ククールは、勇者仲間のゼシカとヤンガスのことを思い出した。暗黒神を倒した、長い戦いの日々も覚えている。
ククールとゼシカは、食事をしながらいろいろな思い出話に花を咲かせている。ククールはすっかり自分はマイエラの聖堂騎士団員となって話している。時おり、『団長殿が……』など、私の方をチラチラ見ながら楽しそうだ。
だが、ゼシカが修道院のことを尋ねると、『なぜかわからないけれど、騎士団員として三角谷の警護にあたっている』と繰り返す。私とゴルドで戦ったことや、私と再会してからの日々のことは、『よくわからない』と言い、困った顔をするのだ。そのくせ、旅に出る前のマイエラ修道院での話はあることないこと、ペラペラとよく喋っている。
なぜだ。
再会してからのククールは、自分がマイエラ修道院の聖堂騎士団員である、などとは一度も言ったことはない。勇者と旅に出る前の話などもほとんど話題にしなかったのに。
思わずため息をついた時、マスターが私の前に飲み物を置いた。
「あせらずいきましょう。時間はありますよ。ピュア・ギガンテスです。一杯どうぞ」
マスターは穏やかな笑顔をみせた。
「かたじけない……頂戴します……」
私は食器を拭いていたクロスを片付け、グラスを持った。
「肩の力を抜いてください」
ラジュも笑ってそんなことを言う。
カクテルはすっと喉を通りぬけて行く。アルコール度数は高めであるがさっぱりとして、飲みやすい。
「マスターのカクテルは格別です」
「ありがとうございます。……本当はもっといろいろなカクテルが作れるんですがね、このピュア・ギガンテスばかり注文があって、いっそのこと、これ一本でいこうかと思うこともあります」
「マスター、それなら、バーの名前を『ピュア・ギガンテス』にしちまおうぜ」
他の客が笑いながらそう言う。
「そんじゃ、森の奥からギガンテスに来てもらって、あいつに作ってもらったらおもしろいかもな」
「あはは、それいいかもね」
ククールとゼシカも笑う。
「彼が働くには店をリフォームしないと、天井に穴が開いてしまいますね」
ラジュもそんなことを言う。
「でもあのデカい手じゃ、シェーカー触れないだろう? あいつ専用のシェーカーの準備が必要だな、うん」
「やだ、すごい大きくてグラスからあふれちゃうわよ」
「ジョッキで提供しましょうか?」
「ピュア・ギガンテスじゃなくて、メガ・ギガンテス!」
そんな冗談に、店中の客と一緒に笑いあう。
ククールは、心の底から笑っているように見えた。
……今は、これでいいのだろう。いずれにせよ、大きく進展したことは確かだ。現状をまったく無視した変化ではあるが。ぼんやりとしていたときよりはよっぽど人間らしい。
私は少し目を閉じて、口の中に残ったカクテルの余韻を楽しむ。
ひっかかるものがあるとすれば、ククールが瞳の奥にひた隠しに隠している何か……。そのことだ。それを開けてやらなければならないと思いながら、あの笑顔を見られるのなら、もうこの状態のままでもいいような気もしてくる。その隠した「何か」もそのままに、私が弟を支え続ければよいのだと……。
店の入り口に人影が見えた。ヤンガスだろうか。ゼシカがすぐに気づき、声をかける。
「ヤンガス! よく戻れたわね。エイトは? やっぱり来られな……」
なぜか言葉を切ったゼシカ。カウンターから身を乗り出してみると、ヤンガスの他、トロデーン兵士の姿が。なぜ、兵士が……。
ヤンガスは、気まり悪そうにヘルメットを掻きながら言う。
「ああ、まあな……。実は、ククールが具合悪いならトロデーンで様子をみるって……」
「ちょっ……ヤンガス、どういうこと? エイトが? エイトがそうしろって?」
「私ですわ」
兵士の後ろから、トロデーン王女、ミーティア姫が姿を見せた。
笑いにあふれていた店内の空気が一瞬にしてピンと張りつめる。
「姫さま!」
ゼシカが立ち上がる。
ラジュやマスターもあわてて出迎える。
酒場には歓迎ムードという雰囲気は一切なく、緊張感に包まれた。
場を冷ややかにしたことに気づいているのだろうか。姫君はにこやかに笑顔を作った。
「ごきげんよう、皆さん。早速ですがゼシカさん、エイトやヤンガスさんから聞きました。ククールさんの具合が悪いことを」
「えっ、ええ。でも、なんか大丈夫みたいだし……」
ゼシカはククールをかばうように前へ出る。
ククールはニコニコしていたが、黙っている。
「エイトに知らせましたでしょ? 今、エイトは城を抜けられません。エイトも彼を心配しています。ですから、ククールさんにわがトロデーンに来て頂きたいの。……ククールさん、久しぶりですわね。エイトも会いたがっていますわ。来て頂けますわね?」
ククールはにこやかに即答した。
「ええ、もちろんです」
ミーティア姫の突然の訪問に驚いたが、ククールにとっては場所を変えるのも悪くないだろう。エイトとヤンガスがいるのだ。しばらくトロデーンで休めばよい。このまま、状態がよくなれば、私とは別々に生きる道がククールにも見えるかもしれない。
「ゼシカさん、マルチェロが三角谷にいることをはわたくしからお父様に伝えますわ。あと、申し訳ございませんが、マルチェロがここから移動するようでしたら、その報告をお願いしますわね。ラジュさまも、お手数おかけしますわ」
「ええ……」
姫君は、ゼシカとラジュが承諾したのを笑顔で認め、今度はヤンガスを見る。
「ではヤンガスさん、ククールさんをトロデーンへお連れして下さい。来客用のお部屋を準備してありますわ。担当の兵士が迎えるはずです」
担当の兵士。監視役か。
「私は後程兵士と戻りますわ」
ククールはそのまま、ヤンガスに連れられて三角谷を出た。
姫君は、冷たい空気をまとったまま、私に歩み寄る。
胸騒ぎがする。ククールと、私に関して。
「元気そうですわね。マルチェロ」
「姫君こそまた一段とお美しくなられましたな……」
「よく、生き延びてらっしゃること」
「愚弟に養われております」
姫君は、何の感情も表に出さぬまま、ラジュに場所を提供するよう言いつける。
姫君と私は奥の静かな一角に座る。護衛の兵士がいるため、ゼシカやラジュも近づけない。
「私に何のお話か」
姫君は、何も答えない。
ただ黙っている。
「お茶をお持ちしてもよろしいでしょうか」
ラジュだ。遠巻きに声がかかる。
「ラジュさま、お構い無く。すぐに失礼致しますから」
姫君はラジュの申し出をやんわりと断った。
私に何の用件があるというのか。ククールのためとはいえ、わざわざ三角谷を訪れるなど。ヤンガスへの伝言だけで済むことだ。それを……。
「私が、あなたに用事があるのはおかしいですわね」
「どういったご用向きなのか、全くわかりかねますな」
なんと冷たい笑顔なのだ。見下すでもなく、嘲笑でもない、まるで氷の花だ。
美しく、冷たい。牢で話した時と同じ、ピリピリとした緊張感が周辺にただよう。
「ククールさんに養われていると申しましたわね」
「その通りでございます」
「ククールさんはしばらくトロデーンに滞在するでしょう。ゼシカさんにも遊びにきて頂きますわ」
「お世話をおかけします」
私は着席したまま頭を下げた。
姫君は、私を静かに見つめ、口を閉ざした。
嫌な時間が流れる。
「……トロデーン復興は順調のようでございますな」
「当然ですわ。……あなたが気にすることではございません」
「左様ですな」
姫君は冷たい笑みを浮かべたまま、再び無言となる。
何を言うつもりなのだ。
こちらから言うことはない。
この沈黙の時は、トロデーンに捕らえられていた頃のことを思い出させる。
あの時も冷たい無表情を浮かべ、私の前に立ちはだかった。
立ちはだかった……。
嫌な予感がする。
「ククールを……弟をどうするおつもりか」
嫌な予感がした次の瞬間、私はそう呟いていた。
姫君は、わずかに唇に力が入ったようだが、特に顔色が変わるわけでもなかった。
またしばらく沈黙が続く。
私の頭の中には、先ほどからずっと、地下牢をコツリコツリと進んでくる誰かの足音がこだましていた。
私を訪ねて来るのは、食事係りか、エイトか……姫君か。
エイトはよい青年だ。彼がサザンビークの王子であったことは、トロデーンにとって最高の幸運であろう。古き約束も果たせ、トロデーン王室の後継者についても何の問題もなくなった。
エイトこそ、勇者。いや、英雄か。
私は、彼の稀有な人生を思った。竜神族の血をひく者。捨てられたも同然で下界へ降りてきた竜神族の子。それが、いずれはトロデーンの王とも言うべき存在に。
彼はまた、仲間を大切にする。今回のことでも、忙しいのに機会をつくっては三角谷に足を運んでくれた。
ああいう人物が側にいてくれれば安心だ。
「あなたこそ、これからどうするおつもりですか?」
「全てはククールに任せております」
「そうですか。では、ククールさんがあなたをどのようにしても、従うと言うのですね」
「私の処分はそういうことであると解釈しております」
「脱獄しておきながら、本当に軽い処分ですわ」
「……命あるかぎり、功徳を積んで行きたいと思っております。全ては、愚弟の元で」
「ククールさんは、それを望んでいるのですか?」
「そのような話はしておりません」
「まあいいでしょう。サヴェッラと三国の王が決めたこと。私が口出しすることでもございませんが」
何のことだ。姫君は何を言いたいのか。
「エイトがあなたをどう思っているのかわかりませんが、私は、あなたを理解することはございませんわ」
「……たとえ、誰にどう思われたとして、私は弟に従い、女神の名のもとで祈り続けるだけです」
姫君の視線が一瞬強まる。だが、すぐにその感情は消えた。
恐ろしい、非情なまでの冷静さだ。私も目的のためには手段を選ばぬ非情な者とレッテルを張られていたが。比べ物にならないほどだ。
それが、王家に生まれつくということなのだろうか。
「では、失礼しますわ。お時間をとらせました」
姫君は、立ち上がり、ラジュに優雅に挨拶をする。
村の出口まで見送り、私はまたバーへ戻った。
ククールはいつ戻るのだろうか。トロデーンでしばらく休みのもいいだろう、とさっき思ったばかりなのに。私は今、ククールのいない状況に苛ついている。
別れて暮らすと決めたはずだ。これでは子離れできない親のようではないか。
……おそらく不安からなのだろう。この焦燥感は。
その夜、誰も三角谷には戻って来なかった。私はひどく落ち着かず、夜中、森を歩き回った。
去り際に姫君が言った言葉が、頭の中をぐるぐるとめぐっていた。
─────あなたが生きている限り、私に平穏は訪れませんわ。
どういう意味なのだろう。私と姫君の間にはなんの関わりもないではないか。
確かに、マイエラでは院長様暗殺未遂の犯人として牢に入れてしまったり、何の罪もないのに煉獄島へ入れてしまった。そのことで恨まれるのなら、仕方がないが、姫君はそんなことを言っているのではないだろう。
ならば、なぜ……。
私は初めて、ククールのことで「苦しみ」を感じている。姫君の言う通り、私が死ねば、姫君の苦しみはなくなる。だが、エイトもククールも、私は死んではいけないと言う。姫君の苦悩の原因を、エイトとククールは知っているのだろうか。もしや、ゼシカも。やはりククールにとっての私は「枷」になのだろうか。「死ぬな」と言っておきながら、本当は死を望んでいるのだろうか……。いや、トロデーンの牢で死のうと思ったとき、エイトが私を助けた。ククールも命懸けで私を助けた……何度も。
私は、何のために生かされている?
マダム・アローザの言うように、平和のためにか?
エイトが私に死ぬなと言うのは、何かの体面のためなのか?
では、ククールは?
……いや、ククールは、私が死んだとしても、変わらないだろう。エイトも……王配となるエイトこそ、何の影響も受けない。
ああ、また政治的な脳になっているな。そういう考えはやめるようにしていたつもりだったが。
また、大切なことを見落としているのだろう。
だが、ククールがいなければ、それも考えられん。
私はいつの間にか、ククールなしでは生きられないようになってしまったのか。私に大きく欠如している物、それをククールは私に与え続けていたのだろうか。
別れて生きよう、というのは、ククールにとってだけでなく、私にも辛い選択になるのかもしれない。ククールが背負ったもの、それごと支えてはいけないのか……やはりこのままでは駄目だ。そこを乗り越えなければ、私とククールは互いにもたれ合うだけの存在にしかならない。
砂漠の家での生活は、互いに甘えあう生活であった。ククールが元通りになっても、あんな生活をしていてはいけない。同じ仕事に戻るにしろ、私を監禁して、というのではいけない。ククールは私を「枷」にして、何かから逃げている。私を助けながら、自分も向き合わねばならないものから逃げている。
瞳の奥に隠している、何か。
いくら森を歩き回っても、どうすればよいのか、答えは見えてこない。
足もをと見たり、夜空を見上げたり。
ギガンテスの住処へ来ていた。彼はだまって場所を空けてくれた。
マルチェロは、ミーティア姫が苦手と言う設定です。