※この作品はR-18です。

おそらくはありふれた究極的なやりかた   作:Hastnr

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第一部
00. SWORD Alliance Organize



 

 VR。

 フルダイブ型仮想現実空間。

 それは、人が手にした新たな世界。あるいは人類が開けてしまった何個目かのパンドラの箱。

 地球を覆う光速の網に放たれた世界の種子(ザ・シード)は、サーバーという大地の中で芽吹き、様々な可能性と光景を内包した世界として育っていく。

 たとえばそれは銃火響く荒野の世界かもしれない。怪異と猫が蔓延る和の世界かもしれない。妖精たちの舞い躍る大樹の世界かもしれない。あるいはそのどれでもない、全く新しい世界かもしれない。

 世界の形は違えど、一つだけ共通している事がある。それは、どんな世界であろうとも、人は『快楽』を求めるという事。

 ここ、桐ヶ谷和人の自宅に据え付けられたプライベートサーバマシン上に芽吹き、育った世界もまた然り。

 

(……さすがに、喉が乾いたな)

 

 焚きしめられたアロマの香りと、ソレ以上に濃密な男女の匂いに満ち満ちたベッドルーム。

 柔らかなウォーターベッドの上に預けていた上半身をゆっくりと起こしつつ、桐ヶ谷和人――もとい、キリトは左手をゆっくりと動かし、空中に呼び出したコンソールウィンドウを操作すると、目当ての品をオブジェクト化する。

 微かなサウンドエフェクトと共に現れたのは、ガラス瓶(ボトル)に入った『スカイ・ダイビング』と呼ばれるカクテル。元は『GGO』に実装されていたカクテルレシピの一つだが、未成年プレイヤー対応用にアルコール成分や作用は削除されている。

 混ざりあったホワイト・ラム、ブルー・キュラソー、そしてライムジュースが作りだす、晴天の空と同じ青色をしたドリンク。それがたっぷり入ったガラス瓶を傾けて中身を嚥下すれば、キュラソー独特の風味と爽やかなライムの後味が舌の上を駆け抜けていく。

 

「キリト……私にも、ちょうだい」

 

 小さな声に惹かれて視線を下に向ければ、蒼空色の髪の間から大きな猫耳を生やした少女――シノンがいる。

 先程まで繰り広げられていた行為によって排出された汗でしっとりと身体を濡らし、痕跡を下半身に残したままのシノンは、うつ伏せに寝転びながらじっとキリトの方を見つめている。

 リアルとは違い、情欲をぶつけ合った後の事を気にしなくていいのはVRの大きな強みの一つだ。

 彼女の口元に瓶を運ぶ代わりに、キリトは空いている手で彼女の細い体を抱き寄せる。互いの体を密着させれば、一糸まとわぬ姿を晒すシノンの肌の感触が同じく何も着ていないキリトの体にダイレクトに伝わってくる。

 キリトはカクテルを口に含むと、静かに目を閉じて待つシノンの唇に唇を重ね、蒼い液体を口内へダイレクトに送り込んだ。

 

「んんっ――♪」

 

 男の唾液が混じったカクテルを、シノンはこくこくと喉を鳴らしながら嚥下していく。やがて送り出される液体が尽きても、唇同士が離れることはない。焦らすような舌先の動きに誘い込まれたキリトの舌が、シノンの口内を嬲る。

 主人(あるじ)が誰なのかを言外に教え込むような長く濃密な口づけが終わりを迎えたのは、絡め合った互いの舌の上からライムの味がすっかり消え去った後だった。

 

「――ん、はぁっ……ごちそうさま」

「おそまつさまでした」

 

 繋がっていた唾液の橋が見る間に千切れていく中、ようやく呼吸する自由を許されたシノンは、キリトの胸板に頭を預けながらその艶めかしい両足を男の左足へ絡める。体を擦り寄せ、肌と肌を密着させるその仕草は、飼い主にマーキングを行う本物の猫のようで至極愛らしい。

 寄りかかった肌の上に浅い口づけを落としながら余韻を味わうシノンの後頭部へそっと右手を回し、薄青の後ろ髪を軽く弄びながら、キリトはもう一度『スカイ・ダイビング』を味わおうと左手を持ち上げる――が、その瓶が口元に届くより早く、キリトの背後から伸びた細い手が蒼い液体の入ったガラスボトルを奪い去った。

 

「……いきなりなんだよ、アスナ」

「『なんだよ』じゃありません。ちょっと呑み過ぎだよ、キリトくん」

「これ、ノンアルなんですけども……」

「知ってます。でも、今のうちからお酒の味を覚えすぎちゃうのは……ちょっと、よくないと思うよ?」

 

 むむむ、と眉根を寄せてボトルを奪い去った陽色の髪の少女――アスナは、言うが早いかコントロールウィンドウを呼び出し、そのままボトルを己のストレージへとしまい込む。互いのストレージは共有化されているが、心配そうな目で見つめてくるアスナを無下にするのもバツが悪い。

 

「……以後、気をつけます」

「よろしい」

 

 大人しく降参の意を示しつつ、キリトは己の隣に腰を下ろした彼女の体を、空になった右腕でいつものように抱き寄せる。

 『SA:O(オリジン)』で使用しているアバターで――正確に言えばそれのコピーで――ログイン中のアスナも、キリトやシノン同様に何も身につけていない。ふわりと漂う石鹸の清らかな香りと、夫婦の指輪を除いては。

 わざと痕跡を残して挑発するシノンとは対象的に、アスナはしっかりと清めた体で雄を誘惑しつつ、キリトの首筋に己の唇を触れさせる。必然、最近また大きくなった豊満なバストがキリトの腕に当たり、柔らかかつ張りのある絶妙な感触を齎したのは言うまでもない。

 

「ふふっ。VRMMO界にその名を轟かせる『黒の剣士』様も、奥さん相手だとタジタジってわけね」

「言うなよ、シノン……」

 

 痛い所を突かれてボヤく男の腕に抱かれたまま、シノンは片目を一度閉じ、含みのあるウィンクを送る。

 

「まあ、こっそり呑みたくなったらいつでも『GGO』にログインしたらいいわ、キリト。

 ちょうど、私のプレイヤーホームにバーカウンターでも増設しようと思ってたとこだから」

「もー、シノのん。キリトくんに、あんまり変なこと教えないでよー。

 キリトくんって意外と影響されやすいんだから、うっかり悪い道に走っちゃったらどうするのよ」

「あら。片手の指じゃ足りない数の女の子と関係を持ってる人は、とっくに悪い道に走ってると思うけど。

 ねえ、キリト?」

 

 揶揄するようなシノンの瞳と、頬を膨らませて可愛らしく怒ってみせるアスナに見つめられ、キリトは曖昧な苦笑を浮かべて頷くほかになかった。

 


 

 シノンが言うところの『片手の指じゃ足りない数の女の子』と、キリトがこうした関係になった大きな要因の一つは、この空間の存在そのものにある。

 ここは『ザ・シード』を用いた技術研究の場兼、愛娘であるユイの遊び場として、キリトが自宅のサーバマシン内に作り始めた半閉鎖型(プライベート)VR空間。元々は100メートル四方のごく狭い空間でしかなかったが、キリトが思いつくままに拡張を重ね、更にはユイ経由で話を聞きつけたアスナや他の女性陣達のリクエストを取り入れ続けた結果、当初の想定の百倍近くにまで成長を続けていたという来歴を持つ。

 環境制御など、大方の機能は『ザ・シード』のパッケージに内包されている上、各ロケーションのベースにネット上で公開されているフリーウェアを使用したこと、更に『例のバイト』で稼いだ金とバイクパーツ数点を諦めて捻出した予算でサーバ機自体のスペックアップを行ったことで、キリト個人のリソースでも管理は十分に可能となっていた。

 とはいえ、配布されているモジュールをそのまま突っ込んだだけでは味気ないし、内部処理への無駄な負荷が発生するのもまた事実。

 そういったモジュールの構成や相性、グラフィック面の差異を確認し、必要なら適宜手を加えて調整するのが最高権限管理者(アドミニストレータ)たるキリトの主な仕事だった。

 

 キリト達が現在居るこの家も『SAO』、そして『ALO』内『アインクラッド』第22層で購入した湖畔の家とほぼ同じ物――いや、正確に言えばほぼ同じ物『だった』。

 外観こそあの湖畔の家と全く同じだが、内部に施されたカスタマイズの規模はもはや常軌を逸している。

 レストラン顔負けの調理設備が整えられた大型システムキッチンを始めとして、広大な浴室――しかも『露天風呂付き和風温泉』と『岩盤浴付きパルテノン風スパ』の二種類――はもちろんのこと、オシャレなカフェスペースやそこそこしっかりとした規模のトレーニングルーム、バイクや車はもちろん戦車も停められそうな大型ガレージ、更には屋内プールに剣道場や弓道場、果てはシューティングレンジなどという設備までが構築されている。

 加えて、扉のいくつかはワープゲートになっており、常に適度な日が差す昼寝にはもってこいの草っぱらから、郊外の牧場や古代ローマ風の円形コロッセオ、絶海の孤島から地の底の洞窟といった様々な場所に即座に転移できるようになっていた。

 当然言うまでもないが、各人専用の私室もしっかりと用意されている。内装用オブジェクトは、アスナやリズを始めとした女性陣の強い要望――これをワガママと言うのは野暮というものだろう――に応える形でキリトが労力を費やしに費やした結果、多様なバリエーションが実装済みである。

 

 これらを可能にした技術的背景には、『アスカ・エンパイア』等で実装されている混雑避けのインスタンスショップシステム・フレームワークの存在がある。簡単に言えば、同一構成の空間を大量に作り出し、そこへ次々にプレイヤーを転送する事で同じ空間に存在する人数に制限をかけるというシステムなのだが、キリトはこの一部に独自の改良を加え、家屋内空間の拡張ツールとして実装していた。

 ――実装後のテストも兼ねて、この空間にログインできる者であれば誰でも自由に設備や部屋を追加できる様にしていた結果、今ではちょっとしたダンジョン顔負けの規模にまで成長してしまったのは、キリトにとっても予想外ではあったが。 

 

 なんだかんだで、ルームカスタマイズを始めとした諸要素のバグ取りも終わり、次の機能拡張(アップデート)内容についてキリトが思案し始めた頃――現実の世界で、例のラフコフ残党による襲撃事件が起きた。

 キリトは――もとい、桐ヶ谷和人は生死の境を彷徨うどころか『死』の側へと大きく踏み出し、無事かどうかすら定かではないまま拉致されて行方不明となった挙句、ようやく仮想世界(アンダーワールド)の中で発見された時には心神喪失寸前(・・)にまで追い込まれていた。

 筋弛緩剤の過剰投与による肉体への影響が大きかった事は言うまでもない。ただそれ以上に、『SAO』時代から罪の痛みに軋み、悲鳴を圧し殺し続けてきた和人の魂魄(フラクトライト)そのものが、異界の中で叩きつけられた過大すぎる負荷(ストレス)によって粉々に砕け散りかけて(・・・)いたのだ。

 幸い、多くの人間(・・)達の尽力と僅かな奇跡が重なった事で和人はどうにか己の有り様を取り戻す事に成功し、アンダーワールドを舞台に繰り広げられていた陰謀は結実寸前でどうにか食い止められた。

 もし運命という名の織物を形作る縦糸の一本でもズレていよう物なら、もっと悲惨な――例えるなら、蒼い薔薇が人知れず散るかのような――結末が待っていたかもしれないと関わった者全てが理解する程に危うい、薄氷を幾枚も踏んだ果ての勝利であった。

 

 兎にも角にも。

 天に神は無く、地の底に異界あろうとも、なべて世は事もなし――と、無事に生還を果たしたキリトがのほほんと日常を謳歌する一方。その陰で、密かに策謀の爪を研ぎ、虎視眈々と実行の機会を伺い始めた勢力があった。

 その名も《KKA》――正式名称『キリトに片思い同盟(Kataomoi for Kirito Alliance)』である。

 

 かつて、結城明日奈という伝説の女性(レジェンダリークラス・ヒロイン)が、キリトの周辺一帯を支配していた。その圧倒的な勢力により、かえって《KKA》の面々は統率が取れていた。

 しかし、『まあ、キリトが幸せならば』と自ら一線を引きつつも、胸の奥の想いを延々と燻らせ続けてきた彼女らにとって、今回の出来事は衝撃的に過ぎた。言うなれば、ガソリンを限界まで溜め込んだダムにコンクリート製の蓋をしていたら、そこにミサイルが着弾して大穴を開けたようなものだ。金色の髪をした娘が地の底から運んできた特大のミサイルが。

 キリトが抱え続けてきた、人を殺したという罪への苦しみ。人を死なせたという罪への痛み。そして人を犠牲にして生き残ってしまった罪(サバイバーズ・ギルト)の重圧によって、キリトが自己存在消失寸前まで追い込まれていた事を知り、言葉を失わなかった者は誰一人としていない。

 ――『桐ヶ谷和人というこの超巻き込まれ型体質のお人好しは、もう少し幸せになって然るべきなのではないか?』と考えなかった者も、誰一人としていなかったのは言うまでもないだろう。

 

 新たなメンバーが加わった勢いも相まって、半ば箍が外れかけた《KKA》の面々ではあったが、決して理性や常識というものまでが失われた訳ではない。ただし一部の面子は除く。

 もとより『アスナに負けたくない』、『キリトに振り向いて欲しい』という気持ちこそあれど、それが『アスナからキリトを略奪したい』とイコールであるかと問われて、首を縦に振る者がいない――わけではないが、少なくとも首を縦に振る者の方が少ない集団なのだ。そうでなければ《KKA》など最初から存在できようはずもない。

 結局、具体的な行動に移りあぐねたまま、ああでもないこうでもないと思案ばかりを重ねる彼女らに――まさかの結城明日奈その人が接触を図ってきたのは、さほど夏の暑さを感じないある土曜日の午後だった。

 

「今後、キリトくんに振りかかるであろう諸々は、『キリトくんを愛している』私達でなんとかするのが一番いいと思うの。

 だからね。ここにいるみんなとは――《協定(Alliance)》を結んでおこうかな、って」

 

 エギルの店を貸し切り、店主を追い出したうえで開催されたアスナと《KKA》の会合。

 居並ぶ《KKA》の面々を前に、開幕から躊躇なく本題を切り出して核心を突いてくるあたり『閃光』の威名は未だ衰えず――などと考えられるだけの余裕を持った人間がどれだけいたかは定かではない。

 少なくとも、いつもどおり明日奈の肩に載っていた遠隔通信プローブは突然バッテリーが切れたかのようにしばらく動きを止めていたし、最近VR界隈で名を上げつつあるトレジャーハンターは落とし穴に落ちたら目の前に金貨財宝の山がある事に気づいた時のような顔でフリーズしていた。

 なにせ《KKA》の面々が事前に想定していたのは、『いい加減すっぱり諦めなさい』という正妻様よりの最終通告だったのだ。それが蓋を開けてみれば、明日奈の口から出てきたのは想定とは大きく違う内容だったのだから、混乱しない方がどうかしている。

 

 明日奈の言い分はこうだ。

 此度のラフィン・コフィン残党による襲撃を発端とした一件。その解決にあたり、セルフ・イメージを回復させ、戦う意思と力を取り戻したキリトが大きな役割を果たした事は言うまでもない。

 問題はその過程だ。

 最終決戦の折、アスナ、シノン、リーファという一際『濃い』三人のフラクトライトから抽出した記憶を総動員しても、キリトの欠損したセルフ・イメージは回復しなかった。その後に起きた奇跡にも等しい偶然と幸運が重ならなければ、キリトは己を取り戻す事の無いままアンダーワールドで屍を晒していたのは火を見るよりも明らかだ。

 幸い、事件は解決したとはいえ、アンダーワールドを取り巻く環境は未だキナ臭い。大企業の令嬢として、幼い頃から権謀術数渦巻く大人の世界に触れてきた明日奈は、同じようなことがまた起きかねないと直感的に理解している。

 その直感が現実となった時――そこに、キリトが巻き込まれずに済む可能性がどれだけあるというのか? アンダーワールドを救い、世界初のボトムアップ型AIの信頼を得る希少な存在を、どこの誰が放っておくというのだろうか? 仮に放っておいたとしても、あの絵に描いたようなお人好しが首を突っ込まずにいられるというのか?

 その『もしも』に備え、キリトのセルフ・イメージを補完できる者を可能な限り増やしておきたい。一人あたりが提示できる記憶の量が多ければ尚更好都合。更にいずれ手を回してくるであろう、キリトのヘッドハントを狙う組織によるハニートラップ対策も兼ねられる点を考えれば、まさに一挙両得。

 そんな企ての内容を、明日奈は一切包み隠さず披露してのけた。

 あれだけの戦いと、あれだけの苦しみを乗り越えてきた黒の剣士に、自分一人では与えられないだけの幸福を味わってもらいたい――と、最後に言い添えた上で。

 

「【Save the Wellness of Our Reckless Darling(向こう見ずな私達のキリトくんの幸せを守る)】協定。

 ――乗ってくれるなら、悪いようにはしないわ。少なくとも今よりは」

 

 《KKA》の面々が少なからぬ興味を示した事を感じ取った明日奈は、そのまま自らの申し出についての仔細を説明する。

 

 『VR空間内であれば、キリトとどのような関係になっても良い』。

 『他の子がキリトと関係を深めようとしても邪魔をしない。手伝うのは可とする』。

 『ただし現実世界では、学校を卒業するまで、ハラスメント防止コードに触れる類の行為に及んではいけない』。

 『キリトの身に何かが起きた時は、持てる力の全てを使って彼をサポートする』。

 

 後に《SWORD協定(Alliance)》と呼ばれることとなる明日奈の提案に対し、《KKA》構成員達は多様な反応を見せた。

 ある構成員は氷の彫像のような冷静さで沈思黙考し、ある構成員は衝撃のあまり天に昇る幼竜の如き勢いで椅子から立ち上がろうとして転びかけ、ある構成員はわたわたと慌てながら自分の考えをまとめようと躍起になるあまり口の端からロシア語が飛び出す有様。

 そんな混乱の中、意外にも真っ先に口を開いたのは、キリトの義妹・リーファ――もとい、桐ケ谷直葉だった。

 同性でも一瞬ドキリとしてしまう程に蠱惑的な笑みを浮かべた明日奈が静かに答えを待つ一方、両手で自分の頬をぱん、ぱんと二度叩いて気合を入れ直した直葉は、明日奈の榛色の瞳を真っ直ぐに見つめて口を開く。

 

「その……明日奈さん。本当にいいんですか? もし、あたしがお兄ちゃんに、す、す、好きって言って、こっこここ恋人になっちゃっても!」

「うん。あ、もちろんキリトくんがOKするなら、っていう条件はつくけどね」

「嫌じゃ……ないんですか? 寂しくないんですか!? お兄ちゃんが、明日奈さん以外の女の人を好きになっちゃっても!」

 

 過去の自分が味わった切なさをぶつけるように叫ぶ直葉の問いかけに対し、明日奈は静かに首を横に振る。

 

「私はね。もう、普通の人の人生三回分くらいはキリトくんに愛してもらって、沢山の幸せをもらったの。

 アンダーワールドで王様になっちゃったキリトくんに、200年かけてたっぷりとね。

 もちろん、キリトくんが私の側から居なくなるっていうのは絶対に嫌だけど……もともと、キリトくんの愛はとっても大きいから、そこら辺を心配する必要は無いかなー……って」

「それは、うらやまし……じゃなくて。その記憶は、封印しちゃったんじゃ……」

「うん、そうだよ。だから、映像や体験としてはっきり覚えているわけじゃないけど……それでも、私の魂(フラクトライト)は、ちゃーんと憶えてるみたい。

 キリトくんと過ごした、とっても長くて、あっという間の200年があった事を。だから大丈夫。

 もしかしたら……記憶喪失するのもこれで二回目だから、脳と心が慣れちゃってたのかもね」

 

 達観したかのような明日奈の言葉に、直葉は感情を向ける先を失って口をつぐむ。

 仮想世界においては誰よりも長くキリトの側にいた明日奈には、自らの提案によって書き換わっていくのであろう先々の未来がしっかりと見えているのだろう。それが恐らく、キリトにとって良い方向に傾くであろうことも。

 

「それにね、直葉ちゃん。そういう事を私がとやかく言うのは、今更遅すぎると思うのよね」

「遅すぎるって、いいますと……?」

「――だってみんな、ちょくちょくキリトくんと同じベッドで寝たりしてるじゃない。

 『SAO』でも、『SA:O(オリジン)』でも、『GGO』でも――それもたぶん、すっごく無防備な姿で」

 

 空気が凍った。より正確に言うならば、凍りつかされた。瞬間冷凍などという言葉が可愛らしく思えてくる程に短い刹那のうちに。

 淑女らしいふんわりとした笑顔を崩さぬまま、『こっちは何もかも知っているのよ』という無言の重圧を放つ明日奈を前にした《KKA》の面々の様は、まさに蛇に睨まれた蛙。あるいは邪神級モンスターの全体必中強制スタン攻撃を喰らった初心者冒険者の群れも同じ。

 『なんでそれを知っているのか』――などと、今更問うのは愚の骨頂だろう。なにせ、明日奈なのだ。キリトと自分達の間に漂う雰囲気を察し――いや、なんだったらキリトの顔を見ただけである程度以上の確信を得ていてもおかしくない。

 あとはそこから情報(ホロウ)の断片(フラグメント)をかき集め、起きていた事の想像(ホロウ)を確たる物に(リアリゼーション)し、言い逃れのできない致命的(フェイタル)な証拠(バレット)として用意する事ぐらい、明日奈なら容易くやってのけるだろう。

 その様子に気圧され、誰もが引きつった笑みを浮かべる以外は何もできなくなる中。どうにか精神状態を回復させたシノン――もとい、朝田詩乃は、中の氷がすっかり溶けたグラスをカウンターに置いて、ゆっくりと立ち上がった。

 

「……明日奈がそこまで言ってくれるなら、私にとっては渡りに船だけど、いいの?

 私、やるとなったら本気で狙いに行くわよ。キリトが、明日奈や他の子に目移りしてられなくなるくらいに」

「もちろん、いいよ。

 キ(・)リ(・)ト(・)く(・)ん(・)を(・)本(・)気(・)で(・)夢(・)中(・)に(・)さ(・)せ(・)ら(・)れ(・)る(・)っ(・)て(・)言(・)う(・)の(・)な(・)ら(・)――どうぞご自由に」

 

 挑発的な詩乃の言葉に、明日奈もまた自信に満ち溢れた台詞を返す。

 裏に含みのあることをわざと滲ませたそのトーンと、己こそが『正妻』、『本妻』、ついでに言うなら『抜刀妻』という雰囲気を隠そうとしない余裕たっぷりの明日奈の態度に――《KKA》の面々はようやく理解した。

 明日奈は何も《幸せのおすそ分け》などという可愛らしいことを考えてここに来ているのではない。

 

『今後もキリトの側に居たいというのであれば、安全圏内で指を咥えて傍観するのをやめて、さっさと勝負の舞台(HIGHER GROUND)に上がってきてその資格を示せ』

 

 ――という、【最後通牒(Do or Die)】を叩きつけに来たのだと。

 名も無いダムを覆うコンクリートの天井にミサイルが開けた大穴目掛け、着火済みのライターを放り込んで爆破セレモニーを開催しに来たのだと。

 そうまで虚仮にされて黙っていては、女が廃る――その場にいた明日奈以外の全員が、全く同じ心境に至ったのは今更言うまでもない。

 たとえそうなることが、明日奈の目論見通りであったとしてもだ。勝つことしかこだわらないのが男の業(カルマ)なのだとしたら、負けることを許せないのは女の業(カルマ)なのだろうから。

 

 かくして、その日。構成員全員の賛成を以て《KKA》は解散。

 同時に旧《KKA》構成員は、誰一人欠けること無く《SWORD協定》への参加を表明した。

 

 一方その頃、プライベートVR地区(エリア)のキリトは、着実に空間内拡張性を伸ばしていた。

 幸か不幸か、以前より苦心していたソードスキルの再現、および発動時用のライトエフェクト実装に目処が立ってしまった事もあり、キリトの注意力の大半はそちらに向けられていた。

 もし、そんな状況下でなければ、さしものキリトも何かに気づいたかもしれない。俗に『虫の知らせ』等とも呼ばれる本能的な――あるいは動物的な――直感によって。

 まるで、平城を守る御堀が突如として重機で埋め立てられたかの如く、自らを取り巻く状況が一変した事に。

 そして、酒池肉林を謳歌するにはお誂え向きすぎる理想郷を、自らの手でうっかり創り上げてしまった事に。

 

 ――こうして。

 少しばかり戦いに疲れた黒の剣士と、彼を心より慕う多くの女性(ヒロイン)達による、据え膳を喰らい、純潔を奪われ、肌を合わせ、褥を共にし、情交を結び、枕を重ね、房事に及び、色事に励み、男女の関係を結んで秘め事に溺れ獣のようにまぐわう日々は、あまりにも静かにその幕を開けた。

 

 その後約一ヶ月に渡り、キリトは恋と愛と欲望の嵐のど真ん中に放り込まれ、実に目まぐるしい日々を駆け抜け続けることになるのだが、その顛末と紆余曲折はまた別のどこかで綴られるべき物語だろう。

 これは、そんな刺激的な日々を駆け抜けた結果、男として――あるいはかつて異界の王にまで登り詰めた者として――ようやく腹を括った(開き直った)黒ずくめの彼と、色とりどりの彼女らによって繰り広げられる、おそらくはありふれた日常のお話。

 


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