「おはよう、ノア」
「あ、あぁ、おはよう」
「ふふ、そんなにびくびくしなくたって大丈夫だよ。ボクはもう、そうやって強引にやるのは辞めたから。それよりも今度のデート楽しみにしててね?」
寝起きの所で会ったレヴィは普段の様な明るさを残しつつ、落ち着きを見せていた。口調は何時も通りなのに、なのに所作に落ち着きの姿が見えた。普段の元気爆発、という様子が見えなくなった代わりに、太陽の様な明るさと静けさ、そして大人に入りつつある
「お、おう……」
「ふふ、じゃあねまた後でね」
そう言うとレヴィは去った。間違いなく子供から女へと成長していた。嫌でも感じられる女の気配は自分へと向けられており、その使い方をレヴィは解っていた。そこで敢えてスタイルの良い体を使わず、声と所作だけでアピールしてきた辺りに本気さが伺えた。翌日には大きく変わってきたレヴィの印象。これは間違いなく攻勢が始まっている。そう思って、自分の状況のヤバさを感じた所で、その日の朝、発生する変化はそれだけじゃなかった。
「ノア」
「シュテル?」
名前を呼ばれて振り返れば、すぐ目の前にシュテルの姿が見える。そのまま、顔がぶつかりそうな所でシュテルは体に触れないように背伸びをし、耳元に口元を近づけ、
「愛してますよ」
と、背筋をゾクリと震わせるような声で囁いた。そして一言、それを囁いたら何事もなかったように離れ、去って行く。
「おはようございます。あまりのんびりしてるとレヴィとアミタに全部食べられてしまいますよ? ではまた後で」
「……」
そうやって一瞬だけ女の顔を覗かせたシュテルのやり口に、心臓がバクバクしているのを感じる。朝っぱらからこうやってささやかれ、視線を送られ、それだけでも何時もと違う二人の本気の女としての姿に自分の篭絡が始まっていることを悟った。静かに両手で顔を覆い、絶対陥落するであろう未来を見た。もうお前らの勝ちで良いからここらへんで止めない? 気持ち的にはそんな気分だった。
「イリス、イリス。アレはなに? なんなの? 今どんな感じ!?」
「そうね……今のやり取りだけで滅茶苦茶ドキドキしているのが解るわね。多分普段見ているレヴィやシュテルのイメージから離れるのに、無理をしている訳じゃない。何時もの二人の延長線上……ううん、成長して少女から女になった二人の表情に興奮と背徳感を覚えているのよ。今まで体は十分圏内だったのに、言動と行動からそういう風に見れなかったのが二人とも本気になって、完全に女にスイッチを切り替えた影響で、ギャップで殺されているんだわ……!」
「イリス……なんか、滅茶苦茶細かいわね」
やや早口のイリス、完全に外野気分で楽しんでいるのが見えている。キリエも興奮している様子でイリスを掴んで此方を指さしている。
「見なさい、キリエ。アレが恋愛クソ雑魚ノアよ」
「恋愛クソ雑魚ノア……?」
「お前ら、俺が優しいからって根本的に調子に乗ってない?」
そう言うとイリスとキリエは視線を合わせ、キャーと言っている。こいつら、やっぱり完全に俺を舐めている。イリスに限っては、完全に見下しながら此方を指さし、近づいては胸を指先で突いて煽ってきている。
頭来た。
「お前、そうやって煽ってると痛い目を見るぞ」
「えー? ほんとぉー? クソ雑魚恋愛弱者の分際でー?」
「あ、イリス? なんか嫌な予感してきたからそろそろやめた方が良いんじゃ」
「おい、イリス」
「ん? なに―――」
ちょっとムラっと来ているのと、半分キレている事実もあったので、イリスが此方を向いた瞬間、その体を軽く支えながら口を重ねた。
「……? ……、……???」
唇を重ねた状態でイリスが頭の上にハテナを浮かべ、完全に思考停止したのを見て、唇を離してからイリスから離れ、良し、と指さした。俺もこうやって行動できるならまだ男だ。レヴィとシュテルの攻勢の前に、そろそろこっちもウォーミングアップしておかないとそのまま飲まれて食われるだろうし。イリスは丁度良い練習台だった。
「よし、これで気持ちよく朝飯食いに行けるな」
「え、待って! ノア待って! イリスが動かないんだけど! 完全にオーバーヒートしてる! あ、凄い熱! というかイリス震えてる! あ、駄目そう、顔めっちゃ駄目そうこれ! 写真とっとこ」
背後から聞こえるキリエの外道行為をスルーする。なんだ、イリスも結局は口だけ番長かアイツ。それを理解した所で朝の気分は一気に晴れやかな物へと変わった。それはそれとして、これからレヴィとシュテルの攻勢が始まる前にちょっと、自分の不始末をどうにかしなければならないなぁ、と思い出す。
軽く調子を取り戻しつつ、頭を掻く。
「うっし―――謝っておくか」
「すまん」
朝食を食べ終わったらシュテルとレヴィから逃げるように出てきた。目的の人物は翠屋にいた為、見つける事はそこまで難しくはなかった。後は誘って、二人きりになった所で海鳴の道を歩きながら謝った。
「我ながらちょっといきなりすぎたなぁ、とは思ってたけどちょっとムシャクシャしてた。という訳で割とすまん。砲撃一発までなら喰らう所存」
「いや、砲撃ってなんですか……」
歩きながら、なのはに謝罪する。割といきなり酷い事を言ってしまった、と。それを告げられたなのはは横を歩きながらどうしたもんか、という表情を浮かべながら、言葉に詰まっている。その姿を見ながらあー、と声を零す。
「取り繕う必要は別にないぞ。その目を見れば解るし、お前だって見れば大体感じ取れるだろう」
「えーと……」
なのはが困ったような様子を見せるが、その、と声を置く。
「ノアくんも―――その、自分の事が、好きになれないんですか。やっぱり」
なのはが、躊躇する様にその言葉を口にするので、横を歩きながら両手をポケットに入れた状態で、答える。
「嫌い。死にたい」
「そう、ですか」
その言葉を聞いて、なのはは
なんてことはない―――同族嫌悪だ。
なのはも、俺も、顔を見れば解るのだ。自分の事が嫌いだという事だ。同じような奴は顔を見れば解る。だから一番最初に感じることは嫌悪感だ。人柄とか、性格とか、そういうのが一切関係なく鏡に映る自分の姿を見ているような感じがして、嫌悪感が先立ってしまう。だからなのはを見て、自分への嫌悪感と吐き気を自覚した時、
苛立ちまぎれになのはに、俺の事が嫌いだろ、と言ってしまった。
「まぁ、すまない。俺もちょっと虫の居所が悪かったのはあるけど、他人にあたるべき事じゃなかったからな」
「いえ……その、大丈夫ですよ? ノア君の気持ちは解らなくもないですから」
そう言うとなのはが足を止め、溜息を吐きながら空を見上げた。どことなく憂いを感じさせる表情は、少女らしからぬ色を持っていた。まるで思春期が死んだ様な、そんな気配をなのはは滲ませていた。
「私ね……自分が好きになれないんです。なんというか……なんで、なんでなの? そう思う事ばかりで、答えが出なくて……でも考えてみればとても自然な事で、答えが解って、それがどうしようもなく気持ちが悪くて―――」
溜息を、なのはが吐く。
「こういう事、他の人に言うべきじゃないんだと思うけど……なんか、ノア君を見ていると自分を見ているような気がして、気持ち悪いんだよね」
「自分が何であるのかを自覚しているなら直した方が良いぞ」
「ノア君は?」
「俺? 俺の問題は自覚した所でどうにかなる類じゃないからな」
「そういう事だよ。私も、自分が好きじゃないって解った所でどうしようもないよ―――だってもう、10年近くそうやって嫌いな自分と付き合ってきたんだから」
なのはと話しながら歩いていると、自然と足は臨海公園へと向いていた。週末という事実もあって、人の数は子供を中心に多かった。だけどそれに気にする事無く公園のベンチまで進むと、二人で並んで座った。流れる空気はやや重い。内容が内容だけに、仕方がないという話もあるが。
俺は―――自分が嫌いだ。
嫌い、というよりは死にたい。消えたい。
自分の存在意義が解らない。何故俺が存在しているのかが解らない。俺の存在が誰かの都合の良いキャラクターである、という事実が許せない。なら俺の意思はどうなる? 彼女たちの意思はどうなるんだ? いや、
どれだけ自分が嫌い、消えたくても。義務がある。義理がある。
「それがある限り、消えられない」
「……うん、解る。私もきっと、何かできる事がある筈だって思っているから。どれだけ自分が嫌いでも。心配してくれる人がいるから。その人たちを心配させられないから……だから、どれだけ自分が嫌いでも付き合っていかなきゃいけない。向き合わなきゃいけないんだよね……」
そう言うなのはは、自分が嫌いであるという事実を自覚し、軽くだが向き合っていた。それはあの荒廃した海鳴の、若いなのはにはなかったものだ。此方のなのは、考えてみれば夢界のなのはと比べると、5年以上の時間が経過している年齢になっているのだ。此方のなのは中学生。しかも管理局に入る事もなく、普通の女子中学生として育っているのだ。
あっちの、歪んだ環境と比べれば、こっちのなのははまっとうに育っているのかもしれない。少なくとも戦う必要はないのだから、歪んで育ったりはしないのだろうと思う。それが彼女を少しずつ癒しているのか。
ちょっと、羨ましい。
「ノア君も」
「うん?」
「自分の事、好きになれるといいね」
「どう、だろうな……」
なのはの言葉に、どうだろうな、と答えた。そして考える。
「自分の事が好きになれる時が来るのが……ちょっと、分からないな」
「大丈夫だよ。……うん、ノア君はさ。なんだかんだで周りの人に好かれているから。きっと、困った時は皆が助けてくれるよ」
「それが、苦しいのは解るだろう?」
「うん。それでも皆、心配してくれているのは解っちゃうから。だから私……ノア君の事、嫌いではないけどちょっと苦手だよ」
「……そうか」
「だけど……自分の事が好きになれるようになりたいから。ノア君の事も好きになりたいと思うよ」
そんな、恥ずかしいことをなのはは言ってのける。やはり、こいつは頭の作りが違う。そこまで、達観して物事を見る事は普通の人間には出来ないし、自分の事を嫌っておきながらそんな言葉を口にする事は出来ない。或いは数年の歳月がなのはに、余裕を与えて考える時間を与えたのかもしれない。
それに比べて、俺と来たらほんと情けない。
とはいえ、情けないままでは居られない。
シュテルとレヴィが本気を出すのであれば、俺も相応に男として見せなければ男の矜持というものが泣く。求められるがままに応えるだけじゃ、駄目だ。それではあまりにも男として終わっている。だから相手が本気なら、俺も本気を出した相手をしなくてはならない。今の所、そこまで自分を持ち上げるのが非常に辛いのだが。
「なぁ―――」
なんでお前はそういう風に言えるのか。それを聞こうと思った所であー、と叫ぶ声が聞こえた。
「なのはが告白してる―――!」
聞き覚えのない声に素早くなのはと共に立ち上がり振り返れば、良く似た容姿の姉妹が並んで歩いているのが見えた。一人はツインテールが特徴的な、レヴィに良く似ているが
故に、なのはが声を震わせながら名を口にした。
「あ、アリシアちゃんにフェイトちゃん……ど、どこから……」
「え? ノア君の事、好き……って言っているの聞こえたよ?」
「言葉が足りない! 間に挟まっている言葉が色々と足りない!!」
「拡散しなきゃ……!」
「アリシアちゃん! 待って! お願いだから待って! 違うから! フェイトちゃんも止めてよ!」
「なのは、受け入れて貰える人がいて良かったね。良かったね……」
「なんでフェイトちゃん泣いているの!? というかノア君もアリシアちゃんを止めてよ!!」
「いや、なんかそこまで必死に否定されるとショックというか……」
「変な所でナイーブだなぁ、ノア君!!」
騒がしい様子のなのはと、彼女の友人たち―――もう一つの海鳴では主役として輝いていた筈の彼女たちの平和な騒がしさを見れば、時が彼女たちを癒すであろう未来が見えた。戦いのない、平和な日常の中ではあの海鳴の様に歪む事は、絶対にない。その未来が解り、安心感を覚え、
そして真っ先にシュテルとレヴィに編集した音声を送ろうとするアリシアの姿に悪寒を覚える。
「や、やめろ―――!」
叫びながら、無理やり騒ぎに引きずり込まれる。
だが不思議と悪い気はしなかった。
次回、デート。
そして名誉被害者イリス。そろそろ化けの皮が剥がれる頃か……。