高鳴る鼓動が五月蝿かった。それは誰の所為だとは言わない。解ってるし。
視線を逸らしたままのオレに彼は不思議そうに声を掛けてきた。
「比呂ちゃん?」
「――離せ、よ」
掴む手を眺めて言うが、視界からは消えてくれない。
「やっと届いたんだ。やっと掴めたのに、離すとかもったいないでしょ?」
「そんなの、知らない」
やっと、という言い方に引っ掛かりがあるが、それは一瞬だ。
「でもね、比呂ちゃんが嫌だっていうならやめるよ。嫌がることはしたくないし」
「嫌がることをやった奴の台詞だとは思えないな」
「嫌がることぉ? 合意の上、だよな」
「そ、それは……そう、だけどもっ! でも、痛かった、し……」
ゴニョゴニョと話すオレの頬を撫でてまた笑う。
「可愛い」
「五月蝿いっ」
「可愛いよ、比呂ちゃんは」
「もういいから、黙れっ」
連呼しないでくれ。恥ずかしいから。
「耳まで真っ赤ですわ」
背後から声と共に伸びた手が両耳を撫でた。
「っ! な、ななっ、なにっ!?」
「あ、くすぐったかったでしょうか?」
「す、少し……」
いきなり触られては驚くだけだ。不快だが、強くは言えない。
振り返れば高平さんは抱きついてきた。
「た、たかっ、高平さんっ?」
「皐月だけに気を許さないでください」
「え、いや、許してはないよ。それより、高平さんの服が汚れちゃうから離して」
オレの制服は汚れているのだ。何度も――といってもたかだか二回だけしか言ってないけど、高平さんは気にしないのだろうか。そもそも、ぎゅうぎゅう抱きついてくるあたり、気にしてなさそうだけど。
「汚しとけ汚しとけ。つーかさっさと生徒会に戻れよ。仕事、溜まってんだろ」
追い払うように手を振るが、高平さんは動かないどころか皐月さんを指差す。
「貴方に言われる筋合いはありませんわ。学校内でいかがわしいことをしなくなってから仰って頂きたいですね」
「校内だからいいんだよ。背徳感に三倍感じるし燃えるからな」
「要は、背徳感がいいということですね」
「そうそう。でさ、いい加減に比呂ちゃん離さない?」
「嫌、と言いたいところですが、仕事が残っているのは事実なので戻りますわ。――真由、行きましょう」
「はい、お嬢様」
オレから離れた高平さんはオレの頭を撫でて高千穂さんに手を招く。高千穂さんも頭を撫でて、二人揃って保健室から出ていった。
「あのさぁ、比呂ちゃん」
「なん――っ!?」
伸ばされた腕に捕らえられ、膝の上に座らされる。
「俺以外にホイホイ触らせるなよ」
「別に触らせてないし」
「嘘。抱きつかれたりしてるじゃん、簡単にさぁ。比呂ちゃんは俺のだよ、解る?」
高平さんに触れられた耳を撫でて囁く。そうして耳を舐めた。
「やっ、なにっ!?」
ベッド脇に置かれたオレのリボンタイを手に取って竦む躯を反転させた。
「解んないよね。今から解らせようか」
「なに言ってんの? ――いたっ、いたたっ」
背後から伸びた手が腕を取る。すぐさま後ろに捩り上げてリボンタイで縛ってしまう。
「なにしてんの、取ってよ。なにこれ、意味解んねぇ」
「だから、比呂ちゃんは俺のだって解らせるんだよ。今度はなにがあっても取ってあげないから」
「はぁっ!? ふざけんなよっ」
暴れるが効果はなく、奴は器用にスカートを脱がす。
「やっ、やだっ、ちょっと! 嫌だっ」
足首に下がるスカートに目も繰れず、内腿を撫で上げる。
「んっ」
「ねぇ、今は鍵掛けてないよ? 声出したら誰か来ちゃうかも、ね」
楽しげに言って、制服を捲りあげた。
「やっ、待って……待って、よ。一回だけって……言ったじゃん」
「言ってないし。大体、好きな人を前にして、健全な男の子が一回で済むわけないでしょー」
「一回でいいだろ!」
「慣れれば気持ちよくなるって」
「慣れませんから――ぁ……、やだぁ」
「嫌じゃないでしょ? あんなに感じてたじゃない」
胸を這う手は乳首を摘まみ、囁いた後に舌を這わせて耳朶を軽く噛む。
「あ、ぁ……っ、や、ダメぇっ」
乳首を指先で押し潰し、今度は首筋に舌を這わす。
「触らせないで。気を許さないで」
「っ……ぁ、や、だっ」
震えだす躯を抱きしめて、唇を塞ぐ。
「っん……んぅっ」
絡む舌が口内を蹂躙する。漏れる水音に躯が熱くなってきた。
「――ぁ、さ、つきさ……」
糸をひくであろう唾液は、涙でぼやけてよく解らない。
「あぁもうっ!」
肩に顔を埋め、皐月さんは抱きしめる腕に力を込めた。
「皐月さん?」
「泣かせたいわけじゃないんだよ。俺は……比呂ちゃんを泣かせたいわけじゃない」
「っ……じゃあ、なんで……」
こんな無理矢理ヤろうとするのか。
「ちょっとムカついただけなんだよ! ……俺には触らせなくて、アイツらには普通に触らせてるからっ」
触らせるよりは触ってくるよう気もするけど、それじゃあコイツの気が済まないか。
「うん。ごめん」
「なんで比呂ちゃんが謝るの? ……謝るのは俺の方なのに」
えー、だってそんな格好でしょぼくれてたら謝るしかないじゃん。
「無理矢理は嫌だし、声が聞こえそうなのも嫌だ。――だから、帰る」
幸い放課後だし、帰ってもなんも問題はない。
「帰るの?」
「服直して、早く。誰かに見られたら恥ずかしい」
見られたら、と想像するだけで羞恥で熱くなる。
「ダメ、だ……」
皐月さんはそう呟いて、また唇を塞ぎ口内を犯した。
「――他の奴らにそんな顔しないでね。約束だよ、比呂ちゃん」
だからそんな顔ってどんな顔だよ。気になるだろ、とは言えない。替わりに、荒い息で小さく頷けば、離された唇が頬に落ちて乱れた制服を直された。意外に聞き分けはいいらしい。
「比呂ちゃん、これはどうする?」
ベッド脇に転がる白いブラジャーを手に問う。パッドと丸いジェル装備のニセ乳だ。
「男だって……バレてるならもう着けない、よ……」
「もらっていい?」
「もらってなにすんだ?」
「え~、なにって夜のオカズに――いでっ!」
思い切りの力で足を蹴る。なにを言い出すんだコイツは!
「なに言ってんだよバカ野郎っ!」
「だって、比呂ちゃんが着けてたものだし……」
「変態か、お前はっ」
「違うよぉ。でも、比呂ちゃんに対してはなりそうかも」
「変なこと言うな。もういいから、早く取ってよ」
動けないし、これじゃあなにも出来ない。
「嫌。取らないっていったしね」
「そんな……取ってよぉ。どうやって帰れって言うんだよ」
「迎え呼ぶから大丈夫っ」
ぎゅっと抱きしめながら笑う。笑ってんなボケ! こっちは死活問題なんだよ。とか言いたいけど言えません。笑顔が眩しいのです。
「反則だ……そんなの」
「比呂ちゃんこそ反則だよ。その可愛さで俺を誘うんだから」
「だから可愛くないってーの。それに一度も誘った覚えはねーよ!」
多少なりとも女顔だけど、一度も女の子に間違われたことはないし、男から告白されたのも初めてだ。
「あ、そんなこと言っちゃうんだぁ」
楽しげに紡ぎながらスカートの中に手を忍ばせて、太股を撫で上げる。
「んっ――ぁ、バカッ、や、めろっ」
「嫌でーす」
「やだっ、皐月さんっ」
嫌だ、と首を振れば動きが止まる。
「しょうがないなぁ」
耳に息を吹き掛けてから顎に手を添えられた。
「……っ」
「キスなら、いい? 比呂ちゃんにいっぱい触れたいの。我慢してた分を取り戻したい」
「キス……なら、なんとか……」
小さく紡げばすぐに唇が重なった。痛い思いをするよりはと思ったが、この濡れた音も聞けたもんじゃない。
「っ……ふぅっ……」
角度を変えて深くなる口づけは激しい。クチュクチュと漏れる水音に躯が火照る。頭がぼうっとしてきた頃に漸く唇が離れた。
「ん……満足。帰ろっか」
皐月さんは、口端からだらしなく垂れる唾液を拭い、再度頬に唇を落とす。柔らかなそれは、やっぱり男のモノとは思えない。
「ぁ、待って……シーツは、そのまま、なの?」
余韻に躯を竦ませて問えば、彼は小さく頷いた。
「片付けてくれるから大丈夫。心配しなくてもいいから」
片付けるって誰がだ。そこ重要だろ。もしかして、保険医なのか? それはそれでここに来づらくなるんだけど。
悶々と思考を巡らせているうちに電話を終えた皐月さんは、それをポケットへとしまいオレの頭を撫でる。
「すぐ来るからね。カバン持ってこようか?」
「一人にするな」
この状態で一人は嫌だ。なにかあっても対処できないから。
「しないよ。だから――」
担ぐね、と担いだ後に言うのは違うと思います。
「あ、これムラムラきそう」
「バカ言ってんな」
「嘘だよ、嘘――って、あれ、真由じゃん」
「お嬢様が届けるようにと仰ったので」
声をした方向に視線を遣れば、高千穂さんの手には二つのカバンがあった。一つはオレので、一つは皐月さんのだろう。
「邪魔をしたお礼だとも。破廉恥な行為はお控え頂きたいと仰っておりますが、仲を引き裂きたいわけではありませんので」
「んなこと知ってるよ。まぁ、校内セックスはバレると色々面倒だからな。一応控えるわ。そう伝えといて」
「ええ。わたくしはこれで失礼します」
彼女はカバンを置いてから一礼して、踵を返した。だが、入り口で振り返り、にっこりと笑う。
「――狼の毒牙にかかった子羊、のようですね」
そう吐き捨て、高千穂さんは保健室を後にする。
その言葉は的確だと思う。どう考えたって、その通りなのだから。
「狼って、皐月さんのことだよな?」
「え~、俺じゃなくて、比呂ちゃんのことだろ?」
「どこが!?」
どこが狼だというんだ。いや、『男は皆狼だ』って言葉もあるけども。
「だって俺は、比呂ちゃんの可愛さにやられたんだから」
そう言って皐月さんは嬉しげに笑う。
可愛いなら皐月さんの方だ。その笑顔にやられそうになる。
「か、わいくないっ」
ふいと顔を逸らして言えば、彼は抱きしめる腕に力を込めた。
「無自覚は怖いな」
「なんか言った?」
呟いたのかなんなのか、小さくて聞こえない。
「んーん。なにも。行こ」
歩き出した皐月さんの向こう側。窓から見えるのは、正門の前に停められた黒塗りの車だった。
「車種は?」
「知らね。どうでもいいし」
「も、もしかして……」
もしかしなくても、お高いアレとか?
車に近づくにつれて解る。もしかしなくてもこの車は高級車だ。しかも、燕尾服を纏った運転手さんがドアを開けて待っている。
「さ、皐月さんっ。アレはっ、高いよ」
「だから、俺は値段なんか知らねーよ」
これはオレが乗る車じゃない。だけども、乗るしか選択はない。
「お帰りなさいませ、皐月様」
「ん。ただいま、
どうやら運転手さんは柳さんというらしい。二十代後半に見える彼は、皐月さんの言葉に軽く頷いた。
「ええ。さ、早くお乗り下さい」
開け放たれた後部座席に座り込めば、柳さんはドアを閉めて運転席へと闊歩する。
「離せよ」
「嫌って言いたいけど、離してあげる。ついでに取るね」
「っえ? 取るの?」
なにがあっても取らないとかぬかしてたじゃないか。目を瞬いて皐月さんを見遣れば、彼はワザとらしく口に手を添えて笑う。
「やだ、比呂ちゃんM?」
「違う!」
「冗談だよ。手を繋ぎたいから。それに、触れたいし、触れてほしい」
絡むリボンタイを解きながら言い放てば、皐月さんはオレの手首を掴む。
「俺に、触れてよ」
「触れてる、じゃんか……」
ぶつかる双眸には濃い色情が垣間見える。ごくりと唾を飲み込めば、彼は手を離した。
「皐月さん?」
「柳さん出して」
「はい」
運転席に乗り込んでいた柳さんはその言葉に頷いてエンジンをかけた。アクセルを踏んだのか、ゆっくりと動き出す。
「ごめんね。赤くなった」
「大丈夫だけど……」
赤いといっても仄かにだ。よく目を凝らさなければ解らない。
「隣に座って、手ぇ繋ごう」
「汚れるから、このままでいい」
「それはそれでいいけどぉ、我慢できなくなるよ?」
「それはそれで嫌だな」
さわさわと腰を撫でる手つきがいやらしい。叩いてやれば、唇を尖らせる。
「嘘だし。これでも随分長い間、我慢してきたんだよね。俺は自分で自分を褒めてやりたいわ」
「でも、皐月さんにはセフレがいるから説得力はないよ」
そう言えば、皐月さんは苦笑いを返した。
「それは言わないで」
ね? と囁き、また腰を撫で上げる。
「比呂ちゃんに手ぇ出したのは、今日でしょ?」
「そう、だけど……。セフレはいいのか?」
ほっといてもいいのだろうか。躯だけの関係でも、離れるのは寂しいと思う。
「んー、アイツらも解ってるし。大体、最初に言ってあるんだよね。躯だけで、心はいらないって。俺が欲しいのは比呂ちゃんだしねぇ」
「いいなら、いいけど」
本人達がそれで納得しているならいいか。他人が口を出すのはよそう。
「心配性かな、比呂ちゃんには」
「違うし。修羅場に巻き込まれるのが嫌なだけだから」
大変だろうし、と紡ぎながら顔を逸らせば、くすくすと笑う。
「うん。やっぱりいいね。本物は」
「は?」
「あ、そろそろ着くかな」
漏らされた言葉に窓の外を見る。そこにあるのは――。
「はい?」
目を瞬かせれば車はスピードを落とし、マンションの入り口の前に横付けされる。二つのカバンを提げつつすぐさまドアを開けて降りれば、皐月さんは屈んで、オレを隣に立たせた。次いで、後ろ手にドアを閉めれば車は走り去ってしまう。
「こ、ここ? マジでここ?」
それはそれは見知った形だ。というよりも、外観というかマンション名で唖然とした。マンションと彼を交互に見遣れば、おかしげに笑いだす。
「そうだよ。ここの二階。平たく言えば、比呂ちゃん家の斜す向かい」
答えて、ぎゅっと手を握る。ちょっと痛いけど顔には出さない。
斜め向かいって、人が住んでいたよな。確か子供が二人いる夫婦が。
「え、でも人が」
「引っ越したよ。一ヶ月程前に」
「あぁ……だから最近見なかったのか」
ここ最近、その人達の姿は全く見なかったのはその為か。そういえば引っ越すどうのと母さんが言ってた気もする。
「子供が増えるらしくてね、元々引っ越しを考えてたみたいだけど。ちょうどいいからこっちでそれなりの物件探して、家賃半年分を一括払いするっていう条件で引っ越してもらったんだ」
その呟きは聞いてないことにしよう。怖いから。お金と権力があるから出来る技だと思うし。思わず目を逸らせば、腕を引っ張られて太股を撫でられてしまう。
「ひゃっ!」
「比呂ちゃん、目ぇ逸らしたでしょー。あたし傷付いちゃった」
「や、やだ……、ちょっ、皐月さんっ」
さわさわと撫でるその手は震えるオレを嘲笑うかのようだ。
「っ……やだ……ダメ、だ……」
「震えちゃって可愛い」
「う、るさいぃ……、やだ、も、やだぁ」
ぞわぞわとした快感が這い上がる。と同時に、マンション入り口という往来に顔が熱くなってきた。
「大好きって言って? 言えたらやめてあげないこともないよ」
「そ、んなことっ」
「言えないって? じゃあ、ずっと撫でてようか」
ズルイ。足元を見やがって。
「あ、ぁ……き、好きぃ」
「大好き」
「んうぅ、ぁ……、や、大好きぃぃっ」
「よく言えました。これぐらいにしてあげる」
腕の中で震えるオレの頭を撫でて、満足そうに笑う。
「覚えてろよ、変態め……」
「比呂ちゃん。それね、誘ってるようにしか見えない」
「誘ってねーよ! 知らない。皐月さんなんか知らない」
胸を突っぱねて離れるが足が震えている。彼を見遣れば口角が上がっていた。それはそれはいやらしく。
「それで歩けるの?」
足を指し示してにやりと笑う。揶揄を込めたそれは、苛立ちを募らせるだけだ。
「五月蝿い!」
吐き捨てて歩き出せば、皐月さんは慌てて後ろから付いてくる。
「怒っちゃった?」
「怒らせたのは誰だよ?」
「ごめんね。可愛いからついからかいたくなるの。だから、ごめんね?」
手を繋ぎつつ小首を傾げ、瞳を潤ませる。その仕草に一瞬言葉に詰まり、視線を外した。
「――っ、も、もういいからっ」
しどろもどろになりながら、どうにか言葉を絞りだす。女の子を泣かせたような変な気分だ。実際には変態を相手にしているけど。
「ありがとう。比呂ちゃんは優しいね」
「優しくねぇし」
微笑む彼から顔を逸らせば後方から「おーい」という高い声が聞こえた。反射的に肩越しに振り返ってしまう。そこにはオレの双子の姉・智尋の姿があった。
「比呂~」
「智尋――っと」
走り寄る彼女を受け止めれば、彼女は息を吐いた。走れるということは、躯は大丈夫らしい。
「今日は大丈夫なんだな」
「ん、今日は気分がいいの」
「そっか」
智尋の頭を撫でれば、横から恨めしそうな声がする。
「ズルイ」
「なにが?」
「俺も頭撫でてよ」
「はぁ?」
意味が解らないというように顔を傾げれば、皐月さんは「触れてほしいの。比呂ちゃんに」と耳打ちをしてきた。と同時に太股を撫で上げ、尻を撫で回す。
「っ……!」
躯を竦めれば智尋は顔を上げた。
「比呂、おかしくない?」
「うぇっ!? なにが?」
「ブラしてないじゃない。これじゃあ、男だって解っちゃうよ? 外したの? それとも――外された? 皐月に」
智尋の瞳が光った――気がする。いや、それよりも! 呼び捨てって、どういうことだ?
待て。よく考えてみれば家族との交流はあったっぽいから、呼び捨てでもいいの、か? いやいや、でも、相手は変態だし。家族を変な道に引き込まれるのは避けたい。
「よ、呼び捨ては如何なものでしょうか?」
出た言葉はなぜか敬語。
「呼び捨てでいいって言ったんだもん。ね、皐月。あとさ、もう撫でるのやめてあげれば? 変態にしか見えないよ。変態だけどね」
「変態だなんて失礼なことを言うんだな。俺はただ比呂ちゃんに触れたいだけなんだから」
「触れ方が違うだろ。やめろよ変態色魔っ」
「比呂ちゃんになら罵られてもいいよ。嫌悪感なんてないし。むしろ快感」
なんてことを言うんだ。予想外すぎる。
「――っ、お前やっぱり変態だなっ! 智尋、行くぞ」
智尋の腕を引き、強引にエントランスへと入った。変態には付き合っていられない。時間の無駄だ無駄。
「比呂」
「なんだよ」
肩越しに振り返り、智尋を見据えた。
「比呂は皐月のこと好き?」
「なわけあるか。アイツ変態だぞ」
「嫌い嫌いもなんとかって言うじゃない」
「あのなぁ、言っとくけど男同士だからな。そもそも、アイツはオレのこと――」
言いかけて気付いた。襲われたなんて言えるわけがない。
「オレのこと?」
「お、男なのに好きとか、言ってくるんだぜ」
とっさに誤魔化したが、誤魔化しきれていない気もしないでもない。
「でも、比呂も満更でもないんでしょ? 見た目だけはお人形さんみたいだし。男だって言われても違和感あるよねぇ、皐月は」
「それなのに、オレよりも立派なもんがついてるよ! ムカつくけどな」
「やだ比呂ちゃん。そこまで俺のこと見てるんだぁ」
「見てねぇよ!」
割って入ってきた声に咄嗟に答えれば、着いてきたであろう皐月さんが口角を上げていた。いい子いい子と頭を撫でてくる。
「正直でよろしい」
「五月蝿いな。変態には用はない」
「その変態に犯されたのはどこの誰だろうね」
「なっ!?」
智尋には聞こえないように囁くのは良識があると思う。変態だけど。
「――っ、皐月、さんっ」
あろうことか耳を舐めるのは、やっぱり変態だからか。
「比呂、先に帰るね」
「ちょっ、智尋っ、待って……智尋ぉ」
繋ぐ手をいとも容易く解き、視界の端に映る智尋はどんどん小さくなる。あ、今日は階段なんだな。
「比呂ちゃんは誰を見てるの? ねぇ、俺を見てよ」
「な、ならっ……こういうのやめろ」
囁いてもう一度耳を舐め、今度は頬にキスをした。スキンシップ激しいし。
「触れたいって言ったでしょ」
「わっ」
運悪く後ろの壁に押し付けられ、皐月さんはご丁寧にオレの胸を撫で始めた。
「さ、皐月さん? ちょっと……」
「んー?」
「なにしてんの?」
「なにって、比呂ちゃんとナニしようかなって。あんな顔見せられたらねぇ」
「あ、あんな顔ってなに? ちょっと、ま、待って待って、嫌だってば! ここエントランスだからなっ」
「だから?」
嫌々と首を振る間も、いやらしく胸を撫でている。どうやら止める気はないらしい。しかも、それがどうしたという態度。人が来るかもしれないのにだ。そもそも、女装した男二人がエントランスでいちゃつくのも違うだろ。――とは言えなかった。いきなり手で口を押さえられたからだ。
「その顔もヤバイね。本当に止まらなくなりそう」
耳元で囁き、冗談だよと笑いながら手を離す。
「比呂ちゃんの慌てた顔が可愛いから見たかっただけ。大体、こんなとこでヤるわけないだろ。変な噂をたてられても困るもんねぇ。比呂ちゃんが」
「皐月さんだって困るだろ……」
「それはどうだろうね」
「えっ、わっ!?」
曖昧な言葉を返して腕を取る。そうして引き摺りながら階段を上り始めた。エレベーターも近いんだけどね!
「さ、皐月さんっ」
痛いとは言えない雰囲気の中、皐月さんはある部屋で止まった。本当に斜め向かいだ。そのドアの鍵を開け、オレを中へと押し込む。皐月さんは皐月さんで一緒に入り、閉まるドアにオレを押し付けて同時に鍵をかけた。片手同士の早業に呆然とすれば、目前の皐月さんはにっこりと笑う。智尋が言ったように、本当に可愛い。可愛いすぎてヤバイ。中身はアレだけど。
「キスしよう」
「は? 嫌だよ」
「なんで?」
きょとんと首を傾げる仕草もヤバイ。流されそうになるが流されるわけにはいかないのだ。ちょっと快感に流されたけど、痛いものは痛いし、嫌なものは嫌だ。もうあんな思いはしたくない。
「なんでって……オレは皐月さんのこと好きじゃないし。大体、オレは男だぜ? そ、それにセフレがいるんだし、キスがしたいならソイツらとすればいいじゃん」
どうにかこうにかと話題を逸らそうとするが、巧くいっていないような気もする。皐月さんは呆れたような顔をしてるし。
「だから男だって知ってるよ。それでも俺は比呂ちゃんが好きだし、セフレじゃ満たされない。俺は何時だって比呂ちゃんに触れたいし、ヤりたい。思春期の男なんて頭の中はピンクなんだよ」
そりゃオレだってピンクだ。皐月さんの言うことも解らないでもないが、流されたら終わりだし。
「好きだ」
「い、嫌だ」
近付く皐月さんから顔を背けるが、オレの顎を取り無理矢理元に戻した。
「俺じゃダメ?」
「ダメ」
鼻先が触れそうなほど顔が近いから息がかかってくすぐったい。が、なにか答えなければと思いおうむ返しで答えれば、皐月さんは眉を寄せた。
「他に好きな人がいるの? いても俺は諦めないよ」
「それは、いないけど……あ、いや、やっぱりいる、かな……?」
遠い存在もとい写真集の中に写っているグラビアアイドルだけど。いま一番好きな子だったり。
「誰だよ!」
「――痛っ」
放った言葉がまずかったのか、皐月さんは声を荒げてオレを玄関先へと押し倒した。目の前は床。いきなりの反転と背中の重みに顔が歪む。
「俺が一番比呂ちゃんのことが好きなのにっ」
「っぁ!?」
肩越しに振り返れば、皐月さんの目には涙が浮かんでいた。のに、太股を撫でる手はいやらしい。
「ねぇ、比呂ちゃん。好きだよ。好き、大好き。比呂ちゃんの全てがほしいの。でも――叶わないなら、どうしようもないよね」
「や……やだっ、皐月さ――」
片手がオレの顎に添えられ、強引に唇が塞がれる。無理矢理に入った舌が絡み、息があがる。
水音が響く中皐月さんは何度も太股を撫でて、挙げ句、ヒモパンの中へと手を差し入れた。と同時に舌を緩ませ、少しだけ唇を離す。
「ひぅっ!?」
「比呂ちゃんの……解る?」
「や……嫌だっ!」
オレの息子を弄りながら、皐月さんは熱い吐息を漏らしている。かくいうオレもだけど。太股を撫でられながらはきつい。
「ぁ……んっ……やっ、皐月さ……っ、嫌……だっ」
「嫌? まさか。気持ちいいの間違いだよね」
「――やぁっ!」
指先が先を軽く抉り、思わず掌を握りしめる。
「もう一度抱いたら、俺の気持ちが解るようになるかな?」
「解るように、なるわけねぇだろ……アホっ――ぁ、うぅ……」
きっと睨めば、皐月さんはまた指先で中心を抉った。ダメだ勝てない。解る解らない以前に、以心伝心な関係じゃないし。そもそも、端から他人の考えなんて解らんし。解ったらこんなことにはなっていないだろう。
「待って、待ってぇ……おっおおっ、オレがっ、しゅきなのはぁっ……ぐ、グラビアアイドルだし……だからっ、も、やめて、よ……」
やめてほしいという思いを込めてどうにか絞り出した真実。彼女がいないのは解っているだろうが、好きな人はいる。芸能人でなにが悪い。彼女がいても芸能人のファンなんていっぱいいるし。
「――グラビア、アイドル?」
「そ、だから……も、やめてよっ……皐月さん……っ」
頭を振れば皐月さんの手が止まった。そうしてなにかを考えているのか、数秒間沈黙が訪れる。
「――……そっか。なんだ、そっか」
「皐月さ……?」
うんうんと頷く皐月さんを見遣れば、また「そっか」と紡いだ。小さく笑いながら。その間、躯の力を抜いてほっとしていれば、また手が動き出した。突然のことに、びくりと大袈裟なほどに躯が竦まってしまう。
「っや、なんでっ!?」
「なんでって、中途半端は辛いでしょ?」
ねぇ、と耳元で囁く声には怒気はない。どうやら誤解は解けたらしい。それでも皐月さんの手は、はしたなく前走りを垂らすオレのモノをしごいている。
「――つ、つらくな、いっ……んっ、ぁ、ぅ……」
「ごめんね。頭に血が昇っちゃったんだ」
「あっ、も、う、解ったからぁっ……手ぇ、汚れる、からっ……やっ」
気持ちよさにおかしくなりそうだ。だからやめてほしかったのに、やめる気配はやはりない。
「ね。入れないから、俺のも一緒にしていい?」
「一緒、にぃ?」
なにを一緒にするのか。見当がつかなくて問えば、皐月さんは色っぽい息を吐く。
「あのね、比呂ちゃんのえっちな声に勃ったの。我慢できないんだ」
「そ、それと、一緒にするのと……は、関係ない、だろ?」
「一緒にしたら気持ちいいよ。痛いようにはしないから。いいよね?」
「あ……」
頷きも了承もしないうちに熱いなにかを感じる。顔を下げて見れば、オレのモノに皐月さんの息子が宛がわれていた。やっぱりデカイ。一回りは大きい気がする。
「片手じゃ足りないから、比呂ちゃんも手伝ってくれる?」
徐に手首を掴まれ、それを中心へと添えられた。触れた皐月さんのモノは熱く、掌からは脈拍が伝う。
「――っ……あ、つ、い……」
「勃ってるからね。比呂ちゃんのも、熱いよ」
「うるさ、いっ、バカぁ」
紡がれた言葉に恥ずかしくなり悪態をつく。それでも気にしていない感じの皐月さんは、耳元で笑ってから息子を握るオレの手を握りしめた。
「動かしていい?」
「い……嫌だって、言っても、やるじゃんか」
「そうだよ」
「っあ、ぁ……っ」
ゆっくりと動き始めた手は止まらない。響き始めた水音は大きく、玄関先を満たす。
「んっ……ぁ、うぅっ……」
「ん……比呂ちゃん、可愛い……、ヤバイ……っ」
「か、わいくねぇ……っ、バカっ、やろぉ」
「可愛い、よ……堪らない……」
囁きに、熱を放つ。それでもまだ手が動いていた。放った白濁でぬめる手はスムーズで、息子はすぐに元気を取り戻す。
「やっ……なに、も、無理ぃ」
「もう一回……それで、終わる、から……」
皐月さんはぐりぐりと先端を弄り、絶頂へと導く。逆らえない快楽。
「ひっ……ぁ、あっ……やだ、また、出る、出るっ……!」
「ん、いいよ。出して……。俺も――イく」
もう一度白濁を放ち、床にへたり込む。ぬめる手に汚れた床とスカートも、気にする余裕はいまはない。
「……重い」
「へばる比呂ちゃんも可愛い」
「五月蝿い。も、早く退いて」
「比呂ちゃん、お風呂入ろう。服はクリーニングに出すつもりだから、安心してね。掃除は俺がするから、気にしないで」
「バカ……オレも、掃除するし」
ね、と囁く声に、だるいながらも返事をした。一人で汚したわけじゃねぇし。
「疲れてない?」
「だるいけどなんとかなるだろ。いいから退けよ」
言えば、躯から重みが消えた。徐に躯を起こして向きを変え、皐月さんを見据える。
「可愛い」
「可愛くない。いいから、早く掃除しよ」
白濁で汚れた場所にはそうそういたくはない。短い間だろうと。スカートは絶対に汚れたし、手もべとべとで気持ち悪いんだよな。
「その前に、比呂ちゃん先にお風呂入っちゃって」
「なんで? だから手伝うってば」
「我慢できなくなっちゃう」
「バカじゃねぇの。我慢しろ。オレの体力がもたないだろ」
また襲われたら確実に明日が辛くなる。ふにふにと頬を弄る皐月さんの手を払い、軽く睨み付けた。だが、皐月さんは軽く肩を竦めるだけ。
「だってさぁ、俺はずっと比呂ちゃんが好きだったんだよ。いまも大好きだけど、まぁそれは置いといてさ。何年も我慢してた分、傍にいるだけでムラムラくるの」
「なにを告白してんだよ! あぁもう、解った。襲われたら堪らないから、先に風呂行く! 皐月さんなんか知らないかんな」
勢いよく立ち上がり、大股で風呂場まで歩く。左右が反対だから、左に風呂場のドアがある。それを開けて力任せにドアを閉めた。大きな音が響くが、どうでもいい。
「――本当に可愛いなぁ」
残された彼は、蕩けるような笑顔で笑っていた。その顔は色気たっぷりであり、誰もが落ちそうになるだろう。しかし本人はそれを承知で振り撒いている。色香で落とそうとしているが、いまいち巧くいかない。
「早く落ちないかな」
歯痒さにめちゃくちゃにしてしまいそうになる。実際、何度か理性が吹き飛びそうになっていた。どうにか意識を保ち、事なきを得たが、このままでは本当にめちゃくちゃにしてしまうだろう。
傍にいるだけでムラムラくるし、見つめ合えば抱きしめたくなる。抱きしめたらキスをしたくなるし、キスをすれば押し倒して先に進みたくなる。そして、先に進めばもっとほしくなり止まらない。
どうしたら好きだと解ってくれるのか。どうしたら好きだと言ってくれるのか。――解らないからどうしようもない。いつかは落ちてくれるかもしれないが、先は長いだろう。それでも、諦めはしないが。
「先ずは――掃除しよっと」
絶対に振り向かせるともう一度自身に誓い、そっとブラウスに手を掛ける。彼はその場でブラウスを脱ぎ、白濁に濡れた廊下を拭く。白いそれは汚れにまみれるが、微塵も気にする様子はなかった。
「うぁー、風呂はやっぱ気持ちいなぁ」
風呂が沸いていることに疑問も持たないまま湯につかり、浴槽の縁に躯を預けていれば脱衣場に影ができた。謂わずもがな皐月さんだ。服を脱いで髪を上げてから軽くノックする。順番が違う気がするが、そこはつっこまない。
「入るよ」
「嫌だっつっても入るから、勝手に入れば。ていうかここ、皐月さん家だろ」
オレが放った言葉のすぐあとに、皐月さんは浴室へと足を踏み入れた。やはり髪を結い上げていて、お団子ヘアにしている。湯につかれば、皐月さんはオレを見据えた。
「やだ比呂ちゃん、機嫌悪い? すごい皺が寄ってる」
「別に。つか、やっぱ、男なんだな……」
皐月さんの裸体を眺めて確信した。男だと。白い肌はほどよく筋肉がつき、立派なモノもついている男の躯そのものだ。けれどその躯には艶があり、腰にタオルを巻けば貧乳の女の子にも見えるだろう。もしかしなくても、着痩せするタイプか。
オレだって男なのに、皐月さんみたいに筋肉はついてない。撫で肩だし色だって白いし焼けにくい。この差はなんだ。ムカつく。
「だから男だって言ってるだろ。比呂ちゃんも俺も、男の子。まぁ、比呂ちゃんは童顔で華奢だから、そのまんまでも十分女に見えるけど」
「五月蝿いな。ひ、人が気にしてることズバズバ言うなよっ。つか、皐月さんはなんで女装してんの? はぐらかさないで、本当のこと教えろ」
皐月さんを見据えれば、少し考えてから口を開いた。
「じゃあ言うけど、比呂ちゃんは女の子が好きだから。こういう女の子が好きなんでしょ?」
「そうだよ。ストライク――じゃなくて! なんでそんなこと知ってんだよっ」
「丹念に調べたからね。智尋ちゃんやご家族に好みを聞いたり、比呂ちゃんのクラスメイトにも聞きまわったよ。大変だったけど、楽しかった」
楽しかったって言うけど、それはアレか。
「ストーカーか!」
「やだな。ストーカーだなんて人聞きが悪いだろ」
伸ばされた腕で手首を掴まれて強く引かれる。
「ちょ……皐月さんっ」「キスしたい」
「わ、解った、から……」
真面目な顔をされたら、嫌だなんて言えない。短時間で毒されすぎだろ、オレ。
「いいの?」
「キスは、い、痛くない、だろ……だから……」
「解らないよ? 噛んだら痛いし」
「噛むの!?」
そんなの初めて聞いたんだけど!?
「軽くね。甘噛みってやつ。気持ちいいよ」
「噛まれたことないから解んねぇし」
「じゃあ、試そうか」
緩く口角を上げた皐月さんはそう言い放って、唇を塞いだ。柔らかなそれは、角度を変えながら何度も啄むようなキスをする。時々唇を舐めるのは、甘噛みの準備だろう。
「……ん……んっ……」
「……そんな顔、しないで」
「ふぁ……?」
小さく漏らされた声に皐月さんを見れば、熱い吐息を溢す。
「我慢、できなくなる……」
「んっ!?」
濡れた唇に歯を軽く立てられ、躯が跳ねた。
「気持ちいい?」
「解んな……い……」
一瞬だったから、気持ちいもなにもない。緩く頭を振れば、赤い舌が唇を滑った。
「もう一度」
「んぅ……っ」
軽く噛まれて躯が竦むと同時に、緩い感覚が背中を走っていく。少なくとも、気持ちいかも。
「……皐月、さ……」
「なに?」
「気持ちい、かも……」
しれない、と溢せば、荒々しくキスをしてきた。今度は舌を入れて、深くまで味わうらしい。
「んっ……ん……ふぁっ……」
濡れた音が鼓膜を刺激する。それでも嫌じゃないなんて、やっぱり毒されてるよな。
「……比呂ちゃん」
「にゃ、に……?」
少し離された唇から漏れるのは、吐息とよく解らない言葉だった。
「掻き出してあげる。……入れないから、いいよね?」
「か、掻き出すって……な、に……んっ」
腕を背中に回されて、指が背骨を伝う。行き着いた先は、皐月さんのブツが入れられたあの場所だ。
「あ……か、掻き出すって……、掻き出すって……まさかっ」
「嫌?」
「い、嫌、だ……」
一度ならず二度も弄られるのか。あの感覚がまた来るのか。二度もやられるのは屈辱的だ。けれど、いままで忘れていた気持ち悪さが這い上がってきた。気持ち悪さと弄られて得る楽さ。どちらかを選ぶなら、オレは後者をとる。少し我慢すればいいだけだし。自分でしたかったけど、この分じゃさせてくれないだろう。
「比呂ちゃん、怖い?」
オレの沈黙を怖さと受け取ったらしい皐月さんは、心配そうに顔を歪める。
その顔はやめてほしい。嫌だなんて言えなくなる。オレの好みど真ん中の顔が、少しでも歪むなんて嫌すぎるから。
「怖くないし。いいよ、して……。中、気持ち悪い、から」
熱い吐息を溢しながらの言葉は、皐月さんの顔を赤く染め上げた。
「い、いいの?」
「それ、さっきも聞いた。いいって言ってんだから、いいんだよ。早く楽にさせろ」
恥ずかしさにまともに顔が見れなくて、俯きながら答える。目前の湯が波紋を描き、皐月さんの手が頬に置かれた。
「比呂ちゃん、ごめん。先に謝っとくけど、俺の理性切れそう。というかもう切れる」
その言葉に弾かれたように顔を上げる。なにを言っているのか。
「な、ななっ、なんでそうなるんだよっ。そ、そりゃ、ちょっと煽ったかもしれないけどっ、我慢しろよ!」
そう何度も襲われて堪るか! 煽ったかもしれないけど、それはそれだ。……いや、煽った分はオレに責任があるのか?
「入れないとか言っといて自信ない」
小さく笑った顔が歪む。オレがこの顔に弱いって、皐月さんは知ってるのか。もしかして。
「うぅ……、皐月さんはずるい……。そんな顔されたら断れないこと知ってんだろっ」
皐月さんの胸を叩けば、その手をやんわりと掴む。
「え、えぇ? いや……それは知らないけど、比呂ちゃんは俺の顔に弱いんだ?」
手の甲に唇を押し当て、口角を上げた。やべぇ、墓穴掘ったかも。
「よっ、弱くないしっ。バカ、野郎……っ」
手首を掴む腕を払って空いていた片手で手の甲を拭えば、オレを壁へと押し付けた。冷たいそれに一瞬、躯が固まる。
「さ、つき、さ……」
「理性が切れそうだって言ったよね。そんな可愛い顔されたら、落ちるしかないでしょ」
囁きと同時に、止まっていた指が少しずつ中へと入れられていく。
「っ……ぅ、皐月さんの、バカ野郎っ」
逞しい腕に手を置いて、痛みを耐える。
「うん……罵っていいよ。慣らしてないから、やっぱりキツイね」
「そ、そりゃ、入れるとこじゃ、ねぇし……」
「あ、いい考えが浮かんだ」
「うぁ……!?」
指をゆっくりと引き抜いてから、オレの腰をがっしりと掴む。
「さ、つきさん……?」
「ごめん。痛かったよね? やっぱり慣らさないとダメだから、慣らしてあげる」
「えっ……えっ?」
わけが解らないまま浴槽から出され、壁に手をついてと言われるままに壁に手を置いた。肩越しに見た皐月さんは、しゃがみ込んで尻を撫でている。この異様な格好で、一体なにをするつもりだろうか。全く見当がつかん。
「な、なにすんの?」
「
「解すってなにを」と問う前に、皐月さんはにっこりと笑って「こうやって」と舌を出した。その赤さはどこか艶かしい。
「――ひぅっ!?」
ぼんやりと眺めていたが、驚きに目を見張る。あろうことか、舐め始めたのだ。驚きすぎて、そこは舐めるところじゃないという突っ込みすら出ない。
「しゃ、しゃつきしゃ……っ、嫌だ、汚いっ……」
頭を振るオレをガン無視して、皐月さんは貪るようにことを進めている。時折指が出し入れされ、生暖かい唾液が中に送り込まれていく。
「ひっ……嫌、嫌だ……っ、やっ……」
蹴り倒せばことが片づく気がするけど、下から響く水音とよく解らない感覚で足が震え、それどころではなかった。太股に指が滑り落ち、撫で上げる。
「あぅっ……んっ……しゃつき、しゃ……や、めて……」
「やめたら、気持ち悪いままだよ? 俺は比呂ちゃんだから尽くせるの。こういうこともできるし、全然嫌だなんて思わない」
喋る度に息がかかりくすぐったい。しかも太股舐めた!?
「ふぁっ!? やだ、そこで喋るにゃ……!」
「むしろ、比呂ちゃんになら抱かれてもいいよ。まぁ、抱かれてもっていうのは可能性の話だけで、実際は比呂ちゃんをめちゃくちゃにするんだけどさ」
「な、に……それ。もう、めちゃくちゃにしてる、じゃんかぁ……」
「まぁね。でも悪いけど、まだ序ノ口だから。比呂ちゃん解る? ここ、解れてるの」
「ひっ……ぃ、あ……やっ……舐めるなぁっ」
入れた指で中を掻き回し、太股を撫でて舐めて、皐月さんはいまもやりたい放題だ。その度に躯が跳ねる。
「痛い?」
「んんっ……解んないぃ……」
「気持ちよくて解んないか」
「しゃつきしゃん……なにぃ?」
放たれた声は吐息混じりで、よく聞き取れなかった。
「それ……俺を煽るだけだよ」
「あ、煽る?」
そこから指を引き抜いて立ち上がった皐月さんは、一度ドアを開けた。浴室に入り込む空気は冷たく、火照る躯に心地よい。どうやら腕を伸ばして脱衣場に置いてあるモノを取ったらしい。
「な、なに?」
「ゴム。準備いいでしょ」
見据える皐月さんはドアを閉めて、にやりと笑った。片手には四角い包装がある。
「今度こそ着けるから、いいよね?」
「――っ、皐月さんのバカ野郎っ」
そんな可愛い顔でお願いされたら、受け入れるしかないだろ。
「比呂ちゃん顔真っ赤」
「五月蝿いっ! 全部皐月さんの所為だかんなっ」
それもこれも全部、皐月さんが悪いんだ。そう思わないとやってられない。――キスもエッチも全然嫌じゃないなんて。触れられれば心臓が破裂しそうになるなんて。たった数時間だろうと、オレはオレが思う以上に皐月さんに落ちているのか。
「うん、俺が悪い。だから、あとでいくらでも殴らせてあげる」
にこにこと笑いながら丁寧に袋を開け、ゴムを取り出してさっさと着ける。早くね? いや、慣れってやつか。
「入れるよ?」
「ん……いいよ」
皐月さんの手がオレのそれに覆い被さり、軽く握りしめる。そうして耳に唇を寄せ、囁いてきた。
「ごめんね。好きだよ」
「……謝るな、バカ野郎――ん、ん……っ」
少しずつ皐月さんの息子が穿たれる。解されたのがよかったのか、すんなりと入ってきた。痛いことには痛いけど。
「っ……比呂ちゃん」
「ん……な、にっ?」
ぎゅっと手を握られ、肩には皐月さんの吐息がかかる。
「俺は……比呂ちゃんが、一番、だから……」
「んっ……ぁ、しゃつき、しゃん……」
一番って、オレのどこに皐月さんを惹き付けるモノがあるんだろうか。本当にさっぱり解らない。
「比呂ちゃんだから、気持ちいいことしたい。比呂ちゃんと、いっぱいしたい」
「あ……あっ……しゃつき、さ……っ……んぁ……」
穿たれる度に涙が頬に零ていく。オレは彼女と長く続いた試しはないし、家族以外の誰かにこんなに強く想われたこともない。皐月さんはいつからオレを好きだったんだろう。どれほど、オレを欲していたんだろう。解らないけど、想像なんてきっと軽く越えてる気がする。オレはそれを感じ取って、皐月さんに落ちかけてんのかな。それも解んないけど。でもオレは、皐月さんの笑った顔が見たいと思ってしまったんだ。
「ん……皐月さん……笑って……お願い……っ」
「比呂、ちゃん?」
吐き出した言葉に、皐月さんは首を傾げて動きを緩める。けれど、いいところばかりを攻めてきた。躯を竦めながらもじっと見れば、嬉しそうに緩く口端が上がる。そういうのが見たい。
「オレ……ね、さ、つき、さんの……っん……笑った、顔……見たい」
雰囲気にそぐわない科白に、皐月さんは声を出して笑う。一頻り笑ったあとに、片手を握るそれを離した。
「俺も、比呂ちゃんの笑った顔が見たい」
オレの髪を指で梳いてから肩に滑らせ、抱きしめる。その動きに中にある息子が奥に滑り、思わず大きな嬌声が漏れた。
「んぁあっ……!」
「もう少しだから、ね」
「ふぁ……あっ……ん、んっ……」
緩かった動きが速まり、皐月さんの片腕に指を絡めた。壁についた片手で躯を支え、皐月さんを受け入れている。
「比呂ちゃん……、好きだ」
「知ってる、よ、バカ野郎……っ」
指に力を込めれば、皐月さんは一瞬眉を寄せた。と同時に、オレは白濁を放ち、皐月さんは熱い息を吐き出した。瞬間、中から息子が引き抜かれる。
「――っ……比呂ちゃんは、大丈夫?」
「ん……大丈夫……」
「本当に?」
支える皐月さんを感じながら、ふと気づいた。太股になにかが伝うことに。なにかなんて言われなくても解ってる。
「うん。平気」
まぁ、支えてもらわなきゃ辛いけど。
乱れた息を吐きながら額に浮いた汗と涙を拭えば、背後からはシャワー音が聞こえてきた。いつの間にシャワーに切り替えたのか。見れば、太股辺りにお湯がかけられている。
「多分、全部出たと思うよ」
「もういいよ……。出ても出てなくても、もういい。風呂入りたいから入れて?」
ふぅと息を吐き出せば、皐月さんはオレを抱えて浴槽の中に落とした。高さはそんなにないから湯が溢れるだけだけど。
「皐月さんっ!」
顔にかかった湯を拭って皐月さんを見上げる。視線の先には、顔が真っ赤な皐月さんがいた。視線がかち合えば、後ろを向いてしゃがみ込んでしまう。綺麗な髪がさらりと肩を撫でた。
「さ……、皐月さん?」
「比呂ちゃんはっ!」
「は、はいっ」
「なんでそんなに可愛いんだよ……!」
「くそっ、また元気になってきた」と呟きながら息子からゴムを外しているようだ。口を縛った使用済みのそれを端に追いやる姿はどこかおかしい。けれど、可愛いんだよな。
「か、可愛いのは皐月さんだろっ」
腕を伸ばして背中を叩けば、びくりと躯を竦ませる。そうして恐る恐る振り返ってきた。
「比呂ちゃん? ――っ!?」
身を乗り出してから髪に指を絡め、額に口づける。唇はまだハードルが高いから無理。皐月さんは目を丸くさせてオレを凝視していた。
「さ、皐月さんは可愛いよ! だってオレのストライクゾーンだしっ、もう落ちかけてるしっ……いや、お、落ちるのはもう少しだけど……いやいや、違くて、その……、わ、笑って、よ……」
なにがなんだか纏まらない言葉に、皐月さんは小さく噴き出した。
「うん。そっか。もう少しで落ちるんだね」
髪に絡めたオレの指が、皐月さんの指に捕らわれる。
「頑張るから」
だから早く落ちて、と皐月さんはそれはそれは可愛い微笑みを溢した。勿論動けなくなったオレは、湯につかった皐月さんに浴槽に戻されたのだった。その後は普通の風呂タイムであり、さっぱりして出てきた。オレだけだけど。皐月さんはまだ入る気らしい。
脱衣場に脱ぎ散らかした制服や下着はなく、用意されていた下着とスウェットに着替えてから聞いてみたが、「クリーニングに出すから片づけたよ」と返ってきた。見られたのは恥ずかしいけど、いまはまぁいいかとさえ思える。
ドアを開けて、髪を拭きながらリビングまで歩く。
「――もう少しで、か」
本当に、もう少しで落ちそうだ。危うい。危うすぎる。
「……皐月さん以外は、なってないのかも」
いや……オレは押しに弱いのか? いやいや、皐月さん以外とどうこうなろうとは思えないしな。
「やっぱり皐月さんだからか」
皐月さんだから笑ってほしいと思えたし、キスもしたいと思えたんだ。オレは。
簡単に言えば。
「好きってこと?」
口に出してしまえば、その言葉がゆっくりと躯を巡る。それでも、好きかどうかはよく解らない。嫌いじゃないことは解ったけども。
「まぁいいか」
よく解らないならもういいや。
リビングのドアを開けて中に入り、ソファーまで歩み寄って腰を下ろす。が、下半身が痛いから横になろう。横になりつつ辺りを見遣れば、どこもかしこも既視感を覚えた。この部屋、家とそっくりだ。その所為かなんなのか安心感が湧き、急に眠気に襲われる。頭と躯を働かせて疲れたし、少し寝てもいいよな。大丈夫だよな。
「――おやすみ、なさい」
大丈夫じゃなかろうが強い眠気には逆らえない。誰に言うでもなく呟きを漏らし、下がる瞼をそのまま閉じた。
◇◆◇◆◇◆
「比呂ちゃん?」
彼がリビングに現れたのはその十分後である。髪を拭く手を離して横たわる比呂に走り寄り、その場にしゃがみ込んだ。顔に耳を近づければ、気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。ということは――。
「よ……よかったぁ。寝てるだけ、か。疲れちゃったかな」
倒れたわけではないと解り、ほっと胸を撫で下ろす。半ば無茶なことをさせている自覚がある分、心臓に悪かった。
「ごめん。比呂ちゃんに負担かけてばかりだね」
濡れた髪を撫で、額に唇を落とす。「ごめん」ともう一度漏らしつつ、髪に触れようとする手がピタリと止まった。
「来たか……」
ポケットに入れた携帯が震え出したのだ。着いたことを教えてくれたらしい。
「いいところなのになぁ」
舌打ちをし、立ち上がって踵を返す。玄関先に置いた紙袋を手に、彼は部屋を出た。
「柳さん」
エントランス前に止まる黒い車。その運転席のドアに寄り添うように運転手が立っている。軽く声を掛ければ、気づいたのか視線が上がった。
「皐月様」
「これ、よろしく。クリーニング終わったら届けに来て」
「はい。承りました」
渡される紙袋を恭しく受け取り、
「あまり浮かれすぎないようにして下さいよ」
「言われなくても解ってるし。まぁ、もう遅いんだけど」
「ええ。確かに遅いんですが、一応忠告をと思いまして」
「はいはい。忠告ありがとう。――柳原」
いつもの柳さんではなく柳原と呼ぶ彼は、真剣な目をしている。彼が柳原と本名になる時は、なにか重要な時である。柳原は姿勢を正して、彼を見据えた。
「はい」
「比呂ちゃんに惚れるなよ。俺のだから」
「惚れませんよ。確かに可愛らしくはありますが、私には愛する妻と娘がおりますので。どうか御安心を」
柳原は一瞬目を丸くさせ、ふたたび小さくため息を吐く。目前にいる彼にとっては重要なことかも解らないが、愛する妻と娘がいる柳原にとっては関係のないことだった。彼が安心したように顔を綻ばせれば、いつもの空気に変わる。
「ならいいけど。じゃあな」
「くれぐれも浮かれすぎないように」
一礼をした柳原は、その一言を投げ捨てて車に乗り込んだ。発進するそれを一瞥し、軽く舌を打つ。
「何度も言わんでよろしい」
『――俺、信用ねぇな』と彼は小さく吐き捨てながら、エントランスへと消えていった。
◇◆◇◆◇◆
カタンと響いた音で、微睡みから浮上する。ゆっくりと瞼を押し上げれば、近づく皐月さんが見えた。
「……あ……あー……」
そういえば、と思い出す。寝てしまったんだと。
「起こしちゃった?」
「まぁ……うん。おはよ」
「お、おおおっ、おはようっ」
起き上がりつつ躯を伸ばせば、皐月さんは顔を赤らめてしまう。吃りながら返事をすれば、最終的には口元に手を添えて顔を背けてしまった。
「皐月さん?」
「おはようなんて言われるの、夢みたいだなぁって……。頭の中では何度も言われたけど、実際に言われるのとはわけが違う」
「なにそれ。妄想?」
「うん。妄想」
「変態」
「だって男だし」
しょうがないだろと紡ぐ皐月さんの見た目は、どう見ても男に見えないけどな。いや、それはいいとして、いまは何時くらいだろうか。壁掛け時計に視線を遣れば、皐月さんは隣に腰を下ろした。
「髪の毛ついてるよ」
「あ、」
するりと髪を剥がしたその手が、頬を撫でる。
「比呂ちゃん」
「なんだよ?」
「可愛い」
「変態に言われたくないし、可愛くもないから」
「あのね、誰でも妄想ぐらいするでしょ? もちろん――比呂ちゃんだってさ」
頬を撫でていた手が口元に滑り落ちてきた。これはヤバいかも。とりあえず、変な空気にしないようにしないと。
「そうだけど」
「比呂ちゃんは、どんな妄想するの?」
「どんなって……そうだな。デートしたり、とか?」
「アイドルと?」
「まぁ、うん。っていうか、皐月さん……」
なんかどんどん躯が傾いているんですけど!
「なに?」
「なにって! それはこっちの台詞だから。なにしてんだよ」
「抱き心地がいいから」
「抱き心地って……まさか……」
またエロいことをする気か!?
顔が青ざめているだろうオレに、皐月さんは気づいたように首を振った。
「抱くってそっちじゃないよ。今日はもうしないって決めたしね。さすがに無理させちゃったしさ。でも、比呂ちゃんには触れたいの。だから、抱きしめるのはいいよね?」
「そっちね。そっか。なら、抱きしめるのはいいことにするわ。けど、ちょっと離して。腰が痛いから。あと、智尋に言い忘れてたことがあるから言いにいかないと」
「智尋ちゃんに?」
言った通りに離してくれた皐月さんは、オレを起き上がらせてくれた。鈍痛に顔を歪めつつ頷く。
「そう。願い叶えてくれるって言ったじゃん?」
「まぁ、叶えられる範囲ならだけど」
「ああは言ったけど、オレだけで決めらんないしさ」
「じゃあ、いまから比呂ちゃん家に行こ?」
だからいまから行こうとしてたんだっつの。ゆっくりと立ち上がり、肩に掛かるタオルもそのままにリビングを後にした。
◇◆◇◆◇◆
「痛ってぇー……」
インターホンを押して、返った言葉は『なにか用?』。『話がある』と腰を擦りながら答えれば、『はいはい』とすぐに切れる。そうして待つ間も腰を擦っていた。
「慣れれば大丈夫になるって」
「慣れるか!」
横で佇む皐月さんはさらりと言うが、慣れたら終わりだろ! オレはまだ落ちてないんだからな。
「玄関先で夫婦ゲンカ? 仲がよろしいことで」
智尋はにやにや笑いながら、開けた玄関から顔を覗かせる。
「仲良くないし。つか、そんなことはいいから、智尋に話があんの」
「だから早く話して。わたしは暇人じゃないから」
玄関に凭れながら腕を組む姿はどこか威圧感がある。いつの間にこんなに偉くなったんだ?
「あのさ、智尋が行きたがってた学校に一緒に行こう?」
「はぁ? なにそれ。わたし転校なんてしないよ。いまの学校は病院に近いから重宝してるしね。それに友達もいるから」
「ですよねー」
そんな予感はしてたんだ。オレだってそんなこと言われたらノーだし。……あれ? 完璧に流され損じゃね?
おもわず打ちひしがれて固まるオレの腰に、腕が回される。
「それだけ?」
「それだけ。じゃあね、智尋ちゃん」
「待って皐月」
「なに?」
「あんまり泣かせないでよ?」
「約束はできないな。もう泣かせてるから」
「泣いてねぇし! いててて……!」
二人の会話を耳にしながら訂正すれば、腰にきた。いままさに泣きたいわ。痛さにだけど。
「言いたいことはそれだけだから。じゃあね、比呂。せいぜい皐月に可愛がってもらってね」
「智尋、いまなんて――」
閉まった玄関は静寂を迎える。
え? なんて仰いましたか? なに言ってんの!? 鬼か! いや、悪魔だな。最初から悪魔だったんだよな!
「比呂ちゃーん」
そしてもう一人の悪魔の声が、背後から聞こえてきた。甘ったるい声だが、悪魔の囁きにしか聞こえない。
「智尋ちゃんの許しも得たから、たくさん可愛がってあげる」
耳朶に口付けられ、躯が竦まる。
「ばっか! あんなの冗談だろっ! 痛ってぇえぇ、腰、痛いー」
「智尋ちゃんの目は本気だったよ? だから本気で返さないと失礼だよね」
「本気じゃねぇっ。聞けよ、人の話!」
「うんうん。大丈夫大丈夫。今日はもう抱かないから」
『替わりに、明日からいっぱい可愛がってあげるね』というその囁きに、本当に泣きたくなった。人の話も聞いちゃくれないし。なんなんだよ、本当に!
明日から絶対に冷たくしてやるからな。じゃないとまた流されるから。そう決意を固めたオレは、抱き抱えられながら家に連れて帰られ、結局その後も皐月さんにベタベタされるのだった。――決意が揺らぎそうになるくらいに。
end
2012/5/13