―――何か、何かをしなくてはならない。
焦燥感を感じる。
自分は、何かをしなくてはならない筈だ、と。その強い感覚が自分の中にある。だが問題はそれが解らない事だった。水面下で必死にもがいている。その感覚だけが自分の中で鮮明だった。何かを―――何かをしなくてはならない。だが思い出せない。まだ、何かを知らない。いや、何かを忘れている。
その強い感覚が脳に焼き付いていた―――。
「凄まじいまでの重度の全身火傷だ……」
「博士、お願いします、なんとか……なんとか」
「解っているよ。私の技術を持ってすれば難しくはない―――問題は体力が持つかどうかだ」
意識が朦朧とする中で、声が聞こえて来る。はっきりとしない意識を何とか集中させようとすると、耳元でぴよぴよという声が聞こえて来る。あぁ、大丈夫だ、大丈夫。まだ生きている。ほら、ちゃんと意識はあるし。あそこにプレシアだって見える。綺麗なブレイクダンスを踊っている。
「博士! 博士! なんかブレイクダンスとか言い出してますよ!?」
「意識が落ちてきている……電気ショック!」
「ボクに任せて!」
「あ、待ちなさいレヴィ貴女の電力だと」
「必殺、神罰滅殺超究極破界魔王烈刃神サンダー!」
意識が再び落ちる。
「どうですか、彼は起きましたか?」
「ううん。偶に意識が薄く戻っているみたいだけどまだ起きないかな」
「そうですか……起きてくれるといいんですけれど」
「大丈夫よ。変態所長が手を尽くしたって言うんだから」
「所長に関しては擁護出来ませんね……」
聞き覚えのない女の声がする。薄く戻ってきた意識の中で、ぼんやりと夢現を彷徨う。全身に感じる痛みはもう、余りなかった。だがそれと入れ替わるように焦燥感が胸を焦がし続ける。何かを、何かをしなくてはならない。夢と現を彷徨う間に強く感じられたのはそれだった。だがそれも、意識が少しずつ覚醒して行く中で、起きれば夢を忘れるように少しずつ過ぎ去って、消えて行く。そうなってくると段々と自分の意識が、感覚が鮮明になってくる。
一番最初に取り戻すのは触感。
肌に感じる布の感触。心地よいぬくもりに包まれながら体が横たわれているという事実。背中にはベッドの柔らかい感触が存在し、丁寧に自分が扱われていたことを悟らされる。そして首元に感じる少しくすぐったい感触は、恐らくひよこの羽なのだろうと思う。こいつは何時の間にか居たと思えばずっと引っ付いているよな、なんてことを考えながらゆっくりと、目を開いて行く。
開く瞼に光が差し込んでくる。その眩しさに再び目を瞑り、うめき声が漏れる。喉が渇いて張り付いたような声が漏れる。
「っ、キリエ!」
「解ってるお姉ちゃん。変態を呼んでくる」
「可哀想だから所長で許してあげてください」
走り去る音がする。ややぐらぐらと揺れる意識をなんとかかき集めながら上半身を持ち上げようとするが、それを押さえるように片手が差し出された。
「あぁ、すいません。一応検診を行う必要があるのでそのままになっていてください……大丈夫ですか? 聞こえますか?」
その言葉に瞬きをしながらなんとか目を光に慣らしつつ、今口を開いても酷い声しか出ないだろうから、ゆっくりと頷く。それを受けて相手は納得したのか宜しい、という声が帰ってきた。言葉に甘えてそのまま、ベッドの中で大人しくしている事にする。だが直ぐに瞼を開くのが億劫になってくる。
「ノアさん?」
名前、呼ばれる。だが少しずつ眠くなってくる。
再び、意識を閉ざす様に眠る。
「あー、良く寝た」
上半身を持ち上げる。漸く、意識がはっきりする。かなり寝ていたようで、体にだるさが残る。だがすっと体を起き上がらせることが出来た辺り、体調はほぼ万全というのが感覚的に理解できた。体内に残されたフォーミュラは魔力がない事から完全に沈黙しており、動いていない。そのおかげで体内に痛みがなく、作り替えられている感じもない。常時供給できるエネルギーが消えた影響で稼働が停止しているのだ。生命エネルギーに手を出そうとすれば出来るのかもしれないが、それにフォーミュラが勝手に手を伸ばす様な事はなかった。
或いはそれすらも―――と、疑ったところでしょうがないのかもしれない。
頭は割とすっきりしていた。
「やあ、おはよう」
上半身を持ち上げてベッドの上で軽く欠伸をかみ殺している所、男の声が此方へと向けられた。声の方へと向ければ、壁の横の椅子に男が一人、座っているのが見えた。海藻の様な髪型に整った顔を持った男だった。その白衣姿を見れば、何らかの研究者であるのが理解できる。その為、その顔を見て最初に出した言葉は、
「Scheisse」
まず最初に毒づいた。それを聞いた男が苦笑した。
「いきなりそれは酷いんじゃないかな?」
「起きて最初に見たのが顔の良い男だった場合の気持ちを考えてみろよ。吐き気がするわ」
「ははは……確かにそれもそうだね」
納得する様に男は笑うと立ち上がり、さてと声を零した。入口へと向かって歩き出しながら、
「そこで少し待っていなさい。今娘たちに頼んで消化に優しいものを持ってこさせるから」
「あぁ、悪い」
結局誰だったんだろうか。そう思いながら扉を開けようとする背中姿を見て、
「おっふ―――」
その姿が扉が勢いよく開け放たれて吹っ飛ばされるのを見た。扉に正面から叩きつけられた上で横に転び、床に倒れた姿を入り込んだ姿は一瞬見てから、無視して此方へと向かって走り、飛び込もうとしてくる。見覚えのある姿がそうやって走って来るのに、驚き、反応に困り、
「ぴよ―――!」
「ぶっ」
ひよこが飛び蹴りを放った。見事すぎるひよこの対空迎撃に、思わず感嘆の声が漏れそうになる。そうやって飛びつこうとした少女はひよこに迎撃されて地に落ち、その後ろからやって来て、ひよこと最初の少女を横の平手でたたき落して抱き着いてくる。水色の髪の娘は抱き着いてくると顔を胸元に埋めて来る。
「……馬鹿だよ、ほんと。頼んでもないのに。そんなになるまで頑張っちゃって」
「レヴィ……直前の動作がなければもう少しよかったんだけど」
「ごめん」
胸元に飛びついたレヴィを引きはがしながらそう告げればてへり、と舌を出しながら謝って来た。こいつは本当にもう、変わらねぇなぁ、と呆れの溜息を吐きながら笑った。レヴィは引きはがされると両手でピースサインを作りながら笑みを浮かべていた。
その背後にゆらり、と立ち上がった茶髪の少女―――シュテルがレヴィの後頭部を叩いた。
「痛ぁ!? シュテるん酷くない!?」
「なぁーにが酷くなぁーい? ですか。猫のように甘えた声を出しやがって。貴女、私を今押しのけて前に出たでしょ」
「シュテるんの気のせいじゃないかな。ほら、シュテるんって時々致命的でもない所でミスするし」
「貴女は今、全山猫を敵に回した」
「やってみろ、ボクも元は山猫だったかもしれないんだぞ……!」
「何やってんだお前ら……」
取っ組み合いを始めそうなレヴィとシュテルへと半眼の視線を送れば、奥の方から更に人がやってくるのが見えて来る。こっちはシュテル達よりも年上の女の子たちで、姉妹を思わせる様な近しい髪の色の二人に、二人とは違う気配の女が一人という組み合わせだった。
最後に入った奴は転がっている白衣の男を見て、蹴りを一発叩き込んでいた。
「あ、起きましたか。とりあえずすりおろしたリンゴを持ってきました。内臓の方もそれなりに弱っていると思うので、大丈夫そうなら食べてください」
「これだけ女の子を侍らせて本当に―――あ、イリス、イリス? そろそろ変態蹴り続けるの止めない?」
「この汚物はこれぐらいの扱いでちょうどいいのよ。寧ろ仕事は終わったんだから人生から退場して貰ってもいいでしょ」
「ふ、ふふ、流石イリス、私の娘……」
「やっぱり気持ち悪いから蹴ってていいよ」
女二人に蹴り転がされている顔が良かった男を眺め、ずいぶんと人の密度が上がっている状態に改めて驚く。自分がここを出る直前、ここに残されていたのは自分とユーリだけだった。だがこの集団にはユーリの姿も、
「ディアーチェは……」
その言葉に、シュテルが頭を横に振った。
ディアーチェは来ていないらしい。或いは戻って来れていない、のだろうか。どちらにしろ、これがどうやら今、この研究所? なのだろうか。たぶん、ここに居る面子の全てなのだろう。前と比べれば大人が増えているのは歓迎すべきことだろうが見た事のない顔もたくさん増えており、ちょっとした密度に元々これだけ賑やかな場所だと理解させられる。
とりあえず、髪を後ろで編んでいる子からすりおろしたリンゴの皿を貰って、スプーンで掬って口に運ぶ。
問題なく食べる事が出来た。喉が渇いて張り付いている感覚があるが、何とか喉を食べ物が通る。ここまで苦しい時は―――一度だけ、あった。それを思い出せばまだマシ、という感じだろうか。それにしたってここまで苦しく感じるのは中々辛いものがあるが。ともあれ、すりおろしたリンゴを喉の中へと流し込んで、さっさと食べ終わる。
「とりあえず……ここはグランツ研究所なんだよな? 海鳴の」
「えぇ、その認識で合っています」
シュテルがその言葉を肯定する。良かった。今、自分が居る部屋を良く見れば、それが海鳴に自分が滞在している間に利用していた部屋と一緒なのが解る。ただし、住んでからそこに置いておいた私物の類は全て存在していない。つまり、綺麗さっぱり、使用前の状態に戻されているのだ。その為、少しだけ迷ってしまった。
だが戻って来れた。この場所に。
一番最初に始めた問題を解決……できたかどうかは解らないが。
「その顔、聞きたい事が色々とあるみたいだね? 無論、解るとも。何がどうなっているか良く解らないって表情だ」
蹴られていた白衣の男が床に転がったまま、良い声でそんな事を言っている。声は良いし、言葉も良い。だが今の状態が致命的に悪かった。床に倒れている状態でそんな事を言われても困る。そう思っていると室内で質量が変動する気配を感じた。天井へと視線を見上げれば、フォーミュラ特有の物質分解からの再構築運動が見えた。それによってフック付きのクレーンが天井に出現し、それが床に倒れている男を引っ掛けるとそのまま借りてきた猫の様な状態に吊るした。
「イリス」
「触りたくもないし……」
「解りますが、一応生物ですよソレは」
「ソレ扱いしているアミタも地味に酷いですよね」
「だが情報不足なのはこちらも一緒だ。そういう訳で近々情報交換と整理を行おうかと思っている。無論、君がちゃんと考えられる程度に落ち着いてからという話になるんだけど」
「うわ、あの状態で何事もなく話続けてるの気持ち悪っ」
「……」
「あ、傷ついた表情してる」
「流石のフィル・マクスウェルも気持ち悪いと言われるのは辛かったですか」
無言のままクレーンでフィル・マクスウェルという男が運ばれて行く。その姿をイリスと呼ばれた少女が監視するように歩いて追いかけ、アミタと呼ばれた子が空になった皿を受け取って、恐らくは妹と一緒に部屋から出て行く。
そうやって、初対面の者が部屋から抜けて部屋の扉が閉まった所で再びシュテルとレヴィが抱き着いてきた。ベッドの上へと飛び込む様に抱き着いてきた二人の姿を何とか両手で受け止めながらも、勢いを殺しきれずに後ろに倒れる。両腕で飛びついてきた姿を抱きしめるように少しだけ力を込めながら、小さく笑い声を零す。
「は、はは……ははは……ただいま」
「おかえり、なさい……おかえりなさい、おかえり……なさい!」
「馬鹿だよ、本当に、頼んでも、ないのに、馬鹿だよ……」
声を零しながら声を震わせ、泣いているのが解る。あぁ、何だろう―――こういう時、もうちょっと、気の利かせられる言葉を言えた気がする。だがその言葉が今は思いつかない。だから飛び込んで泣いているシュテルとレヴィの背中を抱きしめながら撫でる程度の事しか、出来ない。
「こんなにボロボロになって」
「要領が悪くてな」
「やらなくてもいいのに」
「そこで見なかったフリを出来る程器用でもない」
「馬鹿です」
「おう」
「アホ!」
「受け入れる」
ふぅ、と軽く息を吐いて少しだけ強めにその姿を抱いて、声を零す。
「遅れて悪かった。治ったら今度はディアーチェも迎えに行こうぜ? な」
言葉を零すと、声を上げて二人が泣き始めてしまった。あぁ、悪い。本当にそうさせるつもりはなかったのだ。あぁ、いや。これで良いのかもしれない。だがそれはそれとして、ブランケットが濡れてしまう。
ちょっとだけ、困った。
そう思いながらも、取り戻した重みは心地よく感じられた。
お忘れでしょうが、メインヒロインはマテ子共なのだ。
そろそろ情報がこんがらがって来た? どうなっているか解らない? だがご安心、次回は情報整理会なのだ。という訳で次回、
マクスウェル所長によるパーフェクト養子縁組計画。次回もイリスが生み出す声だけは良い所長の死体に期待しよう。