灰色のひめしずか 作:かわいそうなのでも抜ける猫
天守閣に辿り着いたリンク。
そのマスターソードの輝きに当てられたからか。はたまた、内側から自分を抑えつけていた者の心を、とうとう折ったからか。
謁見の間の天井に張り付いていたその繭は、青い光を瞬かせる。迸るその奔流に城は激しく掻き荒らされて、一部一部を崩落させていった。
それから目を守りつつ、きっと睨み続けるリンクに向けて。
ガノンは、とうとうその姿を現した。
ぼとりと、繭を破って外へ出る。リンクの前に君臨するかのように、その異形の姿を露わにした。
骸骨のような頭部。荒れ果てた森のように生える頭髪に、荘厳な長い顎鬚。
右手と思わしき腕には巨大な古代エネルギーの刃がついており、その他体中に青い爪を光らせる腕が散らばっている。
そして、腰から伸びたその体。巨大な膨らみから生えた脚は、まるで蜘蛛のよう。十本近く生えたそれを忙しなく動かして、ガノンはゆっくりとリンクの方へ歩み寄る。
「…………」
リンクは、ただ無言で剣を抜いた。青い光に満たされたマスターソードを握り、静かにガノンを睨んでいた。
そんな、ガノンの玉のような腹の中には。
少女が、死んだように眠っている。あまりの凌辱にとうとう耐えられなくなった姫が、ガノンの腹の中で触手に嬲られ続けていた。
目の前に、青い衣を纏った勇者がいる。
退魔の剣を携えて、最強の盾をその手にもって。過去に対峙した頃よりさらに強い力を感じ取り、ガノンは敵意を剥き出しにして唸った。
目の前に、怨敵がいる。
助けたい人が、その中にいる。
それでもリンクは、その剣を振ろうとはしなかった。
何故か?
背後から、凄まじいエネルギーが迫ってきていること。
それに気付いていたからだ。
「――――キャア"ア"アァァァァァッッッ!!」
まるで断末魔のような声だった。
城の周囲四方から、ガノン目掛けて放たれた極太の光。古代の叡智、神獣の援護射撃だ。それによってガノンは、まるで全身を洗われるようなの勢いで、その身を激しく削らしていく。あまりの衝撃に、城の天守閣は消し炭へと変貌した。
「――――ああぁぁっ!!」
その衝撃が、痛みに変わって。
痛みが、ガノンの全身へと伝わって。
そのガノンの痛みが、中に呑み込まれたゼルダにも流れていく。
「……あ"っ……な、何が……?」
百年間保ち続けていた意識を、ついに手放してしまった少女。
かと思いきや、恐ろしいまでの衝撃に叩き起こされた。神獣の砲撃の痛みは、全身の感覚が麻痺してしまうくらいに強烈だったのだ。
「あ……私……どうなって……」
ようやく、彼女は自分が気絶してしまったことを思い出す。
触手の凌辱にも、魔物の出産にも、健気に耐え続けてきたゼルダだったが、あのガノンの本気の凌辱には流石に耐え切れなかったようだ。
そうして、取り込まれて。ガノンの腹の奥で、彼女は一体どうなったのかというと────。
「……え……なに、これ……」
彼女の血管が、赤黒く染まっている。
右腕の先が、ガノンの赤黒い肉壁に取り込まれていて。その掌の血管を伝うように、腕に至るまで赤い筋が走っている。手首付近は、あのどす黒い色で腫れ上がってしまっている。
掌の感覚はなかった。まるで、ガノンと一体化してしまったかのように。自らの感覚は分からず、ただ焼けるような痛みだけを伝えていた。
はっと見やれば、そうなっていたのは右手だけではない。左腕も、両脚も、腰も腹も。至る所に怨念の肉が伸びて、彼女の体に牙を剥いている。繋げられた箇所は赤黒く腫れ上がり、心臓のように脈動していた。
ガノンが、ゼルダとの一体化を図っている。否が応でも、少女はそれを察してしまった。
「……ぁ……あ、あぁぁぁ……っ、いやっ、こんなの……っ、いやあぁ……っ」
雪のように白い肌。それを、穢れた怨念が染め上げる。
一つになろう。そう言わんばかりに、ガノンはゼルダをずぶずぶと取り込んでいく。このままでは、時間の問題だと。少女は恐怖に打ち震えながら、ただ叫んだ。
「……リンク! リンク……っ!」
それが、彼に届いたかは分からない。
しかし、彼は静かに剣を構える。青い光を限界まで湛える剣を構え、大きく振り抜いた。
「ギャアァッ!?」
剣の先から、弾け飛んだ光。回転する斬撃が実体化したようなそれが、ガノンの左目へと炸裂した。
それに、巨体が仰け反って。その隙を突くように、リンクは懐へと駆け出した。
「あうっ……!」
ガノンの左目の痛みが、ゼルダにも伝わってくる。
まるで目の奥をほじくられたような、そんな鋭い痛みだった。
それでも、ゼルダは耐える。必死に、耐える。
「……っ、わたしのことは、いいから……! ガノンを……っ!」
少女の健気な願い。
リンクは、それに呼応するかのように剣を振る。
森に封印されていたマスターソード。そこにかけられた古き賢者たちの試練も越え、全盛期以上の輝きをもたせたそれは、ガノンの体をスポンジのように斬り裂いていく。
まるで砲撃のように激しい音が響き、かと思えばどす黒い闇が血潮のように溢れ出した。
「……っ」
そんな血潮に濡れながら、リンクは大きく宙がえり。背後に跳ぶように宙がえりし、ガノンの反撃を躱す。
そうして生まれた隙を、彼は再び穿った。瞬時に持ち替えた、ガーディアンランス。細く短い棒が、展開した瞬間に青い刃に包まれる。それが、ガノンの懐に瞬いた。
「キャア"ァァッ!!」
激しい刺突に、怨念の一部が霧散する。
根元を穿つような乱打によって、弾け飛んだ一本の脚。弧を描いて引き千切られたそれは、砕けた角砂糖のように闇へ溶けていった。
がくんと、ガノンは体勢を崩す。足を抉られたことによってバランスが崩れ、大きく隙を晒して――――。
「せやぁッ!」
そこに叩き込まれる、鋭い一閃。
あまりの乱打に罅が入ったランスを、リンクは投げた。先程切っ先を当てた左目に向けて、その鋭い槍を矢に変えた。
「あぁっ……!」
吠えるガノン。悲鳴を上げるゼルダ。
痛覚を共有されたことによって、彼女の左目にも鋭い痛みが走っていた。
びくんと脈打つ、開けていられないほど強い痛み。少女の目は穿たれていないのに、充血するくらいの痛みに満たされる。
「……くっ、こんな、こんなの……っ、今までのものに比べたらっ、みんなの痛みに、比べたら……っ!」
少女は、歯を食いしばる。
負けじと歯を食いしばり、ただリンクのことを思い描いた。
リンク、勝って。
私のことは、どうか気にしないで。
あなたは、このハイラルの最後の希望。どうか、ガノンを。ガノンを打ち倒して――――。
「……貴方の勇気を、私は信じています……っ!」
弾けて、砕け散ったガーディアンランス。
それに目を貫かれ、恐ろしい唸り声を上げるガノン。
ガノンは、跳んだ。後ろに飛んで、ハイラル城の二の丸の壁へと着地する。
離れて戦おう、とでも考えたのか。距離を置いて、その手の上に激しい炎の塊を作り出して。さながら炎のカースガノンのようなそれを、リンクに向けて放り投げる。
ゆっくりとした軌跡だった。ゆっくりと、しかし確実に。
それはリンクへと迫る。濃縮された炎の塊が、彼を燃やさんと崩れた天守閣に触れた。
直後、炸裂。
一瞬で全てが吹き飛ばされ、大量の瓦礫が砲弾のように弾き飛ばされる。
轟音に轟音を重ねたそれが、灼熱の渦とどす黒い煙を吐き出して。
そうして生まれた、巨大な爆炎。生命の息吹も感じさせない、恐ろしいほどの熱。それを前にして、ゼルダは叫ぶ。
「リンク……っ、リンクーっ!!」
燃え尽きた。そう思ってもおかしくないほどの地獄絵図。
されど、炎の渦の奥から光が瞬いた。まるで、少女の叫びに応えるかのように。
炎のような色とは違う、どこか無機質な白い光。シーカー族の技術らしい、無機質ながらも温かい光。
爆発するような音が響く。かと思えば、黒い歪な何かが飛び出してくる。
その出で立ちは、馬とよく似ていた。されど馬ではない。車輪がついている。前脚と後脚の部分に、太い車輪が駆動している。
厳めしい鎧に包まれたそれは、頭部にその白い光を灯しながら。リンクを乗せて、荒々しい音を立てながらも加速した。
加速、次いで天守閣から飛び出したリンク。彼は焔に燃える盾を振り払い、その物体――マスターバイク零式の横に吊るした弓へと手をつける。
あの黄金のライネルから奪ってきた、鋭い刃が仕込まれた弓。獣神の弓と呼ばれるそれをもって、彼はバクダン矢を五本、その弦へと絡ませる。
「はっ!」
小さな掛け声と共に、解放。炎を燻らせるそれを、ガノンに向けて撃ち放った。
まるで、お返しとでも言わんばかりの射撃だ。
二の丸の塔を掴む怨念の足。その一つ一つを正確に射抜き、その足場ごと爆発させる。体の下から跳ね上げられて、ガノンは横転した。
そうして露わになったその腹に、リンクは剣を突き立てる。
袈裟斬りからの、切り返し。縦斬りへと繋げ、遠心力を乗せた回転斬りをも重ね合わせた。剣を振る度に血潮が舞って、その度に彼は頬を黒く染めるけれど。しかしそんなこともまるで気にせず、リンクは剣を振った。鬼神のように、ガノンの体をすり減らしていく。
「キャア"ア"アアァァァッッ!!!!」
猛烈な斬撃に、ガノンは吠える。
その体内のゼルダも、痛みに必死に歯を食いしばる。
「うっ……つぅ……っ!」
それでも少女は、リンクを呼び続けた。
彼の名前を、温かな彼の心を。
私はここにいます、と。貴方をここで待っています、と。
「くっ……!」
勢いよく起き上がり、ガノンは激しい反撃に出る。
体中から生えた小さな触手を展開。その先についた古代エネルギーの刃をもって、リンクを串刺しにせんと激しく大気を穿った。
それを、リンクはいち早く察知。横っ飛びで躱し、死角から伸びたものを転がって躱す。さらに追撃せんと風を薙いだ腕を、剣で切り落とし、盾で振り払い、連続バック宙で距離をとる。
この攻防に、流石のリンクも少しばかり息を上がらせていた。
一方のガノンも、既にかなりの力を削られている。神獣の砲撃を浴び、リンクの苛烈な斬撃に見舞われ、左目を深々と撃ち抜かれたのだから。
このままではまずい。そう判断したのだろうか。
ガノンは、大きく息を吸って──全身に、激しい魔力を迸らせた。
キン、と耳障りな金属音が響く。ガノンの体が、真紅に輝いた。
「あっ……熱っ……!」
直後、焼けるような熱さがゼルダにも伝わってくる。
赤熱化状態。さながらダルケルの加護のような力が、ガノンの体を覆っていた。
いよいよ本腰を入れた、とでも言わんばかりのそのオーラ。
正真正銘の最終決戦を前に、リンクもそっと腰のシーカーストーンを起動する。
「……古代兵装、展開」
「了解シマシタ、マスター。古代兵装、展開シマス」
リンクの声に反応して、シーカーストーンは無機質な声を放った。
瞬間、眩い青い光を解き放つ。
その様相は、さながらカースガノンが出現する時のようだ。青い粒子が集まって、流動体のように宙を走る。それがリンクを包み込み、一つ一つが古代技術の鎧へと変化していった。
黒い甲冑に、青い光を灯す装飾。強靭な足を覆う防具は、赤い紐によって固く結ばれて。兜には青い光を放つ眼のようなものが輝き、その装着の瞬間に彼の髪留めを引き千切った。ばさっと、金の髪が解き放たれる。
「――古代兵装、展開完了。状態、良好。問題アリマセン。殲滅対象、厄災ガノン。出力ヲ最大二設定致シマス」
そんな、シーカーストーンの呟きを掻き消すように。
ガノンは、紅蓮の大剣を振り下ろした。やかましい、とでも言わんばかりに、その大振りな切っ先をリンクに向けて打ち放つ。
「──はぁっ!」
それを、リンクは振り払った。左の籠手が展開し、光の膜を作り出す。その盾を持って、彼はガノンの斬撃を弾き返したのだった。
思わぬ衝撃に、ガノンは大きく仰け反って。その身を守っていた光を、弾かれたように失わせて。
リンクは、それを見逃さずに駆ける。足元にその光の膜を展開し、大きく跳躍。跳び上がった先から、ガノンの頭部を大きく斬り結んだ。マスターソードの光が、彼の顔に苛烈な軌跡を刻んでいく。
「ガアァッ!!」
憤怒に燃えるガノンは、再び赤い光を展開。その蜘蛛状の足を稼働させ、リンクから距離をとって。
かと思えば、凄まじい勢いで駆け出した。下がった分を埋めるように、その大振りな剣を振りかざす。
「リンク……っ!」
彼を案ずる少女の声。それに乗せられたかのように、彼はその身を翻らせた。
薙ぎ払われる斬撃。
その上を舞うリンク。
そうしてできた隙を、彼は急接近して埋める。
マスターソードを収め、腰に携えた一本の棒を持って。これまた巨大な刀身をもつそれ――ガーディアンアクスで、隙だらけのガノンの腕を叩き割る。
「グギャアッ!」
横払い、からの逆袈裟斬り。一度着地して、腰のひねりを生かした振り下ろし。舞う燕の如き飛燕斬り。
その四連撃は、ガノンの右腕を切り落とした。ぼとりと、その大剣が舞う。
「うあっ……!」
ゼルダの右腕にもまた、激しい痛みが走った。
自らの腕が切り落とされる、焼けるような痛み。その恐ろしいまでの感覚に、彼女は動悸が抑えられない。
「あ、あぁっ、あぁぁぁ……っ!」
一度折れた心は脆い。
少女の中に、ガノンより先に自分が死んでしまうのではないかという、恐ろしい不安がよぎる。
「リンク……っ」
その悲鳴が通じたのだろうか。
リンクは、はっとその手を止めた。右手を失い、恐ろしいまでに絶叫するガノンを前に、その斬撃の手を止める。
「……姫……っ」
殺意と憎悪を剥き出しにして、見下ろすようにリンクを睨むガノン。
そのガノンの腹から、黄金の光が溢れ出した。封印の力を溢すゼルダが、ゆっくりと押し上げられていく。
「……そんな、ところに……」
リンクは、少し顔を青ざめさせた。
今の今まで激しく刻んできた敵。その中に、彼女はいたのだ。彼が救うべき人が、怨敵の中にいたのだった。
「あぅ……っ」
押し上げられて、その表皮へと貼り付けられて。
四肢を背後の肉に呑み込まれた状態で、ゼルダは苦しそうに顔を歪ませる。
それは羞恥の念か、それとも絶望の色か。生まれたままの姿で、穢れに穢されたその体を曝け出され、少女はただ哀しそうに目を伏せた。
「リンク……。見ないで……っ」
「姫……っ!」
ようやく、探していた人を見つけ出した。
そんな思いで駆け寄ろうとしたリンクを、赤い照準が覆う。ガノンが呑み込んだ古代兵器。ガーディアンに備えられたようなあの砲台が、彼に狙いを定めていた。
「……っ」
「リンク……リンクっ!!」
わざわざ、ゼルダを見えるように押し出して。そうしてリンクを牽制しながら、照準を彼に向ける厄災ガノン。彼女を最後の最後まで利用しようと、まるで人質のようにリンクに見せつけていた。
このままでは、迂闊に手が出せない。いつもなら弾き返すそれも、目の前にゼルダがいるなら弾き返すことも不可能だ。万事休す、そんな言葉が最も似合う光景だった。
――――だが。
「……姫」
リンクが、そっと口を開く。
「……必ず、貴女を救います。だから、今は俺を信じて……その目を瞑っていただけませんか」
「……え?」
「俺を、信じて」
リンクは、笑っていた。
その兜を薄く持ち上げ、優しい笑顔を浮かべていた。
百年前の彼からは、想像もできないその表情。あの仏頂面はどこへやら、彼は随分と温かな表情で、ゼルダの冷えた心を溶かそうとしていた。
リンクが笑ったことは、もちろん驚きだ。でも、それ以上にゼルダは嬉しかった。
彼が、自分の醜態を見ても、見放さなかったことに。
はっきりと、救うと言ってくれたことに。
「……はい」
なんだか、胸がきゅっと掴まれる気がした。
温かいものが広がって、ゼルダはただふわふわとした気持ちが溢れ出して。どうしようもなく顔が熱くなるのを抑えられず、ただ小さな返事を溢してはギュッと目を閉じた。
リンクのことを、心の底から信じながら。
直後、砲撃が放たれる。
古代のエネルギーを凝縮したそれは、あらゆるものを灰に帰す超密度のエネルギーだ。それが、彼の体を粉砕しようと光るけれど――。
盾は使えない。故に、リンクは左手の盾を解放した。その光の膜は、盾の形状から一変、剣状の鋭い切っ先を描き出す。それをもって、彼はその砲撃を断ち切ったのだった。
ビームのように広がった光の帯を、斬って捨てる。猛烈な光が、このハイラル城に瞬いた。
背後に散った光が、火柱を上げる。崩落に崩落の波を、過剰なまでに重ねていく。
それでも、リンクは駆けた。ビームの衝撃で鎧を繋ぐ赤い紐が千切れ、纏った古代兵装が零れ落ちて。そうして露わになったあの青い衣を風に靡かせながら、その剣を深く構える。
右手に、マスターソード。左手に、何とか残った古代兵装の籠手と、青く光る古代の剣。
「はああぁぁっ!!」
その二本の剣をもって、彼は乱舞した。
大きく振り下ろした両の剣。それでゼルダの手を吸う肉を断つ。その勢いのままに突き刺し、中の肉を抉り出して。かと思えば両腕を交差させ、膨れ上がる肉を削ぎ落とすように薙いでいく。腰の回転も加えたそれは、まるで竜巻のよう。
ただ苛烈な斬撃の嵐がガノンの体を引き裂いて、無理矢理その身を引き裂いた。それも、一片もゼルダを傷つけることなく。
「姫っ……!」
深々と突き刺した古代兵装の剣。その柄を潔く離し、リンクは──とうとう、ゼルダの手をとった。
そうして、一気に引き寄せる。マスターソードの力によって怨念の
それ故、リンクが彼女を引き寄せれば、ガノンとの繋がりは軽々と剥がれていく。ぶちぶちと、嫌な音を立てながらも、ガノンはゼルダを手放した。
「……リンク……っ!」
そうして投げ出された彼女を、リンクはそっと受け止めて。その厚い胸板に包み込まれ、ゼルダは止めていた息を一気に吐き出した。
そこには、温かい息遣いがある。
そこには、温かな鼓動がある。
そこには、彼女を優しく受け止めるリンクの姿がある。
何度も、思い描いた光景だった。
しかしそれは、ガノンからの凌辱を耐えるために、心の中で描いた妄想に過ぎなかった。
でも、今は。今それは、現実となった。現実となって、今彼女を抱き留めている。
その事実を前に、ゼルダは涙を抑えることができなかった。久しく忘れていた笑顔が、彼女の中に湧き上がる。
「ちっ……!」
返せ、と言わんばかりに伸びる触手。
それをリンクは切り落としながら、ゼルダを左手だけで抱えて後退。
「……姫、最後の仕上げをしましょう」
「……はいっ!」
こんなに勇気が湧いてくるのは、いつぶりだったかな。
それとも、こんな気持ちは初めてなのかもしれない。
なんて考えながらも、ゼルダは右腕をかざす。
その手の甲には三つの三角形を並べた紋が浮かび上がった。
それと同時に、黄金に輝く光の波が溢れ出す。あまりの眩しさに、ガノンは悲鳴を上げてたじろいだ。
「はぁっ!!」
その隙をついて、リンクは駆け出す。
ゼルダを抱えたまま、光に眼を眩ませるガノンの懐へと滑り込んで。
そうして、右手を突き出した。唸るガノンの腹の奥へと、その剣を突き刺した。
「クギャアァッ!!」
リンクの右手へ、ゼルダも自らの右手を重ねる。
その瞬間、マスターソードが輝いた。あの青い光から、ゼルダのような金の光へと。
直後にその切っ先が膨れ上がり、ガノンを呑み込む波動の奔流へと変貌する。それによって全ての力を剥がされて、ガノンはまるで百年前の時のような、暗雲の塊のような姿となった。
「姫……っ」
「リンク……っ」
二人はそれぞれ、互いの手を握りながら。
全ての仇に。
自らを追いやった存在に。
自らを嬲り続けたその怨敵へと。
全身から振り絞った力の波をもって、虚無の彼方へとガノンを弾く。
凄まじい雄叫びを上げるそれを、光の渦で呑み込んだのだった。
反転。
収縮した光は、一筋の黄昏となり、やがて空に溶けていく。
ガノンは、跡形もなく消滅した。あの積乱雲のように巨大な怨念の塊も、退魔の光と封印の波動を組み合わせた切っ先には、抗う術もなく呑み込まれるしかなかったようだ。
あの怨念の姿は、もうない。
世界から闇が消えた。
どす黒い空は、ゆっくりと本来の色を取り戻していく。
――空は、どこまでも澄んでいた。
まるで厄災ガノンなんて、始めから存在していなかったかのように。
全ての闇が払われた、このハイラル城という廃墟。そこに舞い降りた鳥たちの、軽やかな鳴き声。
そのくすぐったい声が、剣を握る二人に、確かな夜明けを告げるのだった。
本編はもう少しだけ続きます。