※この作品はR-18です。

金毛獣の檻   作:あさ子

1 / 9
金毛獣の檻ー1

 

 足の甲を、獣の舌が這う。

 

 足首を、脛を、膝を。

 温かく、ざらざらして柔らかく、その軌道は空気に触れてひんやりと潤って。

 時折交えられる口づけもまた、違った柔らかさを持って優しく、私の中のなにかを喚起する。

 太ももをその唇が越えたところで、私は無造作に彼を蹴飛ばした。スカートの裾を上げようと、手を触れたからだ。

 足は脇腹の辺りに当たって、彼は体勢を崩す。

「手を使ってはだめだと言ったではないですか」

 赤い眼差しは、そんな私に敵意を向けはしない。

「……申し訳ない」

 項垂れて許しを請う。

 この金色の獣は、私に従っているのだ。

 ギルガメッシュ。

 強く、美しい獣。

 それが今や私の飼育下にある。

「いい子にしていれば、また機会をあげます」

 足下に寄り添う金の毛並みを撫でると、私はソファーから立ち上がった。

 

 

 それは、いつから始まったのか。

 十日ほど前に決行されたその作戦は、思いも寄らない結果を招いた。

 

 

 

 

 

 

「おはよう、セイバー」

 居間へと足を踏み入れると、たくさんの美味しそうな料理を卓上に並べながら、彼が迎えてくれる。

 この衛宮邸で暮らす人間が今はふたりであるため、一時期よりはその皿数は減った。とはいえ、やはり朝から豪勢な食卓である。

「おはようございます、シロウ」

 二月の終わり。まだ寒い季節ではあるけれど、だんだんと春が近づいているのがわかるほどに、日差しはあたたかい。

 それは聖杯戦争という闘争が終わって、平穏を教授しようというこの状況に丁度当てはまるようだった。

 のどかで平和な、朝の風景。

 彼の手には、まだ痛々しい包帯があるのだが。

「シロウ、無理をしないで。何か手伝えることがあれば言ってください」

「ああ、大丈夫だ」

 目に入る彼の手には包帯が巻かれていた。

 令呪を隠すために巻いていた右手甲の包帯はない。そこに刻まれていた文様も綺麗に消え去っている。

「私だって教えていただければ、ちょっとした料理くらいは……」

「まあ、そのうち教えるよ」

「……私にはできないと思って台所を手伝わせずにいるのでは」

「そんなことないって! 朝はあんまり時間ないからさ、夕飯のときにでも一緒にやろう」

「わかりました。じゃあ朝は、お皿の片付けだけでも」

「助かるよ」

 それは、聖杯戦争の最中に負った傷ではない。

 聖杯戦争は終わったが、私たちは脅かされ続けている。

 彼の腕の傷も、おもしろ半分に、気まぐれに付けられたものだった。

 

 第五次聖杯戦争。

 冬木におけるその儀式は、すでに幕を閉じた。

 聖杯に私を除く六つの魂はくべられ、そして、その結果。私はここにいる。

 ブリテンの過去をやり直すことは間違いだ。

 第二の生をこの時代に受けることもまた、間違いであると、私は考える。しかし、そうしなければならない理由があった。

 ギルガメッシュ。

 あの男が、まだこの世界に残っている。

 第四次聖杯戦争において受肉している彼は、第五次聖杯戦争が終焉したことなど関係なく、この地に存在し続ける。

 私というサーヴァントを失ったシロウたちがどうなるか、簡単に想像できる。

 私はシロウとリンをギルガメッシュから護るため、この地に残ったのだった。

 

 箸を取ろうとしたそのとき、電話が鳴った。

 電話に出たシロウの表情を見て、すぐにわかった。それは私たちが待ち望んでいた、吉報を伝えるものだと。

 

 約束した皿の片付けも程々に、私たちは遠坂邸へと急いだ。

 

 

「リン」

 遠坂邸に着いたのは、私たちの方が先だった。リンは大きな荷物を引きながら現れ、家の前で待つ私たちの姿に気づいて手を振った。

「待たせたわね」

「遠坂、それで」

「ええ、大丈夫よ。理論は完成してるわ」

 イギリスから今朝方この地に舞い戻ったリンは、期待通りの成果を携えて来た。

 

 

 ギルガメッシュを倒す方法。

 それを私たちは幾度となく話し合った。

 残念ながら、私が真っ向切って勝負したところで、あの男は倒せない。倒せないならばと講じられたのが、この次善の策だった。

 結界内に彼を閉じ込め、封じる。

 倒す方法はゆっくり考えるとして、今まさに迫っている脅威を押し込める、火急の対策である。

 その結界の術式を完成させるために、リンはイギリスまで行っていたのだ。

 言峰綺礼が十年間、魔術協会に伝達することなく隠していた兵器。ギルガメッシュという男は脅威であり、魔術協会としても監視対象である。

 魔術協会の協力あって、この作戦はようやく実行に移されようとしていた。

 

 作戦の決行は、早ければ早い程良い。

 今この瞬間にも、私たちは危険に晒されているのだから。

 リンは結界の仕組みを一通り説明しながら、屋敷から必要なだけの……ほぼあるだけの宝石をかき集め、持ち出した。

 言葉もなく、私たちはただ早足に目的地を目指した。

 そう遠くはない距離。

 これから起こるであろう決死の作戦。

 約束した夕飯の準備を、私は手伝えるだろうか。

 でも、私が手伝えなかったとしてもリンがいるから……。そう考えて何気なくシロウに目をやると、視線が合った。

「セイバーは不本意かもしれないけど、でもな、こうなって良かったって、俺は思ってる」

 何のことを言われているのか思い当たらず、私は無言でシロウを見返した。

「セイバーがここに残ってくれて、よかったよ」

 彼には、私の考えていることがわかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 強力な結界は、その範囲が広いほど持続させることが困難になる。

 本当は、人ひとり分の面積だけを覆うことができれば、それが一番なのだ。だが、強大な魔術は発動までにそれなりの時間がかかる。その間に閉じ込めておける範囲を考えれば、自ずと答えが出た。

 言峰教会、その周辺をぐるりと覆う程度。

 それが結界の範囲であり、ギルガメッシュに今後許される、行動の範囲である。

 主を失った言峰教会には未だ後任はなく、その門は閉ざされていた。

 後任の派遣は、今後もないだろう。そのように魔術協会と教会の間には、合意がなされている手はずである。

 印を刻んで歩くリンの後ろをついて回る。教会の周りを一通り見ることになったが、荒れ果てた墓地や手入れのされない芝生がもの悲しく、肌寒い曇り空と相まって不気味だ。そして、最強の英霊を囲う檻としては、あまりにみすぼらしい。

 私は正面から教会を見上げた。

 あの男も、すでに襲撃には気づいている。易々と、ただ黙って閉じ込められはしないだろう。

 前準備が済み、いよいよ本格的に発動させようという段になって、私は身構えた。

 鎧を纏う。

 魔力を感知すれば、あの男も何らかの行動をする。結界の完成までこの教会内にギルガメッシュを足止めするのは、もちろん私の役割だ。

「セイバー、俺も行く」

「いいえ、あなたはリンを護ってください。私たちの目的に気がつけば、術者である彼女が一番に狙われるでしょう」

「発動には、そうね……十分。いえ、八分……」

「問題ありません。十分、稼いでみせます」

 

 気配をたどって、正面から礼拝堂を抜け、大広間から地下へと弧を描く階段を下る。

 敵陣の直中。あの男の手中には数え切れないほどの宝具が存在する。どこにどのような罠が仕掛けられているか、わかったものではない。

 それを承知の上で、あえて一直線に走った。

 教会の外を探るような猶予を与えてはならない。そんなことは全部後回しにして、まず防がねばならない脅威に、私はならなければならなかった。

 扉を開け放つ。

 当然その正面に立つような愚直は犯さない。

 壁際に身を寄せながら部屋を覗き、そして。

 ……気配の通りに、英雄王はそこに居た。

「な……」

 その光景、空気に、思わず構えを解いてしまいそうになる。

 ソファーに身を沈めて足を投げ出し、標的はグラスを傾けていた。

「来たか。セイバー」

 襲撃はわかっていたはずだ。ここから待避する時間はなくとも、戦闘準備をするほどの時間は十分にあった。

「……私を馬鹿にしているのですか」

 この部屋の空気それ自体が、彼を支持しているようだった。非常にゆったりとした雰囲気が、そこにはあった。

 どう考えてもおかしいのはこの男だ。

 それでいながらこちらが場違いであるかのような居心地の悪さ。

「我と差し違えて、折角の二度目の命をここで終わらせる気か?」

「そのために長らえた命です。惜しくなどない」

「そうか……。キリスト教徒は自殺は出来ぬらしいからな」

 だから殺されに来た、とでも言いたいのか。

 睨み付ける私の視線を受け流して、ギルガメッシュはワインをつぎ足した。本当に緊張感のない男だ。

「しかし、お前も折角この時代に残ったのだ。そう死に急ぐこともあるまい」

「戦う以外に、私がここに存在を許される理由などありません」

「誰の許可が必要だと言うのだ、くだらん。……だがまあ、それでも誰かの許可が欲しいと言うのなら、我がそうしてやろうか」

 ふざけたことを言う。

 この男の許可の元生きる、などと。

「支配の元で生きて、何の意味があると言うのです」

「支配を受けるのがそんなに苦痛か? それによって安寧を得ることもある」

「くだらない。私はそこまで落ちぶれてはいない」

 半ば売り言葉に買い言葉で言い返した後に、少しだけ自分の発言を後ろめたく思った。今後結界内に捕らわれて生きであろうる彼に、言葉が過ぎるような気がしたからだ。

 私の少しの動揺をどう取ったのか、彼が返答しようとしたそのとき、空気が変わった。

 魔術師ではない私たちが強烈に違和感を感じるほどの、強い波動。

「これは……」

 この事態には、流石にこの男も席を立つ。

「……結界が閉じる前に、お前は脱出するのだろうと思ったが」

 気づいていたのか。

 しかし、私が逃げるそぶりを見せないことから、まだ結界の成立に時間がかかると判断していたのだろう。その読みは外れ、もう残り二,三分というところだ。

 最初から私たちの狙いに気づいていたのに対処しようとしない、その慢心が徒となった。不愉快な内容ではあったが、長話は私に有利を与えたようだ。

 だが、ここからは武力でもって食い止めることになる。

 私は無言で剣を構えた。

 一方のギルガメッシュはこの期に及んでも、不敵な笑みを浮かべていた。

「共に封じられる覚悟、ということか」

「甘く見ないでいただきたい」

 ここが地下で良かった。

 窓という退路を考えなくて良い。

 ちらりと壁に沿って視線を動かし辺りを確認し、そう認識した瞬間。

 その一瞬の安堵。

 爆音。

 攻撃に備えるが、標的は私ではなかった。

 彼の放った剣は、部屋と部屋を隔てる壁を破壊した。

 瓦礫の中に人影は消え、大きな爆音がすぐ隣でもう一度鳴る。

「くっ……!」

 部屋を飛び出したときにはもう、彼の姿は階段の中程にあった。隣の部屋へと続く壁を破り、そこから廊下に出たのだ。

 私が愚かだった。退路はこの部屋の扉だけではなかったのに。

 階段の傍らの石像を踏み台にして、地上へと続く廊下を跳躍する。英霊として持ち得る身体能力ならば、ものの数秒。窓からの光が差す地上へと到達する。

 だが、敵もまた同じ能力を持っている。

 追いつかない。

 聖堂の出口へと続く直線で彼の後ろ姿を捕らえ、そこにストライク・エアを放つ。

 それを避けるためにギルガメッシュは最短ルートを外れ、僅かに距離が縮む。

 何秒、あと何秒だ。

 コンマ一秒でも多く稼がなければ。

 未来のために……!

 

 

 

「結界は球体。空中も地中も全て覆う」

 リンは道具を準備しながら、私とシロウにその仕組みを説明した。

「密閉する結界ではないわ。空気も水も、虫や他の生き物も出入りが可能よ。それじゃないと空間に与える影響が大きすぎるから」

「人間だけが出入りできなくなるということですか?」

「いいえ。あいつだけよ」

 リンが取り出したのは、何かの破片だった。

「これが金ピカを呼び出した聖遺物。これに含まれる情報から、あいつだけを特定してシャットアウトする」

 どろどろに溶けた宝石に、薄い虫の羽根のようなそれは、くしゃくしゃと千切って混ぜられた。

 ギルガメッシュのみに作用する結界。

 この方法ならば、私が足止めのために結界内部に留まっても差し支えない。……元より、いざとなればそうするつもりだった。共に閉じ込められても構わないと考えていた。

 リンもきっと、私がそうするとわかっていたのだろう。

 私を死なせはしないと。

 そう願って、彼女はこの結界を作った。

 

 私は二人に、答えなければならない。

 

 

 風の魔術を足に纏って、前進。

 もう届きそうなところまで背中に迫って、そこで外へ出た。

 教会を出て数メートルの敷地内、リン、そしてシロウが居る。

 金色の渦が湧く。

 目視するや否や、それは投擲された。

 剣だか槍だか、確認するよりも前に、ギルガメッシュを追い越して私は跳躍した。

 シロウとリンの眼前。

 その宝具を横に弾こうと、力の限り跳ぶ。

「……っ!」

 とどかない……!

 

 凶器がそのとき、不自然な挙動をした。

 二人の顔の直前でスリップするように矛先を滑らせる。

 見えない壁に阻まれたそれは勢いを殺しきれずに球面を滑り、火花を散らし、そして、舗装された白い地面に、カツンと落ちた。

 

 手の先の目標物を失った私は、伸ばした手をそのままに、リンとシロウの真ん中に倒れ込むようにして着地したのだった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。