超次元ゲイムネプテューヌ Origins Visionary 作:シモツキ
・今回の話のように、就寝前及び起床後のどちらか、又は両方が描写されない場合もあります。
・通常のリクエストは勿論の事、特殊作品群に該当するようなリクエストも受け付けております。しかしその場合は当然相手となる作品の作者さんに了承を頂かなくてはいけない為、必ずしもリクエストにお応え出来るとは限りません(既存シリーズの続きが読みたい、というリクエストも承っております)。
人物・イリゼ
内容・拘束 水責め 電流責め 呼吸制限
信仰は過ぎれば狂信になる。自信が過ぎれば過信になる。多くの感情は…否、多くの物事は、適度であれば利となるものでも、過度となれば自らが、或いは周りも不利益を被る。丁度良い、というのは上にも下にも『良い』と呼べる範囲があるからこその言葉であり、過ぎたるは猶及ばざるが如し…多ければ多い程良いという訳ではないのが、世の中の常。
そしてそれは、恋や愛も同じ事。元より「恋は盲目」という言葉がある程、恋や愛は人を狂わせ易いもので…何よりその感情は、そう簡単には止まらない。そう簡単には…止められない。
「これで、終いだッ!」
振り抜かれる長剣と、両断され絶命するモンスター。初めに斬り伏せたモンスターへ、続けて周囲に目をやった女神は、もう危険がない事を確認し…張り詰めさせていた雰囲気を解く。
「ふぅ、これでもう危険はない。無事だったかな?」
長剣を下ろすと共に、女神は…オリジンハートことイリゼは、穏やかな表情を浮かべて振り向く。その視線の先、木の陰にいたのは、一人の少女。
「は、はい。危ないところを助けて下さり、ありがとうございました」
「気にする事はないよ。私は女神の、人を守るという使命を果たしたまでだ。…しかし、何故こんなところに一人で?」
「実は、この近くに自生している植物の採取をしに来たんです…この辺りはそこまで危険なモンスターもいないと聞いていたので、私一人でも大丈夫だと思ったんですが…」
「確かにそれは間違いではない…が、そこまで危険ではない、と安全である、はイコールではない。もし君が自衛の手段を持たないのなら、一人で来るのはお勧めしないよ」
「わ、分かっています。以後、気を付けます」
ぺこり、と言葉に続けて頭を下げた少女は、それからイリゼを見つめて言葉を交わす。モンスターに襲われていた…逃げているところをイリゼに助けられたにしては落ち着いている、しかし相手が女神だからなのか表情や声音に若干緊張も滲ませている彼女へ、イリゼは穏やかな表情は崩さないようにしつつも注意を述べた。
「それなら良かった。さて、それでは君を安全な場所まで送るとしよう。君を狙っていたモンスターは全て倒したとはいえ、戦闘の音を聞き付けて他のモンスターがやってくる可能性もゼロではないからね」
「そ、そこまでして下さらなくても大丈夫です!そんな、イリゼ様に抱かれて空を行くなんて事……」
「うん?私はどう送るかまでは言っていない筈だけど…空を飛んでみたかったのかな?」
「あ…っと、それは……あっ!イリゼ様、口元が汚れています!拭いても、宜しいですか…?」
何だか少し変わった子だ。イリゼがそう思う中、視線を一度逸らした少女は、話を切り替えるようにして言う。明らかに追求を逸らそうとしている返しではあったが、図星で恥ずかしかったのかもしれない、と考えたイリゼは、であれば指摘するのは酷だと思って彼女へ頷く。
「では、失礼して…」
「ん、んんっ…(やけに口に押し付けてくるような…え、何?ベタな泥棒の口髭みたいな汚れでも付いてるの…?)」
早速取り出したハンカチで口元を拭き始める少女。黙って拭かれるイリゼだったが、口元…というより口を覆うように押し付けてくる少女に対し、一体どんな汚れが付いているのか、と何とも言えない気持ちになる。
しかしなんであれ、その汚れを拭き取ってくれるのなら文句はない、と暫しイリゼはじっとしており……
「……っ…これ、は…」
「おっと。大丈夫ですか、イリゼ様」
「あ、なた…まさか……」
──だが、不意にイリゼは姿勢を崩す。力が抜け、がくんと膝から崩れ落ちる。
訳が分からなかった。されど、イリゼは本能的に理解していた。これが体調不良などではなく、アンチシェアクリスタル…或いはそれに類するものの影響であると。そして周囲にそんな物はない以上、先程までは何ともなかった以上…可能性は、一つしかない。
体勢の崩れたイリゼを、少女は支える。その少女に向けて、イリゼは鋭い視線を向ける…が、少女は動じる事なく、再びイリゼの口に手にしたハンカチを押し付ける。
(だ、め…力が……)
振り払おうとしたイリゼだが、押さえ込まれる。この瞬間、この段階であればまだ、目一杯力を振り絞れば、振り払えたかもしれない。しかしイリゼは無意識に「もし人である彼女が怪我をしてしまったら」という思いから力をセーブしており、ただでさえ力が抜けていく中で更に全力を出さないようにしようものなら、相手が常人であっても敵う筈はなく…イリゼの意識は、急速に薄れていく。
このハンカチには、睡眠薬か何かを染み込ませているのかもしれない。イリゼがそう思ったのは、意識が途切れる直前であり……最後にイリゼが見たのは、どこか熱を帯びた瞳で見下ろす少女の姿だった。
*
沼から這い出るように、ゆっくりとイリゼの意識は覚醒する。重い瞼を開け、顔を上げ…まだはっきりとしていない意識で、周囲を見回す。
「…あ、れ…ここ、は……」
見覚えのない、それなりに広い空間。目に付くのは幾つもの機械で、屋内である事は間違いない。
続けざまに、イリゼは自分が横になっていない事に気付く。横ではなく縦、それも立っているのではなく、天井から伸びる鎖と手枷に繋がれた状態で、それによって吊るされているのだと気付き、それと共に意識を失うまでの事、直前にあった出来事をイリゼは鮮明に思い出した。
(あの子は…いや、それよりも今は……)
理由は分からない。されど少女によって意識を奪われ、ここに囚われたのだという事は間違いなく、であればまずは脱出するのが先決。そう思い、いつの間にか戻っていた人の姿から再び女神の姿になろうとし…だが、出来ない。いつもの感覚が、女神化の感覚がない。
「……っ、駄目…やっぱり出来ない…。もしかして、この部屋一帯にアンチシェアクリスタルの結界が…?…いや、けど……」
何度試しても結果は同じ。意識を奪われる前の感覚から、アンチシェアクリスタルの結界が展開されているのかとも思ったが、今はもう脱力感を感じない。ただ、女神化する事が出来ない。
女神化は無理だ、と分かったイリゼは、人の姿のまま脱出を試みる。しかし如何に女神といえど、吊るされた状態から金属製の手枷を壊すのは困難というもの。更によく見れば脚にもそれぞれ金属のリングと鎖が嵌められており、垂れた状態ながら床に繋がれている。脱出するのであれば、足の拘束も処理しなければいけない。
それでも諦めずに力を込めるイリゼだったが…その成果が表れるより先に、部屋の一角にある扉が開き、一人の少女が姿を現す。
「目が覚めたんですね、イリゼさん」
「…貴女……」
黒く艶のある…しかしあまり整えてはいない様子の髪に、薄暗い部屋でも一眼で分かる橙色の瞳。背格好は大体イリゼと同程度なその少女は、イリゼの記憶にある…イリゼの意識を奪った女性に違いなく、呼び掛けてきた少女をイリゼは見つめる。
睨むという程ではない、しかし穏やかでもないイリゼの視線。されど少女は狼狽える事なく、そのまま歩いてイリゼの側へ。
「まずは自己紹介を。私は……」
「──アキ。個人で研究や発明なんかを行っている、神生オデッセフィアの…私の国の国民、だよね」
言葉を遮るように、イリゼは少女の名前と簡単な情報を言う。すると少女…アキはぴくりと肩を震わせ、目を丸くする。
「驚きました。まさか、私の事を知っているとは…」
「女神たるもの、国民全員の事を知っていて当然…と、言いたいところだけど…貴女も、自分が完全な無名じゃない事位分かってるでしょ?何せ、雑誌で紹介されたりしてるんだから」
「あぁ、そういう事ですか。資金集めには、取材や個人の依頼を受けたりするのが手っ取り早いですからね。…でも、嬉しいです。イリゼさんが、私の事を知っていてくれて」
言いはしなかったものの、モンスターから助けて言葉を交わした時点で、イリゼはアキの事に気付いていた。それがこの部屋を見た事で、確信に変わっていた。
そんなイリゼからの言葉に、アキは嬉しいと返す。そこには嘘や建前らしい雰囲気がなく…故に余計訳が分からないと、イリゼの中で警戒心が高まっていく。
「貴女、目的は?」
「目的?そうですね…それは、神生オデッセフィアを手に入れる事とでも言っておきましょうか」
神生オデッセフィアを乗っ取りたいのだ。なんでもない事のように、そう言ってのけるアキ。聞いた瞬間、イリゼの顔付きは険しくなり、黙り込み…そんなイリゼの前で、アキは続ける。
「あぁ、別に国民をどうこうしようと思っている訳じゃありません。私は分野問わず研究をしてますが、だからといって実験材料欲しさに言っている訳ではないので、その点はご安心を」
「…その為に、私を捕まえたの?ならもしや、襲われていたのも……」
「はい。イリゼさんが来るのを見越して、襲われている振りをしました。…あ、いえ、違いますね。襲わせたというか、襲われていたのは事実です。もしイリゼさんが来なかったら大変な事になっていたので、助けてくれた事は本当に感謝しています」
会話をする中で、イリゼの警戒心は高まり続ける。まだ少ししか会話をしていない訳だが、既に彼女が普通の神経をしていない事は明らかだった。
何せ、イリゼは依頼された訳ではなく、前々から決めていた用事で移動をしている際、偶々アキが襲われているのを見かけただけなのだ。その用事、その場を通る時間を把握されていたのも恐ろしいが、それ以上に「その場を通る筈だから」という理由だけで、モンスターに自ら襲われるという思考、判断そのものが、凡そ常人の…まともな人間のそれではない。にも関わらず、それをさらりと言うアキという少女に、イリゼは異質さを感じ得なかった。
「そうだ、先に言っておきますね。もう分かっているとは思いますが、女神の姿になって逃げようとしても無駄ですよ?その指輪がある限り、イリゼさんは女神の姿になる事は出来ません」
「え?あ…。……一体、どこでこんな技術を…幾ら才能のある技術者だとしても、ゼロから作り出せる訳がない。アンチシェアクリスタルだって、普通に手に入るようなものじゃない」
「流石はイリゼさん、よく分かっていますね。…だから私、参考にさせてもらったんですよ。嘗て犯罪組織が作り上げた、女神の姿になるのを封じる装置を」
そう言われて、イリゼは思い出す。確かに犯罪組織は、そのような装置を作り上げていたと。
経緯は不明だが、その情報を基に指輪型の封印装置を作った。そしてそれが、右手の中指に嵌められている、一見普通の指輪。単なる再現だとしてもやはり天才なのは間違いないが、それでもそれなら一応の納得は出来るというもの。そこまでイリゼは考え…アキもまた、一息吐いた後に言う。
「という訳で、神生オデッセフィアをくれませんか?もし私にくれるのなら、今すぐイリゼさんを解放しますし、イリゼさんには守護女神の座から降りてもらいますが、イリゼさんの面子を守る為の理由付けならどれだけしてくれても構いません。私も、ここでのやり取りは秘密にすると約束します」
「…そう言われて、私が信じると思う?」
「思います。イリゼさんは、そういう女神ですから」
まるでイリゼの事を信じているような、アキの口振り。高まり続けた警戒心は、いっそアキに対する恐怖の様な感情をも呼び起こしていたが……それで折れるイリゼでは、ない。
「…ありがとう。そう思ってもらえているのは、嬉しいよ」
「じゃあ…!」
「…だけど、それに応じる事は出来ない。貴女に神生オデッセフィアを渡す事は出来ないし…そんな理由で守護女神の座を降りる気も、ない」
感謝の言葉を告げられた事で、期待の表情を浮かべたアキ。しかし続く言葉で、イリゼははっきりと否定し…強い意思の籠った瞳で、真っ向からアキを見る。言葉と共に、その瞳で応じるつもりはないと示す。
否定の言葉と視線を受けたアキの表情から期待の色は消え、そこから黙った。少しの間、口を閉じ…アキもまたイリゼを見やったまま、再び口を開いた。
「…残念ですが、応じてくれないのなら仕方ありませんね」
「…………」
「でも、私もそれで諦めるつもりなんてありません。だから…これからイリゼさんには、苦しい思いをしてもらいますね。イリゼさんの気持ちが、変わるように」
自分もそれで引き下がるつもりなどない。そう答えたアキは、一度イリゼの背後へと回る。そうしてイリゼの死角に入ると、手を伸ばし…イリゼの首に、首輪の形をした装置を嵌める。
「…これで、私の首を絞めようとでも?」
「外れです、でも苦しいの方向性は間違っていないかもですね。イリゼさん、私は別にイリゼさんを苦しめたい訳じゃないので、渡す気になったすぐ言って下さい。そうしたらすぐに、私も止めますから…ね」
場所が場所故に首へ何か嵌められたという事しか分からないイリゼに向けて、側でアキは言う。そして、「苦しいの方向性は間違っていない」という言葉の意味をイリゼが考える中、アキは離れていき…取り出したタブレット端末に触れる。
その瞬間、聞こえ始める駆動音。何かが起こる、とイリゼは緊張し、アキは小さく笑みを浮かべ……床が、開く。イリゼの真下に当たる位置から、左右に床が開いていく。
「こ、これは……」
吊るされているイリゼには、床が開く事そのものの影響はない。だが、イリゼは目を見開いていた。床ではなく、その下…開いた空間にあった、その空間を満たしていたものに。
微かな揺れ、薄暗い光を反射する表面。真下まで見える透明度。そこにあったのは…水。イリゼの真下にあったのは、水が満たされた大きな水槽。
「…まさか……」
「そのまさかです。あ、身に付けていた物は服以外外してありますから、そこは大丈夫ですよ。それじゃあイリゼさん、お互いの為に…早めに気持ちを変えて下さいね?」
これからされる事を予想した事で、表情に動揺が浮かんでしまうイリゼ。そんなイリゼへアキはにこりと笑い…端末を再び操作した。
直後、イリゼの身体が揺れる。イリゼを吊るしている鎖が揺れ…今いる位置から下がっていく。
(いきなり、こんな事をしてくるなんて…!)
あまりにも危険な方法で女神を騙し、捕らえるような少女なのだから、何をしてきてもおかしくはない。そう思ってはいたイリゼだが、それでも焦りを抱いてしまう。しかし今のイリゼに状況を変える力はなく、すぐに足先が水へと触れる。脚が浸かり、胴が浸かり、首が浸かり…顔まで水が、到達する。降ろしていく鎖が止まる事はなく、イリゼは水槽の中に沈められる。
「ん…ぐっ……」
口を閉じ、息を止める。床に繋がれていると思われた脚の鎖は実際には水底の穴と繋がっており、腕の鎖が下がるのに合わせて、水底の穴へと巻き取られていた。それ故にイリゼは浮き上がれない。呼吸が、出来ない。
水槽ばかりに気を取られていて気付かなかったが、イリゼの足元以外の床も動いていた。しかしそちらは開くのではなく、階段状に変化しており…そこから降りたアキが、水槽の中にいるイリゼを横から眺めていた。
(不味い…流石に、これは…かなり不味い……)
イリゼの顔に浮かぶのは焦燥感。女神として幾つもの死線を潜り抜けてきたイリゼにとって、痛みや苦しみはそう恐ろしいものではない。だが、当然呼吸不可能というのは、苦しいで済む状態ではない。常人より遥かに長い間耐えられる事は間違いないが、無限に耐えられる訳ではなく、いつかは窒息してしまう。そうなればもう、我慢や気力ではどうにもならない。十全の状態であれば、呼吸不可でも何とかならない事もないが…女神の力を制御されている以上、それにも期待する事は出来ない。
「そうだ、言い忘れていました。イリゼさんの状態はしっかりとモニタリングしてますから、溺死の心配はしなくていいですよ?…聞こえてます?」
水槽の外から、イリゼをじっと見ながらアキが言う。水の中且つ正面は水槽で遮られている為に、女神のイリゼでもその声は辛うじて聞き取れた程度であり…だがアキの発言は、聞こえたところで何の意味もない。助言にならないその言葉は、聞こえていてもどうにもならない。
ただ耐えるしかない状況。イリゼは動かず、余計な事も考えない事で、少しでも酸素の消耗を減らそうと努めるが、少しずつ限界は近付いていく。段々と、身体の奥から苦しさが登ってくる。
「……っ、ぅ…!」
常人ならば疾うに窒息している程の時間が経つも、未だイリゼは耐えている。されど、着々と限界は迫っている。苦しさはイリゼを内側から襲い、じっとせずにはいられなくなる。それでも気力で堪えていたイリゼだが…苦しさは捻じ伏せられても、身体の限界は覆せない。ある瞬間、限界というラインを超えた瞬間、イリゼの視界は一気に狭まり……身体の自由が、効かなくなった。
「がぼッ!がっ、ぐ……ッ!」
身体がその動きを抑え込んでいた気力を跳ね除け、暴れる。もがいて、空気を得ようとする。だがどんなに暴れもがいても、浮かぶ事は叶わない。口を開こうと、周りにあるのは水だけであり、口に、喉に勢い良く水が入り込む。助かろうとした本能の動きにより、身体は余計に窮地に立たされ、一層もがく。一層悶える。
今のイリゼは側からは、腕も脚も伸ばしたままで肢体をくねらせているだけ、奇妙な動きをしているだけにしか見えない。されど本人は必死の必死。酸素を求め、本能の全てがただそれだけを求め、それでも得られる事のない救いを前に、イリゼの意識は闇へと落ち……
「──ぶはぁっ!?はぁッ、はぁッ、ぇぐッ…ぅあ…ッ!」
……その直前で、引き上げられる。寸前も寸前、意識不明の瀬戸際で鎖は急激に巻き上げられ、イリゼの身体は水槽の外へと持ち上げられた。
考えるより先に、身体が酸素を取り込み始める。大口を開け、肩を揺らし、胸元を上下させて激しく呼吸を繰り返す。
「やっぱり女神って凄いんですね。ここまで長い時間沈んでいて、漸く窒息するだなんて。もし本来の力が出せる状態なら、もっと長く息を止められていたりするんですか?」
「くぁ、はぁっ…こんな、事…しても…私は……」
「神生オデッセフィアは渡さない、ですか?分かっていますよ。イリゼさんは、こんな程度で根を上げるような女神じゃないですもんね」
問いに答えがなかった事を気にする様子もなく、階段状になった床を上がってイリゼの近くにまで来たアキは言う。イリゼが黙れば、アキもまた黙り、沈んでいた時と同じようにイリゼを見つめ…暫くしたところで、再びタブレットを操作した。
それにより、再度鎖は降り始め、またイリゼの身体は水槽の中へと沈められる。幸い…かどうかは怪しいが、時間があったおかげでイリゼの呼吸はある程度整っており、おかげですぐに苦しみがぶり返すという事はなかった……が、当然状況は変わっていない。二度目もまた、沈められ、時間が経ち、イリゼは耐えるも息が続かなくなり、苦しみながら水中で悶える。逃れられない呼吸困難に意識が遠退き、されど完全に意識が失われる直前で引き上げられる。
「くはぁっ!はッ、ぐっ…げほげほっ…!」
「まさかまだ、限界だったりはしませんよね?」
「…ふッ…ぁふッ…貴女から、すれば…早く、折れてくれた方が…いいんじゃ、ないの…?」
「そうですね。でも、女神が簡単に折れてしまうというのは、一人の人間として悲しいものがありますから」
不可解さを滲ませた顔でイリゼは問うも、アキはあっさりと返す。その後は暫し待ち、またイリゼの呼吸が整ってきたところで、水槽へと沈める。沈め、窒息の直前で引き上げ、回復するのを待ってから沈める…三度、四度とそんな水責めを、アキはイリゼに繰り返す。
「…ふ…ぅ……(どういう、事…?)」
幾度目かの水中。一秒でも長く耐える為には、極力思考しない事が必要になるが、ただ耐えても意味はないのだから、とイリゼは考える。
一体何故、アキはこのような責めをするのか。水に沈めるという容赦ない方法を取っておきながら、どうして毎回呼吸がある程度回復するまで待った後水の中に戻すのか。単に追い詰めるだけなら、まともに呼吸をする余裕も与えず苦しませ続けた方が良い筈なのに、そうしないのはどういう事か。脱力しながらイリゼは考え…一つの予想を導き出した。
(もしかして、慣れてない…?…なら……)
思い付いたのは、慣れていないという可能性。苦しむ姿を見る事も、苦しませる事も慣れていない、それ故に多少なりとも心が痛むのであれば、毎回回復する時間を挟んでいる事も理解が出来る。心を折るではなく、折れてくれるよう願っているという事ならば、まだ苦しんでいる状態の相手をそのまま再度沈める事に抵抗があってもおかしくはない。加えて慣れていないなら、判断を誤り取り返しのつかない事になってしまうのを恐れている…という事もあり得る。機械でモニタリングしていたとしても、一抹の不安を拭えず、それが回復の時間を与える事に繋がっているという事も、十分に考えられる。
そしてこの見立てが当たっているのなら、付け入る隙はある筈。そう思い、イリゼは我慢の体勢に入る。毎回苦しくはなるものの、まだまだ心は耐えられる。耐え続ければ、可能性はある。故にここから考えるべきは、意識するべきは、隙が生まれた瞬間に彼女を無力化する算段と、そのパターンを幾つも考えておく事。イリゼの意識は、苦しみを耐える事から、この水責めを乗り切った後の事へと移行し始め、身構える事への意識が薄れ始めた、その瞬間──全身を、電流が駆け抜ける。
「〜〜〜〜ッ!?がぼっ、ごぼぼぼぼぼぼッッ!!?」
一瞬で身体中を駆け巡る、内側から刺されるような痛みと衝撃。微塵も想定していなかった痛みに、衝撃に、イリゼは仰け反り空気を全て吐いてしまう。
予想だにしなかった痛みと、思わず吐いてしまった息。一気に空気がなくなった事で、急速に苦痛が襲い掛かる。だがそれ以上に、イリゼはパニックになっていた。理解が追い付かず、訳も分からないままに苦しみが押し寄せ、もがき暴れ回ってしまう。
ただでさえ空気を吐き出してしまったという状態で、更に暴れればどうなるかなど明白。余計に苦しく、余計に辛くなり、一層パニックとなる。苦しい、苦しい、解放されたい、空気が欲しい。なのに上がらない、必死になって動いても、滅茶苦茶に身体を動かしても、一呼吸足りとも酸素を得る事が叶わない。苦しいのに、辛いのに、どうにもならない。そんな思考と感情が押し寄せ、苦しみとパニックで心身共に潰れそうになり……そうしてまた、イリゼは水槽から引き上げられた。
「ひぁふぅぅッ!ひゅー…!くひぅぅー…っ!」
これまでとは明らかに違う呼吸音。荒いだけではない、危険な呼吸。それは今のイリゼが、これまでより数段追い詰められた事の証明であり…アキは、小さく笑う。
「ふふ、流石のイリゼさんも、水に沈められて息の出来ない状態で電流を流されたら、耐え切れなくなってしまうんですね。あ、念の為結構強めの電流にしたんですけど、それはどうでした?窒息の苦しみと比較した場合は、どちらの方が辛かったですか?」
「はぁッ…くぁ、ぁぁ……っ!」
「イリゼさん?聞こえてますか?聞こえてないんですか?」
追い詰めたところで取引に応じるか訊くでもなく、恫喝して更に心を追い詰めるでもなく、まるで実験の結果を確かめているかのような問い掛けをするアキ。一方イリゼは答えられるような状況ではなく、ただただ嗚咽の様な呼吸を繰り返す。
そんなイリゼに向け、アキは再度呼び掛ける。だがイリゼが反応してくれないと分かると、少し考え…しかし何かをするでもなく、離れた。離れてまた、手にした端末を操作する。信号を受け、これまでよりもゆっくりとだが今一度鎖が下がり始める。
「……っ、ぁ…!ま、まだ……」
「はい、まだやりますよ?まだまだイリゼさんは、折れてくれそうにないですから…ね」
恐らく初めてイリゼが見せた、恐れの表情。如何に痛みや苦しみに慣れている、苦難や逆境を幾度となく乗り越えてきた経験のある女神といえど、辛いものは辛いし、余裕がなくなれば狼狽もする。今のイリゼの反応は、そういった事実を示すものであり…アキは、内心喜んでいた。まだ先は長そうだが、確かにイリゼには『効いて』いる事に。そして…これまでなかったイリゼの顔を見られた事に。
(まだ、息が整ってもいないのに…っ!)
ここまでは毎回、それなりに息が整う程度の時間があった。だからこそ、勝手に「限界まで耐え、引き上げられれば、多少回復をする事が出来る」とイリゼは思っていた。だが、それが覆った今、イリゼは落ち着いてなどいられない。
イリゼは身を捩る。手首足首を動かし、枷を外せないかととにかく試す。そんな程度で外れる訳がないとは分かっているが、すぐに迫り始める呼吸出来ない苦しさから逃れるように、闇雲に試す。
「逃げようとしても無駄ですよ?それ位イリゼさんも分かっていますよね?それに…これがある限り、いつでもまた同じ事が出来るんですから」
そう言って、眺めるアキは水槽の外から自身の首を指し示す。しかし勿論アキの首には何もなく、あるのはイリゼの首の方。そのジェスチャーによって電流は嵌められた首輪から放出されているのだと分かったが、外せない、触る事すら出来ないのだから分かったところで全くの無意味。
と、そこでまたアキは手にした端末に指を近付ける。見えたイリゼは反射的に身構える…が、呼吸不能の苦しさが増していくばかりで、電流は全く以って流れてこない。待てど暮らせど何も起きず、困惑したイリゼはもっとよく見ようと目を凝らし……
「ふごぉ"ほお"お"お"お"お"お"ぉ"ぉ"ッッ!!」
困惑した瞬間…意識が目を凝らす事へ向き、身構えていたイリゼの身体が緩んだ瞬間に、二度目の電流がイリゼを打った。再びの不意打ち
、再び全身を駆け巡る強烈な電流に、イリゼは背中が弓なりになる程悶え、碌に残ってもいなかった酸素は全て泡となって消え、また苦しさのあまり滅茶苦茶に暴れては身を捩る。苦しさが限界を超え、意識が奪われる…となる寸前に、今回もまた引き上げられる。
「ぶふぁぁっ!げぼがっ、ごほッげほッ!」
「…もしかして、水を飲んじゃったんですか?…不味いですね…この水、体内の消化液と混ざると身体なんて簡単に溶けちゃうような強酸に変わるのに……」
「……っ!?そ、それほ…げふごほッ!」
「…なんて、嘘です。これはただの水なので、飲んでも大丈夫ですよ」
さぁっと顔が青くなり、咽せているにも関わらず訊き返そうとした、結果まともに言葉を発する事も出来なかったイリゼに対し、あっさりとアキは返す。余裕のなさ故に簡単に手玉に取られたイリゼが唖然とする中、今度もアキは端末を操作しイリゼを水槽の中へ沈めていく。
そうして水責めに加え、電流責めもまた繰り返される。巧みにイリゼの警戒を躱して流される電流によって毎回イリゼは全て酸素を吐き出させられ、苦しみもがいた末に引き上げられてもすぐに戻される為どんどんと限界までの時間は短くなり、イリゼから苦しくない時間が消える。考える余裕など完全に消え去り、苦痛だけが残ってイリゼを苛む。
(早くっ…早く早く早く早くぅぅぅぅ…っ!)
気付けばイリゼは、いつ来るか分からない電流に心を追い立てられながら、ただただ引き上げられる事だけを待っていた。それが一瞬の気休めにしかならないと分かっていても、頭の中はその気休めを得る事で一杯だった。
幾度も繰り返された水責めと、幾度目かの電流責め。耐えようにも耐えられない、状態的に耐えようのない電流で元々碌になかった酸素を吐き出し、もがきながらイリゼは引き上げられる。だが、これまでとは違い、今度は途中で止まる。顔が水面から出る前に、上昇が止まってしまう。
「──っっ!?〜〜〜〜っ!」
「そういえば、あれはどこだったかな…」
何故?どうして?苦しみに暴れながらイリゼはアキへと目をやるが、端末を操作し上昇を止めた様子のアキはわざとらしく背を向ける。イリゼの視線に、気付いていない振りをする。
このままでは、すぐに窒息する。いや既にしかけている。そんな状況で、思考もままならない苦しさの中で、イリゼは身体も心も酸素を求め…考えるより先に、上を向いていた。必死に身体を伸ばし、顔を、唇を水面へと突き出し、ただ一心に酸素だけを欲して……辛うじて、僅かに口が水から出る。イリゼはぱくぱくと口を動かし、何も考えずただただ空気を体内に取り込む。
「くぁっ、ふっ…ぁぶ、かはっ……!」
水面が揺れ、何度もに口の中に水が入る。その度にイリゼは咽せ、えずき、それでも必死の思いで呼吸を繰り返す。
そんなイリゼの姿を、ちらちらとアキは振り向いて見る。屈辱的で、あまりにも情けない…強く凛々しく威風に満ちた女神の姿とは真逆の今のイリゼを、気付かれないようにしながら何度も見る。だが当のイリゼは酸素を得る事に必死で、アキの方など見ていなかった。見られるような状態ではなかった。
「はっ、ぁっ…ぁあ…っ!あぐっ…がぼぼがっ…!」
満足に深呼吸も出来ない状況で、何度も何度も呼吸を繰り返して失われた酸素を取り戻そうとしていたイリゼだが、それすら途中で阻まれる。もう少し、もう少しと心が求める最中に鎖が動き、ほんの少しだけイリゼの身体は下に落ちる。
普段なら、何もない状態であれば、大した事のない下降。しかし位置の上では僅かな差でも、ギリギリ水面に口を出せるのと、ギリギリ水面に届かないのとでは、雲泥の差。そしてその差は、今のイリゼにとっては絶望的。
ほんの少し、本当に少し。だが、届かない。どれだけ身体を伸ばしても、突き出しても、微かに水面には……空気には、辿り着かない。
(だ、め…このままじゃ、今度こそ本当に意識が……)
段々と、身体に力が入らなくなっていく。伸ばしていた身体が元に戻り、水面が遠ざかる。これでは駄目だ、ともう一度イリゼは水面へと向かおうとしたが、既に身体の反応はなく…窒息により、これまで何度も危機に瀕していた、しかしこれまでは毎度繋ぎ止められていた意識が、その瞬間遂に途絶える。
されどそれも、ほんの数秒の事だった。イリゼの気絶を肉眼と機材とで二重に把握したアキは、端末へと指を滑らせ、電流を流す。今までよりも更に上の出力で首輪から電流を浴びせ、イリゼの意識を叩き起こす。
「……──っっ!!?がッ、あがッ、げほげほッぇぐっ…!」
声にならない…否、声の発せないままでの悲鳴を強引な意識の覚醒と共に上げながら、イリゼは鎖で引き上げられる。初めの頃のようにしっかりと呼吸が出来る高さにまで引き上げられ、咳き込む衝撃で鎖を鳴らしながら暫く咳と呼吸を繰り返すイリゼの事を、何も言わずにアキは見つめる。そうしてイリゼが喋る事が出来る程度にまで回復したのを見ると、アキは正面に立ち、小さな笑みと共に言う。
「イリゼさん。国を渡してくれる気に、なりました?」
「……断る」
悪意の感じられない…それ故に得体の知れなさを思わせるアキに、イリゼははっきりと返す。今のイリゼに、風格も威圧感も、およそ女神らしいものは何もない。一方的に苦痛を浴びせられ続けた、今も荒い呼吸を繰り返す、全身びしょ濡れのただの少女。それでもイリゼは、女神としての意思が生み出した微かな気力を全て注ぎ込み、真正面から断った。
そこで初めて、アキの表情が強張る。ただ拒否されたのではない…如何に身体は憔悴していようとも、心は微塵も折れる事なく返してきたイリゼの姿に動きが止まり…ならば、とまたイリゼを水中に降ろす。
「今更後悔しても遅いですからね…」
(何…?何となくだけど、これまでと何か声音が……)
鎖がイリゼを水槽の中へと沈めていく中での、アキの呟くような言葉。苛立ち、腹立たしさ…完全有利な立場にいる者らしからぬ、不快混じりのアキの声。しかしこの時、イリゼは声音の理由を、単に自分が応じないから…屈服させられていないからという理由だけではないように、もっと幼い「どうして言う事を聞いてくれないの」という感情でもあるかのように感じた。
だが次の瞬間、その事に疑問を抱いた次の瞬間、電流が迸る。それもこれまでのものを、更にイリゼの意識を無理矢理起こした一発とも一線を画する、正真正銘最大出力の電撃が迸り、水槽の中は眩い閃光で包まれる。電撃は水中にも拡散し、水槽の中を一瞬で占め、その光にアキ自身すら反射的に目を閉じる。
「〜〜〜〜っッ!?!──ッ!──〜〜ッッ!!?」
それは最早、相手の心を折り、従わせるようなものではなかった。電撃が貫き、駆け巡り、全身を突き刺し蹂躙する。イリゼは動かない、動けない。身体が痙攣し、自分の意思では指先一つ動かせない。
常人であれば、即死していてもおかしくない電流。それが今、イリゼを貫き、今も声すら上げようのない激痛を絶え間なしに味わわせ続ける。首輪から放たれる電撃はイリゼを内側から直接抉り、水中を拡散した電流がイリゼを外側から毛穴一つ程の隙無く嬲る。一秒が、一瞬が何十倍にも長く感じられる程の、窒息の苦しみなど緩く感じる程の苦痛の渦が囚われのイリゼを苛み続け……止まる。行いに、事象に対してあまりにも呆気ない、タッチ一つの操作で…指先のみの動きで以って、事も無げに止められた。
「……ぁ、が…──ぁ…」
鎖が急速に巻き上げられ、一気にイリゼの身体は水槽から出る。思考もままならないまま、本能的にイリゼは微かに口を開け…しかし次の瞬間、再びイリゼの身体は水槽に沈む。
あまりにも無慈悲な、ほんの一瞬のみの解放。流れ込むのは空気ではなく大量の水。飲み、咽せ、吐き出そうにもそこは水中。微かに、一瞬の内に口へと入った空気も纏めて吐き出されてしまい、既に限界点へ至っていたイリゼの視界は瞬く間に黒く閉ざされていき……電流によって、一瞬で白く染め上げられる。
思考が出来ない。身体も動かない。感じられるのは窒息の苦しみと、駆け巡る電撃の激痛だけ。それが続く。酸素枯渇による窒息で意識を失いそうになる度首輪からの電撃で無理矢理起こされ、しかし碌に呼吸も許されないまま水に沈められればすぐにまた気絶しかけ、そうなる度に電撃で以って強引に叩き起こされる。安らぎなどない、苦しみと痛みが交互に訪れ意識も心も抉り取っていくだけの時間。完全に反応出来ない、反応しない身となってしまえば楽だが、皮肉にも女神の強靭な心身はそういった形での解放にすら至る事が出来ず、苦痛が頭と心に焼き付いていく。
(…む…り……)
もう幾度目かも分からない窒息と電撃の隙間、ほんの一瞬だけ訪れる…結局苦しむ、むしろ僅かでも回復すれば余計苦しい時間が長引くだけという悪手でありながら、本能的に身体が微かでも空気を取り入れてしまう、束の間の浮上。その瞬間、イリゼは唇を震わせ、すぐさま鎖を引かれて沈められ、電流を浴びせられ……白目を剥いたイリゼの意識は、完全に消失した。するりと落ちるように、沼の中へ沈むように。
「……イリゼさん?」
気を失ったイリゼの身体に流される電流。依然として容赦のない、ただイリゼの意識を強引に覚醒させる為だけの電撃が流され、しかしイリゼの反応はない。電流によって身体が痙攣する事こそあれど、苦しみにもがく様子は微塵もない。
妙だと思ったアキは、今一度電流を出力。二度行ってもイリゼの反応が全くなかった為に、データを確認し…そこでやっと、イリゼが深い気絶の中へ落ちたと理解。起きないと分かるとアキはイリゼを引き上げ、完全に気絶してしまったところで漸くイリゼは責め苦から解放される。
「やっぱり凄いですイリゼさんは。こうまでしないと気絶すらしない、こうまでしても心が折れないだなんて……」
力なく吊るされる、ぼたぼたと水が落ちていくイリゼの頬に手を当てるアキ。当然イリゼからは何の反応もないが、アキはそのまま言葉を続ける。
「今日はここまでにしましょうか、イリゼさん。でも、まだたっぷり時間はあります。イリゼさんが分かってくれない限り、辛いのは続きますから…頑張って、耐えて下さいね」
要求からすれば、アキにとって耐えられるのは不利益な事。だがまるでそうではないかのように、アキの声は楽しげであり、嬉しげであり……それを示すが如く、意識のないイリゼの頬を撫でるアキの顔には、恋慕の表情が浮かんでいた。
そうしてアキは床を元に戻し、全身びしょ濡れのイリゼを用意しておいた服に着替えさせた上で、力仕事用の機械にイリゼを運ばせる。別室のベットへと寝かせ、もう一度頬を撫でる。これまでとは打って変わってイリゼを労わるかのようなアキの対応は、もしイリゼの意識があれば新たな困惑を抱いていたのだろうが…心身共に削られ、今も意識を失ったままのイリゼは、そんな事など知る由もなかった。
*
イリゼは跳ね起きる。寝汗…或いは脂汗によって服を身体に張り付かせながら、焦りと共に目を覚ます。
「……っっ!…あ、ゆ…夢……?」
見回し、そこが自室だと理解したイリゼは、数秒の間固まり…それから安堵と共に跳ね上げた上体をベットへと倒す。
頭の中にあるのは、拷問の一部始終。まるで本当に経験したかのような感覚に、薄ら寒いものを感じるイリゼではあったが、とにかく今はほっとしていた。
「よ、良かった…いや、良くないけど…全然良くないんだけども……」
思い出すだけでも苦しくなる、身体が思い出すのを拒否するような内容など、夢だったとしてもありがたくない。そう思ってイリゼは嘆息し…数秒後、改めて身体を起こすと朝の支度に取り掛かる。このまま横になっているより、動いた方が気が紛れる…そう思って、すぐに行動に移す。
(うん、夢だよ夢。…夢、なんだから……)
状況からして、夢であると考えるのが妥当。そもそも内容自体現実離れした部分があるのだから、夢であった方が自然。無理矢理ではなく、本心からイリゼはそう思っており……しかしどれだけそう思おうと、他の事に意識が移ろうと、どうにも気が晴れないままイリゼは一日を過ごす事になるのだった。
*
「…っていう夢でした、っていうね!夢の中で夢か!…をやってる入れ子構造っていうね!うわ紛らわしっ!凄く紛らわしっ!…というか、気絶した後の出来事についても夢の中で出てきたの、夢の中の私はどう思ってたんだろう…まぁ、夢っていきなり視点が変わってたり、夢の中じゃそれに疑問も抱いていなかったりするのが普通だけど…とにかく今回は紛らわし過ぎる……」