「もうすっかり夏ねー」
「夏となると暴れた時を思い出しますね。ほら、キリエとイリスが暴れた時の事ですよ」
「もう、その話はやめてよお姉ちゃん……」
「流れ弾をこっちへ飛ばさないでくれない?」
晩御飯を全員で囲んで食べている―――訳ではない。流石に人数が多いので、テーブルとグループを二つに分けて食べている。なお夏という事も全く関係なく、健啖家が非常に多い事実もあって、基本的に肉ベースの料理ばかりを食っている。今夜もテーブルの上の料理の大半はキリエ、アミタ、そしてレヴィが食べつくす。それを自分とシュテルが何時も通りの一人前を食べて眺める。なお、イリスとフィルは肉体が人ではないので、食事を必要としない。あの博士、人の心を持たねぇなぁ、とは思ったが肉体が人間じゃなかったのだ。
道理で人の心を持たない発言しかしない奴だ、と納得できる。
そう言う事で普通のペースで食えるのは自分とシュテルだけで、イリスやフィルにとって食事は趣向に近い。まぁ、それでも十分お腹いっぱいになるまで食べているのだが、それでも暴食の娘たちと比べると少ないと言われてもしょうがない。
そんなこんなで夜になる。
「夏の夜かぁ……」
食事を終わらせ、自分の食べた分の洗い物を終わらせたら開いているリビングの窓から夜空を見上げる。こちらの夜空はアメリカのものと比べればはるかに澄んでいて、割と驚く。
夜になると気持ちのいい風が海の方から吹いてきて、夏の熱さをしばし忘れさせてくれる。電気代をケチっていてクーラーをつけていないので、開けた窓から入り込んでくる風が気持ち良い。ここら辺、絶対にケチらずクーラー全開にするのがアメリカンスタイルだから、地味に違いを感じる。
「夏になんか思い入れでもあるの?」
「……いや、別に」
窓の外の景色を眺めている所に、キリエがそんな声をかけてきた。
「ただ」
「ただ?」
「ずいぶんと長く、ここに居座っちまったなぁ、って」
チケット代稼いだらアメリカに戻るつもりだったが、もう既にここに数か月捕まっている。この暁町と海鳴から出られないというのが一つの原因でもあるのだが。それでも季節が変わるまで、ここに居座るとは一切思わなかった。そもそもこうやって自分が変わって行く感覚さえ、どことなく遠く感じる。本当は、これが現実じゃなくて全部夢の様な、そんな感覚がいつでもこびり付いている。
夏の夜風を浴びながら、そんな事を考えていれば。
「大丈夫よ」
キリエの方から声がかかってきた。
「全部、何とかなるわよ」
その言葉にキリエの方へと振り返る。はにかみながら、キリエが言葉を続ける。
「私やお姉ちゃんだって強いんだし、そこにイリスだっているのよ? 大体何とかなるわよ。だから心配しすぎずにどっしりと構えていればいいわよ」
「……だと、良いんだけどな」
ふぅ、と軽く息を吐いて窓から離れる。キリエには悪いが、状況がそう簡単に好転する様には、どうしても思えなかった。歩いているとひよこがジャンプして乗り移ってくる。それを肩の上に乗せてリビングを出て、自分の部屋へと向かって行く。そもそも今判明している事でさえ、そう多くはない。
その中で何とかなる、と言われても困る。
その何とかなった時、俺が存在しているかどうかでさえ怪しい。その事を最近は、なるべく考えないように生活している。考えれば考える程ドツボにはまるのが解っているからだ。だから飯を終えた所で、さっさと部屋に戻る。風呂に入るのは何時も女子共のが先だし、特に見たいテレビもない。
さっさと部屋に戻った所でベッドに正面から倒れ込む。ベッドに倒れた所でぽよん、とワンバウンドして跳ねるひよこが抗議のぴよ声を放って来る。悪い、と謝りつつ顔面を枕に埋めて、軽く息を吐く。
「はぁー……クッソ……ほんとさぁ……」
最近、自分の情緒が不安定なのを感じる。些細な事で苛立ったり、キレそうになったり、それを忘れて楽しめたり。自分の頭と心の中がごちゃごちゃになっているのが解る。これじゃ、駄目だ。
「もっと、心を強くしなくちゃ駄目だな。この調子じゃ負けたら折れる」
あぁ、クソ……格好悪い。
自分で格好悪いと解っているのに、それをどうにかすることが出来ない。心の問題は頭で自覚していてもどうにか出来る訳じゃない。それを今、実感している。頭では笑顔を、もっと愛想良く。そう思っているのに体が、心がそれを受け付けないのだ。だから勝手に落ち込む。優しくされているという事実を惨めに思う。
男の矜持って奴が泣いている。あぁ、解っているのだ。しっかりしなきゃいけないって。それでもその考えにまるで心が反応しない。つまりはそういう事だ。
「なんだよ、思い出せって……妹ってなんだよ……クソが……」
文句しか出て来ない。このままいっそ、死んでしまいたい。消えてしまえた方がはるかに楽だろうに。考える暇があればそうやって死にたがっている。生きている事そのものが恥だからしょうがないのかもしれない。あぁ、だけど……だけど、期待は裏切れない。ほんと、生きているだけで地獄だ。
誰か……助けてくれ。
その言葉を口にしたかった。
―――とんとん、とそこで音がする。
扉のノック音だと気づき、体を持ち上げてベッドの縁に座りながら開いているぞ、と声を向ける。
「ではお邪魔しますね」
そう言って扉を開けて入って来たのはシュテルの姿だった。部屋の中にやってくると横までやって来て。並ぶ様に腰を下ろしてきた。ぱたん、と扉が閉まる音を聞きつつ、視線をシュテルの方へと向ける。
「少し……お話をしませんか?」
「……明日でもいいんじゃないか?」
「いえ、話したいと今思ったので。今話そうかと思いまして」
「そうか」
「そうです」
「……」
「……」
互いに無言になる。少しだけ、気まずさを感じる。こういう時、どういう言葉を言えば良いのだろうか。昔の自分だったらこう、気取った言葉の一つでも言ってやれたのだろうと思う。だがあいにくと今の自分には、そういう言葉選びは出来なかった。ただどうしたもんか、と言葉に迷い、そしてああ、そうだ。思い出し、言葉を選ぶ。
「その、シュテル」
「はい、なんでしょうか?」
「俺に素直に失望したのなら、それでいいからな。無理に付き合う必要はないし、義理とか義務とかそういうの気にしなくても良いから」
お前の、その感情は元々そうなるように向けられたものだ。だから気を遣う必要はない。気にする必要もない。自分の好きなようにやって欲しい。それはきっと、気の迷いだから。そもそも俺との出会いさえ間違いの様なものだ。出会いさえしなければ、とは思わなくもない。少なくとも、自分はそう思っている。
だから、
「忘れてくれ」
「……」
そうシュテルに告げる。きっと、俺の存在そのものが間違いだ、と言う。
それを受けてシュテルは成程、と呟き、やや俯き。
「解りました」
「……そうか」
「今まで茶化していたのが悪い、と。本気にならないと駄目だという事がよーくわかりました」
「……ん?」
言葉の直後、魔法の存在を感知した。そして一瞬でバインドの魔法が出現し、両手足を拘束しながらベッドに体を倒された。いきなりシュテルが行ってきた暴挙に思わずちょ、と声を零すが、それよりも早くシュテルが逃げられない様にマウントを取ってくる。その表情を見てみればちょっとキレているようにも見える。
「えぇ、私が馬鹿でした。優しくしていれば伝わると思っていた私が馬鹿でしたとも、えぇ」
「待て、落ち着け。話を聞け―――アクセラ―――むぐっ!」
「アクセラレイターなぞさせるものですか……!」
禁止されているアクセラレイターで瞬間的な逃亡を試みようとして、それを防ぐようにシュテルがバインドで此方の口を塞いできた。口頭コマンドなので、口が開けないのではアクセラレイターを発動出来ない。サブシステムとしてのフォーミュラによる魔導解析を行い、バインドの解析と破壊を行おうとするが、それを理解するシュテルがバインドの魔術構築を数秒毎に変更して解析対策を行ってくる。
こいつガチだ……!
絶対に逃がさないという鋼の決意を感じる。自分も逃げられないというのをほぼ悟り、今までシュテルが此方を襲ってくる上で手加減してきたというのも理解する。そうやって完全に此方の動きを抑え込んだ所で、
「いいですか、ノア。逃げないで聞いてください」
手足を押さえられ、耳を閉ざす事が出来ない状況で、シュテルが上から見下ろす様に、言ってくる。
「確かに―――私の恋心はそういう風に仕向けられたものかもしれません」
シュテルが、見下ろしながら此方へと言葉を強く向けた。事実を認めるように。
「そりゃあ、恋ってのは突然ですし、いきなり落ちるものでしょうが早すぎますし、私も必死すぎましたし、思い出してみれば違和感のある部分も多かったです」
なら、
「ですが」
ですが。
思考を言葉で遮った。
「それでも、私は貴方が好きになったんです」
それはきっと、誘導されたものだろう。
「かもしれません」
用意されたヒロインなのかもしれない。
「かもしれません」
「誰かに人生を遊ばれているのかもしれない」
「えぇ、でしょうね」
バインドが剥がれ、言葉が自由に口から出る。そこから出て来る事実をシュテルは認めている。やっぱりそうだ、そう思った所で、
だけど、とシュテルが言葉を挟み込んだ。
「貴方の事が好きです」
「それは―――」
「与えられたものかもしれません。ですが今、その事実を知った上でも、私は貴方の事が好きなんです。貴方に恋をしました。それがたとえ用意されていた事であろうとも……」
シュテルは真っ直ぐと此方の両肩を掴んで、瞳を覗き込んでくる。
「その事実は、事実だけは
「俺は……」
俺は、情けない奴だ。迷っているし、力もない。夢に酔ってそれを理解する事さえなく道化を演じていた。それだけじゃなく実在する人間なのかどうかさえも怪しい。そして何よりも、格好悪い。そう、格好悪いだろう、そんなの。今でさえ逃げ道と逃げ場を探している。そして他人に無意味に当たる。
「私は信じています。貴方を。貴方の心を」
「なん、で」
何もない男なのに。
「いいえ、貴方は格好の良い人ですよ。私はそれを知っていますから。だから……」
体を倒してシュテルが腕を回してくる。抱きしめるように、その体の熱を感じる。
「諦めないでください」
「……」
「辛くて、苦しくても……それでも、諦めないでください」
「死にたくて、しょうがない。生きていることが恥ずかしい」
「えぇ」
「それでも?」
苦しくて、辛くて、死にたくて、恥ずかしくて、弱いことが嫌になりそうでも、
「それでも、です。生きてください。苦しかったらその苦しみを私が分け合いますから。私の力の全てを、心の全てを貴方に預けますから。だからお願いします―――そんな風に、自分を見ないで。この先にはきっと、良い事がある筈だと思って一緒に辛いことを乗り越えていきましょう」
滅茶苦茶、言ってくれる。
本当に、苦しいんだ。なんだよ、主人公って。なんだよ、設定って。俺の人生は何だったんだ。アメリカは本当に存在するのか? なんで海鳴から出られないんだ? 昔馴染みの顔を思い出せないんだ。笑いたくても笑っても、本当に笑えている気がしない。自分が今までやって来た事を思い出そうとすると、まともに思い出せないんだ。まるで本当は存在しなかったかのように。それがどうしようもなく、気持ち悪いんだ。
「それでも……それでも―――」
既にバインドは解けている。マウントを取っていたシュテルを横へと転がしながら、上から押さえつけるように手を取り、見下ろしながら口を開く。
「それでも、俺に戦えって言うのか」
「はい。そうじゃないと、
真っ直ぐと、茶化す事もなく此方へと視線をシュテルは向けて来る。嘘偽りも冗談もなく、本気の言葉が伝わってくる。
「貴方の真実は恐らく、この先に待っているんです。だから……たとえ苦しむと分かっていても進んでください」
力の抜けた手からシュテルが手を解き、手を伸ばして覆いかぶさる此方の首を包んで、引き寄せられる。そのまま倒れ込みながら、シュテルが頭を抱く。
「情けなくても、良いんです。それを含めて今は全部好きなんだって思っていますから。だから……今は、おやすみなさい」
女って奴は、本当に卑怯だ。
そう思いながら心地よい頭を包む暖かさに、全てを忘れて目を閉じた。
ヒロインの風格。