【2025.9.5コミック発売】異世界で淫魔師ハレム【完結】 作:ドン・ドナシアン
このところ、仕事が忙しかったです。
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エルザは報告書に眼を通しながら、脚を組み替えた。
報告書は、タリオ国内に所在するローム教会の大神殿内の動きに関するものだ。
ロウがハロンドール王国の独裁官として、事実上の最高権力者となってから、神殿と距離を置くような動きが目立っており、それに対する神殿の反応についての情報である。
南方総督として、エルザがこの地を管理することになって、約一か月と少しが経つ。
一か月というのは、いわゆる従来の神殿暦ではなく、ロウが新しく広めようとしている「新暦」においてであり、つまりは三十日になる。
神話に基づいて、月が全く出ない夜、あるいは、五個の月の全てが出現する夜を月の区切りとする難解な「神殿暦」とは異なり、一か月の月の日数が決まっている「新暦」は概ね世間から好評だ。
このロウの改暦についても、旧態勢力ともいえる神殿への大きな挑戦状に等しい。
地理的に、ローム神殿の総本山の大神殿と距離の近いローム三公国はもちろん、歴代のハロンドール王国の国王にしても、神殿権威の象徴ともいえる暦を独自のものに改めようとした王はいなかった。
エルザは、長年にわたり人々の中に根付いてきたものが、簡単に変革できるとは思っていなかった。
だからこそ、わずか三十日余りしか経たないのに、ここまで新暦が浸透しつつあるという現状に驚いている。改暦については、エルザの想像とは異なり、思ったよりも急速に世間から受け入れつつあるというのが実際なのだ。
もっとも、それは、あっという間にこの国の流通をほとんど握ってしまったマアがすべての商取引をロウの新暦で扱うことを決めたことにもよる。あのマアのことだから、利便などなくても、ロウの発案の暦の改変に、一も二もなく飛びついただろうが、暦がわかりやすいというのは、商取引にとっては大変な利点があるらしい。
マアは、今後は契約書における旧暦の併用もやめると言っており、少なくとも早晩、ハロンドール国内の暦は、独裁官ロウの発案の新暦に統一されることは間違いない。
もともと女豪商として名高かったマアであるが、このところのマア商会の躍進は神がかりでもある。いまや、ハロンドールどころか、ローム地方や沿岸諸国にまでマアの支配の及ばぬ流通はないだろう。
だからこそ、そのマアが全面的にロウの新暦の採用と後押ししている影響は大きい。
神殿情勢については、王都の方でも積極的に諜報していると思うが、ほんの少し前までタリオ公国の大公妃でもあったエルザにも独自の情報網はあるのだ。
それはともかく、表向きには、俗世の各王国の権威と一線を引いている神殿ではあるものの、実際には神殿というのは、王国間を跨る最高の精神的権威である。特にこのハロンドール王国においては、地方都市部に所在する地方神殿が、一般民衆の中から魔道遣いを見つけて教育をする仕組みや、その魔道遣いによる医療行為を一手に引き受けてきたという歴史があり、その影響力は計り知れない。
それについて、ロウの周りの者たちはどう考えているのだろう?
少なくとも、神殿権威と袂を分かとうとしているとも思えるロウの動きを大公妃となったアネルザや女王イザベラが制しようとする気配は感じられない。
しかし、エルザは、それをとても不安に感じるのだ。
いずれにしても、暦の改変というのは、王朝交代以上に、時代の変革を人々に意識させる行為だということをあのロウは承知しているのだろうか。
承知してやったとすれば、エルザの思う以上に、あのロウは時代の動かし方を知っているということであろうし、そこまでの認識はなかったとしても、やはり、新しい時代を作ることができる者というのは、天分を与えられた人物なのだろう。
歴史に詳しいエルザは、ひとつの時代が変わるとき、必ず、「英雄」と称せられる人物が出ることを知っている。
英雄が歴史を変革させるのではなく、歴史の変革という事象が英雄を作るのだ。もしも、時代に望まれなければ、英雄的素質を持った者も、単なる世間からのはみ出し者で終わる。
それが実際だ。
そういう意味では、ロウは歴史の変革期が求めた希代の英雄なのかもしれない。
だからこそ、ロウは危ういのだ。
変革には、それを嫌う勢力が必ずいる。
旧態勢力にとっては、時代を変えようするロウは、「悪」でしかないだろう。
そして、その代表が、ローム神殿だ。
神殿暦に変わる新暦の導入──。
そして、王都に近いマイム神殿の王軍の介入──。
このふたつは、新しいハロンドールの権力者であるロウが、神殿と敵対するということを決定づけた。
もしかしたら、ロウはそんな風には考えてないのかもしれないが、この報告書に記されたローム神殿の反応については、それが避けられないことであることを明確に伝えている。
すると、扉が外からノックされた。
返事をすると、このところずっと南方に滞在してくれていたマアのようだ。
ロウから南方総督に指名され、色々と問題のある王国南部地域を統括することになったエルザだが、その統治の基本方針は、ロウから打ち出された「金権主義」だ。
すなわち、徹底的にこの土地を流通によって支配し、エルザを中心とした王国の作った南方総督府に積極的に従う土地には、多大な流通の利益をもたらし、逆に、封建的権威にしがみつき、南方総督府という新たな体勢に逆らうものは、流通の力でそれを排除するという政策だ。
ドピィという叛逆者の発生により、旧クロイツ領を中心として人心の荒れた南方地域であるが、もともと、キシダインの勢力基盤でもあったハロンドール南域は、意図的にロウやマアにより、流通の大きな打撃を受けていた。
そして、旧態依然とした施策を好む南方領主たちは、その損失を単純に増税で補おうとして、農民を疲弊させ、かなりの政情不安を生んでいた。
クロイツ侯爵領で発生したドピィの叛乱は、各領主の勝手な重税施策の影響の最たるものだが、同様のことが起きるかもしれない社会的な不安定さは、まだまだ南部域全体に残っている。
それをいまは、このマアの協力を得て、逆に流通の安定を図ることで、民心を安定させようとしているのが現在の情勢なのである。
そして、エルザは、これまで領主の自由裁量であった税の種類と税率について、領主権限から、南方総督の統制にも入れようとしており、その受け入れについて、マア商会による事実上の流通統制は不可欠にものになってもいた。
「相変わらず忙しそうだねえ、エルザ殿。それとも、アウステル公と呼んだ方がいいのかしら」
軽口を言いながら、そのマアがエルザの執務室に入ってきた。同行しているのは、マアの護衛であり、ハロンドールの騒乱が起こる前に一度タリオに戻っていたマアがハロンドールに帰ってくるときに同行してきたモートレットという男装の少女護衛だ。
曰く付きの少女のようだが、怖ろしく無口な性質であるらしく、ほとんど無駄口というものを叩くことはない。
マアは、エルザの反応を待つことなく、部屋のソファに腰をおろした。モートレットはその背後に立つ。
ほかに随行者はいない。
マアとは随分と親しくなっており、マアの入室のときには、身内ということで、自動的に人払いするように指示しているので、エルザの警備に当たる者も部屋の外に侍ったままだ。
「アウステル公爵の爵位をもらうのは、五日後のイザベラ殿の戴冠式に合わせてよ。まだ早いわね」
エルザは報告書を机上に戻して、マアに向かい合うソファに移動する。
アウステル公というのは、エルザが南方総督に正式につくにあたり、もらうことになっている爵位だ。
一代限りではあるが、公爵の地位をもらい、エルザは王籍から抜ける。
もともと、タリオ公国に嫁ぐにあたって、ハロンドール王国からタリオ公国に籍が移っていたのだが、正式な離縁手続きが終わることなく、エルザはこっちに戻ってきていた。だから、エルザのハロンドール王国内における貴族としての地位は非常に曖昧だ。
そのエルザに改めて爵位を付与するのは、もはや、タリオにはエルザが戻らないというハロンドール王国としての意思表示でもある。
また、南方総督となって、南部十三州と称される南域の諸領主の上に立つエルザに相応しい地位を与える処置でもある。
また、“アウステル”というのは、「南」という意味の古語でもあり、エルザがこの南部の統率者であることを内外に知らしめる意味もあるそうだ。
ただ、いずれにしても、エルザのアウステル公の付与を含む、今回の騒乱における論功行賞の陞爵などは、数日後に王都で行われるイザベラの戴冠式と婚姻式に合わせてということになっているのだ。
「一足先に王都に向かうことになるから、一応は別れの挨拶と思ってね。まあ、すぐに王都で再会することになると思うけどね」
マアがにこにこしながら言った。
普段は、六十を超えた年相応の見かけに見えるための魔道具を身につけているマアだが、この南方に来てからは、逆にそれは装着していない。
だから、まだまだ、女の色香の残る三十過ぎの美女にしか見えず、このマアを大陸の全流通を支配下に収めつつある女豪商本人だと気づく者はいないだろう。
この南方総督内でも、目の前のマアは、女豪商マアの代理人の交易人ということになっており、マア本人であることを知っているは数名でしかない。
「あらそうなの、おマア。てっきり、あのエルフ族のイムドリスの門を使って、戻るのだと思ったけど、あのスクルド殿のゲートを使ってということ?」
「欠かせない商談があってね。どうしても、明日には王都に戻りたいのさ。どっちにしても、すでにこの南方でやるべきことはやったし、今後は本物の代理人を使って交易は動かしていくよ。その代理人は王都で紹介するさ」
マアが言った。
本来であれば、この南方総督府のある旧クロイツ侯爵領から王都に向かうには、まずは、この総督府の場所から港湾のある港まで馬の脚で一日。そして、軍船の高速艇で海路を二日で進み、さらに陸路で二日の行程というのが最も最速の移動日程となる。全てを陸路にすれば半月だ。
だが、いまは、あのスクルドが「ゲート」と呼んでいる移動術の移動設備を突貫工事で整えてくれたので、ひとりふたりであれば、一日で王都に辿り着くことが可能だ。
エルザも、それで王都に向かうつもりだったが、昨日、緊急の魔道通信で、あのエルフ女王のガドニエル女王がイムドリスの隠し宮への門をこの南方総督にも作るという連絡があったのだ。
よくはわからないが、その「門」を使うことで、エルフ族女王しか入れない異界に設置された隠し宮に入ることができて、さらに、そのイムドリスからハロンドール王都にも作られる「門」に出ることによって、あっという間に、ハロンドールの王都に行くことができるそうなのだ。
移動術のゲートでも、かなりの時間短縮なのだが、ゲートの連続使用は、かなりの魔石を消費するし、ゲート使用の特性でもある「時差」が生じて、どうしても一日以上はかかる。移動人数が多くなれば、さらに時差は拡大だ。
だが、今度のイムドリスを使用すれば、そのような制約なしに、幾度でも好きなように短時間で往復できるそうだ。
しかも、王都のみんなとも、いつでも会うことが可能ということである。
随分と便利になるものだと感嘆している。
その「門」の設置も数日後に整い、少なくとも婚姻式の前日には必ず完了するということであるので、エルザはその手段を使って王都に戻ることにしていた。
もっとも、イムドリスには入れるのは、ロウの愛人になった者限定ということではあるが……。
「そうなのね。とにかく、世話になったわ、おマア」
エルザは頭をさげた。
そのとき、またもやノックとともに、部屋の外から声をかけられた。
ランだった。
エルザの手伝いをするために、ロウがこっちに寄越した元々は冒険者ギルドの職員だった娘であり、その前は王都の下町で女給としていたという。
そのランを部下として使ってくれということだったので、半信半疑で職務をやらせてみたら、エルザが驚くほどの有能ぶりを発揮した。
即座にエルザは、ランに政務官という職務を与え、エルザの政策の手伝いともに、秘書のようなことをやってもらっている。
同じロウの愛人であるということで絶対の信頼を置けるし、なによりも、子飼いの部下も、有能な補佐役もいないエルザにとっては、喉から手が出るほどに欲しかった存在だ。
まだ、一か月にも満たないが、ランの有能さは、ロウに見出される前までは、せいぜいメニューが読めて、単純な金勘定ができるだけの無学に近い女でしかなかったというのが信じることができないほどだ。
「エルザ様……。あっ、おマアさんとモートレッド殿も一緒なのですね」
書類のようなものを抱えたランがマアたちに会釈をした。
そして、持っていた書類を持ったまま、エルザに視線を戻して小首を傾げる仕草をする。
「……頼まれたものをお持ちしましたが……」
「ああ釣書ね。受け取るわ。大丈夫よ。隠すようなものでもないし」
エルザはランが持っていたものを受け取る。
すぐに、その場で書類を拡げる。
「いま、釣書と言ったかい?」
マアが怪訝そうに言った。
「ええ、そうね。実は午後から茶会をするのよ。多少はひととなりくらい頭に入れておかないと、いくらなんでも失礼というものだしね」
エルザは白い歯を見せた。
マアがますます不思議そうな表情になる。
「茶会なのかい?」
マアが言った。
「茶会よ。侍女も同席させない二人きりではあるけどね」
エルザは笑った。
すると、ランが横から口を開く。
「ねえ、エルザ様。あたしは反対です。いくら統治に必要だとはいえ、婚姻をちらつかせて見合いをするなど。もしも、ロウ様にばれたら、それこそ大変なことになると思いますよ……」
「はあ、見合い? エルザ殿、あんた、見合いをするのかい?」
マアが驚いた声をあげた。
「見合いじゃないわ。茶会と言ったでしょう。まあ、婚約を前提に会いたいと言ってきた相手だけどね」
「それは見合いじゃないかい──」
マアが声をあげた。