「ただいま。兄貴の好きなお茶が手に入ったよ」
ククールは日暮れとともに帰ってきた。
今日も食料や酒を買い、大荷物だ。
「兄貴……」
「…………」
まず、私の枷を外す。
私は一目散に外の厠へ走る。
別々の生き方をしよう、という話をするつもりなのだが、生理的現象には勝てない。
ククールは、自分が始末してやるからたらいに用をたせと言うのだが、やはり排泄物を人に見られるのは抵抗がある。
「もう……兄貴ったら我慢強いんだから」
家へ戻ると、すぐに水屋へ連れ込まれる。
「今日はさ、魔物が強くて。……ね、洗ってよ」
「…………」
私は、しがみついてくる弟と唇を合わせながら、身体に湯をかけてやる。
「んっ……」
スポンジを泡立て、身体を洗ってやる。
その間も弟は唇を求め、せっけんのついた身体を絡めてくる。
「ねえ……ぬるぬるして気持ちいい」
「少し離れろ。洗えん」
長い髪を洗ってやり、シャワーで流してやる。
「シャワー作ってよかった。兄貴が水を毎日汲んでメラで沸かしてくれるし。水汲み大変?」
「大したことではない」
「ならよかった」
私に課された仕事は水汲みと湯沸しだけ。ククールが出かけるまでの間に水汲みを済ませ、火を絶やさぬようにするのだ。
それも今日までかも知れない。
「……おい、どうした? ククール!」
様子がおかしい。腕の力が抜け、ぐったりともたれかかってきたのだ。とっさに抱き抱える。熱い。
手早くせっけんを洗い落とし、寝台へ運ぶ。
「……酷い傷だ」
背中から脇腹にかけて深く切られている。私の治癒呪文では治せない魔物の傷。グラッドから貰った薬はとうに使い切っている。
「……あに……ゴメン……」
「なぜ謝る?」
「なんか……ぼうっとする……」
弟は、汗をだらだらと流し、呼吸も速い。
「お水を……」
「待っていろ。すぐに……おい!」
ぶるぶると全身が痙攣している。まずい。一刻を争う。
私は、ククールを抱えて、オークニスへ飛んだ。
幸い、グラッドは在宅していた。
「酷いですね……」
グラッドは、傷を丁寧に診てからそう言った。
「ドラゴン……なんでしたっけ」
「ドラゴンソルジャーという、オノを持ったドラゴンの魔物です」
「そのドラゴンソルジャーの攻撃は毒性があるのでしょう。以前お渡しした薬で効くはずです。しかし、この傷とククールさんの様子から、恐らくククールさんはご自分で治癒呪文で表面的な傷を治し続けていたのでしょう。薬は傷口から体内に入って解毒していきますが、その傷口がふさがれてしまえば効果はありません」
なんということか。
私がしてきたことと同じだ。
幼い頃、折檻を受けたり犯されたりした後、傷を見せたくなくて治癒呪文をかけた。しかし、中途半端な治癒呪文のせいか、反って具合を悪くし、生死の境をさまよった。……そのときの私と同じではないか。
「解毒作用のある飲み薬を使いたいのですが、お話を伺う限りククールさんは素直に飲んでくれそうにありませんね。いずれにしろ、身体が相当疲れています。私が用意できる薬では、作用が強く出すぎてしまうため、危険です」
「作用が強くとは?」
「はい、解毒は、簡単に言えば、逆の毒を用います。毒を以て毒を征す、ということです。ですが、今のククールさんの体力では、新たな毒に耐えられるかどうか……」
「体力……」
体力はあると思っていた。
屈強な勇者だ。
よほどのことがない限りは……。
「または……少し危険ですが、あなたもドラゴンソルジャーの傷を受け、そのまま何もせずにこちらへ来てください。毒を受けたあなたの血液から、血清がつくれるかもしれません」
「血清とは…」
「毒が入ると、生き物はそれに耐えようとして毒を無効化する物質を血液中に作るそうです。血液を採取し、分離させると血清が取れるそうです。実際やってみたことはないのですが」
「ではすぐにでも行って参ろう」
「お一人では危険です。もしものことがあったら大変です。ククールさんのお仲間とご連絡をとって下さい」
勇者の仲間……。
私などに会ってくれるだろうか。いや、そんなことを言っている場合ではない。
「わかった。そうしよう……」
私は、オークニスの町でキメラのつばさを買い、パルミドへ飛んだ。
酒場の扉を押す。
「え? ヤンガス? ああ、あの人はひとところにいない人ですからねえ……」
時間も時間なため、店は客であふれかえっていた。
「心当たりの場所は……」
「……そうですね」
酒場の主人は、飲み物を作りながら眉をひそめる。
ほんのわずかな時間であろうに、私は待ちきれず同じ質問を口にした。
「彼……ヤンガスが一番行きそうな……」
「ちょっとお待ちよ」
尖った女の声がした。
…………。
一瞬、店内がしんとなる。
「ね、姐さん……?」
荒くれの一人が道をあける。
声の主は、女盗賊のゲルダだった。
「あんただね? さっきから聞きたくもないヤツの名前を何べんも叫んでんのは」
叫んだつもりはないのだが、この喧騒だ、知らずに大声になっていたようだ。
「失礼、マドモアゼル、緊急にヤンガスに会いたいのです。居場所をご存知ないか?」
「……あいつはしばらく戻らないと思うよ。どっかの城の下働きに行ってる」
「どっかの城? トロデーンか?」
「さあね。仲間がいるらしいから、あんたがそう言うならそうだろうよ。とにかく、あのうすらとんかちの名前なんぞ聞きたくないんだ。酒が不味くなる。出ていきなよ!」
私は、ゲルダに追い出された。
トロデーン。エイトのところに行っているのだろう。城は、私などの面会を許しはしないだろう。かといって、深夜を過ぎたこんな時間では、リーザスのゼシカを訪れるのにふさわしくない。
マイエラへ……。
いや、マイエラへ行ったところで、どうなるわけでもない。ククールの治療はグラッドに任せてある。
迷っている時間はない。私が今やらなければならないことは、ドラゴンソルジャーの毒を受けることだ。
しかし、私は竜骨の迷宮のはっきりした場所がわからない。
こんな夜に探し歩くよりは、朝を待ってツアーの関係者と会い、場所を訪ねる方が早いだろう。どのみち、ククールが来ないことを主催者に報告せねばならないのだから。
私は西の大陸、砂漠の教会へ行くことにした。
夜の砂漠は、恐ろしく寒く、月明かりも凍りつくかと思われた。私は、急いで教会の中へ入った。ここならば、竜骨の迷宮について知る旅人も多いだろう。
教会は、思ったとおり、いや、思った以上に旅人が多く滞在していた。
シスターは、私を見ると、少し目を見開いたが、「今はあなたにかまっていられません」のような表情を向け、旅人の接客に忙しい。
よく見渡してみれば、私以外、皆重装備であり、教会に用事があるとも思えない。
誰も彼もが、『竜骨の迷宮』の話をしている。明日の観光客に間違いない。
だが明日、ククールは来ない。
明日になれば、出発できないで一悶着あるだろう。そうすれば、関係者に話が聞けるはず。私は隅の方で壁にもたれ、目を閉じた。
夜明けとともにざわざわと人が起き出す。見るとそれぞれに出かける準備を始めているようだ。持ち込んだ食事を摂ったり、装備品や武器のチェックをするなど、さまざまだ。
しばらくすると一人の痩せた男が教会へやって来た。おはようございます、と言いながらシスターのほうへ歩いて行く。
「おはようございます。シスター」
「おはようございます。今日もお客様が多くお見えですね」
シスターと、痩せた男──マネージャーが挨拶をする。
マネージャーの男は、満足げな顔で、名簿だろうか、何か書類を見ながら受付を開始した。客はぞろぞろと列をつくり、通常ツアー、最奥ツアー、などの声が聞こえてくる。
やがて屈強そうな男が教会に入ってきた。すぐにマネージャーが気づき、声をかける。
「おはようございます。本日もよろしくお願いします」
屈強そうな男は、お任せを、と言い、マネージャーの隣に立ち、客に挨拶を始めた。
この男と、ククールの二人が今日のガイドのようだ。マネージャーはククールの到着を待っているのだろう、教会の扉にしきりに目をやる。
名簿のチェックが終わってしばらくしても、ククールは来ない。出発を待ちわびている観光客を一渡り見回すと、マネージャーは少し困った顔をして、ガイドに言った。
「ククールが遅いですね。先に行ってもらえますか?」
「わかりました。通常ツアーは自分が受け持ちます」
マネージャーは客を集め、話し出した。
「……最奥ツアーのお客さまは、このあと来るガイドと一緒に向かってください。通常ツアーのお客様はこれより出発いたします。迷宮までの砂漠にも魔物がいますので、皆さん忘れずにせいすいを使ってください。行きかえりの道中分は、保険がききませんから」
マネージャーのそんな言葉に、場が笑いに包まれる。
通常ツアー客が出発した後に残っているのは最奥ツアーの客。危険な場所を通るため、通常ツアーの客よりも重装備だ。楽しそうに出発した通常ツアー客と違い、こちらは真剣な眼差しだ。
私はククールのことについて詳しく説明するつもりはなかった。できれば客があきらめて帰ったのち、主催者だけに伝えたかった。だから、祈りを捧げるふりをして、彼らの話に耳を澄ませた。
マネージャーとシスターはしばらく談笑していたが、ククールがなかなか来ないので
教会を出たり入ったりしはじめた。
そのうちに客らも様子がおかしいのに気づき出し、マネージャーに問いただす者が出てきた。マネージャーは、平謝りに謝り、「お待ちください」と言い残し、教会から出て行った。
マネージャーが出て行った後、客らは、どれだけこのツアーを楽しみにしていたかなどを口々に言い合った。憤懣やるかたないという空気が漂い出した頃、マネージャーが数人を伴って戻ってきた。再び客らが詰め寄る。すると、聞き覚えのある声がしてきた。
「……申し訳ありません、皆さん。ベルガラックのオーナー、フォーグでございます」
あの若きオーナーか。彼はこのツアーの責任者だ。まさかトップが現れるとは思っていなかったが。
「……本日のツアーをキャンセルせざるを得ないことをお許し下さい。ツアーガイドの急病により、本日の分は、後日お好きな日程でご参加頂きたいと思います……」
「後日って、いつまでだ?」
「はい、それにつきましては、今から個別にご相談を……」
客らはしぶしぶ日程変更を行う。
フォーグが来たことで、状況が落ち着いてはきたが、どうしても調整つかない客もいる。あれこれ交渉していたが、「ツアーガイドはククールじゃなきゃ嫌だね」という客が数組残ってしまった。
「最奥まで同行してくれるのはククールだけだろう? 他のガイドじゃ……」
これにはフォーグも困り果てた様子で、「強いガイドを募集しておりますので……」と言うよりほかにない。
別の日で納得した客が次々帰るなか、最後までククール指名を譲れない客はより熱くなり、言い合いが収まらなくなってきた。祈りの場であり、困った旅人を泊める役割も果たしている教会の僧侶たちも困惑している。
私は立ち上がった。
「フォーグ殿、お話を聞かせて頂きました。私を使っていただけないだろうか。腕には自信がある」
「あなたは!」
これから一人で世間に出ることになるマルチェロです。