「セイバー」
私を見て声をかけ、そして微笑む。
歓迎されているのだ。
私はこの男の敵であり、ここに彼を閉じ込めている張本人の、そのひとりなのに。
しかし彼が会話できる人間は今、私だけなのだから、そんな気持ちになるのも無理はないのかもしれない。
この部屋も大分雑然としてきた。
雑誌の他にもパズルやら空いた酒瓶やら、他の部屋から集められたものが散らかっている。
「少しは片付けたらどうですか」
「む…………。我が掃除など……」
「まさか十年間掃除もしなかったわけではないでしょう」
「……今まではコトミネがほとんどやっていた」
そう言って目をそらすのは、どういう含意なのか。
身の回りのことを任せきりにしていたせいで出来ないという、その気まずさなのか。それとも、亡くなった人物の話に対する躊躇なのか。
「……そうですか」
同居人を失い、この敷地内に閉じ込められ、王であった身には到底似つかわしくない雑然とした部屋で、ひとり弱っていく。
ぼんやりと頭に浮かんでしまったストーリーは、なんとも後味の悪いものだった。
……ましてや私は加害者だ。
昼を過ぎて、外は明るい。私は窓を開け放った。
「寒いではないか」
「換気も必要です」
机と床の別もなく詰まれた雑誌や本を、なんとなく見栄えの良いようにサイズをわけて整理する。
これくらいはしてやっても良いだろう。
それを見てか、彼も酒瓶を集め始めた。
「ごみは出しておいてあげます」
「助かる」
私だって得意分野なわけでは全くないのだが、その日は部屋の掃除に時間を割いた。
大人しく黙々と、彼もそれに倣った。
……しかし。
このように過ごしている彼には、何か報いなければならないような、そんな気になってくる。
受肉した体を持っているのに関わらず、ギルガメッシュは飢えることもない。きっと彼の宝物庫には食料など山ほどあるのだろう。
でも、何か持って行ったら喜ぶかもしれない。
「おかえりなさい」
出迎えたのはサクラだった。
「サクラ、来ていたのですね」
居間でお茶を飲みながらシロウとくつろいでいる。その姿を見るのは久しぶりだ。
ギルガメッシュの襲撃がいつあるかわからないという状況では、戦えない人間は、この家から極力遠ざけられていた。
「セイバー、おかえり」
シロウが私の分の湯飲みを持って台所から出てくる。
サクラがここに居ることは、シロウがすでに危機は去ったと、そう認識している証拠でもある。
認識が甘い、とシロウを咎めるべきか。
「ただいま。お茶ありがとうございます」
迷ったが、今し方一緒に部屋の掃除をした彼のことを思い出し、その言葉を飲み込んだ。
当面、危険はないだろう。
卓上に目をやると、色鮮やかなチラシが何枚も置かれていた。
「……旅行? でしょうか?」
大きく書いてある拾える文字は、どうやら国内外の様々な地名だ。
「はい。春休みに旅行もいいかなって話してたんです」
なるほど。
それも良いかもしれない。
サクラもリンもシロウも、普段は争いごとなどには関わることのない学生なのだ。聖杯戦争で心身共に摩耗したことだろう。ここで一度、羽を伸ばすために旅行に出るのもいいかもしれない。
「良いのではないですか」
私がそう言うと、二人は顔を合わせて大げさに喜んだ。
「セイバーがそう言ってくれてよかったよ」
「ええ。この一ヶ月ほどは大変だったでしょう。留守の間は私に任せて、ゆっくりして来てください」
「え」
何か変なことを言っただろうか。
「いや、そうじゃなくて」
「……?」
「セイバーを旅行に連れて行きたいなって、そう話してたんだ」
「私、ですか」
まさかの返答。
私に休息を、という話だったのか。
驚いたが、有り難いことだ。
今までは戦闘の指揮を執るのは王である私であって、兵を労う立場だった。シロウたちに対してもそんな気持ちがあったのかもしれない。しかし、聖杯戦争においては私は兵だ。労われる側の立場なのだ。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
硬直していたシロウとサクラが、ほっと胸をなで下ろす。
「立派な考えです。シロウが兵を大事にする良きマスターであることが誇らしいです」
「ええと、褒められるのはうれしいけど……やっぱり何か違うかな……?」
「何がです?」
「あの、セイバーさん」
おずおずと答えたのはサクラだった。
「私たちは、セイバーさんがこの時代で楽しめるものがあるといいなって。それで、まずは旅行にでも行って、色々なものを見るのがいいんじゃないかと思ったんです」
「楽しめるもの……」
趣味とか、そういうものだろうか。
「セイバーは、何かしたいこととかないのか?」
「したいこと……ですか」
「ああ。何でも言ってくれ」
「ううん……すぐにはちょっと、思いつきませんね」
「そっか。なにか浮かんだら、いつでも言ってほしい」
「ええ。二人とも、ありがとうございます」
二人の気遣いが、とてもうれしい。
……その一方で、私の中に何か煮え切らない、何とも言えない違和感があった。
「セイバー。今日は早いな」
「そうですね」
教会に着いたのは、正午の頃だった。いつもならば様子を見に行くのは午後なのだが、今日は少し早い。
「サンドイッチを持ってきましたが、食べますか」
その理由は、商店街のちょっとおしゃれなベーカリーで買って来た、これである。白い手提げ袋から茶色い紙袋を取り出し、中身を見せた。
フランスパンに色取り取りの具材が挟まれた、見た目にも豪華なサンドイッチだ。
とは言っても商店街で売っていたものだし、ギルガメッシュは一笑に付すかもしれないが。
しかしまあ、それならそれで私が食べれば良い。昼食は早めに食べてきたが、まだまだサンドイッチくらいは余裕で入る。
「ほう。……いただこう」
思いの外素直に、彼は受け取った。
「多いな。ひとつで良い」
「そうですか」
自分を基準に二個買ってしまったが、一般的には多かったかもしれない。
「どちらが良いですか」
「……これにしよう」
野菜と鶏肉のあっさりしたサンドを選んで、彼は包みを開けた。返ってきたのはローストビーフサンドで、私が食べたかった方だ。
私もソファーに腰掛けて、ラップをはがす。
市販の品は家で食べるものより味付けが濃いが、これはこれで美味しい。あっという間に平らげて隣を見ると、ギルガメッシュの方はまだ半分ほど残っていた。
「セイバー」
「はい?」
なんだろう。味に対する文句なら受け付けないが。
不意に、顎の辺りに彼の手が触れた。
「ついている」
「え」
ああ、ソースで口元が汚れてしまったのか。
拭おうと手を伸ばすが、それより彼が早かった。顔が近づく。
唇の端に、感触。
舌で舐め取られたのだと気づいたその瞬間。
咄嗟に頬を張っていた。
乾いた音が響いて、はっとする。
紅い視線が一瞬鋭く、私を射貫いた。
息を飲む。
しかしそれは、まばたきをしたその瞬間に消え失せていた。気のせいではなかったのかというほど、その攻撃性は刹那のことだった。
「あ……っ、私……」
目を伏せた彼の白い頬が、赤みを帯びている。
それを見て、私の胸に罪悪感が芽生えた。仮に、例えば突き飛ばしたとしても、ぶつ必要はなかったのではないか。彼はずっと暴力的な態度を取らずに居たというのに。
「ギル……」
「申し訳ないことをした」
彼の口から出た謝罪の言葉に、私は耳を疑った。
「いえ、私こそ、このような……」
「許しを得ずに勝手な真似をして、飼い主に躾を受けただけだ」
「飼い主……?」
「そうだろう。今のお前は、我の飼い主だ。違うか?」
「それは…………」
飼い主、歴然とした力関係。そんな風にこの男を考えたことはなかった。
でも、確かにそうだ。
今、私はこの獣の、手綱を握っている。