少し時を戻そう。
欧州へ出向する一ヶ月前、武は父から辞書を6冊手渡された。
ブリタニア、カールスラント、ガリア、ロマーニャ、オラーシャ、スオムスの計6冊である。
「あの父上、国際共通言語のブリタニア語と現地のスオムス語さえ話せれば問題ないと上官は……」
「今からでも遅くはない。他の言語も覚えておけ」
「あの、今二カ国同時に覚えている最中に更に四ヶ国も追加はとても……」
武は流石に無理だと弱々しく意見する。
だが平蔵は聞く耳持たんと言わんばかりに、キセルを咥えたまま黙りこんだ。
「いや、無r……」
もう一度武は無理だと言おうとした時、平蔵の鋭い視線に黙るしかなかった。
しばらくお互い沈黙が続くも、武が溜息一つ吐いて口を開いた。
「……頑張ります」
「うむ」
完全に武の負けであった。
そして時を戻して現在、武は涙目になりながらも割り当てられら部屋の中でカールスラント語の勉強をしていた。
「やっぱ無理。スオムス到着までに覚えきれるわけがないよ」
完全に茹だった頭を冷やすべく、ベッドに横になる。
少なくともブリタニア語とスオムス語は、現地に着くまでには日常会話に支障無い程度の会話が出来るまでに仕上がっているだろうと武は自己分析する。
だが、後四カ国語も覚えるのはとても無理である。
「甲板に上がろう……」
陰鬱な気分を変えるべく、武は部屋を出た。
甲板上には他の魔女もチラホラと上がって来ており、見慣れた顔の魔女も見つけた。
「ハルカちゃん」
「うひゃあ!? な、なんだ武さんかぁ……」
びっくりさせないで下さいと顔を膨らませて非難するハルカに謝りつつ、ハルカの側で海を眺めている少女にも声をかけた。
「もういい加減機嫌直したらどうですか?」
「私を武子の代わりにカールスラントへ出向させてくれたら直してあげるわ」
ずっとこれである。
智子が何故親友でり戦友である武子を恨む理由を聞いた時、武子が智子をスオムスへ出向させた訳は察しがついた。
要は智子は自己中心的なのだ。
この状態でカールスラントへ出向いても、現地の魔女と上手くいかないだろう。
現に既に決まった事を未だに恨んでいるようでは、軍人としては失格だろう。
だがこればかりは武が間に入って解決する問題ではなく、智子自身で乗り越えるべき問題。
彼女から助力を求めてこない限りは手を出すべきではないだろうと武は判断して、深入りはしないようにしている。
その一方で、手を貸してやらねばならない問題児がいた。
その名は迫水 ハルカ。
どうやら元の部隊では成績が“ドベ”、つまり最下位だったらしい。
欧州派遣に参加した理由も智子に会うためだったらしく、激戦区になりつつあるカールスラントへ出向だった時はどうするつもりだったのか聞きたいぐらいだが、それは置いておく。
ともかく武は、同じ海軍の先任軍人として彼女の世話をしなければならない。
ただでさえ父平蔵から渡された辞書を用いて6ヶ国語を独学で習得する傍ら、ハルカの世話を焼くのは間違いなく無理だろう。
気分転換に甲板に上がってきたのに何故憂鬱にならねばならないのか?
何度も智子にあしらわれながらも幸せそうに話しかけるハルカの姿に、武は頭を抱えた。