尋ねず、黙って私を抱き締める。
口にするのもおぞましい行為。
わずかにぴくりとした私の身体を、ククールが優しく撫でる。
やはり、今が本当か。
私はククールの腕をそっと払い、起き上がった。
「……お前が、私の手足を切り落とした。邪魔だと言って。……そして頭髪と下を剃り、歯を何本か抜いた」
言ってしまえばなんのことはない、ただの夢なのだから。
「まるでトルソーだろう?」
「兄貴……」
ククールが悲しそうな声をあげて、抱きついてくる。
「痛かった?」
「当然だ。それよりも、ショックでおかしくなりそうだった」
ククールは優しく口づけてきて、寝台に私を寝かせた。
「ごめんね」
「夢の中のことだ」
ククールは、身体を重ねてきて、私の頬を撫でながら何度も口づけを落とす。
「ごめん……」
「もういいから、降りてくれ。重い」
ククールは、身体を起こし、再び口づけをする。その優しい感触に、しばし酔ってみる。
「兄貴、ごめんね。ホントに……」
「夢だと言っている……」
「いや、仕上げがまだなんだよ」
!!!!!
私は再びトルソーになっていた。
「何をするつもりだ!」
「ねえ兄貴、知ってる? トルソーって、胴体だけなんだよ。首から上はない」
ククールは弓を構えた。矢は、私の喉元を狙う。
私は絶望と同時に、この苦しみから逃れられるという一筋の救いの光を見た気がした──────。
「……………」
私は五体満足で白い空間に浮いていた。
「……女神か……」
淡い影が見える。
「懺悔をお聞き下さるのか……」
淡い影はうなずいたように見えた。
「私が懺悔をするのはオディロ院長様のみ。あの方こそが、私にとっての女神の代理人。私はまだ、貴女に懺悔をする気にはなれん」
「……また夢か」
深夜だろうか。
月明かりが高い位置から入ってくる。
私の横でククールが穏やかな寝息を立てている。
この男は、本心では私を殺したいのだろうか。やはり、私が死ななければ自由になれないのではないだろうか。
もう、十分ではないだろうか。
ククールのために、私は死ぬべきではないだろうか。
愛され、必要とされ。私もまた、ククールを愛し、必要とした。
その日々は、本当は私たちが幼い頃にあるべきだった。だが、私たちきょうだいには与えられないものであった。大人たちが用意した環境は、私たちきょうだいを冷たく分かつものであった。……いや、分かたれたことを冷たく感じたのは私だ。弟は何も知らなかった。親を失い、弟は私に追いすがった。冷たく追い払ったのは私だ。私によってその人生を狂わされた。そしてそれはもう過ぎ去ってしまったこと……。
今は、こんなにも愛しい。
愛し子を、自由にしてやりたい。
「シルフ……」
思わず声に出た。シルフとは風の精のことだ。
ククールは私にとってシルフなのだ。
自由気ままに吹きわたり、いたかと思えば吹き抜けていき、いないと思えば、そよそよと近くで笑う。
私たちは解放されるべきだ。互いを鎖に繋ぐのをやめ、自分の人生を生きるべきなのだ。
私は、弟の美しい髪に触れる。たっぷりとした量感を楽しみ、さらさらと指からこぼれていく滑らかさを胸に刻んだ。
明日、別れよう。
別れて暮らすことを決意したマルチェロです。身元引受人と離れて暮らすことができるかも心配しておかなければいけません。