おわりに・・・1
*トロデーン城*
何もかも、やり直しでした。
いえ、これからの全ては、新たな始まり。
どんな時でもわたくしは、精一杯、生きてきたつもりです。
どこを間違ったのでしょうか。
──姫や、おるのか?
──はい、お父様。今参りますわ。
──いやいや、動かんでいい。入ってよいか?
──もちろんですわ……
わたくしは子を身ごもりました。お父様はそれはそれはお喜びになり、わたくしも親孝行ができたと嬉しく思います。
でも、この子の父親であるエイトは、ここにいません。
わたくしの振る舞いは愚かであったでしょうか。
あの罪人を、世界はなぜ放置しておくのですか?
あの者一人の責任ではないにしろ、世を混乱させた関係者の一人ではありませんか。唯一、生き残った。
それなのに、あの者は罪を償うどころか、マイエラ修道院におり、かつて団長の地位にあった頃のように騎士団員に慕われ、君臨しているではありませんか。取り巻くように側にいた、小柄な女のような団員など、団長、団長と。どういうつもりでしょうか。
──ミーティアや、今日は気分はどうじゃ?
──はい、つわりももうおさまっておりますから、大丈夫ですわ。
──そうか、それは良かった。何か、食したいものがあればどんどん言うのじゃぞ?
──まあ、お父様、ありがとうございます。でもあまり食べると太りすぎてしまいますわ。
──そうじゃったなあ。
──コックはみな腕がよいですから、ご心配には及びませんわ。
エイト。幼い頃にわたくしの前に突然現れた不思議な少年。いえ、正確には、乳飲み子のころから我がトロデーンにいましたわ。……身元のわからない赤ん坊が、サザンビークとトロデーン国境で見つかった。サザンビーク王室は拒否し、トロデーン王室は受け入れを申し出た。
エイトは使用人たちに可愛がられ、幼い頃から料理を習い、10歳になるとすぐに兵士の見習いとなった。
わたくしは、王家に生まれ、自由とは縁のない生活をおくることに不満はありませんでした。
でも、自由の中にあるエイトをうらやましく思ったのは事実。あのおおらかさに触れたかった。明るい笑顔をこちらに向けたかった。
わたくしはお父様に「護衛」をつけることを願い出ました。お父様は二つ返事でエイトをわたくし専属の「護衛」にしてくださいました。
……まるでままごと遊びのようなわたくしたち。大人たちは微笑ましく見ていましたわ。
14歳にもなると、エイトの兵士としての仕事が増えて来て、毎日のように庭で遊ぶことも減りましたが、わたくしが呼べばすぐに来てくれましたね。そのことで上役に責められたこともあるようでしたが、わたくしにはエイト、あなたしかいないのです。
そして忌まわしいあの夜のこと……。ドルマゲスに呪いをかけられたお父様とわたくし。わたくしたちは姿を変えられ、城の人間は皆、石化してしまいました。にわかに信じがたく、これは夢かと疑いました。悪い夢なら早く覚めて欲しかった。何故、わたくしたちがこのような目に会わねばならないのです? この命に変えて、お父様や城の者を救いたいと神に祈りました。でも、呪いはたやすく解けるものではありませんでした。絶望という言葉が頭の中を駆け巡り、わたくしはそれに飲み込まれかけていたとき、エイト、あなたの姿が。あなたには呪いがかからなかった。あなたの無事な姿を見たときのわたくしの気持ちがお分かりになって? あなたは厳しい表情でしたが、あきらめないという希望を、わたくしに強く訴えかけたのです。あなたについて行こうと決めた瞬間でした。はっきりと自分の気持ちが言葉にできました。わたくしはエイト、あなたをお慕い申しておりますと。
それから、元の姿に戻るための長い旅に出ることになったのです。
お父様が案外世渡り上手なこと、あなたはやはり料理が上手なこと、そんなことがわかり始めると、馬の姿であるというのにこの果てしない旅路に救いを見ることができました。
ヤンガスさん、ゼシカさんと知り合い、そしてククールさんにも。
優しいあなたは誰からも好かれ、パーティーのリーダーとしてたくましくなっていかれた。わたくしを気づかうことも忘れずいてくださいましたね。
あなたがどんな恋愛をしようと、それはあなたの自由。でも、あなたがサザンビークの血を引いているとわかったとき、どんなにか心踊ったことでしょう。サザンビークへ嫁ぐことを覚悟していましたが、エイト、あなたはわたくしとの結婚を申し出て下さった。
お父様もお喜びになり、トロデーンの民も皆、祝ってくれましたわ。
何もかも、これで落ち着いたと思いましたのに。
あの者は、わたくしの敵ですわ。あの者があるかぎり、ククールさんの心はあなたに向かう。ククールさんが誰よりも認めてもらいたかったのがあの者です。
あの者が生きるためには、あの者がククールさんに対し、憎しみの感情をもう持っていないこと、ククールさんの心が自由であることが必要でした。
子ができてから、わたくし自身に大きな変化が起こりました。国とお腹の子を守るためにはあの者を排除しなくてはならないと。あの者が平穏でいる限り、ククールさんの心は解き放たれ、想いはあなたを向く。そしてあなたも。
しかしながら、失敗してしまいました。
わたくしの為したことについて、お父様は何もおっしゃらない。そしてエイトのことも。
お父様、もう諦めろとおっしゃるの?
──ミーティアや、顔色が優れんぞ? 気分が悪いか?
──いえ、お父様、大丈夫ですわ。
──無理をせずともよいが、アスカンタから贈り物が届いたゆえ、少し顔を出せるかの?
──ええ、もちろんですわ。お父様、ご一緒にいてくださいましね。
エイトがいない今、わたくしが姿を見せなければ。各国はトロデーンの状況を懸念していますもの。
暗黒の神はゴルドで生まれたが、封印せし杖はわがトロデーンにあったもの。多くの者がこれを知っている。呪われこそすれ、トロデーンが暗黒神を操っていたと噂する者もいるというではありませんか。
そんな話を一蹴させるべく、わたくしは未来の女王として世界に名を知らしめなければなりませんわ。
わたくしは、王家に生まれ、そして王女として生きているのですから。
*マイエラ修道院*
ゴルド崩壊の日から今日まで、マルチェロ団長もククールさんも、苦しみという名の底なし沼でもがき続けておられたのでしょう。
もとより、お二人の生い立ちを考えれば、ゴルド以前の日々も苦しみと隣り合わせであったには違いありません。
マルチェロ団長がこのマイエラに戻っておいでになり、ほどなくしてククールさんもお戻りになりました。お二人とも、以前のような一触即発の気配はなく、特に団長は何かを悟られたような神秘なるオーラさえ感じさせました。
ククールさんは終始不安定でした。ククールさんの目には、昔の団長の姿しか映っておりませんでしたし、どうしようもない思いを無理に押さえ込んだまま、私に向けてくださる笑顔が魂の嘆きにも感じられたのです。
ククールさんと、最後にこんな会話をしたのを覚えています。あの事件の起きる日の夕方のことでした。
──なあ……お前、団長どのが好きだろ?
──ええ、ええ。もちろんですとも。
──報われないと思っても、側にいるだけでいいなんて、そんな乙女なこと考えてんだ?
──乙女、というより。お役にたちたい、それだけです。
──お前は強いな。……オレ、堪え性がないからな。気が変になってるんだ……。
堪え性というのではないでしょう。たとえ一方通行でも、その先に団長がいてくだされば私はそれでいいのです。私ではとても団長のご気性を受け止めることはできません。でもククールさん、あなたは違います。あなたは団長の愛情を受けています。その愛とはククールさんの存在を愛するもの。別れることのできない繋がり。他の誰よりも、団長にご自分を認めて欲しかったのですよね。どうか、安心してください。団長もそれをわかってくださっています。そして『きょうだい』和解の日がついに訪れました。
これで、真の翼を広げて自由へと旅立つ準備ができたはずなのに! まさにその準備が整った瞬間に!
お二人の新しい出発のときに起きた、団長暗殺未遂事件。団長をかばったのはエイトさんでした。毒の刃を受け、意識がありません。
団長、ククールさん、エイトさん……。愛情深いこの三人の勇者は、互いを尊重し、互いの想いのために生きてこられた。
それなのに。なんとむごい結末に……。
団長は、あれから私が泣いてばかりいるのをご存じのようでした。
ククールさんがエイトさんを連れてこのマイエラを去ってから10日ほど経ちました。院内の誰一人として、お二人のことを口にすることはありません。
私も日々の訓練、礼拝堂や宿舎の掃除、その他諸々、もう何も考えずとも自然に身体が動くほどに身にしみついた作業をぼんやりと行っていました。
ある日、団長は私を外の見回りに連れて行きました。
私は、久しぶりに院外に出たことに気づきました。明るい日差しも、照り返す緑も、私には別の次元のように感じられ、重い気持ちを引きずりながら団長の後ろを歩きます。
──風が心地よいな。
団長はふと歩みを止め、優しく声をかけてくださいました。ところが私は、うつむいたまま返事もしなかったように思います。
──さて、少し……。
突然団長は草むらに寝そべり、大きなあくびをなさいました。
──お前も横になってはどうだ?
団長は両腕を枕にし、足を組みました。そしてあくびをもう一つ。
──私は太陽に当たるとあくびが出るのだ。だからなるべく見ないようにしていたが。
まぶしそうに目を細め、空に向いていらっしゃいます。白いお顔が明るく輝き、私は恥ずかしくなって目をそらしました。
風は穏やかに流れます。木々の葉はわずかに揺れるだけ。鳥の声も、虫の声もなく、ただ優しい風だけが私たちを包んでいました。
一人ぽつんと立っていましたが、そうしていると団長の連れではないような気がして寂しくなり、私は団長から少し離れた場所に座りました。
──トロデーンは、ミーティア姫の懐妊を発表した。
──ええ、そのようですね。
──もう半年もすれば世継ぎの誕生だそうだ。
あの事件の日、ミーティア姫は『エイトは永遠に私の夫です』とおっしゃった。懐妊をご自分でも分かってらしたからの発言だったのですね。
──エイトは病気療養中と発表された。
あれきりトロデーンは、マイエラに接触してきません。エイトさんは、トロデーンに移られたのでしょうか。それとも……。
エイトさんが無事であることを祈るしかないというのに、私は心の底で最悪を考えてしまいます。ククールさんも何も知らせには来てくれません。
──大丈夫だ。
──はい?
思わず団長を見ると、団長は、目を閉じたまま、笑ってらっしゃいました。
──二人は添い遂げる道を選んだのだ。
それは……。それはどういう意味ですか?
──ククールは、ああ見えて本当に優しい奴なのだ。彼がどんな姿になっても、愛し続けることができる。
どんな姿になっても……?
それは、エイトさんはもう……?
涙が溢れます……苦しい、苦しい。
あの毒を取り除けなかった……。私ではエイトさんを助けられなかった……。
──勘違いするな、エイトは生きている。泣かなくてよいのだぞ。
団長は起き上がって、私の背をさすってくださいました。
──本当に?
──本当だ。私はそう信じる。
団長は空を見上げました。つられて見上げた空は青、青、青。ククールさんの瞳のよう。
並んで見上げる空。一瞬、白い雲が細くたなびき、消えていきました。まるで伝説の竜のよう。
──そういえば団長、サザンビーク方面で竜巻があったそうです。……竜神は、今度は何にお怒りかと人々は噂しております。……だ…団長!
団長は嬉しそうにうなずきました。そして長い長い口づけを……。
*竜神族の里*
我の分身かと錯覚した。
あの者と対峙しているとき、我はこの身がまるで世の全ての自由を手にしたような充実感と解放感で満ちあふれた。
幼い頃、人間界に放たれたあの者は、成長し、再び竜神族のもとへやって来た。我とあいまみえるために。我が魂があの者を呼んだのだ。竜神族と人間の間に生まれた、勇気あるあの者を。
そしてあの者は何度も我と竜神族を訪ねて来た。あの者が来ることが、いつの間にか楽しみにもなっていた。
しかし。
あの者が涙ながらに訴えたことを、人間たちは聞き入れなかった。やがてあの者の心は折れ、苦しい選択を迫られた。
全て、愛のために。
まるであの者の父親のようだ。命をかけ、ウィニアに会いにきた、人間の若者。
ただ、あの者の望みは、自分自身には向かなかった。
何もかもうまく行くように、傷つく者が少なくなるように、命をかけた。
その結果、あの者は昏睡状態で、ここに来た。
我の力を求め、銀髪の男があの者を連れてきた。銀髪の男は、常に寄り添い、愛情をそそぐ。
我は銀髪の男に問うた。
──お前は、エイトのために、何ができる?
男は、その青い瞳を我にまっすぐに向けて言った。
──この命尽きるまで、愛することができる。
我は、エイトに力を与えた。エイトは、白い竜に姿を変えた。
エイトは、ゆっくりと回復している。
体内の毒が消えるのかどうか、、我にもわからぬ。だが、竜の身体は人のそれより強い。また、人間の姿に戻るのかどうかも、我にはわからぬのだ。
銀髪の男は、それでも、エイトの命を長らえることを選んだ。
二人の間に言葉はない。しかし、寄り添っていることが幸せとでもいうように、互いに慈しみの心で接しているのだ。
二人を分かつことなど、誰ができようか。
この竜神族の里は下界よりも時がゆっくり流れる。休むがよい。全てのしがらみを捨て、愛に生きるがよい。
次に、もう2人語ります。それで終わりです。