ククールがトロデーンへ行ってから、10日が経っていた。
私は、落ち着かない気持ちを隠すことはせず、始終森の中を歩き回っていた。
「みんな来ないねえ」
ドラキーが私の頭の上を飛び回っている。
なんとなく、ギガンテスのいるところへ向かった。彼には不思議な力があるように思えてならない。そばにいると落ち着く。今、自分があれこれ考えても仕方がないことから解放されるような気がするのだ。今は、考える時ではないと。その代わり、するべき時にするべきことを教えてくれる。
ギガンテスは空を見上げていた。
私にくっついていたドラキーが、ギガンテスの肩に止まってこちらを向く。
「元気ないね?」
「そう見えるか?」
「見えなきゃ言わないよ」
「……そうか」
ドラキーに心配されるとは。
──あなたがが生きている限り、わたくしに平穏は訪れません──
あれ以来、このミーティア姫の言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡っている。
私はもう、生きていても死んでいても、何の価値もない存在だ。それなのに、わざわざ伝えに来るとは。何か他に意味があるとしか思えん。
だが、このことは今考えても仕方のないことなのだろう。私は、ギガンテスの近くの木に寄りかかった。
ギガンテスは、私をちらりと見たが、再び青空に目をやる。そしてただ黙ってそこに座っている。
彼は私が彼のテリトリーを侵食しないことを知っている。私も静かに木の葉ごしの青空を眺めていた。
時おり風が吹き、木の葉を舞わせている。その葉の姿は、こちらの気持ちのありようで、踊っているようにも、翻弄されているようにも見える。今の私には、楽しそうでも苦しそうでもない、風に吹かれて地面に落ちてくる自然の姿であると認識するのみ。
「今晩、起きていろ」
ギガンテスは空に向けていた一つ目を私に向けてそう言った。
「今晩か。何かあるのか?」
「ある人が来る」
「ある人?」
「そうそう、すごい人だよ!」
ドラキーも得意げに話に入ってくる。
「すごい人? ミーティア姫か?」
「違うよ。あと、あんまりいい時間じゃないから、手短にしてあげて」
「わかった。そうしよう」
月が上り、間もなく中天にかかろうかという頃、村の方からザッザッザッと駆け足が聞こえてきた。
私はギガンテスの言った通り、森の中、彼の場所で待っていた。
月明かりの中、誰かがやってくる。オレンジのバンダナ──エイトだ。
私は思わず立ち上がった。
「エイト!」
エイトは歩を緩めることもせず、まっすぐにこちらへ走って来た。
「……マルチェロさん!」
はあはあと息が上がっている。
それでも彼は言葉を続けようと、懸命に息を吸うものだから、途端に咳き込んで身体を半分に折り曲げた。
「落ち着け。時間がないのだろう? 大丈夫だ。ククールのことか? ……国のことか?」
声をかけながら背をさすってやると、徐々に息が落ち着いてくる。
「すいません……。ククールのことです。マルチェロさん、あなたは……」
私の両腕をしっかりつかんだまま、ようやく顔をあげたエイト。
月明かりを取り込んだ黒い瞳が、こちらを向く。私はわずかに震えた。
「……あなたは、ククールを憎んでいますか?」
「いや。憎んではいない」
私はそう答えた。
「では、今はどう思っているのですか」
「……………」
どう思っているか………。
憎くはない、それは真実だ。憎んでいた過去もあったが、今はそのように思ってはいない。あれは、私にとって……。
「私の弟だと思っている」
「いえ、そういうのではなく、どんな感情を持っているか、です」
感情………。私は即答した。
「愛しい、そう思っている」
エイトは、つかんでいた私の腕に、ぎゅっと力をこめ、深くうなずいた。
「わかりました。………安心しました。これで……、これで全部うまくいきます。ありがとうございます」
「エイト?」
「もう少ししたら、もう一度ここへ来ます。そしたら、ククールを迎えに行ってあげて下さい」
そう言いながら私を見上げてきた顔は、穏やかであった。
「じゃ、もう行かなきゃ」
「忙しいのだな」
「ええ。……マルチェロさん、ククールを、お願いしますね」
エイトは、呪具も使わず、三角谷から飛び去った。
エイトの姿が消えた場所をしばらく見ていたが、ホッとしている自分に気づく。
今夜訪れるのがミーティア姫かもしれないと思っていたからだ。姫君と話すことはない。だが、あちらは私を殺したいのだ。三国の王も、サヴェッラも私を死罪にしなかったのに。
いや、私がのうのうと生きていては面白くないだろう。そう考える人間は、姫君だけではないはずだ。
私はククールのことを思った。トロデーンで懐かしい仲間と楽しい時間を過ごせているだろうか。
ククールはトロデーンで元に戻るだろうか。
* * * * *
私は少し寂しいような気持ちを持ったまま、三角谷で穏やかな日々を過ごしていた。
以前の私なら考えられないことだが、ククールを迎えに行く日を心待ちにしている。不思議なものだ。
実は、私には、密かに考えていることがあった。ククールと別れて暮らそうと決意した後、よく考えてのことである。
巡礼の旅に出て、もしも許されるならば、どこかの地の教会に身を落ち着けたいと。そして身を落ち着ける前に、マイエラのオディロ院長の墓前で懺悔をしたい。
ククールが元に戻ったらすぐに旅立てるよう、サヴェッラへ打診をしようと思う。
ある朝、私はラジュにゼシカへの伝言を託し、サヴェッラへ飛んだ。
法皇の館へ向かう。巡礼者も観光客も、私がかつて暗黒の杖を振った男だと認識する者はいない。店や教会関係者がちらちらと目配せするくらいだった。
私は迷わず法皇の館への昇降板に乗った。
透明な通路を上っていく。朝日が眩しい。
庭の薔薇を愛でることもせず、香りだけを吸い込んで、館へ入った。
「あなたは!」
さすがサヴェッラに勤務する騎士団員だ。
私を見て、すぐさま槍を構える。
二人のうち、一人が応援を呼びに走る。
私は、彼らの体制が整うまで、静かに待った。何の敵意もないと知らしめるために。
結局、5人に囲まれ、腰のレイピアを取り上げられる。私は両手を上げ、法皇に謁見したい旨を述べた。
一人が、階段を上がっていく。
ほどなくして、謁見が許されるということが伝えられた。
私は、両手を上げたまま、槍を向けられたまま、法皇の部屋へ通された。
「しばらくぶりだな、マルチェロ」
「ニノさまにおかれましては……」
「挨拶など受けん」
ニノは、立ち上がり、私の言葉を制した。そして私を取り巻く騎士団員に向かって言う。
「マルチェロは何もせぬ。お前たちは下がれ。レイピアも返すがよい」
「しかし……」
「いいのじゃ。早く下がれ!」
ニノの剣幕に、騎士団員は言われた通りにそそくさと法皇の部屋を辞した。
私はレイピアを腰に挿し直す。
さて、詫びは申せとゼシカの母御はおっしゃった。
「ニノ様。これまでの数々の無礼、許されるとは思いますまい。しかし、再び女神の加護を受けたいと思うのは、勝手でございましょうか」
「何が言いたい?」
「巡礼の旅に出ることを、お許し頂きたい。諸国を巡り、各教会で祈りを捧げたいのでございます」
「ワシが許可する訳にはいかん」
「ではどうすればよろしいか」
「……………」
「全ての教会関係者のかたがたに……」
「黙れ! お前と関わることは許されぬ。よって、許可も不許可もないのだ。お前が巡礼に出る旨を三国の王に伝える。それだけだ。早く失せろ!」
ニノ新法皇は、苛立ちながら机に向かい、書類をしたためる。
「失せろと言っている。……早くしてくれ……」
ニノは、しきりに窓の外を気にする。
「外に何が?」
「うるさい、早く失せろ!」
「では……」
「まっ……待て、ちょっと待て。今は三角谷というところにいるのだな?」
「はい」
「すぐに巡礼に行くのか?」
「いえ、具体的な日はまだ……」
「わかった。わかったから、弟と別行動するならば、確実にサヴェッラか三国の王に報告せよ。お、お前でなくてもよい、弟の仲間でも、誰でもよい。わかったな。わかったら早く出て行ってくれ!」
ニノはそう言いながらも終始窓の外を気にし、追いたてるように私を部屋から出した。
これで巡礼の旅には出られる。大手を振って、というわけにはいかないが。
教会関係者には話が行くだろう。どこへ行っても針のむしろであろう。だが、その覚悟で巡礼に出るのだ。禊などと陰口をたたく者もいるだろう。それでもかまわない。私は私の思う通りに生きよう。もちろん、ククールの監視下で。ククールやエイトたちの迷惑にならないように。
私は、法皇の館の前、騎士団員に監視されながら、キメラのつばさで三角谷へ移動した。
マルチェロは、ククールと離れて暮らす具体的な計画をたてていました。ククールはトロデーンでどうしているんでしょうか。