【2025.9.5コミック発売】異世界で淫魔師ハレム【完結】 作:ドン・ドナシアン
イザベラは、宮廷裁判のあと、一度私室に戻ったところで、すぐに王妃の個人的な部屋に呼ばれ直した。
シャーラとともに、小離宮から王妃宮に向かう。
到着すると、すぐに王妃の部屋に案内され、待ち構えていたアネルザに私室に連れ込まれた。
さらに、奥の部屋に案内され、人払いがされて、ふたりだけとなる。
シャーラを連れてくることも許されなかった。シャーラは、部屋の外で待機している。
イザベラは、アネルザと小さな机を挟んで座った。
「誰にも言うな。言えば、ロウの首が飛ぶ……」
アネルザが神妙な表情になり、顎で横の台を指した。
驚いたことに、そこには王の証である冠と錫杖、さらに一個の指輪がある。
指輪は明らかに、なにかの魔道具のようだ。
そして、そこで初めて、さっきのルードルフ王が実はロウであったことを告げられたのだ。
イザベラは驚愕してしまった。
「本当に、誰にも言うなよ――。エリカにも口止めした。先日は、もしも、ルードルフとロウのどちらかを選べと告げられれば、ロウを選べと言ったが、まさに今日はそんな気分だよ。まさか、今回の処置まで丸投げするとは思わなかった。しかも、身代わりを立てるというと、王の印である錫杖と冠まで寄越したんだ。どこまで愚物に生まれついてんだよ」
アネルザがうんざりしたように言った。
イザベラは唖然としたままでいた。
まさか、王が王国の歴史を左右するような宮廷裁判から逃げるだなんて……。
しかも、さっきのはロウ──?
あれが……。
イザベラには、堂々とした国王そのものにしか見えなかったが……。
「どうする? このままルードルフを始末して、ロウに代わりをさせようか? 幸いにも、あいつの姿を刻んだ変身具はあるし、王の象徴もそこにある。案外、いけるんじゃないかい?」
アネルザが自嘲気味に笑った。
イザベラは、もう一度横の台を見る。ならば、その指輪は変身リングなのだろう。
冠と錫杖と合わせて、国王変身セットというところだろうか。
これを本当に渡してきたとすれば、確かにアネルザならずとも、血の繋がっている娘のイザベラだって呆れてしまう。
「それでロウは?」
ここにはいないようだ。
それにしても、さっきのは本当にロウ?
とても信じられない。
そもそも、あんなに演技力のある人だったのか?
イザベラには、迫力のある立派な王にしか思えなかった。少なくとも、あの場にいたもの全員が、平素とは異なる王の威厳に自然と頭をさげ、圧倒されて戦慄した。
それが、ロウだっただなんて……。
「戻ったよ……。冷や汗かいたと恐縮していたけどね。だけど、なかなかどうして。立派な国王の姿だったじゃないか。あれなら、誰ひとりとして、実は王でなかったのは気がつかんかったろう……。いや、むしろ、立派すぎたね。ルードルフをよく知ってる者なら、ルードルフにはあんな風格などないことがわかってるしね」
アネルザが高笑いした。
しかし、やがて笑うのをやめて真顔になり、イザベラの顔を覗き込むようにして、顔を近づける。
「宮廷裁判は今日でなければならなかった。さもなければ、キシダインを潰すために、この十日でやったことが無駄になる。キシダイン派は息を吹き替えし、ルードルフの迷いに乗じて、キシダインを擁護しようとするだろう。そして、あいつの権力が復活する。だから、一気に片づける必要があった。それなのに、今日は気が進まんなどと我が儘を言い出しやがってね……」
アネルザが苦虫を潰すような顔になった。
我が儘を言ったというのは、ルードルフ王のことだろう。よくはわからないが、宮廷裁判の直前にでも、国王が出たくないとでも、駄々を捏ねるということでもあったのだろうか?
それで、急遽、ロウが代役を務めた?
やっとわかってきたが、なんということを……。
王に成り済ますなど、大変な大罪だ。
「それで……本物の陛下は?」
「後宮だよ。サキが隠している。サキの能力で記憶を一時的に麻痺させた愛妾たちを次々に抱かせている。居場所も後宮の部屋を移動術で転々とさせてるから、護衛騎士でさえもどこにいるかは把握してない。護衛が侍っているのは、いまでは誰もいなくなった空き部屋だ。ルードルフの身柄はこの十日間、そうやって、ずっと押さえてたんだ。万が一にも、キシダイン派に接触させないようにね」
「えっ? 十日間?」
イザベラは声をあげた。
すると、アネルザがにやりと笑った。
「お前の父親だけど、あれはどうしようもない愚物さ……。とりあえず、女を抱かせておけば大人しい……。それがわかっているから、今回のことで、いままでキシダイン派だった連中が、自分は助かろうと、賄賂代わりに次々に性技に長けた美女を送り込んできてね。会わせはしないが女についてはもらって、ずっとあいつの相手をさせてた。とにかく、あんなのに表に出られては、滅茶苦茶になる。だから、こっちで匿って、後宮から命令だけ連発させてたんだ」
「ええっと……。つまり、この十日間で行われたキシダイン派の捕縛や、タリオ兄弟の逮捕、それと、さっきのアン姉様に手をつけた者たちの断首とかは……」
今回のキシダインの失脚を受けて、多くはないが、特にキシダインとの関係が深い部下的な貴族、癒着が激しかった商家や役人たちが二十人以上、ほかにもキシダイン派の軍人も数名は捕縛されてる。
断首されたのは、まだ五人のみだが、それなりの人数がまだ獄の中だ。
それらは、王命で実施されたはずだが、もしかして、王はほとんど関与してなかった?
「わたしとロウ、そして、サキだけでほとんどやった。マアも少しは絡んでるかな……。まあ、それくらいだ……。ルードルフには、女をあてがいながら、ただ署名をさせ、王印を押させただけだ。自分がなにを命じたのかよくわかってもないだろう。玉璽もこっちで抑えてる。そういう意味ではやりたい放題さ」
アネルザはくすくすと笑った。
そんなことになっていたとは、ちっとも知らなかった。ただ、言われてみれば、キシダイン派を潰すには、あのダドリー峡谷の一件だけでは十分ではない。
いや、むしろ、あれをきっかけに、どれだけ一気にキシダイン派で厳重に固まっていた権力や権益を崩して、奪い取れるかだ。
つまり、それをこの十日でやっていたのだと気づいた。
イザベラなど小離宮で、どんどんと進む事態の変化に呆然とし、やはり、ルードルフはアンのことでかなり怒っているのだと思った。
なにしろ、アンのことで腹に据えかねた国王が、自ら次々に指示を出していると噂もたっていたし……。
しかし、実はなんのことはない。
ここで、やっていたのだ。
アネルザとロウで……。
「そういう意味では、この十日間のことはお前にも絡んでもらうべきだったかもしれない。蚊帳の外に置くんじゃなくてね……。だけど、お前を今回のことに関わらせるのは、ロウが嫌がってね」
「えっ?」
イザベラは思わず声をあげた。
突然にイザベラの名が出たからだ。
しかし、考えてみれば当然と思った。イザベラは王太女になるのだ。
これまでは、王太子がいなかったので、国王の政務の代行を王妃アネルザがしていたが、本来はそれは王太子のやることだ。王妃には制度上、それほどの権限はない。国政に関することは、王太子は国王に準じる地位にある。それが本来である。
そもそも、今回のことは、イザベラとキシダインとの、王太子争いのことだ。キシダイン派の瓦解のための活動は、むしろイザベラが中心になるべきだ。
しかし、まったく考えなかった。
だが、ロウがイザベラに関与させるのを嫌がったと言ったか?
「イザベラ、そんな顔をするな。ロウはお前を邪魔者のように考えたわけじゃないよ」
アネルザが笑った。
そんなつもりはなかったが、いま、イザベラは変な顔をしたのだろうか?
とにかく、顔から表情を消す。
「べ、別にそんな風には……」
「そうか……。まあよい。とにかく、この十日でやったのは、汚い仕事だ。捕縛させたのはキシダインの権力を潰すのに、どうしても阻害になるかもしれん者たちだ。軍人も貴族もそうだ。王家ではなく、キシダインのために動きそうなのは先に捕らえた。商家もそうだ。キシダインの財政基盤を完全に潰すための措置だ。実際に法に触れる罪を犯しているかどうかは知らん。時間もないし、いちいち調べとられん。だから、でっちあげた」
「そ、そうなのか? しかし……」
「言いたいこともあるかもしれんが、必要なことだ。あいつの政権基盤を残しておくと、お前の治政の阻害にしかならん。すべてを一新する必要がある……。そういう意味では、ロウの指示は、こういうことでも実に的確だったな。権力争いのどろどろした内容など経験があるわけでもないだろうに、キシダインの力を潰しながら、かといって、やりすぎて連中を結束させたり、反発しないように、実に手をつける正面や相手の均衡を考える。あれは才能だな。話をすれば、本当に的確に判断してくれる。勘がいいのだ」
アネルザが目を細めて愛しそうな表情になる。
国王の政務嫌いは有名であり、その分、王妃の負担が大きかったのは、イザベラも知っている。
だから、もしも、ロウがアネルザのやることを手伝い、しかも、アネルザが感心するくらいに相談役として役立ったなら、アネルザはどんなにそれをありがたく思っただろう。
確かに、いまはそんな顔をしている。
「だが、やはり、そういうことなら、わたしにも手伝わせて欲しかったな。それは役には立たんかもしれんが、わたしのことでもあるのに……」
やはり、イザベラは不満に感じてしまった。
イザベラがやるべきことをロウがやったと思ったのだ。
すると、アネルザが首を横に振る。
「さっきも言いかけたが、ロウはそなたを邪魔に考えたわけじゃない……。というよりも心配したのだ。お前がまだ十六歳だからと言ってな」
「心配?」
「王太女になるとはいえ、まだ十六歳のお前の心を汚い政治の駆け引きに染めてしまうのは気の毒だというのだ。存外に心配性でもあるようだ」
アネルザがにやりと笑った。
イザベラは当惑した。
「そ、そんなこと……」
「まあ、だから、不満に思うな。いずれにせよ、ロウには大恩ができたな。この十日だけのことではなく、宮廷裁判ひとつにしても、ロウのしてくれたことは大きすぎる。まあ、あいつのことだから、そんなことを言っても、じゃあ、身体で恩を返せというだろうがな。お前も陰毛を剃られるくらいは覚悟せいよ。暗殺から免れて、王太女になれたのは、あいつのおかげだ」
アネルザが大笑いした。
突然に話が淫交の話題になり、イザベラは顔が赤面するのを感じた。
「な、なんでいきなり、毛の話など……」
イザベラは困惑して、頬を膨らませた。
しかし、アネルザは笑ったままだ。
「すまん、すまん、しかし、思い出してな。わたしが恩に感じるとあいつに言ったら、そうしたら、ならばと毛を剃られてしまったのだ。いまはつるつるだ。見せてもよいぞ」
アネルザがさらに笑いながら言った。
イザベラはびっくりした。
そして、イザベラさらに当惑するのがわかったのだろう。アネルザの高笑いが大きくなる。
「だから、あいつに下手に恩義に感じるなどとは口にせんことだな。あれは、本当に希代の女たらしで好色男だ。キシダイン派の撲滅のために、連中の権力基盤となる人材を罪を鳴らして捕縛させていくという汚い仕事をしながら、一方でわたしを抱き、サキを抱き、わたしの陰毛を剃るという悪戯もするのだ。護衛で交代で着いてきていた三人娘も満足させるくらいには抱いていたようだ。あんなに忙しかったのにな。とんでもない男だよ」
アネルザが言った。
だが、ロウらしいかもしれないとも思った。
イザベラもくすりと笑ってしまった。
「だが、その様子だと、この十日間は忙しかったのだろう? ロウはずっとここに?」
「いたな……。ほとんど、ここに寝泊まりしているような状態だった……。だが、そなたのところにも行ったであろう? 侍女たちの剃毛はかなり進んでいるらしいじゃないか。お前の毛はまだ無事か? ミランダのところにも行ったが、あれは、ダドリー峡谷のときの報酬を盾に断られたみたいだな。ロウが口惜しそうにしていた。まあ、ミランダもドワフ族の矜持かなんかは知らんが、ロウを相手にどこまで持ちこたえられるか」
アネルザが悪戯っぽく言った。
しかし、剃毛など……。
そういえば、そんなことを事前に言っていたのは覚えているが……。
そもそも、侍女たちの剃毛が進んでいるなど初耳だ。
こっちでも蚊帳の外か……。
まあ、わざわざイザベラに話すことではないと思うが……。
いずれにしても、まだイザベラの毛は無事だ。おそらく、シャーラも大丈夫だろう……。
いや、もしかして……。
戻ったら、無理矢理に確認するか……。
「ロウもすごいな」
とにかく、イザベラはそれだけを言った。
「おう、すごい──。とにかく、わたしの目に狂いはなかった。一介の冒険者にしておくには勿体ない。なんとしても王家で囲い込まないとな。あいつは、ただの女扱いがうまい男だけではない。どこで学んだのかと不思議なくらいに権謀術数にも長けている。キシダインを処刑にしなかったことなど、わたしは意外だったな。だが、理由を聞いてなるほどと思った」
アネルザの言葉に、はっとした。
さっきの宮廷裁判で意外だったのは、キシダインの処遇だった。
アンに手をつけた大貴族たちがことごとく斬首になり、グラム兄弟も残酷に撲殺された。
しかしながら、当のキシダインが流刑だ。
これは腑に落ちなかった。
「もしかして、キシダインを流刑にしなかったのは、ロウの判断なのか? 陛下ではなくて?」
「陛下? あのろくでなしの駄犬がなにかの判断なんかするものかい。ロウの意見……、つまり、わたしたちのロウの下した判断だよ。わたしは処刑以外には考えられなかったけどね」
アネルザが微笑んだ。
イザベラは怪訝に思った。
「どういうことなのだ?」
イザベラは訊ねた。
すると、アネルザの口元から笑みが消えた。
「意外なんだろう? 宮廷裁判では、王に扮したロウが、あの茶番でキシダインがアンを辱めたことについてだけを繰り返して咎めていたのに、お前に対する暗殺のことや、派閥を組んで自らの勢力を作り、専横に近いことをしていたということには、一切の言及はしなかったからね。これはわたしとロウであらかじめ考えた台本だ。本当はルードルフがあれをやるはずだったんだ……。だが、あのろくでなしは……。しかし、まあ、結果的にはよかったかもね……。ルードルフには務まらなかったよ……。いや、話が逸れたね……」
そして、イザベラにしっかりと視線を向ける。
「お前のためだよ。ロウは、お前のことを考えて、そうしたんだ」
「わ、わたしのため?」
意外な言葉にイザベラは当惑した。
「お前には弱点がある。それを指摘したのはロウだよ。つまり、お前を庇護してくれる領主たちがおらず、独自の派閥勢力というものがない。だから、キシダインのようなものがのさばったんだ。本来は、ルードルフの娘であるお前が王太女になるのは、当たり前の話なんだ。それに反論が出るのがおかしいんだ。お前が無能ではないのは、誰もが知っている。真の無能はいまでも後宮で腰を振っている駄犬だけどね……」
アネルザが口元を歪めて言った。
さっきからそうだが、ルードルフ王のことに言及するたびに、怒りが込みあがるような表情になる。
余程に今回のことは腹に据えかねたのだろう。
それはさておき、イザベラ自身のことだ。
「ロウがわたしの権力基盤がないのが欠点と?」
「そう言ったね。だから、キシダインを下手に退ければ、キシダインとそれを支持する領主たちが、お前に刃向かい、場合によっては、大きな内乱にでもなることが考えられた。だから、こんなにも短い期間で一気に片付けたんだ。逆に言えば、キシダインには、あれを支持する味方が多い。それはあれの長所だ。あんなんだが、圧倒的な支持をあいつは持っているんだ」
「確かに。わたしには、支持をしてくれる貴族はいない。」
それは認めざるを得ない。
「そう言う意味では、おそらく、キシダインがそのまま王になるのが一番揉めなかった。あの駄犬の功績は、その優柔不断のおかげで、キシダインを王太子にしなかったことだろう。駄犬は駄犬で、キシダインが王太子になれば、自分はさっさと片付けられるくらいのことはするかもしれないという危機感くらいはあったのさ」
「それは……」
「お前に言わせれば、あの男が王になるのが相応しかったという物言いについては、異論もあるやもしれん。だが、あの男が王太子になれば、多くの領主はそれを支持することはわかっていたし、逆に、先日までの状況で、お前を王太子にすれば、それを気にいらない領主たちが刃向かい、ハロンドールが内紛に乱れる可能性もあったと思う……。これはロウが言ったことさ。まあ、お前が権力を持つのを邪魔したわたし自身に、大きな責任があるんだろうけどね。悪かった……」
アネルザが頭を深々とさげた。
イザベラは慌ててそれを押しとどめた。
「だが、ロウはよくわかっているとも感心したよ。ロウの言葉を借りれば、もしも、キシダインほどでもなくても、お前に領主たちを押さえる力量がもっとあれば、あの駄犬でも、お前を王太子に任命するのに躊躇わなかったはずだということさ……。確かに、あの駄犬が怖れていたのは、自分の生命が脅かされることと、内乱が起きることだ。キシダインを選べば前者、お前を選べば後者ということだ。そうかもしれないと、わたしも思った」
アネルザが言った。
確かに、イザベラもそうだと思ったが、それを一介の冒険者のロウが指摘した言葉だということに改めてびっくりした。
本当に何者なのだろう。
「……だけど、これで終わりだ。キシダインの醜聞をあれだけ表に出せば、もはや、キシダインを推せる領主はない。キシダインは政争の挙句に流刑されるのではない。アンに対する残酷な仕打ちを咎められて失脚するのさ……。いいかい。これが大切なのさ。キシダインを王太子に推していた連中は大勢いる。暗殺未遂もその一環だ。それを咎めれば、その大勢のキシダイン派だった連中が動揺する。自分たちもまた、罪の対象であるかもしれないと思ってしまってね」
「つまり、だから、アン姉様に対する罪だけ糾弾したということなのか?」
「そういうことだね……。まあ、偉そうに喋っているけど、考えることにかけては、どうにも、わたしはロウには及ばなくてね。そんな風に思考したことはなかったよ……。それはともかく、だから、ロウと相談をして、わたしは、あえて、キシダインを追及するのは、アンに対する行為のみのこととしたんだ。キシダインの派閥に属しても、アンのことは知らなかった者が大多数だ」
「ならば、これまで、わたしとキシダインで王太子を争ったことに際して、キシダイン派だった者たちの罪は問わないということか?」
「ルードルフに扮したロウが、最後に宮廷裁判で宣言したのは、まさにそこのことだ。ずっとキシダイン派だった者たちは、王が政争のことを持ち出さなかったことに、かなり安堵しているだろうよ。わたしとロウが首を斬らせたのも、あくまでも、アンに手を出した者たちだけだしね」
イザベラは、やっと、なぜ、ルードルフ……、いや、ロウが宮廷裁判でイザベラの暗殺未遂のことを持ち出さなかったのかわかってきた。
キシダインのイザベラ暗殺未遂は長く続いていたイザベラとキシダインの王太子の座を争っていた確執の延長にある。
もしも、王がその確執を咎めて処断をすれば、当然に、これまでキシダインに属していた者たちは、自分たちもまた咎められるのではないかと動揺するだろう。
それを避けたかったのだと思った。
なにしろ、彼らは、これから、いずれはこの国の女王となるイザベラが使うべき者たちなのだ。
「だから、わたしが王太女になったとき、大きく領主たちが動揺することを避けるために、姉上のことだけを宮廷裁判で言及させたのか……」
「アンにだけ恥をさらさせたようで気の毒だとは思うけどね……。だけど、アンのことだけを口にして、キシダインを失脚させたことで、キシダインの失脚が非常に曖昧なものになった。それでいて、キシダイン派で、もっとも力を持っていた者たち五人は処断もした。もう大きな抵抗勢力はない。あとは、お前の仕事だ。つまり、味方を増やすことだ」
「はい」
イザベラは言った。
味方を作ること……。
イザベラは自分に言い聞かせた。
「キシダインに属していた者を取り込め。お前の味方にせよ。獄に繋いでいる者はお前の名で釈放するといい。あの連中はもう結果が出てしまえば、なにもできない。これもロウの知恵だ。たっぷりと恩を売るといい。さっそく、そいつらを取り込め──。使えない駒などない。汚れてても、気に入らなくても駒は駒だ──。どうやって使うかを考えるんだ」
「……あの連中を味方に?」
「そうだ。ひとつだけ言っておくよ……。まあ、またもや、ロウの言葉で恐縮するけどね……。王は、王だから王なのではない。王たらんとするから王なのだそうだ。王の役目にはいろいろとあるけど、大きなものは国を乱さんことだと、ロウは言ったね。部下に反乱を起こさせてはならんと……。内乱があれば民衆が犠牲になり、国は衰え、力を失う。そうなれば、外国につけ入れられることになる」
「ロウがそんなことを……?」
イザベラは言った。
唖然とした。
「わたしも改めて、ロウの言葉はもっともだと思ったよ。確かに、民政も大切だし、交易をして国を豊かにすることも必要だけど、ロウの言うとおりに、まずは、王は国を乱してはならんのだろうね。それが使命だろう」
アネルザがにっこりと微笑んだ。
イザベラはしっかりと頷いた。
「……まあ、いずれにしても、これが政治というものであり、国とはこの程度のものだということさ。わたしとしては、ロウには、王の器があるということを確認できて、今回のことは本当に満足だ」
「王の器?」
すると、アネルザがにやりと笑った。
「……つまりは、あいつを手離すなということだ。絶対にだ。しがらみを作れ。さっきのことはロウが言ったことだ……。わたしは別のことを言うよ……。ロウを離すんじゃないよ。そのために、できることをしな。なんだったら、子供のひとりやふたりは孕んでみせな。それで、ロウはハロンドールを見捨てられなくなる。あいつは大した男だよ」
「お、王妃殿下──」
イザベラはかっと顔が熱くなるのを感じた。
孕めなど、なんということを……。
アネルザがまたもや高笑いした。
「まあいい……。いずれにせよ、イザベラ、お前が王太女だ。長く空位になっていたが、これでやっと、国としてのあるべきかたちになるんだ……。とはいっても、お前は政事のことや、貴族たちをどう扱うかということについて、なにも知らないと思う。心配はいらない。少しずつ、わたしが持っていた業務をお前に移管していく」
アネルザが言った。
仕事をしたがらない国王の仕事をかなりの部分で王妃が肩代わりをしているということは、もちろんイザベラは知っている。
「はい……」
イザベラは返事をした。
アネルザは微笑んでいたが、その眼は笑っていなかった。
イザベラは身を引き締めた。
どうやら、アネルザがまだなにかをイザベラに伝えようとしていることに気がついたからだ。
「とにかく、しばらくは勉強だね。お前はこれまで実務についたことがない。宮廷調整や貴族どもとの駆け引き──。覚えなければならないことは多い。流通や政務の勉強はマアにしてもらっているとは思うけど、それを現実の業務にすることはまだまだだ」
「わかっている」
「まあ、お前に付けているヴァージニアは優秀だ。ほかにも人を頼るんだね。なにもかも抱え込む必要はないし、むしろ、それは邪魔なことだ。ルードルフに取り柄があるとすれば、あれは自分ではなにもせずに、仕事ができる相手になにもかも任せてしまえることかもね。ある意味ではそれも王の大切な資質だ。絶対に自分がやらなければならないことまで丸投げするのは、言語道断だけど」
アネルザがまた溜息をついた。
「わかりました」
とりあえず、イザベラは返事をした。
しかし、イザベラはひとつだけ訊ねてみることにした。
「……ところで、キシダインのことだが、このまま流刑地ですごさせるつもりか?」
イザベラは言った。
ふと、考えてたのは、ロウのことだ。
ロウは、キシダインについて、単にイザベラを害して王太子の座を狙っていたという以上に不穏な勢力と結びついて、その力をハロンドールにも及ぼそうとしているのではないかと懸念していた。
そして、その不穏勢力は、ロウの個人的な敵でもある気配なのだ。
キシダインを処断しておかなければ、その勢力を引き入れて、なにをしでかすかわからない。
そのくらいのことは、イザベラにもわかる。
「お前が懸念していることは想像がつく。だけど、さっきも言ったけど、国王自ら処断すると動揺する群臣がいるから、処刑は避けた。だが、キシダインは危険だ。死んでもらうのが一番よいというのは、ロウもわたしも一致している。だから、流刑地に向かう途中で雷にでも当たって死んでもらうのがもっとも都合がよい……。そういう結論になった」
アネルザが意味ありげに笑った。
イザベラは首を傾げた。
「雷?」
「この王都には便利な組織がある。お前がギルド長をしている冒険者ギルドだ。すでに、ルードルフ王の名で、ある極秘クエストをギルドに依頼した。ミランダは、もっとも信頼する冒険者に、そのクエストの実行を命じるさ。例によって、あの駄犬は実際には関知してない。それでも名前くらいは使わせてもらうさ」
「クエスト?」
イザベラは意外な言葉に訝しんだ。
「つまり、王家はキシダインの処置に関わる、あるクエストをギルドに依頼したのさ。それをロウたちは受ける。まあ、そういうことになった……。そういうことで、ロウも忙しい。だから、本当はロウが伝えた方がいいと思うことを、こうやって、わたしがお前に伝えたということだ」
「ロウは?」
「そのクエストさ。その準備に奔走している。次に王宮に来るのは、それが終わってからだろう……。いずれにせよ、本当に、ロウへの恩義は巨大すぎるね……。わたしも、もうひと働きして、なんとしても、あの駄犬にロウを王国に取り込む方策のひとつかふたつをやらせるよ」
「取り込むとは?」
イザベラは訊ねた。
しかし、アネルザは微笑んだだけだ。
「まあ、いいじゃないか……。だが、絶対に駄犬に承知させる――。お前はお前で、ロウが戻ったら、改めて礼をいうといい。表には出せないが、お前が王太女になれたのは、ロウのおかげだ。まさか、自分の力とも思わんことだ」
「それはわかっておる。ロウには感謝してもしすぎない」
「だったら、陰毛がなくなるのは覚悟するんだね──。さっきも言ったけど、わたしはさっさと剃られてしまったよ」
アネルザがまたも豪快に笑った。