【2025.9.5コミック発売】異世界で淫魔師ハレム【完結】 作:ドン・ドナシアン
情報が一気に入ってきた。
宰相であり、エルヴェラの従兄でもあるガット=スペンサーと執務室で話し合ってから、わずか三日後のことだ。
エルヴェラは、これまで蓄えていた私財の全て、直接に使っていた間者たち、ありったけの魔道道具を使って、タリオ軍とカロリック軍の第一線の状況が直接自分に入るように情報経路を確立させた。
宰相となったゴッドを通じてではなくてだ。
その結果、やっと正確なことを時間差なしにわかるようになったのだ。
おそらく、明日──。
もしかしたら、今夜のうちにタリオ軍は公都の城壁に辿り着くだろう。
情報を握っている枢密院が懸命に隠しているが、タリオ軍の公都方向への侵攻を辛うじて抑えていた二個あるうちの外郭砦のうち、すでに一個は要塞指揮官が戦わずして降伏したことで落ちていたのだが、残りのひとつも、数ノス前についに落城したのだ。
その原因は、防御守備要員の増員として送られていた獣人族たちの叛乱のようだ。
タリオ軍を迎え撃つ外郭砦には、可能な限りの防御準備の手立てがとられていて、公都周辺から強制的に徴集した獣人たちが、防御要員の補填として送られていたのだが、その彼らが内側から城門を解放させたようだ。
それでついに落城し、タリオ軍は最後の外郭砦も確保してしまったらしい。
タリオ軍を率いるランスロット将軍は電光石火だ。
これまでの例をとれば、次の砦に軍を送るのに数日もかけることはない。もしかしたら、そのまま公都まで、軍を侵攻させるかもしれない。
なにしろ、最後の外郭砦がタリオ軍に落ちたいま、タリオ軍と公都を遮るものは、最早なにも存在していないのだ。
すでに陽は落ちているが、あのタリオ軍なら、夜を徹して公都まで進軍してくる可能性もある。
時間がない──。
そして、ガットたち枢密院の重鎮たちもそう考えるはずだ。
あの時の話し合いで、ガットはタリオ軍への降伏を決めた場合は、大公であるロクサーヌを生贄にして、降伏後の優位な条件を獲得するのだと明言している。
ロクサーヌの見張り役として侍女長についているエルヴェラに与えられた役目は、そのときにロクサーヌを確実に生きたまま、ガットたちに引き渡すことである。
そして、ロクサーヌは、敗戦の責任者として、味方から処刑される。
これが彼女の運命なのだ──。
とにかく、エルヴェラは、ロクサーヌとルカリナに会うために、大公宮を走っている。
「エルヴェラ様──」
そのときだった。
廊下の影から男が現れた。
十数人いる直属の間者だ。
非常時には、姿を現してエルヴェラに直接に報告するように指示していた。
「なに?」
他の者に見られないように、男が物陰に連れ込む。
「公都内で暴動が発生してます。あちこちが襲撃を」
「えっ、どういうこと?」
「どうやら獣人族たちが徒党を組んであちこちを襲撃している様子です。公都の兵が対処に当たっておりますが、いまのところ沈静の兆しはありません」
エルヴェラは舌打ちした。
最後の外郭砦が落ちたのと、公都内で獣人たちが突然に暴れ出したのは、偶然ではないのだろう。
タリオ軍の謀略なのは間違いない。
ならば、最後に落城した外郭砦と同じことになる。
公都の城門は内側から開かれる──。
獣人たちの叛乱によって……。
タリオ軍が今夜のうちに来る──。
間違いない。
エルヴェラは確信した。
「わかった。散りなさい。全員に伝達。それぞれに散って、最適の行動をすること」
男が頷いて再び闇に消える。
エルヴェラは、再びロクサーヌのところに急いだ。
同じ情報を枢密院も掴んでる──。
この戦いは負けだ──。
ガットはそう判断するに違いない。
「ロクサーヌ──」
扉をノックすることなく、大公として、彼女に与えられている私室に飛び込む。
部屋の中には、ロクサーヌとルカリナしかいなかった。
護衛も侍女もいないが、これはエルヴェラが手配させていたことだ。勤務割りを細工して、夜には誰もいなくなるようにしていたのだ。
また、ふたりとも身軽な恰好をしている。
これについても、しばらくは、そんな恰好をするように告げていたのだ。だから、このところ、寝るときでも寝着にはならなかった。
従って、毎夜のようにやっていたロクサーヌ苛めも、この数日お預けだ。
そればかりは心残りだ。
「あっ、エルヴェラ様──。いま、どういう状況なのですか? 随分と大公宮内があわただしいようですが」
ロクサーヌがエルヴェラに気がついて言った。
エルヴェラは苦笑した。
「あんたって、ついに、あたしを呼び捨てにすることができなかったわね。ずっと、呼び捨てにしなさいって、言ってたでしょう。様付けするたびに、お仕置きまでしてやったのに」
「あっ、つい……」
ロクサーヌが顔を赤くする。
侍女長であり部下なのだから、エルヴェラのことを呼び捨てにしろと、ずっとこっぴどく言っていた。だから、ロクサーヌは、普通はエルヴェラのことは呼び捨てにしているのだが、いまのように咄嗟のときや、気が動転しているときなどは、“エルヴェラ様”と呼んでしまう。
そうやって、間違えて呼んだときは、翌日一日は罰の日と決めている。たとえば、振動する革帯の下着を一日嵌めさせるとか、身体の疼きを活性化させる淫具の玉を股間やアナルに入れっぱなしにするとかだ。
何度お仕置きしても、時々失敗するので、もしかしたら、罰を受けたくてわざとやっているのではないかと勘繰ってしまう。
「まあいいわ。お仕置きはつけよ。いますぐに逃げなさい。どこでもいい。とにかく逃げるのよ。さもないと、あんたは捕えられて処刑されるわ。ガット兄さんたちによってね」
エルヴェラは早口で言った。
その瞬間、心臓をわしづかみされるような強い痛みが襲った。
「くっ」
魔道の盟約だ──。
エルヴェラは、ガットがロクサーヌを捕縛すると決めたときには、それに協力する盟約を結んでいる。
いま、エルヴェラが喋ったことは、明らかに盟約違反だ。
だから、エルヴェラの身体の魔道がエルヴェラの心臓をとめようとしているのである。
エルヴェラは胸を押えつつ、懸命に自分に言い聞かす。
これは、まだ盟約違反じゃない──。
まだ、ガットからロクサーヌの捕縛は伝えられていない──。
だから、盟約を破ってない──。
破ってない──。
まだ、盟約違反じゃない──。
少し息が楽になる。
「大丈夫ですか? どうしたのですか──?」
エルヴェラの様子がおかしいことに気がついたのだろう。
ロクサーヌが慌てたように駆け寄ってくる。
だが、近づいたロクサーヌをエルヴェラは追い払った。
時間がない──。
ガットの決断をエルヴェラに伝えられる前に手を打たないと、今度は盟約に従いロクサーヌが逃亡しないように動かなければならなくなる。
あるいは、盟約違反の死かだ──。
「も、問題ないわ……」
「で、でも様子が……」
「いいから、行きなさい──。すぐに逃げないと、あんたを捕縛に来るわよ。タリオ軍は今夜中に来るんだ。しかも、獣人が公都内で暴れている。おそらく、タリオ軍の到着に合わせて、城門を内側から開かれる。彼らによってね。全部、あんたの予知夢の通りのようよ──」
心臓が苦しい。
立っていられなくて、エルヴェラはそばのソファに座り込んだ。
そして、腰にさげている魔道の収納袋を外して、ルカリナに投げつける。
「ルカリナ、あんたなら、これを扱えるだろう。最小限度の路銀や食料、ほかに役に立ちそうな変装の道具を入れておいた。行くんだ。なんとかして、生き延びておくれ──」
「わ、わかった」
ルカリナが魔道袋を受け取って腰にかけた。
「そ、それとこれだ」
エルヴェラは別に持っていた銀細工の首輪を差し出す。
カモフラージュ・リングだ。
これを装着すると、相手に認識されにくくなる。
「これを首にしていくんだよ、ロクサーヌ。一年前を覚えてるかい? 最初に調教してやったとき、あんたを素っ裸にして、これをして歩き回らせたっけ。今度は、服を着ていいし、淫具もなしだ。それをつけて、大公宮を抜けるくらい、あの時に比べて、ずっと簡単だろう」
ロクサーヌに渡す。
だが、ロクサーヌは戸惑った表情になる。
「で、でも、逃げるって……。わたしは大公ですし、責任が──」
リングを受け取ったものの、迷う様子を見せたロクサーヌに、エルヴェラはかっとなった。
立ちあがって、ロクサーヌの頬を張り倒す。
「きゃあああ」
ロクサーヌがその場に崩れ落ちて倒れる。
「余計なこと考えるんじゃないよ。あんたは、ただの傀儡大公だ──。なんの責任も能力もない小娘に過ぎないんだよ。一人前に大公の責任なんて言うんじゃない──。千年早いさ──。さっさとしな。それとも予知夢のとおりに、あたしたちの全員を巻き込んで処刑されたいかい──」
怒鳴りあげた。
数日前にロクサーヌが最後の見た予知夢では、ロクサーヌはこの大公宮で枢密院が送り込んだ衛兵に捕縛され、そのときにルカリナは死に、エルヴェラもまた、処刑場でロクサーヌを助けようとして死んだそうだ。
いま、ロクサーヌがなにもしなければ、おそらくそうなるだろう。
ガットとの盟約は、ロクサーヌが捕縛されることに協力することだ。捕縛された後は、盟約の外なのでエルヴェラは自由に動ける。
その状況になれば、エルヴェラは予知夢のように動く気がした。
しかし、そうなっても、誰も助からない。
なにもしなければ、そうなるのだ。
だったら、順番を変える──。
それでロクサーヌたちが逃亡に成功する保障はないが、少なくとも可能性には賭けられる。
エルヴェラの言葉にロクサーヌははっとなった。
「わ、わかりました。逃げます。運命を変えます」
ロクサーヌがカモフラージュ・リングを自ら嵌める。
エルヴェラが手渡した物なので、隠蔽効果はエルヴェラには効かないが、魔道が動いたのはわかった。
「ま、待って」
ルカリナが慌てたように、ロクサーヌが立っている位置に手を伸ばす。
おそらく、リングの効果により、ロクサーヌの姿がルカリナの視界から消えたのだろう。
ルカリナの手がロクサーヌに届くと、ほっとした顔になった。
「ルカリナは、堂々と歩きな。あんたについては、誰も逃亡を邪魔しないように手は打っている。でも、あんたひとりだ。そばにロクサーヌがいると絶対に悟らせるんじゃない」
「わかった」
ルカリナが頷いた。
エルヴェラはほっとした。
これでいい。
もう後は、ふたりの強運に頼るだけだ。
「大公宮を脱したあとのことは知らない。それからはふたりでなんとかしな。おそらく、枢密院とタリオ軍の両方から、あんたには懸賞がかかる。このカロリック内に、あんたたちのに逃げ場はないよ」
「わかりました」
ロクサーヌが大きく頷いた。
「じゃあ、行きな。時間がない。すぐに……」
ロクサーヌがルカリナに頷き、ルカリナも頷き返す。だが、ロクサーヌがエルヴェラに視線を向けてきた。
「は、はい……。あっ……、でも、エルヴェラ様は……。あっ、いえ、エルヴェラは……?」
「あっ、あたし? あたしがどうしたんだい?」
「あの、その……。一緒に行きませんか?」
「一緒に?」
エルヴェラは、呆気にとられた……振りをした。
実のところ、三人で一緒に逃亡することはずっと考えていた。いや、そうするつもりだった。
だが、ガットと魔道の盟約を結んでしまったことで、それは不可能になったのだ。
「は、はい。どこかに落ち着くところを探して、一緒に暮らしませんか? あのう……。わたしを好きなように扱って結構ですから……。そのう、調教とか……」
ロクサーヌが真っ赤になる。
エルヴェラは笑った。
「冗談じゃないわよ。もうあんたのような手のかかるマゾはご免さ。まあ、愉しかったけどね。とにかく、一緒に逃避行をするつもりはないね。そんなことなんでする必要があるんだい。これでも、女伯爵のエルヴェラ様なんだよ。苦労なんて願い下げさ。その代償があんたの身体を好きにする権利なんてね」
わざと嘲笑してやる。
だが、実際、悪くない。
三人で一緒に暮らせば、きっと愉しいだろう。
そして、ルカリナとふたりで、毎日毎夜、このロクサーヌを苛めて暮らすのだ。こいつも満更でもないみたいだし、ルカリナとエルヴェラがいれば、どこに行っても食うのには困らない。
きっと面白おかしく暮らせる。
「そ、そうですか……。そうですよね……。じゃ、じゃあ行きます」
「ああ、ルカリナも頼むよ」
「わかった。じゃあ、どこかで」
ルカリナが頭をさげる。
「きっとどこかで再会しましょう。この恩は忘れません。お世話になりました」
椅子に座り直していたエルヴェラをロクサーヌが一度抱き締めた。
続いてルカリナも──。
ふたりと抱擁を交わし終わると、ふたりが出ていった。
これでいい。
これで……。
あとは、大してできることはない。
エルヴェラは、奥の寝室に向かって魔道を発した。
偽のロクサーヌの気配を作る魔道だ。
あとは、どのくらい時間が稼げるかだ。
カモフラージュ・リングをさせているので、ロクサーヌ自身はなかなか見つからないと思うが、ロクサーヌが逃亡したことを知れば、ルカリナのそばにロクサーヌがいることは容易に想像はつくだろう。
ルカリナについては捕まえないと、ガットは魔道盟約を結んでいるが、ルカリナの周りに魔道探知すればロクサーヌの発覚は一発だ。
だから、とりあえず、身を隠すか、捜索の網の届かない遠くに逃げるかだ。
いずれにしても、稼げる時間は少しでもあった方がいい。
そして、どのくらい経っただろうか。
廊下が慌ただしくなり、扉が乱暴に開かれた。
十数名の衛兵が雪崩れ込んでくる。
ガットも一緒だ。
「エルヴェラか。ルカリナがひとりで大公宮を出たことは報告を受けている。ロクサーヌを捕縛する。彼女はどこだ?」
ガットが椅子に座っているエルヴェラに言った。
「寝室さ。ルカリナに見捨てられて、泣いているよ。しばらくそっとしておいておくれ」
エルヴェラは応じる。
その瞬間、心臓に強い痛みが走った。
「ぐっ」
身体がぐらりと傾いた。
「んっ、どうした?」
ガットが首を傾げている。
「な、なんでも……ない……」
できるだけ平静を装ったつもりだったが、あっという間に脂汗が身体に包む。
これが盟約に逆らう代償か……。
苦しい……。
息が……。
「なんでもないことは……ないだろう……。まあいい。おい、奥だ──。捕縛せよ」
ガットが衛兵たちに指示を発した。
「させないよ──。しばらく放っておけって、言ってんだろう──」
手にしていた魔道球を作動させる。
暴風が巻き起こり、部屋中の者が一瞬にして衝撃とともに吹っ飛んだ。
もちろん、エルヴェラもだ。
全員が部屋の壁に叩きつけられる。
「うわああ──」
「あがあああ」
「ひいいい」
衝撃で飛んだ衛兵たちがのたうち回って呻き声と悲鳴をあげた。
「な、なにをするかあ──」
叫んだのは、ガットだ。
頭から血を流しているが、比較的元気だ。
うまく衝撃を直接に喰らわなかったのかもしれない。
悪運はいいようだ。
エルヴェラは爆風で壁に叩きつけられたまま、尻もちをついて壁にもたれていたが、もう立ちあがる力はない。
ただ、背中は寝室との扉だ。
一応計算通りだ。
そうなるように、座っていたのだ。
「ち、近づくと……。もう一発……い、いくよ……」
さっきの爆風の魔道球をもうひとつ出す。
立ちあがれる者がエルヴェラに殺到しそうになったが、その魔道球を見て、ぎょっとしたように身体を硬直させた。
「な、なんの真似だ、エルヴェラ──」
ガットが真っ赤な顔で怒鳴る。
なんの真似もへったくれもあるものか──。あんたがあの子との約束を破るから、無理矢理に約束通りにしようとしてるんだよ──。
そう叫ぼうとしたが、もう言葉を口にする力がない。
大量の血が口から噴き出す。
ここまでか……。
ごめんね、ロクサーヌ、ルカリナ……。
これしかなかったよ……。
あたしが死んだと知っても、あまり悲しまないでくれるといいんだけどねえ……。
エルヴェラは心の中で彼女に謝った。
もう少し抵抗したかったけど、盟約破りで生きられるのはこれが限界だったみたいだ。
胸の中でなにかが破裂したのを感じた。
エルヴェラの視界は一気に消滅して、そして、なにもわからなくなった。
(『ある少女公主の物語』終わり、第20話『導きの巫女』に続く)