「―――」
言葉を失いながら腕の中から消えたシュテルの残滓を追おうとして―――そこに何も残らないのを感じ取った。腕の中にあったはずの熱が完全に喪失し、何も残されていない。そこにシュテルが存在していたはずなのにもうそこには何の姿もなかった。魔法の様に。いや、実際に魔法なのかもしれない。だがシュテルは消えてしまった。
なんの脈絡もなく。
本当に、突然と。兆候も予告も予定もなく。
ただ突然、タイムリミットが来たように、何も残さず消えてしまった。余りにも突然な終わりに、体の動きが完全に停止してしまった。何をすればいいのか、何を考えればいいのか、そのすべてが頭の中から消える。
「シュテル……?」
先ほどまでそこにいたはずの少女の名前を呼んで、返事がないのに軽い恐怖を覚え―――それよりも焦燥感が胸を襲った。シュテルが消えた時に零した言葉が耳に今でも残っていた。
そう、彼女は確かに言った。
「ディアーチェ! レヴィ!!」
暁町の方へと視線を向け、走り出そうとして足を止める。シュテルが消えたバス停へと視線を向け、一歩目を踏み出すかどうかを一瞬だけ悩み―――体に魔力を漲らせた。全身を魔力で強化し、そのまま跳躍する。強化魔法を使った時ほどではないが、
それでも魔力の通った肉体は超人的と表現できる程度のスペックは出せる。
跳躍で塀の上に乗る。バスを待っている時間が惜しかった。全力で跳躍して屋根の上に飛び乗ったらそのまま、
まっすぐ、道路を無視して暁町へと向かって走って戻って行く。
嫌な予感と不安が、暗い気持ちと共に胸の中に一気にこみあげて来る。親父が死んだ時を知った時の様な闇が心の中に差し込んでくる。それを精神力で食い千切りながら見られる事を一切気にせずに屋根から屋根の上を走って移動し、
そのまま道路に飛び出す。
「危ねぇぞクソが!!」
「信号を見ろ!!」
道路に前転しながら着地し、急ブレーキをかける車がギリギリのところで衝突しない様に止まる。それを無視して通り過ぎようとするバイクを発見し、一瞬でバイクと契約、指をスナップさせてバイクの主と自分の姿を召喚と送還で一瞬で入れ替える。搭乗者が変更したバイクのハンドルを握り、代わりにアクセルを踏んで一気に加速させる。置き去りにされた元の持ち主が首をかしげているのも気にせずに、
道路をルールなんてものを無視して一気に突き進んでゆく。車の合間を抜けて行きながらカーブをドリフトで曲がって行き、そのまま暁町まで最速、最短のルートで進んで行く。地理は新聞配達のアルバイトで叩き込んでいる。多分この盗難でクビになるだろうが、
まぁ、許して欲しい。
限界までバイクを飛ばす。全速力で加速しながらそのまま暁町に飛び込み、研究所を見る。減速する事無くバイクを飛び降り捨てながら道路に転がり、何とか立ち上がりながらそのまま、
走って、中へと飛び込む。
息を切らすほど必死に走って裏へ―――家へと戻り、扉を蹴り開けて中に入る。
「レヴィ! ディアーチェ!! どこだ! おい!! Where are you!!」
英語と日本語を焦りながら入り混じらせて叫ぶ。悲鳴に近い声が漏れているのが解る。だがそれぐらい、訳の分からない、そしてどうしようもない事態だった。
「っ……ぁ」
「そっちか!」
靴を履いたまま玄関に上がり、走りながらリビングへと上がれば、
体が半分ほど消えている最中のディアーチェとレヴィの姿がリビングに転がっていた。ソファに倒れているレヴィと、食器を運んでいる途中で倒れたのか、食器や料理が床に広がった状態で倒れているディアーチェの姿が見えた。倒れているディアーチェを直ぐに拾い上げ、ソファのレヴィへと向かって、その姿を抱き寄せた。片手を頬に当てながら、その顔を覗き込む。
「ぁ……ノアだ……」
「すまんな、夕飯は作れそうに……ない」
「馬鹿、喋るな。それよりもどうすればいい。どうすれば、どうすれば止まるんだこれは……!」
答えを求めてディアーチェとレヴィを見るが、微笑みながら頭を横に、ディアーチェが振った。
「始まってしまえば……もう……ない……」
「Fuck……」
小さく、そう言葉を呟きながら消えそうな二人の姿を抱きしめる事しか出来なかった。レヴィはあぁ、と小さく声を零しながら目を細めた。
「温かいなぁ、ノアは……。僕の事、忘れないでね……?」
「忘れない、忘れないさ……」
抱きしめ、呟いている間にレヴィの姿が消えていく。そしてディアーチェも、体が塵になって消えていく。その中で諦めたように、嬉しそうに微笑んだ。
「あぁ、本当に我らの事情に巻き込んでしまってすまない……すまなかった。我は何時か、こうなるとは思っていた」
「ディアーチェ、Shoo、静かに。もう喋らなくてもいいから」
「いや、いいのだ。ここにいる日々は楽しかった。貴様も……お前といっしょに居られたこの二カ月も実に楽しかった。うむ、最初は……少し不安だったが。良い男だったぞ、お前は……ではな……」
「ディアーチェ……ディアーチェ!!」
言葉と共にディアーチェの最後の欠片が消え去った。
それと同時に軽いザッピングが世界に走る。振り返れば一瞬で床にぶちまけられた料理が消え去った。テーブルの上に並べられていた食器が消えた。リビングに置いてあったお菓子が消え去る。綺麗さっぱり、生活の痕跡が消え去った。まるで最初からそこに存在していなかったように。
「……レヴィ? ディアーチェ? ……シュテル?」
まだ出会ってから二カ月ばかりの少女たちの名前を呼ぶ。少女たちと出会ってからの時間は短いものの、不思議と長く感じられた。楽しい日常だった。不思議な日々だった。自分でもここまで気に入るとは思いもしなかった。そしてそれが今、完全に消え去った。その瞬間から胸に穴が開いたように、
ただ、ひたすら、
辛かった。
「あ、あ、ああぁぁ―――Fuck!」
ソファを蹴り飛ばす。
「Fuck!」
テーブルを蹴り飛ばす。
「Fuck! Fuck! Fuck!!」
椅子を蹴り飛ばす。投げ飛ばす。踏みつける。壊す。凄まじいまでの自己嫌悪と悲しみと、何よりも怒りが自分の内側から湧き出てくる。何が設定だ。何がファンタジーだ。もっとちゃんと話を聞いておけばよかった。もっと、解決する為に何かをしてあげれば良かった。
その怒りが全身を満たし、涙が両目から溢れ出す。何もかもぶち壊して暴れたい衝動を咆哮しながら部屋にある物を片っ端から破壊していく事で発散させようとする。だが壊しても壊しても怒りが消えない。悲しみが消えない。解っている、全て自分が何も出来ないのが悪い。何もしなかったのが悪い。
昔の様に。
自分が愚かだから、また間に合わなかった。きっと、自分の力ではどうしようもなかった事だったのかもしれない。それでも、何か、心の支えになることぐらいはできたはずだ―――いや、或いは話すだけでも出来たのかもしれない。だがそれが作り話であると疑った。
その結果がこれだ。
しょうがないことかもしれない。
だが終わった後で見返せば、出来たかもしれないという後悔ばかり残る。失った直後はそれを突き付けられ、
死にたくなる。
「……っぁ!」
暴力的な欲求が脳を支配し、何もかも壊したくなる。だがそれが無意味だと、2回目ともなると理解してしまう。どれだけ暴れても意味はないという事実に。だからリビングにある物を片っ端から蹴り倒して踏み砕いて破壊して、それでも収まらない衝動を歯を食いしばりながら堪え、怒りで自分を殺しそうなのを止める。
「ぴよっ!」
「っ、ひよこ?」
憎悪が剥き出しになる中で、唐突にひよこの間の抜けた鳴き声が聞こえた。その声に振り向けば、破壊されたリビングのフローリングにひよこが立っていた。不思議な生物だからシュテル達と共に消えたと思っていたが、そんなことはなく、フローリングの上でひよこは存在感をアピールする様に飛び跳ねて、その小さな翼を羽ばたかせていた。そして此方の注目を得ると、
そのまま、入り口の方へと走って行き、
そして、ぴょん、目の前に存在が差し伸べた手の上に乗った。
リビングの入り口には、膝を曲げた少女の姿があった。シュテル達と比べるとまた一回り小さな少女だった。膝を曲げ、手を伸ばしてひよこを両手に乗せると、その頭を軽く撫でながら立ち上がった。
そうして余りにも長い金髪の少女の姿がリビングに現れた。初めて見る少女の姿に一瞬だけ反応が遅れるが、
その少女の名前を自分は知っていた。
「ユーリ……エーベルヴァイン」
「はい、初めましてノアさん」
ぺこり、と穏やかな雰囲気を纏う少女は微笑みながらもどことなく、悲しげな表情を浮かべていた。いや、隠しているだけで悲しんでいるのだろう。ほかの三人娘たちの消失を。そして唯一残されてしまった自分の存在を。だが同時に、自分がまき起こした破壊を見られてしまい、
少し、気まずい気持ちを抱いてしまった。胸の中に込みあがっていた暴力的な衝動が霧散するのを感じつつも、誤魔化す様に片手で首の裏を掻く。
「Ah, what should I say……」
「いえ、いいんです。この子の目と耳を通して日常を覗かせて貰っていましたから……ありがとうございます。貴方の様な優しい人が彼女たちと一緒に居てくれて。私にできたのは結局、見守る事だけでしたから」
「いや……違う。俺が結局出来たのは何でもない事だ。誰か、別の奴でも出来る事だった」
「ですが、他の誰かはやらなかった。貴方がやったんです」
「だけど消えた。それも無意味だった……悪い……本当に、悪かった」
そうとしか言葉が出せなかった。本当に、悪かった。なんとかなったかもしれない。どうにもならなかったかもしれない。だが罪なのは、自分が動かなかった事だ。どうにかしようと。ヒントは存在していて、起きるかもしれないという事に対して動かなかった事。
それが罪なのだ。
俺は
だがそれを否定する様に少女、ユーリは頭を横に振った。
「いえ、貴方の事は責められません。元々関係のない世界から来た、事情も知らない人ですから」
「……」
それはつまり、お前には元々関係がなかった、と言われているようで言葉が胸に突き刺さった。確かに、そうだ。元々俺は関係のない人間だったかもしれない。だが二カ月の間、奇妙な共同生活を送ってきた。それが嘘だったなんて、絶対に言えないし、言いたくもない。
忘れて生きていけなんて薄情な人間にはなれない。
そう思っていると、
ユーリの指先が僅かに色を失い、その直後に指先を赤い結晶が覆った。赤い結晶が割れて出現するユーリの指は塵になり始める前の、健康的な肉体の物に見える。だがそれだけで、ユーリもまた、あの三人娘たちと同様、儚い命である事を自覚させられた。
「お前―――」
「ノアさん」
続けようとする言葉をユーリが言葉を挟んで止めた。その気配は少女らしいものから変わり始める。ここで漸く、彼女が内包する魔力を察知することが出来た。
その総量は、化け物的としか表現することが出来なかった。自分とあの三人娘全員を合わせてもユーリの保有する魔力には届かない。それだけ強く、そして異質な少女だった。だがそれでも今、自分が消えるという事実に対して全力で抗っている。それだけで彼女の行動の全ては終わっていた。それ以上、彼女が何かをする事は出来なかった。彼女の体内を駆け巡る魔力が常に忙しく動き、体内で集結しては霧散を繰り返している。それはまるで先ほどの、指を覆った赤い結晶の動きのようだった。
―――この子も、限界を迎えていた。
「ノアさん」
「……」
「私は、別に平和じゃなくても良かったんです。皆と一緒に楽しい日々を送れたら。私だけは眠っていましたけど、それでも三人の姿を何時も見ていました。貴方が来てからも楽しそうにしている日々をずっと、ずっと見ていました―――」
だから、とユーリは言葉を続ける。
「たとえ、その他の全てを捻じ曲げてでも取り返せるなら。私は取り返したいと思います」
「それは」
「三人を取り戻すという事はつまり、そういう事になります。そしてその手段はあります。ですがその手段は―――私には取れません。実行すれば恐らく
この、自分がどうあがいても届かないような魔力を保有し、想像もつかない力を持つ少女でさえ消えるという話だった。だがそれを恐れる事無く、ユーリは言葉を続ける。
視線を合わせ、言葉を紡ぐ。
「ノアさん―――貴方に、覚悟はありますか? 世界を壊してでも取り戻すという覚悟が」
ユーリのその言葉に対する、答えは決まっていた。
母は生まれた時に死んだ。親父はもう居ない。自分と繋がる様な相手はこの地球には存在していない。
ならば、答えは決まっている。
「それが、俺の答えだ」
その返答にユーリは目を閉じて、そして小さく呟いた。
「ありがとうございます……そしてごめんなさい。ほんとうに、ごめんなさい。私の、私達のエゴに巻き込んでごめんなさい」
「……」
「解っているんです。勝手な事だって。巻き込んだけど助けてください、って恥知らずな事を口にしているんだって。それでも縋りたいんです。だからお願いします、縋らせてください」
目の端に涙をためるユーリの姿を見れば、精神的にも彼女が限界に達しつつあるのは解る。故に安心させるように任せろ、と言葉を贈る。
「お前らの様に私は不幸です、って顔をしている子供が俺はこの世で一番嫌いなんだ。だから俺が問題を蹴り飛ばして前みたいに能天気な日々を取り戻してやるよ」
「……ありがとうございます」
もう一度、謝るようにユーリは言葉を口にし、目を開いた。視線を合わせると覚悟の色がその眼には見えた。視線を合わせたユーリは頷きながら、
「では研究所へと行きましょう。グランツの遺産が残っています。使い道がなく、封印していましたが、恐らく貴方には必要となるでしょうから封を解いて解放する事にします―――」
一拍、時を置いてユーリがその名を口にする。
ミッド式? 違うなぁ。ベルカ式でもなければ、古代ベルカでもない。
今回は魔導フォーミュラだ。