「……ノアくんお久しぶりです。ノアくん? ……大丈夫?」
「あ、あぁ……なんでもない。あぁ、おう」
やばい、吐き気が堪えきれない。吐きそうだ。眼帯を装着している姿に罪悪感を覚える。彼女がまるで自分を知っているかのように振る舞う事に違和感を覚える。ヤバイ、今、物凄く自分の心がやばい事に気づく。それを表面上、見せないようにするが、それでも心配するようになのはが此方を見て来る。
「あ、なのはさん!」
それをインターセプトする様に、アミタが前に出て視界を遮った。
「高町士郎さんはいますか? 実はノアさんが訪ねてきたのにはそちらの方に用事がありまして」
「お父さんですか? 裏に居るので少々お待ちください。あ、その間は店内でくつろいで待っててください」
「えぇ、そうさせて貰います」
そう言ってなのはが裏へと去ったのを確認してからアミタが此方の背中に軽く手を触れながら、ソファ席まで案内してくれる。横に並ぶ様に座りながら背中を摩り、自分の両手で口元を押さえる。
「大丈夫……ではなさそうですね。ゆっくり呼吸して、落ち着いてください。自分の中にある良い物を思い出してください。大事な物でもいいです。ゆっくりと息を整えながら集中してください」
「ふぅー……」
呼吸を整えながらなんとか、自分の中にある、大事な物を探る。だが、ない。そんなものはない。ないに決まっている。そんなもの、少し前に知ったばかりではないか。自分が偽物であるかもしれないなんて。自分が実はただの妄想の産物なんじゃないか、って事実を。人生が、言動が、思考が、誰と会い、誰を好きになり―――その全てが設定されていた事であれば?
改めて考えると恐怖で心臓が凍り付きそうになる。
そのまま、目を閉じて耳を塞ぎ、口を閉ざし、死に―――。
「ぴよ」
「おぷっ」
ぽふん、と心臓が凍り付く感触を打ち消す様にひよこが顔面に衝突する。それに思考を打ち蹴られた直後、肩に乗ってちょこん、と居座るひよこの姿が見えた。
「今朝から姿が見えなかったってのにお前どこに居たんだよ……」
「ぴよっ」
どうでもいいじゃん、と言ってのけるひよこの姿に軽く溜息を吐く。肩の上では満足できないのか、胸元までやってくると服中に転がり込んでくる。腹の上でもぞもぞしているのを感じる。本当にふてぶてしいな、こいつ。服の中に転がり込んだひよこを軽く服の上から突いて遊んでいると、軽く気が紛れる。
「ふぅー……悪い」
「いえ、落ち着かれたのなら良いんですけど……良い子ですね、その子」
「まぁ、大事な相棒だよ」
なんだかんだでずっと一緒に居てくれているし。そう思うほど、自分にとっての良い物、とはこの小さな相棒なのかもしれない。まぁ、安心感があるとも言える。悪くはない。こいつを軽く指先で突いて遊んでいるだけでだいぶ落ち着くのも事実だ。
横からアミタの視線を感じ、其方へと視線を向ければ、アミタが恥ずかしがりながら手を振る。
「あぁ、いえ、すみません。ちょっと顔を見ちゃって不躾だったですよね」
「いや、それぐらいは気にしないけどさ」
寧ろこっちが変に心配をかけてしまった申し訳ない。そう言おうと思った所で、
「すまない、少し待たせてしまったかな?」
聞いた事のない男の声と共に、近づいてくる気配を感じた。振り返ればどことなく、善良そうな気配がにじみ出ているのを感じられる男が近づいてくるのが見えた。彼が来る前に調子を何とか、取り繕える所まで持ち直せたのは良かったかもしれない。そう思いながら軽くひよこを指先で突く。
「あぁ、いえ、此方こそ呼びつけるようなことをしてしまって」
「そこは気にしてないさ。久しぶりだね、ノア君。どことなく疲れている気がするけど……大丈夫かい?」
そう言って、彼―――高町士郎も、まるで自分を知っているかのように接してきていた。
この世は地獄か。
「そうか、彼が死んだのか……」
親父の遺言を果たしに来たと話をすると、一瞬驚いたような表情をしてから言葉を失い、それからひねり出す様にその言葉を口にした。どうやら、自分が知らない所でそれなりに良好な関係を持っていたらしい。そうだよな、元々はこのために海鳴に来ていたのだ。だとしたらその設定か、或いは役割に殉じればいいのかもしれない。そうすることが一番楽なのだろう。
だが一度全てを疑い出すと、何も信じられなくなる。
「その……彼の最期はどんな風に……?」
銃を構えるようにポージングし、発射するのを演じる。
「その、戦地で頭に受けて一瞬で死んだそうです」
「そうか……苦しまないで済んだのは……いや、後に残されたものを考えると素直には喜べないか」
複雑そうな表情で死を悼む士郎の姿に、この人が本当に善人である事を理解し、心が痛む。何故か、自分が騙しているような気分だった。存在しているかどうか怪しい父とその過去の為に悲しんでいる姿を生んでいるのは自分だ。自分勝手な都合だ。最初から存在しないのであれば巻き込まなければよかったんじゃないか? 何もかも自分勝手な話だ。
「とりあえず、これを」
アメリカから持ち込んできた通帳を取り出し、それを対面側に座る士郎の方へと向けてテーブルに置いてから渡す。
「これは……貸したお金だよね?」
「親父が、死んだら絶対に返すように言ってたので」
「……うん、確かに。たしかに全額揃ってるけど……別に、受け取るのは今じゃなくてもいいんだよ? これ、かなりの大金でしょ?」
「それは、まぁ」
高町士郎への借金の返済。それが日本へと来た理由……だった筈だ。大昔、撃たれた時に必要とした手術の代金、それを彼が出してくれたのだ。自分が生きているのはこの男のおかげであり、だからこそ
『或いは』
フォーミュラを通した秘匿通信を利用し、アミタが此方に言葉を送ってくる。魔法にも念話という似たようなものが存在する。それの科学版。極まった科学は魔法と変わらない、というのをエルトリア勢は証明している辺りが恐ろしいのか。
『知っている筈だったのかもしれませんね』
どういう事だろうか、と考えた所で、
『いえ、ほら。此方が復元された時に周りの認識が修正されたじゃないですか? たぶんノアさんも
「……」
あり得なくはない想像に、ゾッとした。もし自分がジークリンデにあそこで捨てることを選択しなければ、出会った事のないはずの相手に出会っていた記憶を与えられ、違和感もなくこの一連のやり取りを進めていたのだろうか。
その想像と現状が、悪夢だと表現せざるを得ない。
「やっぱり、これは……」
「あ、いや、これは受け取って……ください。お願いします。こっちにもケジメがあるんで」
「その、生活の方は……?」
「こっちで生活できる所見つけてあるんで、心配される程酷くは……まぁ、ないです」
「そうか……そうだね、そう言うのなら受け取っておこう」
そう言いながらしまう姿を見て、恐らくは手を付けないで置くだろうなぁ、という予測ができた。こっちが本当に困った時、たぶんそのまま渡せるように手つかずで保管するだろうと予測できる。なんというか、本当に良い人が過ぎる。騙されないかどうか心配だが、そう言えば、
「親父とは……戦友でしたっけ?」
「うん? そうだね、昔はボディガードなんてしてたからね。今じゃ怪我を言い訳に引退してしまったけど」
「そうですか」
何を言えばいいのか、言葉が見つからない。これが実感のある出来事であれば―――いや、実感はあるのだ。そう、経験したようには感じるのだ。親父との日々も、出会いも、自分の凄惨とも呼べる過去は覚えている。だがそのすべてが偽物である様に感じられる。そんな状態で今、何を言えばいいのかが良く解らない。どう、リアクションを取ればいいのかが解らないのだ。
それともアレか、悲劇のヒロインの様に泣けばいいのか。
だが、確かにフィルの言う通りだ。
影のある、悲劇を背負った主人公というのは実に受けが良い。それが格好良さという物なのだろう。
本当に、クソだな。
「ノア君、君が何に心を痛めているかは私には解らないけど……もし、君が助けが必要だと感じたらいつでもウチの頼っても良いからね? 恭也なら何時も暇しているから、好き勝手使ってくれていいから」
高町家長男、自分のあずかり知らぬ場所で取引される。
「いや、それは恭也さん? に悪いので……」
「アレなら放っておいても孫は見れそうだし、恭也ぐらいならいいよ」
高町家長男、扱いが悪い。それで良いんだろうか、と頭を悩ませているとまぁ、と士郎が笑みを浮かべた。
「こういう時、未だに何を言えば良いのか……正解が解ったものじゃないけど、それでも既に君を支えてくれる友人は見つけられているようだし、安心したよ。君の過去に何があったにしろ、今の君には心配してくれる人が居るんだ。その事を忘れずに日々を生きるんだよ」
「……はい」
士郎の言葉に、頷いてそう答えるしかなかった。
代金はいらないからと、お土産に大量のケーキを包んでもらってしまった。ケーキの入った箱を二つ、アミタと一つずつ分けるように抱えながら手にする形で翠屋を出てきた。これによって、自分が元々海鳴へとやって来た理由に片が付いてしまった。ついでに、個人的な資産もこれでゼロだ。もう一つの海鳴―――夢の海鳴へと旅立つ前に稼いだ分のお金は、時間が巻き戻った影響か、口座の中には存在していなかったので完全な文無しにもなっている。だがこうやって自分の都合に一つ蹴りを付けた所で、
「予想外にすっきりしたな」
「そうなんですか?」
「あぁ」
翠屋から出た所でひよこは頭の上に戻り、座り心地を確かめるように髪の毛をかき分けている。そんな調子で二人と一匹で店を出た所で不思議と自分の中にある重荷が消えている感触を得られた。
「なんというかさ」
「はい」
「……設定されていたのはともかく、自分の都合だったんだし。なんだかんだで持ち込んだ案件が処理出来たってのは良かったのかもな」
考えてみればこれが、自分に設定された都合というものだろう。そして自分の記憶が都合よく書き変わらない以上、これ以上増える事もないのだろうと思えば多少は気が楽になりもする。
「それにほら、これで持ち込んだ都合が終わるならさ、逆に言えばこれを片付けちまったんだから後はもう調査しか残ってないだろする事も?」
「うん、そうですよ。そうやって考えるのが一番ですよノアさん」
こんな風に考えなきゃやってられないというのも一つの事実ではあるものの、持ち込んできた自分の設定の一部を漸く切り離せるという事実は間違いなく良い事だ。これで漸く自由な身分になれるという気持ちだった。ここからは自分の好きにやらせて貰おうという気持ちも、そうなると出て来る。
「何事も、前向きになって向き合わなければ結果が出てもそれが好ましいものになるとは限りませんからね」
気持ちだけでも勝っていませんと、というアミタの言葉に同意する。何はどうあれ、厄介ごとが減ったのは事実だ。故に軽い安堵の息を吐きつつ、
「これ、たくさん包んでもらっちゃいましたけど、みんなが喜びそうですね」
「そうだな……そうだな」
気にするな、というのは無理な話だろう。だがこうやって向かい合えば、終わらせることの出来る事だってある筈。その事実は幾分か自分の心を楽にしてくれる。それに次に何をすればいいのかもわかっているのだ。その事を考えれば案外さっくりと、これも終わるのかもしれない。そんな期待を込めながら歩き出そうとしたところでおっと、と声を零した。
「終わったし軽くタスク消去しておくか」
「タスク消去ですか」
「あぁ……スマートフォンに親父の遺言ややらなきゃいけないタスクを書き込んでおいたんだよ、忘れないように。だけどこれももう必要ないしな」
片手でケーキの入った箱を持ちつつ、もう片手でポケットからスマートフォンを取り出す。それで画面をフリックして開きながら、メモ帳にアクセスする。そこに残されている最後のタスクを消去した事で、
「これで終わ―――……?」
消去した所で、タスクが一つだけ残されていた。【重要】と何重にもロックされているものであり、自分がそれを作成した覚えはないタスクだった。そもそも今の今までそれを見た覚えさえない。
「一つだけ残されていますけど……?」
「あ、あぁ、そうだな……なんだろ……なんか忘れていたか……?」
嫌な予感をしつつも、何故か、魅了させるように指の動きは真っ直ぐとそのタスクを書き込んだメモへと吸い寄せられるように向かっていた。それを開くのには一秒もかからず、一瞬で展開された。
そして最初に見えた言葉は、
赤く、血の様に赤いフォントで彩られた文字列だった。
恐怖さえ感じさせるほどの凄まじい執念と気迫を感じさせる言葉だった。生きている、そうとさえ錯覚させるような強い言葉。まるで今にも誰かが語り掛けているような、それほどの強さを覚える様な言葉でもあり、
それは展開された端から自動的に、掠れて消えて行く。
まるで最初から存在していなかったかのように、
ただ最後に、
こなすべきタスクにその言葉だけを残して、最後の【重要】と書かれたメモは消滅した。今、自分の手の中で行われたホラーを呆然とした様子で受け止めながら、言葉を吐き出す。
「一つ終われば、また次の、か……」
苦痛はそう簡単に終わらせてくれないらしい。
一つ終わればまた次が来る。お使いクエストに終わりはない。
それなりに平和にやっている高町家。アニメの方を見ていると店舗はかなり大きいし、実は店の前のテラス席なんかもあったりして結構凄かったり。個人的にもうちょっとちっちゃい所のイメージだったのに……。