【2025.9.5コミック発売】異世界で淫魔師ハレム【完結】 作:ドン・ドナシアン
190 丸投げ王宮裁判
アネルザが激怒した。
「なんだと──。あのろくでなしが──」
そして、激昂のまま立ちあがる。
横にいた一郎は、さすがに苦笑してしまった。
これはこれで、かなりの根性の座った王だな。
まだ、会ったことはないのだが、逆の意味で感心する。
宮殿内にあるアネルザの王妃宮の一室だ。
キシダインを捕縛したダドリー峡谷事件から十日ほどが経っている。
今日は、キシダインを裁くための宮廷裁判の日だ。キシダインほどの大貴族を裁くのに、わずか十日というのは短いが、時間をかけるとキシダイン派の重鎮の貴族が領地から戻って、キシダイン擁護の諸工作をする可能性がある。
それでアネルザが急がせたのだ。
幸いにも、いま王都には、それを阻止しようとする勢力はほぼ皆無だ。キシダイン派の重鎮の大貴族の地盤である領地経営を流通の力で揺るがせ、いまこの時期にことごとくを王都から離れさせたのはマアの功績だ。
もっとも、キシダインの突然の失脚に大部分の貴族は動顛をしてしまい、いまのところは王家の裁きを静観の構えである。
王都にいる貴族のみならず、国内中の全部の貴族、王軍大演習のときに流された魔道通信でハロルド公による王女暗殺未遂を知った多数の民衆、さらに諸外国まで、キシダインに与えられる処置に注目をしているはずだ。
世界中が注視する裁判――。
それが、今日の宮廷裁判だ。
仮にも王族であるキシダインは、王家の家長である国王しか裁くことができない。
それが今日行われる。
一郎はもちろん、その宮廷裁判に参加する資格はないが、アネルザの特別の計らいで、アネルザの従者にでも扮して、こっそりと見物させてもらう予定になっていた。
それで、朝早くからこうやって、護衛代わりのエリカとともに、アネルザの私室にやって来ていたのだ。
だが、もたらされたのは、後宮にいるサキからのアネルザ宛ての伝言であり、今日の宮廷裁判については、全部を王妃のアネルザに委ねるというルードルフからの信じられない内容だったのだ。
ダドリー峡谷事件のときに、ルードルフの身柄を押さえてもらったサキだったが、あれから、結局後宮に入り浸って、そのままルードルフの相手をしてもらっていた。
もちろん、身体の関係をするわけじゃない。そんなことは一郎は許さない。
ただ、話によれば、別に身体を犯させなくても、サキがルードルフを嗜虐するだけで、十分にルードルフは悦びむせぶらしく、そのサキを通せば、どんな書類にでもルードルフがめくら印で王印を押すので、キシダイン裁判の手配を早急に進めるために、サキにそのままルードルフの相手をしてもらっていたというわけだ。
さもないと、あの仕事嫌いの王では、進む業務も進まないという事態に陥ってしまうのだ。
キシダイン派を一気に追い込むための処置も、王の名でなければなにもできない。だが、サキが王を言いなりにすることで、わずか十日で一気に処理できた。
普段の業務とは異なり、今回については王のサインがないと動かないものがかなりあったのだ。
それはいいのだが、その王が、たったいま、その宮廷裁判そのものも王妃に任せると、後宮にいるサキを通じて王妃に伝言を寄越してきたのだ。
どうやら、サキに言わせれば、面倒だというよりは、キシダインをどうするかについて、国王として判断するのが気後れしているらしい。
だから、王妃が肩代わりをして代わりに裁くか、裁判そのものを延期しろと言ってきたのだ。
さすがに、一郎も呆れたところだ。
「ふ、ふざけやがって……。できるものならやっている。嘘でもいいから、全員の前で国王としての裁きを下さないかい──。わたしで収まるわけないだろう──」
アネルザが荒々しく床を踏み鳴らした。
その気持ちはわかる。
ここまでの段取りは、すべてアネルザが整えたのだ。
キシダインをどうするかということについては、一郎も交えて話し合い、どのような判決を下せばいいのか、ずっと後宮に入り浸っているルードルフに、サキを通じて教え諭しもした。
ただ、実際には国王自らが判断をして下すべき判決なので、事前に内容を強要したことは秘密だ。
アネルザと一郎だけが携わり、イザベラにさえも教えてない。
サキは、国王自らの決定として、責任をもって、それを全員の前で口にしろと言ったはずだ。
ここまでやったのだ。
だが、それも嫌なのだそうだ。
しかも、いまさら延期などできるわけがない。
アネルザが激怒する気持ちは十分にわかる。
「えっ、キシダインの裁判は延期ですか? そんなことできるのですか?」
一郎とアネルザのほかに、唯一室内に存在するエリカが首を傾げている。
すると、アネルザが舌打ちした。
「そんなことできるものかい──。そんなことしたら静かにしているキシダイン派の連中が息を吹き返す。国王が迷っているという印象を与えるからね。そうしたら、また元の木阿弥だ。今日、あいつに引導を渡す──。それしかない。ルードルフは絶対に首根っこを捕まえて連れてくるから、心配ないよ」
アネルザが言った。
そして、部屋にある魔道通信用の魔道具に向かう。
通信先はルードルフ側にいるサキだ。
「サキ、これからわたしが乗り込むと伝えな──。尻を蹴飛ばしに行くとね」
通信具に怒鳴った。
すると、そこからサキの笑い声がした。
『ははは、悦んでいるようだよ。どうにもならない変態だねえ。だけど、人間族の国というのは変わっているねえ。こんなんで国王が務まるのかい?』
サキが面白がる口調で言葉を寄越してきた。
アネルザが苦虫を潰したような顔になる。
「務まるものかい──。その後始末はわたしがずっとやってたんだ──。だけど、今日だけはだめだ──。国王以外にはできない。それが宮廷裁判なんだ。ルードルフもわかっているはずだ」
アネルザが怒鳴った。
一郎は後ろから声をかけることにした。
「こうなったら、キシダインを陥れるのに使った変身具で、アネルザが王に変身するぞと伝えたらどうかなあ? それだけでなく、国王の証となる装飾具を寄越せとも」
言ってみた。
激昂しているアネルザが一郎が口にしたとおりの内容を伝える。
サキがルードルフに伝えると応じ、いったん通信が切断された。
アネルザが深く嘆息をしながら、再び一郎の横に椅子に座り込む。
「さすがに王に変身して、わたしが代わりをすると伝えれば出てくるだろう……。それがどんなに大罪なのか、あいつもわかっている。王妃であろうとも、王に化ければ否応なく処刑だ。それはわかっている。いくらあいつでも、まさかわたしを重罪人にはせんさ」
「そうでしょうか?」
黙って話を聞いていたエリカがぼそりと言った。
一郎もルードルフが本当に変身リングに自分の姿を刻んで寄越す確率は五分五分くらいに思っている。
国王のことなどほとんど知らなかったが、これは聞きしに勝る愚物のようだ。
それに、さっき王に変身する魔道具を準備しろと伝えさせたのは、こうなったら覚悟することもあったからだ。
迷っている暇も、もう余人を巻き込む余裕もない。
無論、延期するなどできない。
すでにかなりの過激なことを王の名でやった。いまさら、それは王の意思ではないとでもされたら、一郎たちが獄に繋がることになる。
また、そんなことで、キシダインが力を戻しても、今度は一郎たちが逆に破滅だ。
逆戻りなどあり得ない。
「いずれにしても、アネルザも苦労しているのだな。知らなかったよ」
一郎は笑った。
アネルザは肩をすくめた。
「まあ、あいつは完全なるお坊ちゃんなんだ。悪い意味でね……。生まれてすぐに、王になると決まっていた男でね。それでいて、碌に国王教育も受けずに、甘やかされて育ってしまって、国王の覚悟とか責任とかいうものを十分に備えずに王になってしまったんだ。好色だけは一人前だけど、それ以外はまるで子供だ。それがあいつなんだ」
アネルザが舌打ちしながら言った。
「その子供のような国王を支えて頑張っているんだな。まあ、これからは俺たちもアネルザを支えるよ。困ったら頼ってくれ」
「本当か? 甘えるぞ」
アネルザがやっと笑った。
「おう、いつでもいい……。だけど、さすがに、いまからだとな。俺はいいけど、アネルザが大切な宮廷裁判に出れなくなっても知らんぞ。ここのところ、どうにも性行為に関しては容赦できなくてね」
「せ、性行為のことではない──」
アネルザが赤くなる。
エリカも一郎の横でくすりと笑っている。
すると、アネルザがふと口元に微笑みを浮かべた。
「……ならば、わたしの話を聞いてくれるか、ロウ……。まあ、ルードルフがサキの説得に応じるまでの暇つぶしだ。これは、ほとんど誰にも話したことのないことでな……。というよりは、さすがにわたしも忘れておったのだ。なにせ、随分と昔の話でな……。だが、なぜかふと思い出した」
アネルザが、なにかを懐かしむような顔になった。
このアネルザが昔話とは珍しい。
一郎は興味を抱いた。
「昔ってなんだ? 初めての男の話か?」
だが、なんとなく、一郎はからかった。
アネルザが鼻を鳴らした。
「そんなつまらん話をするか──」
「つまらんことはないだろう。恋多きアネルザ王妃の最初の恋はなんだったのかな? 俺は興味があるよ」
一郎は笑った。
アネルザは自嘲気味の笑みを浮かべた。
「最初の男はルードルフだ……。つまらん話だろう……? わたしも、あの色情狂の馬鹿王の妻になるまでは貞節な女だったのだぞ……。いや、考えてみれば、お前も立派な色情狂だな。どうやら、わたしは色情狂の男に縁があるようだ」
アネルザが笑った。
自分が色情狂というのは、認めざるを得ないだろう。
一郎は苦笑した。
「……予言だ」
ひとしきり笑った後、アネルザが口元に微笑みを残したまま、ぽつりと言った。
「予言……?」
一郎は意外な言葉に首を傾げた。
そして、考えてみれば、これだけ日常に魔道が浸透している世界なのに、この世界で予言という単語に接するのは、これが初めてだということに気がついた。
「わたしが十三歳の頃だったな……。わたしはこの王都の屋敷で育ったのだが、その王都屋敷を抜け出して、ある場所に侍女を連れて出かけた。当時、恐ろしいほどよく当たるという評判の予言者が城郭の裏通りに住んでおってな……。そこを訪ねて行ったのだ」
「ほう」
一郎は相槌を打った。
「……知っとるとは思うが、予言というのは禁忌の魔道だ……。まあ、その予言者という婆も、表向きは別の商売だったが、それなりの金子を支払えば、禁忌の予言をしてくれたのだ。わたしは、侍女を説得して、密かにその予言者を訪ねたということだ」
「禁忌の魔道?」
一郎は思わず声をあげた。
もちろん、予言というのが、この世界では禁止されている魔道だというのは知らなかった。
それで、「予言」という言葉を耳にすることがなかったのだとわかったが、それほどの感慨はない。
一郎の感覚では、予言など、当たったようで当たらないという曖昧なものだという認識しかない。
声をあげたのは、この世界にやって来たばかりだった頃、エリカに連れられて行った褐色エルフの村で出会ったユイナのことを思い出したからだ。
自分の才能を高めたくて、禁忌の魔道に手を出そうとしてたっけ……。
一郎を冤罪に追い込んで知らぬふりを決め込もうとしたので、仕返しのために呼び出して、さんざんに尻穴を弄んでやった。
どうしてるだろう、あいつ……?
「なんだ、予言が禁忌とは知らんかったのか?」
アネルザがきょとんとした。
一郎の物思いを別のことと受け取ったようだ。
「物知らずでね」
一郎はそれだけを言った。
「……まあいい。とにかく、予言はするのも、それに、接するのもご法度だ。だが、わたしは好奇心を押さえられんかった。十三歳くらいの多感な時期だしな……。それで屋敷を抜け出して、自由にできる金を持って、こっそりとその予言ができるという魔道師を訪ねた」
アネルザは言った。
「へえ……。それでなにを予言してもらったんですか?」
エリカが口を挟んだ。
すると、アネルザがにんまりと微笑んだ。
「十三歳の多感な時代だと言ったであろう……。その年代で興味のある予言といえば、ひとつしかないわ」
「恋の予言か?」
なんとなく言った。
そう言われると、十三歳くらいの女の子が興味がある話題というと、それ以外には思いつかない。
「ご明察」
アネルザは笑った。
だが、すぐに真顔になり、言葉を続けた。
「……だが、不思議な予言だった……。その予言の魔道師は、わたしの顔を見て、すぐに希相だと唸ったのだ。まさに英雄王の王妃になる娘の顔だと言ったぞ。確かに、わたしは王家に嫁いでもおかしくはないくらいの名門の家の娘だったので、王妃になるというのはあり得ない話ではなかったのだが、わたしは変装をして町娘の恰好をしていたのだ。そのわたしを王妃になると言ったのだぞ。わたしは驚いてしまった」
「うまく騙されただけかもしれないぞ」
一郎は言った。
だが、アネルザは気を悪くした様子もなく、微笑んだままでいた。
「確かにな。一緒に連れてきた侍女もいたしな。あるいは、そいつがわたしの素性をばらしていたのかもしれないし、ほかにもいろいろと可能性はある……。考えてみれば、実のところ、あいつは予言者などではなかったかもしれん。予言の魔道ができるという詐欺師でしかなく、わたしは騙されてしまったかもしれんなあ」
アネルザは懐かしそうな表情をしながら言った。
「それにしても、英雄王の王妃だって……?」
一郎はその大袈裟な物言いをからかってみた。
予言が成就したとすれば、英雄王というのは、いま宮廷裁判の場で国王の責任を果たすのは嫌だと駄々を捏ねているルードルフになるのだろうか。
しかし、王ではあるが、英雄という感じではなさそうだが……。
「ああ、そうだ。英雄王の妃だ。その予言の魔道師の言葉だがな……」
「つまりは、一応は予言は当たったわけか?」
一郎は言った。
その予言者の言葉の通りに、アネルザはルードルフの妻になって正王妃になっている。
だが、アネルザは静かに首を横に振った。
「だが、英雄王だぞ……。あの馬鹿垂れが英雄という器か? それに、実はその予言者は、こうも言ったのだ。“お前は天下を取る英雄の妻になり、母にもなる女だ”と……。言葉そのものは、気には留めておらんかったし、それっきりのことで、それから思い出すこともなかった……。だが、もしかして、あれは、お前のことではないのかなあ……?」
「俺?」
一郎は驚いた。
「そうだ。お前が王になれば、わたしはお前というクロノスの女のひとりであり、妻にもなろう。イザベラやアンの母なので、お前の義母でもある。つまり、母にもなるということだ。予言通りだ」
アネルザが笑った。
「馬鹿馬鹿しい」
一郎は吐き捨てた。
「そうかもしれん。まあ、乙女の心じゃな。そもそも、ルードルフは英雄の器ではない。あれは絶対に違う。これから天地がひっくり返っても、英雄にはならん」
アネルザはさらに高らかに笑った。
「じゃあ、俺が英雄か? 弱くて、自分の女たちに守られているだけの俺がか?」
一郎は苦笑した。
だが、アネルザは笑みを消して、静かに首を横に振った。
「もっと自分の力を知るのだな。お前は力を持っておる。いい機会だ。あの愚物から王権を乗っ取れ。わたしは喜んで協力する」
「ここで言う冗談じゃないな。仮にも、ここは宮廷内だぞ」
一郎は苦笑した。
すると、アネルザが急に真顔になり、なにかを言いたそうに口を開いた。
しかし、そのとき、目の前の空間が歪んで、サキが移動術で現われた。
サキは妖魔としての姿ではなく、人間族の美女の姿だ。
美しい妖艶な衣装を身に着けていて、一郎でもぞっとするほどに綺麗だ。
それはともかく、手に錫杖のようなものを持っている。
冠もだ。
まさか……。
「ほら、目当てのものだ。あの変態は喜んでリングに自分の姿を刻み、これを寄越したぞ。国王に成りすます三点道具というところだな。アネルザによろしく伝えてくれと言っていたぞ」
サキが卓の上に、手に持っていた道具を笑いながら置いた。
一郎も目を丸くした。
「あ、あいつ──。どこまでもふざけやがって──」
アネルザが喚いた。
一郎は溜息をついた。
「あれは多分動かんぞ。まるで駄々っ子だな。本当に国王か? とにかく、今日のシナリオが荷が重いそうだ。本当に人間族の国というのは不思議な世界だ。これが妖魔の王なら、まずは側近から首を刎ねられるな。能無しの王を妖魔は大切にはせん」
「わたしも同じ気分だよ……。仕方ない……。わたしが行ってくる。今日の宮廷裁判にはどうしても、あいつの存在が必要だ。置物でもいい──」
だが、一郎はそれを留めた。
アネルザが怪訝な顔をして振り返る。
「んっ?」
「だが、強引に連れて来ても、キシダインに気遅れてして、予定外の裁きをされても困る。いま、アネルザが言ったが、本当に置物でもいいのか?」
一郎は訊ねた。
*
宮廷が珍しく緊張感に包まれている気がした。
だが、緊張はイザベラ自身もそうだ。
イザベラは、出仕すると、群臣が居並ぶ広間に入り、玉座の右隣に設けられている「副座」に向かった。
これまで存在しなかった席であり、新たに設けられた席だ。玉座ほど荘厳ではないが、それを除けば、ほかのどの椅子よりも、豪華に作られている。
玉座の右隣は、王位継承第一位の者の席と決まっており、これまでずっと空位になっていた。そこにイザベラが座るということは、その意味することは明らかだ。
その隣には、正王妃のアネルザの席があり、すでにアネルザは腰かけていた。
いつもこういう場では苛ついている印象のあったアネルザだが、今日はなぜかにこにこしている。
また、文官、武官たちも入っており、近衛兵は両側に武装して並んでいた。
その前をイザベラがシャーラを連れて進んでいると、イザベラの緊張がアネルザにも伝わったのか、アネルザがにっこりとを微笑んで小さく頷く仕草を示した。
イザベラは、歩きながらゆっくり深く息を吸い込むと、長く息を吐いた。
それで、少し落ち着きを取り戻すことができた気がした。
任命式はまだであるが、これが王太女としてのイザベラの最初の宮廷務めだ。
これから行われるのは、第一王女アンの婿にして、ハロルド公であるキシダインに対するルードルフ王の沙汰だ。
キシダインがイザベラを暗殺しようとしたことについては、言い逃れのできない状況で明白となり、キシダインはこの数日、王都内にある「クリミナの塔」に監禁されていた。
クリミナの塔は、貴族の罪人を収容するための石牢の塔である。
また、そのキシダインが王女であるアンに、どのような仕打ちをしていたかということも、明らかになっている。
王軍公開演習のときに、これまで監禁されていたキシダイン邸の奥の院から、アンがロウによって救い出された後、第三神殿まで王妃が宰相たちを連れてやってきて、アンと話をしたのだ。
その供述には、イザベラも同席した。
キシダインのやったアンと侍女のノヴァに対する酷い仕打ちのことを姉のアンは、包み隠さずに語った。
自分が受けた仕打ちを語るアンは、どんなに惨めな気持ちだったろう。しかし、包み隠さずに、アンはそれがキシダインを追い込み、少しでもロウへの恩返しになるのであればと、アンは勇気を持って公にしたようだ。
ともかく、王命により、すでにキシダインとアンの離縁は成立している。王位継承権も剥奪だ。
さらに、厳しい処分がくだされるだろう。
それが今日行われる宮廷裁判だ。
その宮廷裁判において、イザベラは、ルードルフ王からの指示という伝言を受け、玉座の右隣に座っているように事前に命じられたのだ。
実のところ、イザベラがこのような宮廷における王の謁見に同席するのは初めてのことだ。
王そのものに会うのも久しぶりだ。
本当にいつも、後宮に入り浸っている王であり、イザベラもまた、これまで宮廷に出仕する資格がなかった。
会いようがないというのが実際だ。
なにしろ、これまで、イザベラは単に王の娘であるという第三王女にすぎず、宮廷における役職はない。
だから、
従って、侍女長のシャーラとともに、ほとんどの時間を小離宮ですごしていた。
ただ、これからは、王の行う様々な内政や外政に関与するのが、イザベラの大切な日常になるのだろう。
イザベラは、まだ空席の玉座の横に腰かけた。
シャーラが無言でイザベラの背後に立つ。
イザベラの侍女長だったシャーラは、イザベラの護衛隊長に格上げになった。これまでも同じことをしていたのだから、シャーラの役割は変わらないが、肩書ができたことで、シャーラの服装が侍女服から、護衛らしい王軍騎士の正装に変化していた。
これについては、ロウはシャーラの侍女姿が気に入っていたらしく、ひどく不満そうだった。
そして、王太子の護衛の衣装は下着の露出すれすれの短いスカートにしろと言って、シャーラを困らせていた。
イザベラは思い出して、笑みをこぼした。
副座ができたことで、アネルザの席は、玉座からみて、イザベラの右隣に接する位置に移動している。
そのアネルザが、すっとイザベラの手に自分の手を重ねた。
「……あの男の無様な姿を焼きつけておけ、イザベラ。今日の王の姿もな」
アネルザが少し嬉しそうにささやいた。
アンは、そのアネルザの浮き立つような雰囲気にちょっと小首を傾げた。
そのとき、王の出座を宰相が告げた。
イザベラは、ただ頭をさげた。
「キシダインを前に」
玉座に着くと、ルードルフ王はすぐに言った。
イザベラの父親ではあるが、それは血が繋がっているという意味であり、イザベラにはルードルフ王に父としての親しさはない。
それは三人の娘のすべてが同じだろう。
ルードルフは、自分の子を自分と一緒にすごさせたことはないし、庶子である第二王女のエルザも、後宮の女を母に持つイザベラも、実の両親と暮らした記憶はない。
ただ、第一王女のアンだけは、正王妃のアネルザのもとで、少女時代までを生きた。
しかし、そのアンも、父であるルードルフとは暮らしていない。
正王妃のアネルザとルードルフ王が、別々の屋敷で生活をしていたからというのもあるが、おそらく、ルードルフ王は子の父として生活をともにするという思考そのものがないのだと思う。
衛兵がキシダインを連れてやってきた。
イザベラを暗殺しようとして、つけ狙い続けてきた男だが、実際のところイザベラ自身は、キシダイン本人の姿を垣間見るのは久しぶりだ。
キシダインの失脚を決定づけることになった王軍大演習のときも、イザベラが演習場に到着したときには、すでにアネルザが手を回した兵によりキシダインは逮捕されていて、クリミナ塔送りにされた後だったのだ。
キシダインは、憔悴しきっているように思えた。
このキシダインに対して、王がどういう裁きをするのか、イザベラは知らない。
公爵であり、王族に連なる地位にあるキシダインの処断は、王にしかできない。
だから、宮廷裁判なのだ。
「……へ、陛下……」
衛兵に引き出されて、群臣の並ぶ前に跪かされると、キシダインはすぐに口を開きかけた。
だが、王がそれを制する。
王が合図をした。
すると、衛兵が五個の桶を持って入ってくる。
「出せ」
ルードルフ王が命じると、桶から首が次々に並べたてられた。
悲鳴があがり、群臣には膝をつくものもいた。
「ひいいいっ」
キシダインは腰を抜かしたようになり、その場に尻もちをついてしまっている。
イザベラは、悲鳴こそあげなかったが、並べられた生首を見て、ぞっとしてしまった。
そのひとりはデュセルだ。
ハロンドール王国の南域に属する地方領主であり、キシダイン派で知られていた。
ほかにもキシダインに親しい高級貴族ばかりだ。
王軍の将軍もひとりいる。
それが生首になって五個並んでいる。
イザベラは、それがどういう者の首なのかわかった。
第三神殿で、キシダインにどのようなことをされたのかをアンが赤裸々に語ったとき、キシダインに強要されて、アンが無理矢理に性の相手をさせられた男として言い並べた者たちだ。
その者たちがすでに殺されて、首になって並んでいる。
イザベラは度肝を抜かれてしまった。
いずれにしても、本当に、アンはまったく包み隠すことない話をしたと思う。
王女でもあるアンが奴隷女のように叩かれたり、蹴られたりして犯されたという話を余人に告げるのは、恥ずかしかったであろうし、恥辱でもあったと思うが、アンは自分の恥がイザベラを救うことにもなると知ると、なにひとつ隠そうとはせずに、淡々と説明した。
もっとも、それは事前にロウに言い含められていたためでもある。
アンは自分とノヴァを助けてくれたロウにかなり心服しているようであり、ロウがつらい記憶だろうが協力してくれと頼むと、むしろ、それでロウになにかの恩返しになるのであればと喜ぶような顔になり、宰相である大貴族たちに、アンがキシダインから受けた仕打ちを微に入り細に入り説明したのだ。
また、アンは、キシダインを追い詰めるためであれば、どうか自分の醜聞を利用して欲しいとも、アネルザにも言っていた。
そして、今日の宮廷裁判になった。
それにしても、王はその者たちに手を回して、ひと足早く処断をしていたのだと思った。
「首になった者たちは、お前という夫がいたにもかかわらず、余の娘であり、お前の妻だったアンを強姦した男たちだ。この者たちは、アンが余の娘であることを知りながら、アンに手を出した。つまりは余を裏切ったと同じだ。同じように、首になって、ここに並びたいか、キシダイン?」
ルードルフ王は冷ややかに言った。
キシダインは蒼白な顔で唇を震わせている。
「……お前は王太子になることを望んでいたし、余もお前の力量を買っていた。だが、自分の妻がお前に親しい者に犯されていたことを知らぬとは呆れたものだ。それとも、お前も承知でアンをほかの男に犯させたか?」
「……い、いえ……」
キシダインはそういうのが精一杯のようだった。
しかし、イザベラは、王の物言いが少し意外だった。
こんなに力強く語る人物だったろうか。
それに、内容も意外だ。
アンの申し出により、キシダインが歪んだ性癖の果てに、アンをほかの男に寝取らせたのは明白のはずだからだ。
それなのに、なぜ、王はキシダインがそれを知らなかったなどという言い方をしたのだろう。
「そうか……。ならば、これらの者には、特にアンは手酷い仕打ちを受けたと言っておった。それも知らぬことだな?」
王が合図をすると、広間に入る大扉が再び開かれた。
数名ずつの衛兵に全身を拘束された鎖を引っ張られながら、ふたりの大柄の男が入ってきた。
そのふたりは、下帯一枚の裸にされており、口には言葉が喋れないように布と縄で猿ぐつわをされている。
イザベラは、この男たちについても何者かを知っている。
タリオ公国からやってきているグラム=コブとグラム=ヴェルの兄弟だ。
このふたりも、キシダインがアンに「もてなし」を命じた者だ。
「んぐううっ」
「ふぐううっ」
王の前に連れて来られたふたりは、あまりの扱いに怒り狂っているようだ。
だが、イザベラは、このふたりに関する制裁の許可を遠いタリオ公に受けていることを知っている。
ハロンドールは強国だ。
そのハロンドールの三分の一の国力もないタリオ公国が、ハロンドール王の強い申し出に逆らえるわけもなく、タリオ公国は、アンに酷い仕打ちをしたというふたりをハロンドールで殺すことをすぐに承知してきたそうだ。
それに、タリオ公国の大公妃は、アンとイザベラの姉妹であるエルザだ。
その口添えもあったのだと考えられる。
エルザもまた、優しいアンを好きだったのを覚えている。
グラム兄弟がアンにしたことを承知したならば、エルザもふたりを許しはしないだろう。
「どうだ、キシダイン? 心して返事をせよ。アンは、この者からお前の屋敷で殴られ、蹴られ、そして、犯されたと語ったぞ。余は、このふたりを殺すつもりである。だが、もしも、それがお前の許可を受けて行ったものだとすれば、命は奪わんことにする。さあ、答えよ。この兄弟が、アンを犯したことをお前は承知していたのか? それとも知らなかったのか?」
「し、知りませんでした、王よ……」
キシダインが言った。
グラム兄弟が抗議するように吠えたが、キシダインは俯いたまま、兄弟には視線を向けなかった。
ルードルフ王が指図をすると、兄弟を押さえている衛兵とは別の者たちが出てきて、ふたりの顔に麻袋を被せた。
また、兄弟のそれぞれに三人の棍棒を持っている衛兵が周りにつく。
鎖で四肢を拘束されている兄弟が暴れ始めるが、それを衛兵たちが四方から鎖を引っ張って静止させる。
「やれ」
ルードルフ王が短く言った。
麻袋を被った兄弟の顔に最初の棍棒が打ち下ろされた。
それを始まりにして、袋を被せた兄弟の顔に狂ったように棒が叩きつけられる。
さすがにイザベラは目を背けた。
麻袋を被せられている兄弟から絶叫が迸ったようだが、それは袋に阻まれて大きな声にはならなかった。
宮殿に肉が棒に打たれ続ける音が響き続けた。
グラム兄弟は、しばらくは呻き声をあげていたが、棍棒で殴る音が二十発を越えると、もう声を出さなくなった。
イザベラは顔をあげた。
グラム兄弟は、袋を顔に被せられたまま、すでに床に横たわっていて動かなくなっている。
顔に被せた袋には、内側から噴き出た血の染みがところどころにできているが、それでも、まだ、その袋めがけて、衛兵たちが交代で力任せに棍棒を振り下ろしている。
「もうよい。死体を外に出して、首を切れ。切った首は、タリオ公国に送れ。余の家族に対する凌辱は、ハロンドールに対する挑戦も同じだ。その警告にする」
ふたりの身体が広間の外に出された。
袋は被されたままだ。
宮殿はしんと静まり返り、しわぶきひとつあげるものはない。
「キシダイン」
王の声が宮殿に響いた。
「は、はい……」
「お前のハロルド公の地位を解く。アルバナに行け。そこで静かに暮らすがいい」
アルバナというのは、東の辺境にある流刑地だ。
ルードルフは、キシダインを処断しなかったのだと思った。
イザベラはそれが意外だった。
キシダインにもまた、最初にアンに身体を抱かせた者たちの生首を見せられ、目の前で王がグラム兄弟を惨殺するのに接して、間違いなく、自分も処断されると思っただろう。
だから、流刑といわれて、意外そうな表情でルードルフに視線を向けている。
「……ひとつだけ言っておく。余は、お前にしても、お前が信頼している者にしても、その力量を買っている。だが、余の大切な娘を粗略にしたことについては残念だ。よって、お前は流刑とする。かの地で、自分のやったことを省みて、心を洗うがいい。今回の裁定はこれで終わる――。今回のことで、これ以上の罪を拡げることはない。皆の者――。これからも、余と王妃と王太女に忠誠を尽くし、この国をともに支えよ」
ルードルフ王が高らかに言い放った。
群臣が自然に頭をさげる。
アネルザが今日の王を目に焼き付けておけと言った意味がわかった。
これこそが王の姿だ。イザベラが将来になるべき姿なのだ。
当惑するくらいに、今日の王は威厳に満ちていた。
そして、キシダインは外に出された。
居並ぶ群臣を見回してから、ルードルフは退出していった。
結局、最後の最後まで、アンにやったことを糾弾しても、イザベラの暗殺未遂のことについては、王は一言も触れなかったと思った。