作戦の開始は、夜半も過ぎた頃だった。
協会から要請を受け集結した魔術師の数は、私が感知できるだけでも数十人。現世においてこのような規模で戦闘行為が発生することはめずらしい。辺りに流れる不穏な空気は、開戦を控えた軍隊のそれだ。……とは言っても、魔術師たちは各々姿を隠している。一般の人々には、その存在は認識できないだろう。
我々も、その一員として言峰教会付近に待機していた。
結界のぎりぎり外。木陰に身を潜める。ギルガメッシュは結界外の気配を感知することはできないはずだが、視認されてしまえば元も子もない。
「……うまく行けばいいけど」
「そうだな……」
そう言いながら、皆一様に不安げな顔をしていた。
これだけの人数を動員して尚、勝利を確信できないのだ。
尤も、この人数で総攻撃を仕掛けるのかといえば、そうではない。大多数は、魔術の隠匿。イレギュラーの処理を担っていた。
結界はギルガメッシュの因子を遮断するが、他の魔術師の力を封じ込める性質は持っていない。威力が大きすぎて、結界の外にまで被害が及んだら。彼が防御するなどの影響を受けて、攻撃が逸れたら。また、それに伴う爆音や強光の発生が想定以上だったら。
それらを可能な限り事前に防ぎ、被害については迅速に修復、隠蔽する。
大多数の魔術師は、そのような考え得る被害の種類を細分化し、各々の部門で対応する者達だった。
「結界は……大丈夫よ、異常は……ないわ」
リンは教会の四方をしきりに見回って、せわしない。
結界の主である彼女は、当然それを維持する役割を担っている。協会には結界を専門とする魔術師もいるが、そういった面々ではなくリンがその役目を負うのは、誰かの魔術に他人が後から干渉することが難しいためだ。
「遠坂、うっかり結界に入るなよ」
「そんなヘマしないわよ! 失礼ね」
シロウもリンが動くのに合わせて、辺りの巡回に付き合っていた。彼はリンをサポートし、護衛する役割を引き受けた。
「それにしても、セイバーがこんな扱いで大丈夫なのか?」
「まあ、魔術協会にも沽券ってのがあるんでしょ」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
シロウの言う通り、私の命じられた役割は拍子抜けだった。
待機、である。
「魔術協会が私の手を借りたくないのもわかりますから……」
現世に残る、英霊という危険因子。
魔術協会は、本音を言えば私も排除したいに決まっている。ギルガメッシュのように表立って攻撃的な行動を取らないために、口実が見つからないだけだ。
それが、英霊を排除するのに英霊の力を借りるなど、彼らの指針に矛盾してしまう。
「でも予備戦力として待機はしててほしいって言うんだから、結局自信ないのかしら」
「セイバーが出ずに済むなら、それが一番かもしれないな」
「そうですね……」
私が動くことなく終わるならば、確かにそれが一番だ。
この動揺を抱えて、いつも通りに剣を振るうことは、到底できないだろうから。
開戦は、静かなものだった。
どこから現れたのか、一体の兵士。
一体の、というのは、その兵士が人間ではないのが明白だということだ。骨格のみで動く不気味な人骨。よく見れば、骨の形は所々がひしゃげたり、歪んで張り出したりしている。キャスターの竜牙兵を彷彿とさせる異形の戦士だった。
それが二体、三体と数を増す。
手にしている武器はそれぞれで、剣や斧のように見える。それもいびつな骨でできているため、形からの推察でしかないが。
「あんな魔術でどうしようって言うんだ」
シロウの見立ては正しい。中々高度な技術であり、木偶ではなく、人間の手練れの戦士くらいの力量は持っているだろう。だが、英霊を討伐できるかといえば話は別だ。
「囮? 注意を逸らそうって言うのかしら。とりあえず本命ではないわね」
辺りにはいつの間にか霧が立ちこめていた。
その不鮮明な靄の中から、兵士は次々と吐き出される。
術者や兵士の出所を隠すための別の魔術なのか、この霧自体が兵士を生成するものなのかはわからない。
兵士たちは敷地内にぽつりぽつりと現れ、そして、標的のいる教会へと向かって歩き始めた。
「すごい数ですね……」
「そうね……。あの兵士自体、場所を圧迫するためのものなのかも」
「閉じ込めるってことか」
場所、時間、対象。
条件が限定されるほど、威力の高い魔術が使えることは当然だ。
当時の状況を考えれば適切な面積だが、魔術行使の観点から見れば、リンの張った結界は少々大き過ぎる。
標的が移動できる範囲を減らし、極狭い範囲のみを狙って大魔術を放つ。
これはそのための布石だろう。
兵士はぞろぞろと教会内に詰めかける。玄関はもちろん、窓も破壊され、侵入経路となった。
建物の内部でどのような戦闘が行われているのかは見えないが、すでに身動きがとれないほど兵士が詰めかけているのならば、その作戦は成功と言えるだろう。
いくら注視したところで内部が見えるわけではないのだが、教会から目が離せない。
何ができるわけでもないのに、焦燥感に唇を噛み締めた。
「……っ」
そのとき、ギルガメッシュが二階の窓から躍り出た。
着地点を掃除するように一振りの剣が投擲され、それによって兵士達がなぎ倒される。舗装された白い面までもが半球のように抉られてしまったが、彼は難なくその中心へと舞い降りた。
その光景に、安堵の息を吐く。
そんな自分を自覚して、嫌気が差した。
「やっぱり、あのまますんなりは終わらせてもらえないみたいね」
「でも、身動きが取れないのは外に出ても同じじゃないのか」
兵士たちは増殖し続けていた。
それは地表を埋め尽くしただけでは留まらず、遂には他の兵士と折り重なり、踏み台にして縦方向にまで空間を圧迫する。
ギルガメッシュは時折背後の空間から武具を投擲してはその数を減らすが、埒が明かない。
シロウの指摘通り、外に出たところで最早地面に居場所はなく、ギルガメッシュは追いやられるようにして屋根の上にまで待避した。
「ちょっと、あれって……」
リンの声に、彼女と同じ上空を向く。
そこにあったのは、教会に覆い被さるような巨大魔方陣だ。
背中に汗が伝った。
魔方陣と長節詠唱。その猶予を稼ぐための兵士たち。
状況は完璧に整っている。
夜空に赤く透き通る魔方陣が、より一層輝く。
「ああ……」
私は目を伏せた。
直後放たれた一撃は、極狭い範囲を撃ち抜く高圧縮のエネルギーだった。
細長い、魔方陣の文字と同じ赤い光が落ちたのは一瞬。
教会の屋根には綺麗に穴が空いて、そこに居たであろう兵士たちごと消し去った。
あれの直撃を受ければ、英霊とはいえ無事では済まない。
「やったのか……?」
光線の落下地点周辺を、視線が彷徨う。
そして、探す姿を捕らえた。
屋根の中心から生えた塔の真上。大きな十字架に、彼の鎖は巻き付いていた。
その一端を手にして塔の縁に立っているのは。
「……全く、鬱陶しい奴らだ」
うんざりした面持ちでそう呟くと、彼は顔を上げた。
それを合図にしたように、十字架を背にした彼の周りを、金色の渦が覆う。
十、二十、三十……。
現れた波紋は壁となり、黄金に波打って、辺りがまばゆく照らされた。
一斉に射出されたそれらは、兵士のみならず存在するものを粉々に打ち砕く。
轟音に次ぐ轟音。骨の砕ける音、コンクリートと兵器が衝突する音、結界がその刃を受け止めて上げる金切り声。
ただでさえ霧が立ちこめていたというのに、更に粉塵が巻き上げられ、視界は最悪だ。
だが、どうやら投擲のスピード、攻撃範囲、そして物量は想定を越えていたようだ。
兵士たちの錬成される速度が追いつかない。
庭は容赦のない攻撃を受けていくつものクレーターを作り、土煙の隙間から無残な姿を晒していた。
鐘楼の上から、彼はその光景を見下している。
「えっ……、これって、どうするのよ?」
リンは呟いたが、返答を求めての発言ではないだろう。
動揺は周囲一体に波紋のように広がって、魔術師たちの戦慄が伝わってきた。
これはおそらく、想定外のことだろう。
あの渾身の一撃が躱されるなど。第二撃が可能だとしても、式神の兵士たちは消失し、彼を一所に縫い付ける手段はすでにない。
私が、出るべき局面。
ここに私が控えているのは、このような不測の事態に力を貸すためだ。
そう思考しながら、判断が鈍った。
一歩前に踏み出し、瞬間、彼がこちらを振り向く。赤い視線に射貫かれる。
「……っ!」
結界に、半歩ほど足を踏み入れていた。結界内に入れば、気配を察知されて当然だ。なんという愚行だろう。
違う、そう声に出しかけて、口を噤む。何が違うのだ。私は彼を討ち取るのだ。
地面を蹴って、跳ぶ。
着地する前に一撃を入れる。
ギルガメッシュは剣を抜き払い、それを軽くいなした。
十字架にかかった鎖から手を離して、屋根の上へと共に着地する。
「セイバー。今日は随分と変わった趣向のようだな」
彼の皮肉に顔を顰める。
だが、薄く微笑む表情は、見慣れたそれと変わらなかった。
私に剣を向けられるという裏切りに、落胆の色は見えない。
「……ギルガメッシュ」
私の剣を受けたのは、彼自らの宝剣ではなかった。名うての宝刀ではあろうが、彼の宝具ではない。
それに値するような剣戟は交わされないからだ。
私が本気で剣を振るえないことがわかっている。私の動揺も躊躇いも、全て見通されているのだろう。
不思議なことに、それを心地よいと感じた。
この終わり方は、悪くない。
状況は、ここに彼を閉じ込めた、一番最初とよく似ていた。
違うのは、このまま留まり続ければ、今度こそ私の命はないということだ。
「セイバーもどれ!」
呼ぶ声が聞こえる。
魔方陣が再び発動すれば終わりだ。
わかっていながら、退く気はなかった。
「……っ、ごめんなさい」
これで何もかも終わる。
……いや、ただ傍観していたとしても、同じだっただろう。
どういう形で終わるかを選択した、それだけの話だ。
ゆっくりと真綿で首を絞められるような終焉が耐えられずに、こうしてひと思いに心中することを選らんだまでだ。
稽古にしても生ぬるい、形だけの剣の応酬は続いていた。
魔術協会は、私が巻き込まれるとしても攻撃を中止したりはしないだろう。
むしろ、現世に存在する英霊二人をまとめて処分できるのならば、好都合と考えるはずだ。
「無理心中とは、情熱的だな」
「気に入りましたか」
「いや。喜劇としては悪くない筋書きだが、自らが演者となるならば話は別だ。脚本を変更せねばなるまい」
どうやら彼は、まだ諦めていないらしい。
背後の空間から、ギルガメッシュは剣を引き抜いた。
その宝物庫に数多く存在する、彼以外の持ち主を持つ宝剣のひとつではない。
乖離剣エア。彼のための宝具だ。
「お前の愛玩動物という立場も、中々悪くはなかったのだがな。名残惜しいが、この檻は今宵が寿命刻限のようだ」
私の予想に反して、その剣は周囲の魔術師たちに向けられはしなかった。
剣は旗幟のように、頭上に掲げられる。
「エアよ。この安楽の地に、引導を渡してやれ」
真上に向かって、それは放たれた。
「――――――エヌマ・エリシュ」
我々を見下ろしてそびえ立っていた、大きな十字架を頂いた鐘楼は一瞬で蒸発した。
半球の中に塗料を流したかのように、真っ白な閃光が結界内を塗り潰す。
目に見えないはずの、教会を覆うドーム型の結界がはっきりと視認できた。だが、それも一瞬の間。
衝撃を押し留めようとする機能は、その許容量を大きく超えて破裂する。
空全体に、雷が落ちたような光が満ちた。
耳を裂くような甲高い破裂音が、辺り一面に響く。
何が起きたのかは明白で、それでいて理解し難いことだった。
「…………そんな」
白く輝く、砂が降る。
それらは降り積もることはなく、地面に触れれば消えていった。
彼を閉じ込めていた結界は、跡形も無く砕け散ったのだ。
ガラスが粉々に割れるようにして、四散していた。
「どうして…………」
見上げた先の薄笑いも、今は不愉快ではなかった。
茫然とする私には、それはただ、不可解だ。
この男は、いつでも逃げられたのだ。
「どうして、か。すでにお前は、それを理解していると思うが」
私たちがいる屋根の中心、さっきまで鐘楼のあった場所が陽炎のように揺らめいた。
剣や鎖を取り出すのとは比べものにならない。教会の真上、広範囲に空間が波打って、現れたのは羽のついた大きな舟だ。
先の戦いで、遠目には目にしたことがある。
私の知るどのような船艇にも似ていない、奇妙な外観。昆虫のような羽は、折り畳まれた状態でも舟幅を優に超えて、黄緑色に発光している。
それが完全に姿を現し、その主人が船上にゆっくりと歩を進めるのを、誰ひとり止めることはできなかった。
声を発することもなく、固唾を呑んで成り行きを見守る。未だ敵意ありと見なされ、地上を先ほどの一撃で焼き払われる可能性を考えれば、魔術師達は正しい判断をしたと言えるだろう。
舟の縁に乗ると、彼は振り返って手を差し出した。
「共に来るか?」
声は出なかった。
「……っ」
剣を持っていない方の手で、彼の指先に触れる。手がのびるのは、私が思考するよりも早かった。
僅かに触れたその掌が、ぎゅっと握って捕らえられる。そのまま、身体が船上に引き上げられた。
「安心しろ、セイバー。お前は幸せにはならない」
抱きしめられて降り注いだ言葉は、普通ここで発せられるだろうそれとは真逆。
福音が、私を満たした。
私の足が地面を離れると共に、舟は浮かび上がる。
眼下に、見上げるシロウとリンの顔が見えた。
どうか、しあわせで。
ちいさく呟いた願いは、私を追い詰めたそれと同じで。しかし、その矛盾に気付いて尚、それより適切な言葉は思いつかなかった。
舟は高度を上げる。
教会が、新都が、川と赤い橋が、冬木の町並みが、私の生活した場所が。
ちいさくなって、離れてゆく。
別れを惜しんで目を凝らしていたのが、一度見失うともう、他の町と混ざってわからなくなった。愛しい場所は私が思っていたよりもずっとちいさくて、他に埋もれて消えていった。
寂しくて、その一方で、なにかから解放されたような安堵があった。
『冬木市郊外におけるこの戦闘において、一般市民の犠牲は皆無。騒音、振動、強光等の現象は想定内であり事前に対策がなされていたため、問題なし。飛行物の目撃等一部想定外の目撃情報は上がっているが、いずれも物理証拠を伴うものではなく、光の屈折、見間違い等で済ませられる範囲。作戦の終了から一ヶ月が経った現在、魔術隠匿に関する大きな問題は発生していない』
「……だ、そうよ」
魔術協会のレポートを読み上げて、凛は不服とばかりに書類をテーブルへ叩き付けた。
それはそうだろう。
「本来の目的は達成されてないっていうのに、なんなの、この問題ないですみたいな書き方は!」
討伐目標であったギルガメッシュは逃走。
しかも、セイバーを連れて、だ。
ふたりの所在がわからなくなった以上、状態は悪化、作戦は失敗しました、と表記するのが筋だろう。
「ねえ、おかしいと思うでしょう? 衛宮くん!?」
終始無言で話を聞いていた士郎に、わざとらしく丁寧な呼び方で同意を求める。
「そうだな……」
気のない返事。
毒気を抜かれて、凛も同じように家の外に視線をやり、呟いた。
「今頃、どうしているのかしらね……」
彼女の行動を理解する日は、きっと来ないのだろう。
ふたり共漠然とそう感じていて、だからその疑問を口に出して論じ合うこともなかった。
ただ、今このとき、空を見上げながら彼女に対して願うことは、当然のように一致していた。
どうか、しあわせで。
――ふたりが知る由もない、遠い異国。
さして大きくもない、通りの市場。
異邦の者だと一目でわかる、金髪碧眼の少女だった。
露店に並ぶ色鮮やかな果実を興味深げに見ている。
「おねえさん、旅行で来たの?」
少年は母親に頼まれた買い物の途中だったが、少女が気になって声をかけた。観光地ではない田舎町だ。異邦人どころか、見知らぬ顔というだけで珍しい。
「ええ、そうです。綺麗な果物ですね。どうやって食べるのですか?」
少女がその風貌に似つかわしくない、流暢な現地語を話したのは意外だった。
しかも、言葉は完璧であるのに関わらず、この地域ではごく一般的な食物を知らないと言う。
「ナツメヤシを知らないの? そのままでも食べられるよ!」
こんな機会は多くはない。少年はよく熟れたものを選び、小遣いでそれをふたつ買った。
「あげる!」
ひとつをかじって見せ、もうひとつを少女に渡す。
「え、ありがとうございます、お代を……」
「いいって! いいから!」
ポケットから取り出されたのは高額紙幣ばかりで、少年は慌ててそれをしまわせる。
少女は少年が受け取らないことを理解して、もう一度礼をすると、果実を口に運んだ。
「おいしい」
本当に嬉しそうに言うのだから、少年も得意げな気持ちになる。
どこから来たの、と彼が聞こうとしたその時、遠くから名前を呼ばれて、少女は後ろを振り向いた。
彼女と同じように金髪の男。
しかし、同じ人種の顔立ちではない。
家族にも、恋人同士にも、友人にも見えない。
重ねて礼をすると、少女は男の方へ早足で歩いて行き、やがて追いついた。
少年は、もう少し一緒にいたかったな、と、その背中を見守る。
すると彼女は振り返って、こちらに大きく手を振った。
大きく大きく手をふりかえして、その背中が見えなくなるまで、見送った。