【2025.9.5コミック発売】異世界で淫魔師ハレム【完結】 作:ドン・ドナシアン
128 第三王女の決意
目覚めたのは夕方だった。
骨がきしむような感じがある。
「ああ、お目覚めになったのですね。よかった」
寝台の横にいたシャーラが感極まったような声をあげた。
視線を向けると、眼に涙を浮かべている。
「本当によかったです。二日間も身じろぎせずに眠り続けておられたので、もしかしたら、治療に誤りがあったのかと……」
ミランダの声がした。
二日間?
ここは宮殿敷地内にあるイザベラの小宮殿だ。しかも、客に会うための場所ではなく、イザベラの寝室である。
なぜ、ミランダがここにいるのかと思った。
とにかく、身体を起こそうとした。
「ひ、姫様、まだ、横になっておられた方が……」
シャーラが心配そうに言った。
「いや、もう大丈夫じゃ。むしろ、起きて身体を動かした方がいい。それで身体が安定するはずじゃ。毒の影響はもうない。それよりも、二日間、眠り続けていた方の影響がある。それと胃も弱っておるからな。明日の朝までは、柔らかいものだけを食するがいい。それ以降は、食えるならなんでも食え」
イザベラはシャーラに抱えられて、寝台に半身を起こした。
ミランダの横に見知らぬ老婆がいる。
いま、喋ったのはこの老婆のようだ。
それにしても、毒……?
それで、思い出した。
この小宮殿で普通に夕食を取っていたのだ。
しかし、突然に胃が焼けるような感触がして血を吐いた。
それから、なにが起きたのか、まるで覚えていないが、どうやら、あのとき食事に毒を盛られたようだ。
それにしても、あれから、二日も経ったのか?
「なにがあった?」
イザベラはシャーラに訊ねた。
シャーラが口を開こうとしたが、それをミランダが制した。
「もう姫様は大丈夫なんでしょう、バルバサ。だったら、もう行っていいわ。クエストの報酬はギルドで受け取ってくれるかしら。特別報奨も追加するわ。それと後日になると思うけど、宮殿からの諸謝金も出るはずよ」
「そりゃあ、ありがたいのう……。それでは、いくとする、ミランダ……。それと、ごきげんよう、姫様」
バルバサと呼ばれた老婆が荷を持って立ちあがった。
シャーラが呼び鈴を鳴らして、部屋の外から侍女を呼ぶ。
その侍女にバルバサを宮殿の外に送らせるのだろう。
侍女がやってきた。
顔を見たことのない侍女だ。
ふたりが出ていく。
この小離宮に仕えている侍女はシャーラを含めて十人ほどだ。無論、全員の顔を知っているのだが、バルバサという老婆を送るためにやって来たのは知らない顔だ。
疑念はいくつもあるが、まずはバルバサについて訊ねることにした。
「いまのは、医師か?」
完全に三人だけになるのを待ち、イザベラは言った。
「あたしの手配した冒険者です。多少、偏屈なところがある老婆ですが、腕は確かです。信用のならない宮殿医師よりも安心できます。クエスト扱いにして、姫様……いえ、ギルド長の治療にあたらせました」
ミランダだ。
「わたしは毒に当たったのだな?」
イザベラは記憶を思い起こして言った。
この小離宮内で毒を盛られた。
それは間違いないようだ。
それで昏睡状態に陥ったイザベラに対し、機転を利かせたミランダが外から医師を呼んだということのようだ。
宮廷内の者には、イザベラの姉のアンの夫であるキシダインの息がかかっている。
今回のこともキシダインが裏で手を引いていることと思うが、宮廷医師だと、治療だと称して、さらに毒を飲まされる危険もあったはずだ。
ミランダの機転には感謝だ。
「そうです」
シャーラが言った。
「そうか。それで、誰が毒を盛ったかわかったか?」
イザベラの食するものは、大抵はこの小離宮で侍女たちが交代で作る。
王太子の地位をめぐってキシダインと争うようになってから、ずっと用心はしていたのだが、この小離宮内にまでキシダインに手を伸ばされたとあっては、イザベラとしても口惜しさとともに恐怖もある。
いずれにしても、どうやって毒を盛ることができたかだ。
シャーラが口を開いた。
「誰が毒を盛ったかは、まだわかりません。ミランダが冒険者ギルドの冒険者の中から、毒に精通している者を使って些か調べました。結論は、エルニア魔道王国で産出される特殊な魔道毒ではないかということです。通常の毒なら、毒探知の魔道に引っ掛かったはずです。しかし、今回の毒はこの宮殿の最高の毒探知魔道で検知できなかったのです。エルニアはハロンドールよりも、魔道に長けた国です。あの国の魔道毒なら、探知できなかったのは頷けます」
「エルニア魔道公国の魔道毒だと? ありえん。エルニアは鎖国中だ。我が国にエルニア産の毒が入ってくることなどない」
イザベラは断言した。
このハロンドール宮殿内には、さまざまな魔道探知があり、本来であれば、魔道毒など、すぐに探知できる。それを宮廷内どころか、毒の持ち込み防止の結界までしている厨房に持ち込むなど不可能だ。
しかし、確かに、エルニアのものであれば、この宮殿の探知を潜り抜ける可能性はある。あの国は魔道については独自の歴史を持っていて、ハロンドールにはない魔道も多くあるという。
だが、エルニアは鎖国中だ。
エルニアは強力な結界魔道で国境を塞ぎ、人どころか、どんな物流の往来も禁止している。
ハロンドール王国でもまた、国境ではエルニアからの流通については、徹底的に監視している。万が一にも、エルニア産のものが国内に入ることはないと思っていた。
あの国の産物がハロンドールに流れることは、まずない。
「しかし、毒にあたった姫様と残った料理を調べた結果、エルニアでしか産出できないフィーイの毒ではないかと、幾名かの見解が一致しました。エルニアは鎖国状態で、あそこの産物が国外に流れることはほとんどありませんが、絶対ではありません。フィーイの毒だと断定した者たちは、かつて、その毒を扱ったことがある者たちです」
ミランダが口を挟んだ。
イザベラは眉をひそめた。
「フィーイの毒? 耳にしたことはないな」
「魔道探知でもっとも検知しにくいと言われている毒です。その代わり、ある程度の魔道力があれば、ほとんど毒としての効果がありません。しかしながら、魔道力がなかったり、低い者にとっては致死性の猛毒に変わります」
「わたしの魔道力の弱さをつけ込まれたということか」
イザベラは苦笑した。
ルードルフ王の血を引く三人の異母姉妹だが、上の姉ふたりには魔道力が皆無であり、イザベラが魔道力があるといっても、ふたりの姉に比べればだ。世間的にみれば、イザベラの魔道力は高いとはいえない。
また、そんな毒があるなら、これまでの毒見の方法では感知できなかったのも頷ける。
シャーラは、イザベラの口に入る飲食物の毒見を自らが行うことが多いが、魔道力が高いシャーラでは、フィーイの毒とやらは無力化されるだろう。
イザベラだから、毒に当たったというわけだ。
「いずれにせよ、エルニア産の魔道毒がハロンドールに出回っているのか?」
「いいえ……。そんな証拠はありません。しかし、どんなものでも、絶対ということなどあり得ません。エルニア産の魔道薬をハロンドール国内に裏ルートで持ち込む手段など、あたしでも、十や二十は思いつきます。所詮、国のすることなど、そんなものです」
ミランダは断言した。
イザベラは黙るしかない。
王宮からほとんど出ることのないイザベラに、裏社会のことなどわかるわけがないのだ。
イザベラは嘆息した。
そういえば、あの男が、信頼のできる者の意見に耳を傾けろと言っていたことを思い出した。
確かに、物を知らないのに、なんでも断言するような物言いをするのは自分の悪い癖だ。
「わかった……。引き続き、頼む、ミランダ。だが、裏にいるのは、あの男で間違いあるまいな」
“あの男”というのは、姉のアンの婿のキシダイン公であることは言うまでもない。イザベラを殺して、第一王位継承権を得たいキシダインは、これまでも、何度もイザベラの暗殺を企てており、イザベラは度重なる死の危険に陥っていた。
まあ、今回ほどに、死に近づいたこともなかったが……。
イザベラの言葉に、シャーラもミランダも頷いた。
「その線で調べます。そして、キシダインの息のかかった者の仕業だと断定すれば、ある人物たちが浮かびあがります。自由商会連合の連中です。キシダインは連合派ですので、その者たちの誰かが、密かにエルニア産の毒をキシダインに流したことは考えられます。なにしろ、自由流通だと、一対一の貿易だけではありません。エルニア産の産物の流通を禁止しても、それが西海岸国家経由でタリオ公国に流れ、タリオ公国の産物として、ハロンドールに入ることもあるんです。ハロンドールの国境では、タリオから流れる物の監視まではしていませんので」
シャーラが言った。
自由商会連合というのは、最近において、急に主流になりつつある商業のやり方の中心組織であり、その新たな流通法とは、イザベラの義姉のエルザが嫁いだタリオ公国を中心に拡がっている「自由流通」というものだ。
ハロンドール王国内の現在の主流の物流は商業ギルドだが、これまで物の商いというものは、その商業ギルドで独占するものであり、国内で商売をするには、これまでは、まずは商業ギルドに加盟するのが必要であり、ギルドに入ることなく国内で商売をすることはできなかった。
ところが、自由商会連合は、自由物流を謳っており、商業ギルドを解体して、誰でも参加できる自由な商業活動を社会に浸透させようというものだ。
原則として、納税以外の国家統制は最小限度であり、商人は自由な商業活動ができる。
国は物流を統制することが困難となるが、反面、ギルドが独占していた商業権が撤廃されることで物流が盛んになり、多くの税収が望めるという利点があるそうだ。
商業ギルドを解体するなど、とんでもないことだと思っていたが、姉のエルザが嫁いだタリオ公国では、二年前に国内の商業ギルドを解体させて、自由物流制度を導入した。
その結果、タリオ公国の物流は飛躍的に活発になり、いまや、タリオ公国は近隣でももっとも富める国として、飛ぶ鳥を落とす勢いだ。
これを垣間見たタリオ公国以外のカロリック公国やデセオ公国でも、商業ギルドを解体して、自由物流の導入に踏み切った。
なるほど、制約の少ない自由物流だからこそ、規制を潜り抜けて、流入するはずのないエルニア魔道王国の産物を西海岸国家経由などで入り込ませ、ハロンドール内に持ち込むことができるというわけか……。
まあ、ハロンドール王国内の商業ギルドは非常に強固な組織であるため、自由流通など入り込む余地などないとイザベラは思っていたが、この半年において、ハロルド公キシダインは、自己の管理する王都内における自由物流を認めて、タリオ公国などからの自由物流を行う商会などの商業参入を許可をした。
それにより、王都に入ってきたのが自由商会連合であり、いま、王都には商業ギルドと、自由商会連合のふたつの物流組織があるという状況なのだ。
商業ギルドは猛反撥しているが、キシダインは強硬な自由物流推進派であり、かなり強引に自由物流を押し広げている。
ならば、キシダインの求めに応じて、自由商業連合の連中が、イザベラ暗殺に都合のよいエルニア王国産の「フィーイの毒」とやらを横流ししたことは十分に考えられる。
「自由物流商会か……」
キシダインに参入を求められた商会の中で、もっとも力が強いのが、“マア”という名の六十過ぎの初老の女が会長をしている「マア商会」だ……。
凄腕の女豪商であり、タリオ公国内でも一、二を争う大商会の中心人物だ。
イザベラも数回会ったことはあるが、ひと癖もふた癖もある女という印象だ。
あの
「とにかく、今回のことについての調べは、ミランダが手を回して、冒険者ギルドに協力してもらうことを考えています。冒険者の手を借りるのは、不本意なものが姫様にあるかもしれませんが、もはや、わたしひとりでは……」
「いや、ミランダに任せる」
イザベラは、シャーラの言葉を遮って言った。
実のところ、イザベラは、名目だけとはいえ、冒険者ギルド長でありながら、冒険者の実力というものを軽視しているところがあった。
彼らにこそ、侮れない実力があることは、先回のロウとのことでも、十分に認識した。
イザベラの言葉に、シャーラはほっとした顔になる。
「信頼のできるパーティの幾つかに、極秘クエストとして調べさせます、ギルド長」
ミランダがきっぱりと言った。
イザベラは頷いた。
すると、シャーラがちょっと暗い顔になった。
「それと、もうひとつお話が……。今回のことで、さらに悪い報告をせねばなりません」
シャーラが悲痛な表情で言った。
イザベラは首を傾げた。
「なんじゃ?」
「侍女たちのことです……。今回のことですが、実は姫様の容態は食あたりということにして毒のことは伏せました。姫様が昏睡されていることを知られると、さらに刺客が向けられるかもしれないと判断したのです。しかし、それを逆手にとられました……」
シャーラが口惜しそうに言った。
「逆手?」
「キシダイン卿が姫様に食あたりをさせるような侍女たちは要らぬと、全員を強引に交代させてしまったのです。いまいる侍女は、全員が昨日と今日のうちにやってきた者ばかりです。毒のことは表に出さなかったので、犯人探しの前に引きあげられるかたちになりました。申し訳ありません。侍女の全員交代は、王妃様もそれを強く主張なさって、わたしではなにもできませんでした」
シャーラが項垂れた。
イザベラはびっくりした。
「な、なんだと──。わたしに仕える侍女たちをわたしが知らぬ者にそっくり入れ替えたじゃと? そんなことが許されるか? 父上に掛け合う。全部、元に戻させる」
イザベラは怒鳴った。
だが、シャーラは首を横に振った。
「何人かはできるかもしれません。でも、大半はすでに遠い地方に追いやられてしまっています。みんな、姫様にお別れを言うこともできずに悲しんでおりました。そもそも、後宮のことは、最終的には王妃様の管轄になることです。あの陛下では、アネルザ王妃の指示を覆すようなご命令はなさらないでしょう」
シャーラは言った。
イザベラは舌打ちした。
王妃アネルザは、昔からイザベラを実子のアンのライバルだと敵対視しているところがあり、なにかといって、イザベラに厳しくあたる。
また、気性も荒く、国王ルードルフは、アネルザには頭があがらない。
歴代の国王は、複数妻を持っているのに、正妃はアネルザだけであり、ルードルフが第二妃以下を持たず、多くの愛人を側室に留めているのは、アネルザが怖いからだと言われている。
確かに、あの優柔不断の父親が、アネルザの決定に逆らうような沙汰をすることは想像できない。
「姫様、おそらく、こんなに手を早く打たれたのは、あらかじめ準備していたのだと思います。治療したバルバサによれば、毒そのものは少量であり、魔道で簡単に命を取り留められるものだったそうです。おそらく、今回は、理由をつけて姫様から、信頼できる者を取りあげるのが目的だったのではないかと……。さもなければ、たった二日で侍女を全部入れ替えるなどできるわけがありません。それに、あたしが調べた範囲では、キシダインは次の手を打とうとしている様子もあります」
ミランダが口を挟んだ。
「次の手?」
イザベラはミランダを見た。
“ギルド長”と呼び忘れたのは気に入らなかったが、とりあえず黙っていた。
「侍女を入れ替えたのは、姫様を食あたりさせた者に、その責任を取らせるというのが理由です。姫様がそれを不問にして元に戻せば、今度はそれを口実にして、シャーラを姫様から離そうとすることを考えている気配です。実は勝手ながら、クエスト扱いにして、何人かをキシダインの近くに忍ばせました。それでわかった情報です」
「シャ、シャーラをわたしから離すだと──。そんなことをさせるか──」
イザベラは激昂した。
「しかし、キシダインはそうしようとしています。すでにそれについて王妃様に工作をしている気配もあります。こちらが動けば、向こうも動きます。シャーラは、姫様付きの侍女長です。本来であれば、食あたりの責任の筆頭はシャーラです。むしろ、ほかの侍女が解雇されたのは、シャーラの身代わりになったかたちです。侍女を戻せば、キシダインは王妃様を通じて、今度は侍女長の責任を訴えるはずです。それが本来は正当ですし……」
「キシダインめ……。次から次へとうるさいことだ」
イザベラは舌打ちした。
第一姉のアン王女の夫のキシダインと、第三王女のイザベラがこうやって、激しい政争を繰り広げるようになったのは、この一年のことだ。
現国王であるイザベラの父親が、いまだに正式の王太子を定めていないというのが、すべての混乱の原因であるのだが、王太子を定めることができないのは、あまりにもキシダインの影響力が宮殿内で強いというのが理由でもある。
それにしても、国王であり父親のルードルフはどう考えているのか……。
これだけ、有力貴族を始め、王妃アネルザまでが、キシダインを後継者に推しているのに、そうしないのは、国王自身はイザベラを次の王と考えているからだと思っているのだが……。
実のところ、イザベラについては、かなり幼少の頃から、エルニア魔道王国か、あるいは、ローム三公国のいずれかの大公家に政略結婚で嫁ぐという話があった。だが、そもそもエルニアは国交断絶の状態であり、適当な王子がいないために具体的な話にはならず、三公国の有力国のタリオにも、結局、姉のエルザが選ばれた。
そして、国王がイザベラをハロンドールに留める年月が続いている。
それは国王が王位をイザベラに考えている証拠だと、イザベラは考えている。
いずれにしても、長く王太子の空位が続いていることで、キシダインが焦りのようなものを感じていることは事実だ。
これまでイザベラはただの子供だった。
王位継承権といっても、それほどの人脈もないし、有力貴族の後ろ盾もない。
だが、イザベラはすでに一年前に成人して、一人前の王族として本格的に執政や社交に参加するようになった。
すると、今後は、当然に人脈も増え、イザベラを支える有力貴族もできるはずだ。
そうなれば、相対的にキシダインの力は弱まる。
キシダインとしては、非常な手を打ってでも、いまのうちに王太子の地位を確保したいと思っているに違いない。
非常な手段には、イザベラの暗殺も含まれる……。
「まあ、とにかく、シャーラがわたしから離されることはない。父上もそれだけはわかっている。安心せよ、シャーラ」
イザベラはシャーラに声をかけた。
「もちろんですが……」
しかし、シャーラは意気消沈している様子だ。
「どうした?」
イザベラは声をかけた。
「実際のところ、姫様に毒を許してしまったのは、わたしの落ち度です。もしも、わたしがいれば、毒で姫様を二日間も昏睡させることなど許すわけがなかったのです」
「まあ、そうではないだろう。さっきのとおり、フィーイの毒であれば、魔道力の高いそなたでは、毒味をしても、毒の効果が発揮せん。魔道力の高くないわたしだから、毒に当たったのだ」
イザベルは苦笑した。
だが、シャーラは真剣な顔で首を横に振る。
「いえ、違います。わたしの魔道力であれば、そのフィーイの毒であろうとも、すぐに解毒ができたはずです。それに、王宮魔道師の見逃した魔道薬であっても、わたしであれば、探知できたのではないかと思っています。でも、姫様が毒で倒れたときに、わたしが王宮内におらず、処置も遅れました。これはわたしの落ち度以外のなんでもありません」
確かに、あのときシャーラは近くにいなかった。
シャーラがイザベラの傍から離れるなど、滅多にあることではなかったが、ここしばらくは、そんな日も多くなっていた。
イザベラは肩を竦めた。
「だったら、そうかもしれんな。このところ、やたらとシャーラが外出するのは、小離宮の者は全員が知っておった。それも、キシダインの手の者の工作を許してしまった要因だろう。さしずめ、あのロウと毎日乳繰り合いに行っておったか?」
イザベラはできるだけ軽口に聞こえるように言った。
今回の原因がなんであろうと、イザベラには、それをシャーラのせいにするつもりなどない。
シャーラがいなければ、イザベラなど、とっくの昔にキシダインの暗殺に倒れていただろう。
このシャーラをイザベラに紹介してくれた姉のエルザの先見の明と、人を見る能力には、いまでも感謝しかない。
「ち、違います。行先はロウ様のところではありません……。そりゃあ、全部違うとは言いませんけど、少なくとも、事件があった日やその前の数日間に出掛けていたのは違います。わたしは第三神殿に行っていたのです」
シャーラが真っ赤な顔になって言った。
「第三神殿? もしかして、スクルズのところか?」
イザベラは言った。
かねてから、シャーラが魔道の修行のために、スクルズのところに出入りしているのは知っている。
なんといっても、王都で一番の魔道遣いは、第三神殿の筆頭巫女のスクルズであり、一箇月ほど前の例の日以降、シャーラは自分の魔道力をあげるために長くスクルズに師事を頼んでいた。
「……それに関して、あたしとシャーラから、姫様にひとつの提案があります。今回のことで、それもいいのではないかと思うようになりました」
そのとき、ミランダが意味ありげに口にした。
「提案?」
イザベラは訝しんだ。
すると、ミランダとシャーラは顔を見合わせて頷き合った。
どうやら、すでにふたりの中では話し合いが終わっているようだ。
「とにかく、見てください、姫様」
シャーラが立ちあがった。
次の瞬間、突然にシャーラの前に空間の歪みのようなものが出現した。
シャーラがその中に入る。
一瞬でシャーラが消滅し、気配を感じて振り返ると、寝台の反対側からシャーラが出現した。
イザベラは驚愕した。
「姫様、移動術です。わたしはこれを遣えるようになったのです」
シャーラは言った。
だが、イザベラはしばらくの間、ぽっかりと口を開き、目を丸くしたままでいた。
移動術がかなりの高級魔道であることは承知している。
この王都でも、単独でそれを遣えるのは、宮廷魔道師長、第三神殿のスクルズ、第二神殿のベルズしかいない。
シャーラがそれを遣えるようになったということは、王都でシャーラは移動術をひとりで扱える四番目の人間ということになる。
同時に喜んだ。
これはキシダインとの争いにおいて、大きな武器になる。
「す、すごいぞ、シャーラ──。なんで、そんなことが突然できるようになったのだ? スクルズの教えか?」
イザベラは興奮して声をあげた。
「そうかもしれませんが、そうでないかもしれません。わたしは、ロウ様ではないかと思うのです」
「ロウ?」
突然に出てきた名にイザベラは眉をひそめた。
一箇月ほど前に関わったロウのことはよく覚えている。
冒険者としての評判を知り、イザベラは是非自分の家人にしようと考えて、ミランダを人質にし、ロウに宮殿に忍び込んでイザベラを夜這いしろと命じたのだ。
イザベラとしては、それによりロウの能力を試すつもりだったが、ロウは思いもよらない手段で潜入してきて、イザベラに手を出せる状態を作った。
だが、結局のところ、イザベラに裸身を晒させて辱めるだけで、身体には手を出さずに帰っていった。
イザベラとしては、馬鹿にされたという思いが強く残っている。
「ロウがどうした?」
イザベラは苦虫を噛み潰したような苦い記憶とともに、その名を口にした。
「わたしがロウ様と男女の関係になったことはご存知ですね、姫様?」
シャーラが真面目な顔で言った。
「おう、知っておるわ。あのとき、わたしの前で抱き合ったであろう。それからも、ずっと通っておるのだろう? 知ってるに決まっている」
「それで魔道力があがったのだと思います……」
シャーラは言った。
「はあ?」
イザベラは声をあげた。
ロウと肉体関係になることで、移動術ができるほどの魔道力があがる?
そんな馬鹿馬鹿しいことがあるわけない。
だが、シャーラにはなにかの冗談を言っているという雰囲気はない。
表情はあくまでも真面目だ。
「いえ、姫様、これはわたしだけではないのです。スクルズ様も申しておりました。ロウ様と関係するようになって恐ろしく、魔道があがったと……。ベルズ様も同じことを……」
シャーラが早口で言った。
スクルズとベルズまでも、ロウが愛人にしているという噂があったが、それは本当だったのかと呆れたが、口にも顔にも感情は出さないようにした。
イザベラはミランダに視線を向けた。
「……もしかして、お前も魔道力があがったか?」
訊いてみた。
ミランダもまた、ロウと関係があるのは調べて知っているが、面と向かって訊ねたことはない。
「あたしの場合は魔道力ではなく、直接攻撃力が向上したように思います。それ以前とは比べ物にならないくらいに自在に斧を振り回せますし、身体が軽くなりました。ロウが関係した女の能力を向上させる不思議な力があるのは、実は確かなことなのです」
ミランダはあっさりと言外にロウとの関係を認めるとともに、やはり能力があがったと口にした。
「それでふたりで話し合ったのですが、こうなったら姫様もロウ様に抱いてもらってはいかがかと……。おそらく、姫様のなんらかの力も向上すると思います。あるいは、毒などご自分で見分けられるくらいには、魔道力があがるかもしれないし、少なくとも、フィーイの毒が効果がないくらいの魔道力があがることが期待できます」
シャーラが言った。
「はあ?」
イザベラは唖然としてしまった。
だが、シャーラはイザベラを無視する。
「……そうでなくても、信頼のできる家人を手に入れるのは、もはや急務です。ロウ様は少なくともキシダイン卿の息がかかっている者などではありません。ロウ様がご自分の愛人を大切になさるのは、先日の一件でもおわかりになったかと思います。ですから、姫様もロウ様の愛人になってはどうかと……。無論、この秘密は絶対に守らなければなりませんが、まあ、相手が冒険者であれば、発覚したとしても、単なる遊びで済みますし、姫様の大した醜聞にはならないかと……」
イザベラは呆れきってしまった。
「な、なにを言うか──。あの一件のとき、ロウに抱かれて、家人として取り込もうと主張したのはわたしだぞ。それを寄ってたかって反対したのは、お前たちふたりであろう」
「ですが、あのときは、キシダイン卿との確執がこんなに深刻なものという認識があたしにはありませんでした……。また、実際、ロウに女の能力をあげることができるという話など、あたしも半信半疑で……」
ミランダが言った。
「姫様、ご決断ください」
シャーラが真面目な顔でさらに言った。
「なにが決断じゃ。わたしは最初からその気があった。だったら、ロウを呼べ。いつでも覚悟はできてる……。いや、身体をきれいにしてからでよいか……。じゃあ、これからすぐに身体を洗う……。それからすぐ呼べ」
イザベラは寝台から出ようとした。
しかし、シャーラとミランダが慌てたようにそれを押し留めた。
「い、いまは、まだ病みあがりではないですか。二日間もなにも食べておられないのです。まずは食事をしてください。粥を持ってまいります」
「それに、ロウに抱いてもらうには、姫様自身が向こうに行かれた方がいいかと思います。シャーラの移動術もありますし、ひそかに外に出るのも簡単になりました」
シャーラに続いて、ミランダが言った。
「なら、そうする」
イザベラは素直に頷いた。
そう言われてみると、まだ身体がだるい。
確かに、もう少し本調子になってからの方がいいというのはわかる。
「……それとこれは申しあげなければならないのですが。ロウには特別な性癖が……」
ミランダが言い難そうに言った。
「性癖?」
「あの男は、女を嗜虐して抱くのが好きなんです。縛ったり、辱めたりですね……。それさえ我慢すれば、優しい男なのですが……。つまりは、ロウの愛人であるためには、ロウの鬼畜趣味に付き合わねばならないということで……。というよりも、無理矢理に付き合わされるのですが……。おそらく、姫様といえども……」
ミランダが溜息をつきながら、深刻な表情で言った。