【2025.9.5コミック発売】異世界で淫魔師ハレム【完結】 作:ドン・ドナシアン
206 新たなる日々
「はあっ?」
ミランダは唖然とした。
そして、すぐに、おそらく、自分はスクルズの言葉をなにか誤解したのだろうと思った。
さもなくば、例によって、あの鬼畜男がスクルズになにかをしたかだ。
いずれにしても、ロウが一枚絡んでいるのは間違いないと思った。
そうでなければ、敬虔な聖職者であるスクルズが、こんな馬鹿げたことを言い出すわけがない。
少なくとも、スクルズのことを以前から知っているミランダには、スクルズが狂ってしまったのではないかと思うような、スクルズの言葉だった。
「ミランダ、わたしは至って真面目です。これは、わたしにとって大切な儀式なのです。知っていると思いますが、王都三神殿の神殿長に巫女が就任するというのは、すなわち、主神にして、天空神たるクロノス神の妻の末席に加わるという意味があります。しかし、わたしは、たとえ形式といえども、別のお方を夫としては受け入れるつもりは全くありません。本当にないのです」
スクルズの物言いは頑なだった。
ミランダは、一見素直そうに見えるスクルズが、実は大変に頑固な気質であることをよく知っている。
それだけに、すでに決心している口調には、翻意させることが難しいという気はする。
しかし、言うべきことは言わないとならないだろう。
ロウを取り巻く女たちの中で、いまや良識派といえる者は、ミランダくらいになっている。誰かが歯止めとならなければ、あの男はどんどんと増長して、手につけられないわがまま男になっていく気がするのだ。
王都中央にあるギルド本部だ。
すでに夜はかなり更けており、本部にはここを家にしているミランダのほかに、数名の待機要員がいるだけだ。
ここは、本部の奥にあるミランダの私室といえる場所であり、スクルズはこの部屋に直接に転送術でやって来たのだ。
ふたりきりで話したい「依頼」があるということであり、もともと、防音の結界が施されている一室なのだが、そこにスクルズは、さらに自分自身の魔道により、あらゆる魔道具による盗聴、盗撮を防ぐ結界を二重にかけた。
それだけ、余程の話なのだろうと思った。
スクルズが語ったのは、数日前にタリス公国内にある大神殿から正式の使者が訪れ、スクルズの第三神殿長の就任が決定したということだった。
あらゆる意味で異例の大出世であり、スクルズの魔道遣いとしての評判とハロンドール内における人気が評価されての結果だろう。
大国ハロンドール王国といえども、神殿に関しては、ハロンドール王の王権の外にあり、その人事は旧ローム帝国の帝都に存在する大神殿の教皇が持つ。
ハロンドール国王と言えども、神殿の人事は自由にできないが、ロウは自分の持っている影響力を駆使して国王を動かし、遠い大神殿にスクルズの推薦をしつこくさせたとは聞いている。
それで、やっと就任が決まったのだろう。
王国の歴史で最も若い王都三神殿の神殿長であり、百年ぶりほどの女性神殿長だ。
正式に世間に発表されれば、大変な騒ぎになるだろう。
ミランダも嬉しかった。
しかし、それに次いで、スクルズが口にしたのは、正式発表後に大きな間隙もなく行われるはずのスクルズの就任式において、あることをロウに頼みたいという依頼だ。
その依頼の内容が荒唐無稽すぎて、神殿長就任のお祝いの気持ちも吹っ飛び、唖然となってしまったところだ。
そして、我に返った。
ミランダは、スクルズが正気を失ったとしか思えなかった。
「とにかく、考え直しなさい。これは忠告よ。あの男に可愛がってもらいたいのであれば、式典の後でも前でもいくらでも可愛がってくれるわよ。ほかならぬ、あんたのお願いならね」
ミランダは溜息をつきながら言った。
だが、案の定、スクルズは首をはっきりと横に振る。
「ミランダにはわからないと思いますが、聖職者であるからこそ、わたしにとって、就任式は許されぬ行為なのです。わたしたち聖職者にとって、神との契約は破棄することなどあり得ない絶対の誓いです。だから、ロウ様にお願いしました」
「つまり、その儀式そのものを壊して欲しいと?」
「その通りです。わたしは、ロウ様の精を受けて儀式に臨み、誓いの儀式の最中にロウ様に犯されます。婚姻の対象となる女が別の男の精を受けているとなれば、儀式の意味合いは、天空神との婚姻というものから、天空神との婚姻の拒絶の意思を示すことになります。わたしは、敬虔な聖職者であるが故に、神と偽りの儀式を行うわけにはいかないのです」
「神とは婚姻はしない。だけど、神殿長には就任する……。それをしたいということ?」
ミランダはもう一度嘆息した。
言葉そのものはもっともらしいが、内容は滅茶苦茶だ。
スクルズは、あろうことか、神殿長就任式の最中にロウに抱かれるというのだ。
そして、これをクエストとして、冒険者ギルドに依頼し、ロウに高額の報酬を受け取ってもらうのだという。
ミランダとしては、どれから突っ込んだらいいかを迷うほどの、常識外れの内容である。
「いいから冷静になりなさい、スクルズ。あんた、頭は大丈夫?」
いくらなんでも、失礼な物言いかと思ったが、それで少しはスクルズが怒ってくれれば、多少は事態も変わるのではないかと思った。
どうやら、見た目は冷静そうだが、スクルズは思いつめるだけ思いつめていて、まともな思考状態ではないようだ。
まあ、無理もないのだ。
このスクルズは、聖職者界では、王都第三神殿の筆頭巫女として、巫女としては上位の地位にあったが、男の神官を含めれば、王都内だけでも十番目くらいの地位だった。
地方にある大きな神殿長に就いている者も含めれば、聖職者順位としては、二十番以内にも入っていなかったはずだ。
それが、王の推挙とはいえ、ごぼう抜きの王都第三神殿の神殿長就任である。
王都内については落ち着いているが、聖職者世界においては、いまだにかなりの騒ぎというのは耳にしている。
あちこちから妬み嫉みをぶつけられるスクルズは、大変な心の重みであると思う。
そもそも、王都三神殿の神殿長就任は、それだけでハロンドール内の聖職者界では、三番目以内の序列であることを意味する。
女である巫女が、三神殿の神殿長に就くのも、実に百年ぶりくらいだ。
大変なことなのだ。
もっとも、スクルズは将来を嘱望された有能な巫女だったので、ひそかに将来的には、王都神殿長の地位も期待はされていた。
だが、それは本来はずっと先の話であったはずだ。
まずはどこかの中堅クラスの地方神殿の神殿長となり、そこで実績をあげて、王都に戻り、三神殿のいずれかの副神殿長、さらに、もう一度、今度はもっと大きな地方神殿長となって、それからのことだったろう。
いまは二十代のスクルズは、少なくとも、四十歳以上にはなっていたと思う。
そもそも、ロウがスクルズたちに関与するきっかけとなったのは、スクルズが地方神官長に出世しようとするのを第一神殿の筆頭巫女だったウルズが嫉んだことから端を発している。
それが、あらゆる慣例を打ち破って、スクルズは二十六歳という若さで王都三神殿の神殿長に就任するのだ。
ロウと関係するようになったことで、スクルズの魔道力が異常にあがり、誰もが認める王都第一の魔道遣いとなったということがあっても、スクルズの出世は異常だ。
それでも、スクルズは、この話があったとき、ふたつ返事で神殿長就任を受けた。
以前のスクルズであれば、まずは、こんな話は絶対に拒否したはずだ。
その理由もミランダは知っている。
スクルズは、自分が神殿長になることで、恩義のあるロウをもっと助けることができると思っている。
ノルズ事件のとき、命を失うところだった自分を、ロウが救ってくれたことをスクルズはいまだに強く感謝しているようだ。
それにしてもだ……。
「わたしの頭はいたって冷静です。ロウ様には、大変なご負担になるとは思いますが、わたしにとっては必要なことなのです。わたしは、天空神の妻となることなく、神殿長になりたいのです……。そもそも、なぜ、巫女の神殿長の就任は、天空神クロノスとの婚姻の誓いという意味になるのでしょう。殿方の神官が神殿長になる場合は、そのような誓いの意味などないのです。不公平です」
「知らないわよ。あんたら聖職者の慣習のことなんて……。神学論争をあたしにぶつけないでよ」
ミランダは苦笑した。
さすがに、スクルズもちょっと顔を赤くした。
「……いずれにしても、わたしは、本来の儀式のまま、就任式を受けるわけにはいきません。天空神は、男女の性愛には寛容なお方です。きっとわたしの気持ちをわかってくれると思います」
「天空神はともかく、就任式には、王陛下をはじめとして、内外からの賓客が出席するのよ。一般民衆だって、王都どころか、地方からも大勢やってくるはずよ。あんたは、そこでロウに犯されようって言うの?」
「ロウ様ならやってくれると思います。実は、先日直接お願いしました。ロウ様は受けてくださるそうです」
スクルズが嬉しそうに言った。
「そりゃあ、引き受けるでしょう。あの男は、こういう破廉恥な遊びが大好きなのよ。だけど、これは、あの男にとっても、大変な負担よ。下手をすれば、この国の神殿界を冒涜した極悪人として、火あぶりになるかも」
「そんなことはさせません。わたしがついているのです。それに、ロウ様は失敗などなさいません」
スクルズはからからと笑った。
ミランダは呆れてしまった。
これは、相当にロウに参っているようだ。
スクルズは否定するかもしれないが、ずっと信仰の対象だった天空神そのものが、いつの間にかスクルズの心の中で、ロウと入れ替わっているのかもしれない。
「……それで、どうなのです? 冒険者ギルドでは、このクエストを引き受けてはくださらないのですか? ならば、わたしは個人的なお願いとして、ロウ様のところに改めてお願いに行きます」
スクルズははっきりと言った。
ミランダは、今度こそ諦めた。
「わかったわよ。勝手なことをされるよりは、わたしの目の届くところでやってもらう方がましよ。だけど、スクルズ、これだけは言っておくわ。ロウはいまや、一介の冒険者じゃないわ。姫様の愛人であり、王妃様のお相手でもある。あたしだって……。とにかく、あんたのわがままで、もしも、ロウになにかがあったら……」
「わがままなのは承知しています。でも、今回だけは、このわがままを受け入れてください。わたしにとっては、本当に必要なことなのです。これは、天空神に対するわたしとの密かな儀式でもあります」
スクルズが深々と頭をさげた。
ミランダは三度目の溜息をつくと、ちょっと大袈裟な素振りで肩を竦めてみせた。
「とにかく、この件は預からせてもらう。いま、ロウには別件で指名依頼をしているの。ある闘奴隷の案件があってね。連続で指名依頼は出せないわ。それもギルドの掟でね」
「結構です。就任式の日時はある程度の裁量を持っております。ロウ様の都合のよいように、就任式の時期を決めさせていただきます。いずれにしても、就任式もすぐにというわけにはいきませんし」
スクルズはにこにこと微笑みながら言った。
とにかく、時間を置かせた方がいいだろう……。
ミランダは、四度目の溜息をついた。
*
「旦那様、お召し物をご準備いたしました」
一郎の前に、屋敷妖精のシルキーが台車とともに出現した。
台車に載っているのは、桶に入れた洗顔用の湯と着替えだ。眼をやると、着替えはボルグ家の紋章の入った貴族風の装束である。
今日は子爵として顔を出さなければならない行事のある日なのだ。
一応、一郎はボルグ家の姓をもらい、子爵の称号を与えられた貴族のひとりということになっている。
貴族には、さまざまな課税から逃れたり、あるいは国王の許可なく王軍が捕らえることができないなどという特権があるらしいが、同時に義務もある。
もっとも、義務というが大したものではない。
今日は宮殿に間近い武闘場で行われる闘士の戦いを貴族席で見学するというものだった。
よくは知らないが、キシダインが失脚した後、ハロルド公を兼ねて宰相でもあったキシダインの宰相としての地位を引き継いだ貴族が主催する武闘会であり、大勢の一般市民にも無料で開放される大きな催しらしい。
それに、一郎は子爵として見学するのだ。
新しい宰相の人気取り施策のひとつなのだが、王都に所在する貴族は、ほとんどがそれに参加する。
一郎も、冒険者とはいえ、貴族になったのだから、そのような催しには、せめて顔くらい出すのが義務だとアネルザにも釘を刺されていた。
武闘会は昼前から開催されるらしいが、貴族としては高い地位ではない一郎は、早めに貴族席に入らなければならない。
まあ、馬車でまともに向かえば、この「幽霊屋敷」から王都の城門まで半ノスほどかかるが、“ホットライン”を使って、王都内の小屋敷に跳躍し、そこから馬車で向かうのでそれほどの時間はかからない。
対外的には、向こうが子爵としても一郎の屋敷ということになっていて、向こうは向こうで、屋敷妖精のブラニーが外出用の馬車を準備してくれているはずだ。
ボルグ家の紋章付きの馬車で、武闘場に乗りつけるのも、貴族として約束のひとつというわけだ。
「着替えをお手伝いします」
「わたしも」
コゼとエリカがすぐにやって来る。
シャングリアはいない。
今日は、貴族としての参加なので、エリカとコゼは留守番だ。
シャングリアを護衛を兼ねた従者ということにして、ひとりだけ同行させる予定である。
「準備できたぞ。わたしはいつでも出発できる」
すると、シャングリアが奥の部屋からやって来た。
女騎士としての正装をしている。
シャングリアの美貌が引き立つ素晴らしい装束だ。
しかも、スカートだ。
本来であれば、女騎士とはいえ、正装にスカートはない。だが、シャーラやアネルザに指示して、強引に正式に採用させた。
もちろん、一郎の趣味だ。
男装もいいが、やはり女将校用の軍服というのはいい。
いま、シャングリアは、その新採用のスカートの軍服を身に着けている。一郎の指示だ。
丈も膝よりも上であり、これも一郎好みである。
「とにかく、ロウ様のことお願いね、シャングリア。なにかあったら守ってよ。一介の冒険者のロウ様がいきなり子爵になったんだから、敵意を抱いている貴族も多いかもしれないし……」
エリカが一郎の着替えを手伝いながら、シャングリアに言った。
いつもは護衛役はエリカなので、一緒に行けないのが不安そうだ。
「わかっている。だが、問題はないと思うぞ。表には出ていないが、ロウがなぜ、子爵の地位を与えられたのか、その功績の内容はほとんどの貴族は当たり前に知っている。公然の秘密というわけだな。キシダインの私兵を壊滅させたほどのロウに手を出す馬鹿はいないと思うな。むしろ、向こうがロウを怖れている」
シャングリアだ。
「まあ、そんな敵意も王妃様が上手く処理してくれているわよ。王太女様もいるしね……。ところで、闘技場でミランダと合流するんですか? それとも、その前に合流を?」
コゼも口を挟んだ。
また、コゼが訊ねたのは、今日は単に闘技を観戦するだけじゃなく、ある指名依頼の内容がそこで説明されることになっているからだ。
詳細はまだ知らされていないが、それも今日、ミランダから説明を受けることになっている。
「闘技場で合流だ……。ところで、シャングリア、よく似合っているぞ。軍服もいいな。貴族らしくエスコートしよう。腕をとれよ」
身支度が終わった一郎は、左腕を腰の横にやって、シャングリアが手を掛けられるようにした。
「女騎士はエスコートは受けないぞ」
シャングリアは苦笑しながらも、一郎の左腕に手を掛ける。
一郎はすかさず、収納術でシャングリアのスカートから下着を亜空間にしまった。
身に着けている衣類を魔道で収納するなど、知られている魔道では不可能らしいが、一郎は淫魔術で簡単に実施できる。
まあ、女相手限定だが……。
「ひっ」
シャングリアが掴まっていない側の手でスカートの前をさっと押さえた。
*
闘技場の周りは、かなりの人だかりだった。
一郎たちの進む入口は貴族席なので、一般市民の集まる方向とは違う。
喧噪の場所の横を抜けて、比較的すいている場所の方向に進んだ。
いずれにしても、かなりの混雑ぶりだ。
今日は、新しい宰相の就任のご祝儀ということで、宰相の個人資産を提供して行う闘技場の催しであり、全員が無料で見学できるのだそうだ。
闘技場そのものだけでなく、その周りには、集まる観客目当ての屋台なども立ち並び、かなりのお祭り騒ぎだ。
入口についた。
馭者役を務めていたシャングリアが飛び降り、近くの兵を呼んで馬車を所定の場所まで運んでいくように頼んでいる。
その兵はにこやかに応じ、シャングリアと馭者を交代した。
兵たちは、王軍の衛兵の装束ではないから、宰相の雇った傭兵だろうと思った。
シャングリアが扉を開き、手を出す。
一郎は、その手を持ち、馬車を降りた。
そのまま引き寄せて、シャングリアの腕に自分の腕を絡ませて、シャングリアの身体を寄せた。
だが、顔が赤い。
やはり、「ノーパン」にされているのが恥ずかしそうだ。
「や、やっぱり、みんな見ている気がする……。は、恥ずかしいぞ、ロウ……」
シャングリアが真っ赤な顔で一郎にささやいた。
確かに、ここには多くの兵もいるし、案内係も大勢いる。
まだ、早い時間なので、一郎程度の低い階級の者だが、闘技場にやってきた貴族たちもいる。
「悪戯は嫌か?」
一郎はわざと言った。
「い、嫌じゃないが……」
「だったらいいだろう」
一郎はそのまま歩き始めた。
男勝りのお転婆騎士で名高いシャングリアが、一郎と腕を組んでぴったりと寄り添いながら歩く光景に、周りの者たちが奇異の視線を向けるのがわかった。
ただ、実のところ、もうシャングリアが、一郎に惚れて、冒険者になったというのは王都でも有名な話だ。一郎とシャングリアがいい仲であることが、いまさら噂になって困ることもない。
むしろ、有名なシャングリアを一郎が独占していることをひけらかせるようでいい気分だ。
一郎はシャングリアの腕を絡めたまま、通路を進んでいった。
その横をシャングリアがはにかむようにしてついてくる。
だが、そのシャングリアがスカートの下になにも身に着けていない破廉恥なことをしているとは思わないだろう。
シャングリアもちょっと緊張気味だ。
それがなかなかに愉快だ。
「ボルグ卿」
だが、闘技場の施設内に入ってすぐ、ひとりの従者風の男から声をかけられた。
一郎には、それがアネルザの家人だということがすぐにわかった。
老人だが、アネルザが幼少の頃からの従者だということであり、アネルザを絶対的に信奉している男だ。
「どうぞ、こちらへ……。アネルザ様がお待ちです。時間まで一緒に過ごそうと申されております」
その老従者がささやいた。
何度もアネルザの屋敷には出向いているので、一郎もシャングリアも、この従者とは顔なじみだ。実際のところ、一郎がアネルザの愛人であることも、この従者は承知している。
確かに、まだ催しの開始までは随分と時間がある。
だが、今日は国王もやって来ると耳にしているので、王妃も出席はするのだろうが、まだ正王妃のアネルザがやって来るような刻限ではない。
アネルザがすでに到着しているとは驚きだ。
一郎がそう言うと、従者はにっこりと笑った。
「……ボルグ殿もお越しになるというので、実のところ、随分と愉しみにされていたのですよ。早くから、おめかしをなさったりして……」
従者が笑った。
この老人は、一郎というどこの馬の骨ともわからない若者が、アネルザを愛人にしても、ちっとも嫌な感情は持っていない。それどころか、一郎が出入りするようになって、アネルザの心が安定したと喜んでくれてもいる。
折につけ、そう言うので、一郎もほっとしているところだ。
老従者の案内で、そのままシャングリアとともに、上級貴族用に場所に移動していった。
地下に待合用の個室が幾つかあり、そのひとつをアネルザはあてがわれて、そこで待っているのだそうだ。
個室のある場所に降りる階段についた。
そこには王軍の衛兵がいて警備していたが、老従者が声をかけると、さっと道を開いて、一郎とシャングリアを通してくれた。
地下の通路に着く。
すると、向こうから随行の者を率いた太った男が歩いて来るのが見えた。身なりからして、随分と地位の高い上級貴族だということだけは予想がついた。
魔眼で覗けるステータスからも、彼が身分の高い貴族であることはわかる。
後ろにいるのは、従者の恰好をしているが全員が護衛のようだ。
それぞれが一騎当千の戦士だ。
一郎とシャングリアは、壁に張りつくようにして通路を解放した。
「……あれが新しい宰相だ、ロウ。ブライトン伯爵家のフォックス殿だ」
すると、シャングリアが耳元でささやいた。
へえ、あれが新しい宰相か……。
魔眼で確認したが、確かに宰相だ。
もっとも、たったいままで、一郎は新しい宰相の名も承知していはいなかったのだが……。
そのフォックスが一郎たちのいる場所の前を通りかかった。
すると、すっと足を止めて、一郎の顔を覗き込んだ。
「知らぬ顔だな。どこの下級貴族がここに紛れてきた。ここは上級貴族しか立ち入りを許されぬ一画だぞ。おい、摘まみ出せ」
フォックスが突然に怒鳴った。
護衛たちがさっと動く。
「なんだ、いきなり」
シャングリアが怒ったように、一郎の前に出た。