あの後、俺は情けない事にサヨリに自宅まで送ってもらった。
歩いている途中、サヨリは「大丈夫」とか「きっと方法が見つかるよ」と、励ましの声をかけてくれたが、俺はそれに応えることは出来なかった。
それ以上に俺は、一人で舞い上がりながら、何も出来なかった自分の無力さを許せないでいた。
サヨリは俺が家に入るまで、門の外から見守ってくれていた。
俺はサヨリに振り向き、弱々しく声を発する。
「ありがとう、サヨリ……」
サヨリは苦笑いをしながら頷く。
ああ、クソ。本当に俺はなんて情けない奴なんだ。
家に入ると、俺はキッチンや風呂にも寄らず、自室のカーテンを閉め、ベッドに突っ伏した。
今日はもう何もやる気が起きない。
いや、明日以降俺は文芸部に顔を出す勇気すらない。
文芸部は唯一、ナツキの笑顔が見られる場所だ。
そこに俺が居てしまったら、きっとナツキの笑顔は失われてしまうだろう。
ナツキは俺たちには『忘れろ』とは言ったが、ナツキ自身が見られたくないものを見られてしまった事を忘れる事は出来ない筈だ。
そうだ……もう文芸部はやめよう。彼女の笑顔の為にも。
――俺は間もなく、意識を失う。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
――どうして?
声が聞こえる。ナツキの声だ。
ああ、俺が悪かった。俺は何も出来なかった。
ナツキを見捨ててしまった。
『何も出来ない』などという甘言に、心を許してしまった。
本当は、お前が一番苦しい筈なのに。
――どうして?
俺は『0』と『1』の空間に、またしても誘われていた。
目の前には、ナツキの姿がある。俯いていて、顔色は良く伺えない。
そして、その向こうには仮面の黒コートが立っていた。
「ナツキ? 何故ここに……」
「…………」
ナツキは何も答えない。
返答の代わりに、彼女の首から、グキャリリリリと。
何か硬いものを無理矢理捻じ曲げたような音がする。
「あ――そ、んな……っ」
ナツキの首は、曲がってはいけない方向に曲がっていた。
眼球はなく、ニタリと笑う口からは唾液と血が混じったものが、ダラダラと流れ落ちている。
――どうして?
ひたりと。ナツキだったものは、その足を一歩前進させる。
俺は思わず、後ろへ後ずさる。
しかし、それは目にも留まらぬ速さで、四肢をくねらせながら、目の前まで迫ってくる。
――どうして助けてくれなかったの?
人間離れした力で、それは俺の首を掴み、持ち上げる。
――息が出来ない。全身の力がみるみるうちに抜けていくのを感じる。
仮面はこのような状況にも関わらず、微動だにしない。
只々傍観するばかりで、驚くでも、嘲笑うでもなく、只々俺を見つめている。
こいつのせいなのか――!? こいつのせいで、ナツキは……?
徐々に視界が暗転していく。やがて、コキリという音がして、俺は完全に意識を失った。
◆◆◆
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◆◆◆
突然、視界が開ける。
暗闇の世界から、見覚えのない砂浜に俺は立っていた。
相変わらず、俺の前方には仮面の黒コートが立っていた。
一体、何がなんだって言うんだ――!!
怒りのあまり、俺は目の前のやつに叫ぶ。
「そんなにおかしいか!? 俺が諦めることが!!」
仮面の黒コートはやはり微動だにしない。
俺の怒声を聞いても、何の反応も示さない。
――本当に、馬鹿にされた気分だ。
「しょうがないだろ!? 俺はただの学生だ!! 何の地位があるわけでもない!! そんな俺が、彼女なんか助けられっこないんだ!!」
俺がそう言うと、仮面の黒コートは初めて反応を示した。
首をゆっくりと横に振る。
それが、俺の言葉に対する否定の意味なのか、憐れんでなのかは分からない。
そして、詩を出した時と同じように右手を俺に突き出す。
そこから眩い光が発生し、気がつくとその手には本が握られていた。
本を開いて、仮面の黒コートは中を覗き見る。
そして、どこからか羽根ペンを取り出し、サラサラと何かを書き記していく。
――Wake up.
俺は、本の中身を覗き見たわけでもないのに、仮面の黒コートが本に何を書き込んだのかわかった。
何故だかわからないが、頭の中に言葉が流れ込んできたような……そして、俺はそれに従わざるを得ないような強制力を感じる。
「な、にを、した……」
俺が言葉を発すると、仮面の黒コートは最初に顔を合わせた時と同じように、驚愕するような動きを見せる。
そして少し考え込んだ後に、深く頷き、また本に何かを書き記していく。
――You can do it.
また、文章が頭の中に流れ込んでくる。
『You can do it』……お前なら、出来る?
何を根拠に、こいつはそんなことを言ってるんだろう。
しかし、やはり抗えない強制力のようなものが俺の頭を支配していく。
こいつが俺の思考を奪い取ったのか、それとも――俺は心の中でまだ諦められないと思い込んでいたのか。
「……わかったよ、やればいいんだろ! ナツキを助ける――いや、助けたい!!」
仮面の黒コートは深く頷く。
そして、振り返って水平線を指差すと、ゆっくりと朝日が顔を覗かせる。
この世のものとは思えない程、綺麗な朝日だ。
――S.
……? 『S』ってなんだ?
相変わらず、仮面の黒コートは朝日を指差し続けている。
朝日は段々とスピードを速めながら昇っていき、砂浜を光で包み込んでゆく。
俺はその眩しさに、つい腕を翳してしまう。
仮面の黒コートは、陽を指差すのをやめて、改めてこちらに向き直す。
そして、俺に向かって手を差し出してくる。
その姿が一瞬だけ、サヨリと重なって見えたような気がした。
すぐに目の前が真っ白な光に包まれ――。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
「――あ」
俺は日の射す部屋で目を覚ます。
あんな事があったのに、普通に寝られてしまう自分の神経を疑う……。
頭を掻いて、寝惚け眼で目覚まし時計を覗く。
針は、午前10時を指していた。
「……10時!? 遅刻じゃないか!?」
急いで身支度を済ませて、階段を駆け下りる。
すると、何故かキッチンから足音や、何かを物色しているような音が聞こえてくる。
クソッ……こんな時に、泥棒か!?
そろりそろりとキッチンへと続く扉に近付き、静かに扉を開けて中を覗く。
「……サヨリ?」
「ん、あ。おはよ!」
サヨリは、何事もなかったかのように振る舞い、鍋をコトコト煮込んでいる。
「おはよ! じゃない。何でお前が俺の家のキッチンに居るんだよ」
「えへへ?。だって今日、君を通学路で見かけなかったんだもん。私を置いてくことはまずないから、もしかしたらって思って」
「サヨリ……」
そうか、俺を心配して来てくれたのか。
昨日はサヨリも何も出来ずに辛かった筈なのに、俺ばかり落ち込んで……やっぱり、サヨリには助けられてばかりだ。
お礼を言わないと。
「――ありがとう。だけど、その腐った根性を叩き直すために、今度からは構わず置いてく事にするよ」
努めて普段通りに、サヨリに精一杯の感謝を伝える。
サヨリは「なんでなんでぇ?!?」と情けない声をあげながら、涙目で俺の胸を両手でトントン叩いてくる。
「ところで、鍋で何作ってたんだ? 丁度腹が減ってたところなんだ、が……」
俺は鍋を覗き込んだ事を後悔する。
そこには、漆黒の闇が広がっていた。混じり気のない、純粋な闇。
そして、鼻腔を掻き毟るような鋭い臭い。
きっと宇宙を研究している学者や学会に、『ダークマターを発見しました』と提出すれば、ノーベル賞が貰えるだろう。
「……何を煮込んでるんだ」
「えへへ?。ほら私、そんなに料理出来ないからさ。カレーくらいなら作れるかなって」
「カレー……黒カレー……?」
目の前にあるものは黒カレーというか、『黒』そのものなんだが。
うちには一般的なスーパーで買える、普通の材料しかなかった筈だが、一体どんな料理過程を辿ればこんな暗黒物質が生成できるのか……。
「はあ……味見したのか?」
「してないよー?」
「してないよー? じゃないよ、バカ! ええい、もういい! サンドイッチ作ってやるから座って待ってろ!!」
サヨリの肩を掴んで、ダイニングまで押し進めていく。
サヨリは訳もわからずといった感じのまま、椅子に座る。
「カ、カレー……」
「気持ちはとても嬉しいが、あれはカレーじゃない。これ以上ウチの台所で黒魔術の実験は禁止だ」
「ご、ごめん……」
サヨリは申し訳なさそうに俺を見上げる。
俺はバツが悪くなったので、サヨリの頭をワシワシと撫でて誤魔化す。
台所に戻って、まずは鍋の火を消す。
鍋に蓋をして、シンクに置いておく。
冷蔵庫の中に残っていた材料をすべて取り出し、台所のうえに並べる。
今日の帰りは、スーパーに寄らなきゃな……。
そして、出来るだけ素早くサンドイッチを作り上げる。
出来たサンドイッチを、二枚の皿の上に乗せる。
俺は一つ、サヨリは三つ。
サヨリは大食いなので、これくらい無いと足りないのだ。
いや、これでも足りるかどうか……。
サンドイッチとオレンジジュースを持って、ダイニングまで戻る。
サヨリの前にサンドイッチを置くと、感嘆の声を漏らす。
ただのサンドイッチでも、彼女にとっては立派なご馳走らしい。
俺も自分の分を持って向かいに座って、手を合わせる。
その頃にはサヨリは、もうサンドイッチに手をつけていた。
「なあ、そういえば今日学校どうするんだ? 俺は一応午後から行くつもりだけど」
「君が行くなら、私も行くよ?。ナツキちゃんの様子、見に行くんだよね?」
サンドイッチを口に運ぼうとする手を、ピタリと止める。
もうこいつには何でもお見通しらしい。
「――俺はナツキに何も出来ないかもしれない。けど、なんというか……ほっとけないだろ。同じ部員としてさ」
「そだねえ……でも本当にそれだけ?」
「ど、どういう意味だよそれは。それに俺はナツキと約束もしたんだ。『パフェ・ガールズ』2巻の感想を、あいつと語り合わなければならない。俺はナツキの数少ない同士だからな」
同じ趣味を共有出来る人間は、一人でも多い方が良いに決まってる。
それだけで、ただ心を休める時間から、楽しく過ごせる時間になるなら尚更だ。
俺の唯一の趣味を活かせる時が来た――。
「『パフェ・ガールズ』かあ。うんうん、貸した甲斐があったなあ」
「そうだな。共通点を作ってくれたのは、サヨリと言えるかもしれない。サンキューな」
「えへへ。もっと褒めてくれてもいいのだよ??」
「チョーシに――いや、今回は良い。……なあ、サヨリ。この後も、ナツキの事を助けるの、手伝ってくれないか?」
サヨリは、ニコリと微笑む。
「ん……もちろん! ナツキちゃんも、君も、私の大切な友達だから。二人の悲しむ顔、見たく無いの」
「サヨリ……ああ。ありがとう」
「だから、二人でがんばろ!」
「ああ、頼むぜ。相棒!」
俺たちは、固い握手を交わす。
こんなにも頼れる相棒が、すぐ近くに居てくれるなんて……俺はなんて、幸運なんだ。
待っていてくれ、ナツキ。必ず、俺たちがあの檻の家から、解放してみせる――!