ククールと私は、三角谷に降り立った。
「いてっ……」
着地時にバランスを崩し、ククールはよろめいて転んだ。
「大丈夫か?」
「……」
私を見上げるも、そのサファイアの瞳は私を見ていないかのようだ。
「立てるか?」
「……」
私はククールに肩を貸す。ククールは黙って私につかまった。
のろのろとした足取りで森の奥を目指す。私もククールも、足元をじっと見ながら進む。美しい木立の様子も、風に揺れる葉も、私たちにとって絵画のようであった。存在しているようで、いない。いや、存在しているのはこの景色の方で、私たちの方が無機質な存在なのかもしれない。そんな感覚に満たされるほど、ククールの心の中は重い石のようになってしまっている。
何が、ククールを苦しめているのか、私にはわからない。私のことなのだろう、と思う一方、日々の暮らしの中で私を求めてくるこの男の熱情を、本物である、私はこの男に必要とされている、愛されている、と思い込んでいる。
ドラゴンの毒ではない、もうずっと前からククールが隠し持っている秘密の小箱の開くのを、心が押さえきれなくなっているのだ。あれは開けなければならない。そうしないと、ククールはもう彼ではなくなる。このまま、ぼんやりと、ただ生きているだけの人間になってしまう。
私は考える。ククールの隠しているものが一体なんなのか。
そうまでして隠したいもの、それが何なのか。
「ああ! びっくりしたあ!」
バサバサと羽ばたきが聞こえてきたと思ったら、同時にそんな声がする。ドラキーが、わざとらしく大声を出したのだ。顔を上げれば、何の騒ぎだ、と、森の奥からあのギガンテスがやってくるのが見えた。その肩にラジュはいない。
「ククール、どうしちゃったの?」
ドラキーは私たちの頭の上をぐるぐる飛び回る。
ギガンテスは私からククールを抱き取り、黙って森の彼のすみかへ向かう。
「ラジュ呼んできてよ! 早くね!」
ドラキーはそう言ってギガンテスについて行った。
私はドラキーに言われたとおり、三角谷の建物に走った。
ラジュはいた。私が一人なもので、少し驚いた様子を見せたが、事情を話すとすぐに理解し、私たちがここに滞在することを快く許してくれた。
三角谷に連れてきたのは、ククールには、今は誰かと接するより、安全な場所で静かに過ごす方が良いと思ったからだ。勇者ククールのことを知らない、いや、ククールが勇者であろうがなかろうが、彼は彼だと見てくれる、この三角谷ならば気持ちも落ち着くだろう。そしてゆっくり回復していければ……。
逃亡していた時のことを思い出す。人目を避け、弟は懸命に私を守ろうとした。私は、そんな弟の気持ちを察することもなく、互いの立場や、体裁ばかり気にした。そして、死こそが唯一の救いだと思っていたのだ。生きることは恥だというプライドがどうしても捨て去れなかったのだろう。
しかし、弟も、エイトも死を許してはくれなかった。
ククールに助けられ、トロデーンでエイトに助けられ、またククールに助けられ……。誰も死を許してはくれない、死にたい、死にたいとどんなに口に出しても、結局はどこかに生きたいという思いも残っていて、あさましく日々を過ごしていたように思う。
だが、私は変わった。ククールのために生きようと。何としてもククールを助けたい。治って欲しい。私が治せないことのプライドは捨て、誰にすがることになってもいい、弟に幸せに生きてもらいたいと、心から願っている。
私は毎日ククールに話しかけ、そして髪を撫でてやった。
この三角谷は不思議な力がある。外界から隔絶され、こんなにも穏やかに過ごせる場所は他にはないだろう。
ある日のことだった。
ギガンテスが話しかけてきた。
「そういえば、うなされていた。前に」
「前? うなされていた?」
「そうだ」
「……………」
「バカとか、いい気なもんだとか、イヤミとか、そんな悪口ばかりだった」
「……………」
私のことではないか。
「ククールは、今幸せなのか?」
「……………」
「俺には苦しそうに見える」
「……………」
このギガンテス、口数は少ないし、会話を好むほうではないのに、今日はずいぶん……。
「俺は、ククールが好きだ」
「そうか」
「勇者の中でも、一番だ。この男は優しい。美しく、強い」
「そうか」
「お前に渡したくない」
!!!!!
何を言っている?
「ククールはいい奴だ。俺はククールを大切にする人が好きだ。でも、お前には渡したくない。お前ではククールは苦しみ、悲しみ続けるだけだ」
どういうことだ……。
魔物が……。
ククールはギガンテスの膝ですやすやと眠っている。
「ククールが大切だ」
キガンテスは、ククールを見、そして空を見上げた。
隔絶された大地、三角谷。
魔物と人が暮らす村。
この世に大切なもの、世界の平和。愛する人。
「……私もだ」
ククールは眠っている。
私もククールを見、空を見上げる。
しばらく二人で空を見上げていた。ギガンテスがフッと笑う。
「嫉妬したか?」
「何?」
「俺がククールを好きだと言ったから」
「担いだのか?」
「少し。だが、俺がククールを好きなことは本当だ。ラジュや他の皆と同じように。で、嫉妬したか?」
「いや……。渡したくないと言われ、一瞬君を殺したくなった。だが、今ククールにはギガンテス、君が必要だ。頼む、弟を守ってくれ……」
まっすぐに見つめてくる大きな一つ目は、私の心の真の声を読み取っているかのようだった。私は彼に自分の弱い部分をそっくりそのまま預けるような気持ちで、見つめ返した。
そんな私を、ギガンテスは優しく包む。私たち二人を優しく包む。
「エイトに会え。ゼシカとヤンガスにも」
「……そうだな」
「先にゼシカに会うといい」
「わかった。……いい時間か?」
「いや、今はダメだ。明日ならば。明日、昼に土産を持って行け」
「土産?」
「そうだ。南の方の茶などだ」
「具体的なのだな……」
ギガンテスはそれきり言葉を発さず、静かに森の奥へ視線を向ける。私も黙って時を過ごした。
翌日、サザンビークで果実入りの茶を買い、リーザスへ飛んだ。
* * * * *
「マル……チェロ……?」
「弟のことでご助力願いたい」
アルバート家のゼシカは在宅していた。ちょうどヤンガスも来ると言う。
「えっ、あの、今とりこんでるけどいい? あっ、ヤンガス!」
振り返れば、私の姿を見て固まっている小柄な男がいた。
「イヤミ……いや、ククールの兄さん……」
私が会釈をすると、ヤンガスは直立不動から、腰を直角に曲げた。
私はアルバート家に入ることを許され、ゼシカとヤンガスに事情を説明した。
「……つまり、暗黒神が倒れた後、砂漠の井戸の底でククールに助けられ、二人で逃亡。ドニ、三角谷、から竜神族の里へ。竜神族の里に一人残された後で見つかり、トロデーンに投獄。エイトと姫さまの結婚式の日に脱獄」
「そうだ」
「まあ、あたしもそのあたりまではククールに聞いてたけど、脱獄後のことは知らないのよね。その後もいろいろあったのね」
「そうだ。一言では言えないのだが、言うとすれば、 『いろいろ』あった」
ゼシカは、脱獄後のことをあれこれ聞き出すようなことはしなかった。
「で、その、なんだかんだ『いろいろ』あったけど、砂漠地方でククールと一緒に住んでいたってわけね」
「その通りだ」
「で、魔物の傷のせいかどうかわからないけど、ククールの様子がおかしくなった……」
ゼシカは人差し指をあごにあて、難しい顔をする。
「魔物から受けた傷はもう治っているとグラッドに断言してもらっている。しかし、この様子だ。……何か、精神的に追い詰められているのだろうと思うが」
「そうね……」
ゼシカもヤンガスも考え込み、しばらく沈黙が続いた。
「……嬢ちゃん、そう言えばククールの野郎、オーブ探しの時、おかしくなりやがったよな。その時と似てねえか?」
「あ、そうかも」
何だと?
「今のように、意識がなかったというのか」
ギガンテスから聞いた話と一緒だ。
「うーん、ある日頭が痛いって言い出して、意識がなくなって、びっくりして、とりあえず三角谷に運んだの。それから1日うとうと寝てて。そのあとはけろっとしてたわ」
三角谷に連れて行ったのは正解だったようだな。
「でもね、うなされてたっていうのはその前からかなあ」
「えっ! 三角谷に行ったときだけじゃねえのか?」
「え? あ、うん……エイトがそんなことを言ってたの」
「エイトの兄貴に伝えたほうがいいな」
意識がなくなった日から、もう数週間経つ。まだククールは混沌のなかにある。
ヤンガスの意見に反対する理由もない。
「頼む……頼みます」
私が頭を下げると、ヤンガスはトゲのはえたヘルメットをぼりぼりと掻き、トロデーンに向かった。
次はエイトさんがやってきます。